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試練・精霊契約編

第26話《花崎女医の憂鬱》

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「うーん………特に問題はないカモね。体がダルいとか、そっちの心理的な問題はあるかもしれないけど」
  マリナーラは女医に面向かって、唾を弾き飛ばした。
「本当なのですね? 嘘とかじゃないのですよね?」
  と、失礼極まりない発言を何度も反復する。
「あんた、いつもしつこいわよ。一日に何回同じ台詞を私に吐かせるつもりなの?」
  女医はカルテをまとめると、パソコンに気を回した。カチカチとキーボードを打ち込みつつ、落ち着かない変な少女に呆れた様子で言った。
「あの子は大丈夫よ。大したケガはしてないし、どこか体が欠落したわけでもないし。単なる戦いによる疲労でしょうよ」
「疲労って………そういえばなんでアヤノンちゃんは突然傷だらけで現れたのですかね?」
「さあね。私は生憎、治療魔法の類いが専門だからね。事件の概要なら刑事さんに聞いてみれば?」
「だれも教えてくれないのです。みーんな黙りなのです」
  警察は個人情報保護の盾を構えているのだ。そう易々とは通過できる道ではなかった。
「それなら、カクテル刑事に聞きなさいな」
「カクテル刑事?」
  知らない人物である。しかし、この女医は妙に親しんだ感じで、
「あの刑事はガチモンのバカで、個人情報保護なんて抜かしやしないからね。あいつならすぐにペラペラと概要くらい話してくれるわよ」
「…………なら、いいのですけど…………」
「あら、今日は案外静かね…………」
  アヤノンという少女が運ばれた昨日は、この口うるさい少女が名医の花崎はなさき女医の診断を妨害をしてきたのものだ。お陰で支障が出てきたりもしたりする。
  マリナーラはやるせない思いで言った。
「実は、今日は魔法力基礎テストの日なのです」
「テスト? あぁ、魔法力を計測したりするあれね。昔はそんなものはなかったのにねぇ。時代が変わったってこの事かしら」
  花崎女医はキー打ち込みを止めずに答えた。
「けど………アヤノンちゃんはムリなのです」
「ムリ? それってテストに出られないってこと? さっき言ったけど、彼女は―――」
「そうじゃなくて、あの人には魔法力がないのです。だから―――」
「………あぁ、そういうことね」
「………………」
  マリナーラの表情が暗くなる。
  アヤノンはあの後、一日中寝っている。精霊を探しだせていないまま日を越してしまい、ついに今日を迎えた。
  今、学校ではクロ先生と校長が、アヤノンが来るのを待っている。二人にはまだ結末を伝えていないのだ。
  アヤノンがこのまま起きようが起きまいが、テストは不合格である。つまり退学だ。
  感情を押し殺しても、やはりマリナーラには堪えきれなかった。悔しい思いで一杯になる。
  それを見かねた花崎女医は、「はぁ………」と無情のため息をつくと、を告げた。
「精霊ならいるわよ?」
「…………え?」
  暗い顔の少女に光が差した。その反応に、なんだか面白いなと女医は感じた。いたずらっ子な顔で、
「あれ? あんた知らなかったの? あんたたちが助け出したあの子………精霊よ?」


「…………えぇ?」


  ポカンとした顔は見物である。身近な真実を知った時ほど、人間の裏側というものは姿を現す。それが一番滑稽こっけいだということを、花崎女医は知っている。
「こらこら、ポカンとしてないで。用がないならさっさと帰ってちょうだい。私は無駄話する暇なんてないから」
「それは分かってるのです。そんな事よりも………… あの子が精霊なのですか!?」
「というのをカクテル飲んでる刑事が言ってたのよ。事情聴取で正体を明かしたらしいわ。それから入院したあの子………アヤノンちゃんに“大切な話”があるから会わせてほしいとも言ったらしいわ」
「大切な………話?」
「そうそう、大切な話。内容までは知らないけどね。気になるなら行ってみれば? さっき刑事と会ったんだけど、あの子、意識を取り戻したらしいわよ」
  その時、マリナーラが勢いよく立ち上がる。イスは衝撃で倒れた。
「連れていってほしいのです。今すぐに!」
「ええー? 1人で行きなさいよ。私こう見えて忙しいの」
「私、はやくお見舞いにいきたいのです。場所を教えてほしいのです」
「209号室よ。間違えて患者さんに迷惑かけないでよね」
「分かったのです!」
  そのまま風のごとく、診断室から少女は飛び出していった。ガラリと開いた扉の先を見て、女医は再びため息をついた。

「病院では走っちゃいけないのに」

  その直後、1人になった女医の元へ“古き友人”がやって来た。
「よぉ、また会いましたな花崎先生」
  酔ったような顔つきの彼はカクテル刑事である。戸を閉めて入ってくる彼とは、女医は少しばかり縁があった。
「あんた、勝手に入ってくるなんていい度胸ね。ここはあたしの城よ」
「へぇへぇ女王様。私が勝手に入ってきてはいけませんものねぇすみませんでしたぁ」
  親しみを込めた悪態に、刑事は冷たい笑顔で軽く受け流した。
「それより花崎先生よぉ。少しばかり聞きたいことがある」
「はい、何かしら? プライベートの話とかはNGよ」
「安心しろぃ。そんなことが聞きたいんじゃねぇよ。今の俺は刑事のカクテルだ。私情は挟んだりしねぇよ」
  刑事はどっさりとイスに体を預けた。
「あんた、今回の“カモメ”の司法解剖に立ち会ったらしいな」
「カモメ…………あの指名手配犯のことね。えぇ、それなら」
  昨日、彼女は無惨にも肉片と化した悪魔の死体と対面していたのである。死体には慣れてる彼女だったが、あれを思い出すだけで、寒気と吐き気が今でも襲い掛かってくる。あれは類を見ない物だった―――と女医は言った。
「けど刑事さん。あなたは何を聞きたいの? 私はあんまりあれを思い出したくないんだけど…………」
「その気持ちは痛いほど分かる。俺も生で実物を見たからな…………」

  刑事は思い出す。
  パトカーの赤いランプが鳴り響く中。
  ブルーシートに囲まれた空間の中には、破裂死体と化した男の遺体が…………。

「あれはおぞましい物だ。見ただけで自殺したい気分になっちまう。その要因となっているのは、不自然な死にかたじゃないかと私は思うんだが?」
「同感ね」
  女医もそう感じていた。
「あの死体は、内側から爆発したかのような死にかたをしていた。内臓や肉片が粉々なのが、その証拠よ。けど、そんな死にかた、普通はあり得ないわ。爆弾でも有ったのなら話は分かるけど…………」
「今のところ、それらしき物の痕跡は発見されていない」
  刑事は断言した。その事は解剖に立ち会った彼女も分かっていた。となると―――
「犯人は、カモメを内側から爆発させるような細工をして、殺害したことになるわ。それが科学的なものか、はたまた魔法的なものかは知らないけどね」
「そいつは俺もお手上げだ。今全力でそれができそうな魔法を探してるんだが、結果は出ずじまいだよ」
  捜査本部は現在、熱気に満ちた雰囲気に包まれている。なんせ今まで取り扱ったことのない事件だからだ。上層部のキャリアがやる気にならない訳がなかった。
  不思議な事件だ―――と、刑事は思った。


「………ここなのです」
  病室、209号室。
  手前に隔てる扉の先には、アヤノンがいる。起きて、今精霊の少女と話をしているのだろうか。あいにくその様子までは分かりかねない。環境音は見事に耳栓の役割を果たしていたのだ。
  固唾を飲んで、いよいよその戸に手をかけた。右にずらし、世界を切り開く。


  アヤノンと精霊はキスをしていた。


「……………………へ?」
  世界の中心で今起こっている、神秘的な光景。何事にも変えられない、温かなオーラ。
  目の前で純白なラブストーリー劇場が繰り広げられていたのだ。しかも同姓の。
  すると突然視界のズレが起こり、世界が歪んだ。直線が曲線となり、曲線が直線と成り果てる。世界は形を変え、4次元にも5次元にも広がった。天空から女神が降臨する。母親のようにいとおしげな神は、大きく広げた翼で二人を包みこみ、光を灯した。
  眩しい。眩しすぎる。聖なる光が翼の内から飛びだし、次元空間に突き刺さる。
「いっ………いったいなにがっ!?」
  マリナーラは手を視界に覆い被せた。その隙間から微かに見えたのは、次第に去っていく女神の姿だった。翼を揚々ようようと広げ、空に羽ばたいた。
  やがて謎の光は収束を見せ始め、世界のズレも徐々に穏やかになる。
  直線が曲線に、曲線が直線へ。
  5次元が4次元へ。4次元が3次元へ。
  少女に見えた視界のズレは焦点を合わせて、ゆっくりと安定していった。


  世界は完全に返還された。


  再び世界の中心に、二人の重なった影が現れる。アヤノンと少女は唇を離した。
「…………こんなんでホントに《精霊契約》できるのか…………!?」
  そっぽを向き、アヤノンは己の唇にやさしく触れた。まだ少女の生温かな感触が烈々と残っている。まだ心臓の鼓動が高らかなリズムを刻んだままだ。
「な、なぁ…………なんで“キス”する必要があるんだよ。 精霊契約ってあんなことしないといけなかったのか?」
「仕組みはよく知らないの………。でも、私たち精霊は、契約の証として、その…………”きす”? というものをするの。じゃないと契約が成立しないの………。でも、別に恥ずかしいことじゃないのに、一体なにを恥ずかしがってるの」
「お前呑気すぎるんだよ! くそっ…………俺はまだ初めてだっていうのに…………」
「………意味が分からないの。契約できたからそれでいいじゃない。なにが不満なの?」
「お前はまだ知らないんだよ。人間というのは、案外もろく崩れやすい生き物だってことを…………!」
  そう、たった一回のキスで。しかも《精霊契約》という名の。それだけで、アヤノンこと福本真地の心の内は破裂寸前となっていたのだ。
  精霊契約をするには、キスをしなければならないと聞いた時には、どれだけ驚いたことか。何度少女を見返したことか。
「なんでさっきからチラチラと見るの?」
  気づかない少女は潔白な瞳を向けてきた。心がズキズキときしみ、穴が開く。そこから押し殺した理性が―――“オトコ”としての感覚がよみがえってきた。
  精霊は“キス”の本質をつかんでいなかった。単なる“契約”の一種としか見定めていなかったのだ。彼女のあっけらかんとした態度は、おそらく演技ではあるまい。それがアヤノンの中の“真地の知覚”を刺激し、覚醒させた。
  自分も女の子の体になって、女体に慣れてきたと感じ始めていたが、改めて精霊をみると、キスをすると――――やはり内側の“真地”は興奮せずにはいられない。
  なぜなら彼女はもともと“オトコ”なのだから。
「あ、あのな…………くれぐれも、この事は他言無用だぞ。言ったら俺恥ずかしさで死んじゃうから」
「し、死んじゃうの………!? うん、わ、わかったなの………」
「おし、いい子だ
  頭を撫でつつ、少女の新たな名を口にした。
「フォルトゥーナ……………?」
「うん、だってお前、名前なかっただろ? もしかして本名とか有ったか?」
「うんうん、ないの。…………私、気づいた時から『商品ナンバー』って言われてたから」
「じゃあ、今日からお前はフォルトゥーナだ。よろしくな」
「うん…………なの!」
  その時は“真地”としての理性が働いていた。女性が求める、男性特有の心強さと安心感、それと温かさを伴って。

  “真地”は幼く見える少女の頭を楽しそうに撫でてやった。

「――あのー…………」
「「え?」」
  重複した反応は、傍らで真っ白になった1人の少女を刺激した。
「……っっ! もう一心同体っていうことか。………フフフ、アヤノンちゃんが“そっち系”の人だったなんて………けど、別におかしくないのですよ? 私は何も気にしない。けど………なんだろうこの疎外感は。フフフ、フフフフフフ!」
  イスに腰掛け、まるで呪いに支配された老婆のような顔で。
「…………フフフ、けどいいのですか? 今日は魔法力基礎テストの実施日。ここで乳繰ちちくり合う暇なんてないとおもうのです。まぁ、いいか………リア充爆発。炎上。撲滅………フフフ!」
「ど、どうしたマリナーラ……… っていうか、今の話本当か!? 」
  ベットから飛び出したアヤノンはすぐに支度を始める。
「どうしたの、そんなに慌てて…………」
  フォルトゥーナは動揺した。しかし、外せない急用があるということは察しがついた。
  ハンガーに掛けられた制服に着替え、壁に立て掛けてある刀を手に取り、腰に射した。少し乱れた頭髪でサラッと空を切って、きびすを返す。
「フォルトゥーナ! 今からで申し訳ないけど、ついてきてくれ!」
「ちょ、ちょっと待ってほしいの! 行くってどこへ………?」
「それは…………」
  戸をガラガラと引き、病室を出る直前。止まった少女が言うには、「決まってんだろ」と。

「俺の人生のすべてが決定される所にだよ」
  
  
  

  
  







 





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