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試練・精霊契約編

第25話《精霊契約》

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 アヤノンが目を覚ますと、そこは見慣れない場所だった。まぶたが重く感じ、不機嫌そうな顔になる。
  辺りをキョロキョロと見渡した。真っ白な部屋で、窓からは明るく清潔感のある光と風。一方自分はというと、あちこちに包帯が巻いてある。近くにはドラマでよく見るような医療機器がある。
「ここは病院か…………」
  体を起こすと、ある人物が近くで寝ていることに気がついた。青髪の精霊である。アヤノンの膝元を枕代わりに寝付いていた。
  驚き、少女の美しい寝顔にときめいてしまうアヤノンはひどく頭を振った。
(なに女の子の寝顔にときめいてんだ俺!? 落ち着け………落ち着くんだ福本アヤノン! 今お前は女だろ!? このままだと百合みたいになっちまうじゃねーか!)
  葛藤が続くなか、
「う、うぅん……………」
「あ………」
  少女は目を覚まし、眠そうな瞳でアヤノンを見つめる。
「………あれ? う、うぅん…………」
「………あのー、もしもし?」
「………あ、はい、私ですか?」
「うん、そう。君だよ。ここで何してるの?」
  ボーッとした顔で、一言。
「………お昼寝なの」
「お昼寝ぇ?」
  なんというかわいらしい回答なんだろうか、とアヤノンは頬を染めた。
  ゆっくりと時間をかけて、精霊は体を起こした。風がその時ヒュウと吹いて、透き通った青髪を揺らしてくる。
「………私、お見舞いにきたの。あなた、私の命の恩人だから」
「い、命の恩人って………別に大したことは………」
「うんうん、したの。してくれたの。だから私は来たの。………本当にありがとう」
  蠱惑こわく的な声に、福本アヤノンの内に眠る“男”としての本能が目覚めそうになった。
  いかんいかん―――と首を一生懸命振った。
「いいんだよ別に。これは俺がしたくてやったことなんだ。君は気にしなくていいんだよ」
  そう言って、アヤノンは少女の頭をやさしく撫でてやった。
「………!」
  ビクッと少女が小さく反応した。
「あ、ごめん…………嫌だったか?」
「うんうん…………なんだかうれしくて…………」
「嬉しい?」
「………私、家族がいないの。………いや、居たには居たはずなの。お母さんの形見は有ったから。けど………物心ついた時にはもうあの牢屋の中に………」
「………居たっていうのか?」
  少女は小さく頷いた。
「………まさか、この日までずっとあんな環境の中にいたなんて………」
「うん、居たの。すごく寂しかったし、怖かったの。けど今はもう怖くないの………あなたたちのお陰で、私は奈落から這い上がれたの」
  少女の小さく冷たい手が、アヤノンの左手をやさしく包み込んだ。

「ありがとうなの。私をあそこから救いだしてくれて」

「あぁ…………」
(何なんだこの子!? 何なんだあの時からでは考えられない、この天使のような微笑みは!? どうやったらこんな風になれるのかな、かな!?)
「い、いやぁ………ちょっと照れますなぁ………はは、はは…………」
  アヤノンは少女の顔を直視できなくなってしまった。赤面の表情を見せるのが恥ずかしいのだ。
「…………? なんで恥ずかしがってるの?」
  バレていたようだ………。
「あ、あのね。やっぱり言われて照れちゃうことってあるんだよ。こんな男勝りの女でも、ね」
  少女は首をかしげ、ポツリと不思議そうに言った。

「…………? あなた、じゃないの?」

「……………」
「………ねえ? なんで黙ってるの?」
「……………」
  何故バレてる…………?  アヤノンは額からの汗を止められなくなっていた。
「…………な、何の話かな~…………」
「私、分かるの。あなたは女の人の姿をしてるけど、実際は男の人なんだって………」
「…………どうして分かったわけ?」
「私、精霊だから」
  そう、この少女は精霊という、非常に稀有な存在なのだ。それを狙って、今回の人身売買が行われたのだ。
「いやいや、精霊だからって分かるの? 精霊ってもしかしてあれかな、超人的な力を持ってたりしてる?」
「精霊だからってそんな力はないよ。…………けど、分かるの。あなたはほんとは男の人なんだって。なんで体は女の人なのかは分からないけど………」
「う、うぅーん……………」
  これは参った、とアヤノンは思った。ホントはあまりその事を知られたくはなかったのだ。
  悪いが、この事は内緒にしてくれるか―――と頼み込んだ。
「うん、………別にいいの。でも、なんで隠したがるの?」
「それは………まぁ………色々とね」
  あまり騒ぎになりたくない、というのが最もな理由だった。
  話を変えて、アヤノンは事の流れを聞いた。
  アヤノンが気絶したあと、どうやらすぐに警察の武装部隊が到着し、保護されたらしい。その際、アヤノンと、重症のフレーベは救急車に乗せられ病院へ、マリナーラと精霊は事情聴取を受けたそうだ。
「あと、これは後から聞いた話なんだけど………重症の女の人………助かったらしいの」
  フレーベ…………。
  アヤノンはあのおふざけ精霊研究家の顔を思い出す。いくら正当防衛とはいえ、彼女に重症を負わせたのはアヤノン自身だ。敵が悪者とはいえ、アヤノンは死なせてしまったのではないかと、心が少し痛んでいたのだ。
  アヤノンは安堵のため息をついてから、
「それならよかった………そういえばカモメ男はどうなった?」
  すると病室の端から少しゴツい声が聞こえた。
「ヤツなら死んだよ」
「!? …………誰?」
  カーテンのレースから現れたのは、年食った老人だった。52か53歳だろう。
  老人はアヤノンの元に寄ると、カチャッと手帳を見せてきた。
「私はモール都市警察のカクテル刑事だ。今回君たちからのSOSを受け取ったのは私だったのだ」
  そう言うとどこからともかくカクテルを出して、一気に飲み干すではないか。
「うぐっ…………ぷはぁ! やっぱりカクテルは最高だな! なんだお前ら、一杯飲むか?」
「いや、いいです………」「いらないの」
  即答で断る二人だった。
  カクテル刑事はしかしすぐに真剣な眼差しで、
「さっき言ったことは本当だ。警察が追いかけ回していた指名手配犯、カモメは死体で発見されたんだ」
「刑事さん………そいつは一体………」
  刑事の目は厳しい現状を捉えていた。
「カモメは、現場から1キロほど離れた位置で発見された。変死体としてな」
「変死体…………?」

  変死体というのは、死亡要因が明らかに自然死や病死ではなく、かつ死亡が犯罪に起因していると見なされた死体のことを指す。
  つまり、カモメは自殺ではなく、他殺体として発見されたことになる。

「ヤツはそれこそ、惨たらしい姿になっていたよ」
  カクテル刑事の声が震えていた。
「右手の一部と下半身以外、全部内側から形になっていた」
「破裂………って」
「文字通りの破裂だ。内臓系も全て破裂していて、残っていたのはヤツの肉片と骨だけだった。残された部分を調べた結果、カモメ本人だと判明した」
「…………っっ」
  精霊は口許を押さえ、青ざめた表情になっていた。アヤノンは寄り添い、
「大丈夫か? ここから出ていった方が…………」
「………っっ、うんうん、大丈夫。私も関係者だから」
「あぁ…………すまない。君たちの心情を考えず、ペラペラと酷な話をしてしまって………」
  申し訳なさそうに口を開くカクテル刑事は、それ以上カモメの話はしなくなった。
  代わりに、今度はフレーベについて聞いてきた。
「あの女性は一体何者かしっているか? いや、その前に何故あんなところに?」
「本人はなんて言ってるんですか?」
「それがな………一切口を開こうとしないのだよ。君なら知ってるんじゃないか。聞いたぞ、あの場にいたマリナーラとかいう少女から、知らない間に重症の二人が倒れていた、とな」
「……………」
「きみ、何か知ってるんだろう?」
  まるで殺人容疑で迫られている容疑者の気分だった。確かに下手したら殺人になっていたかもしれないが。
「………俺も、詳しいことは知りません。ただ、ヤツは“タイムオペレート”というのを使って、と言ってました」
「時を…………止めた?」
  二人の視線が、アヤノンに集中する。見られるのはあまり得意ではない。
「俺も信じられませんでした。ただ、あいつはこの子の買い手で、連れ出すために時間を止めた、とか」
「だがその影響は君には及ばなかった………と」
「はい………奇跡的に。それでヤツと戦って、何とか命からがら勝った…………という感じです。信じられないかもしれませんけど」
「うーむ、確かに信じがたい話だなぁ」
  刑事は一丁前に顎に指を添えた。
「どの魔法書にも、時間を止める魔法なんてないはずだが…………」
「本人が言うには、とか言ってましたが」
「魔法ではない第2の力………?」
  すると精霊がビックリした様子で目を見開いていた。
「………? どうしたの?」
「な、なんでもないの! うん、なんでも………」
「…………?」
「ま、とにかくだ」
  カクテル刑事は再びそれを飲みながら、
「今回はお手柄だぜ、お嬢ちゃんよ。ただあまり無茶はせず、俺たち警察に頼ってくれよ?」
「はい………すいません」
「助かったんだから、そんな湿っぽい顔すんなや。今はその子と、楽しくお話ししてやるのが君の務めだ。なんでもその子から、があるらしいぜ」
「大切な話…………?」
「……………」
  精霊を見ると、アヤノンを固い決意の眼差しで見つめていた。
  ガラガラ―――と戸を開いたのは刑事である。にやけた顔で、
「そんじゃあ、お二人とも達者でな。またいつか会ったら、そんときはよろしく。おっさんの俺はさっさと出ていくわ」
  刑事が去っていた。その姿をボーって見ていると、
「福本………アヤノンさん」
  精霊が初めてアヤノンの名を呼んできたのだ。
「どうしたの? 大切な話ってなに?」
「は、はいです…………いや、あの…………」
  可愛らしくモジモジすると、意を決したのか。
「福本アヤノンさん………私と………」


「私と、《精霊契約》………してくれませんか?」



      *



  場所は変わって、とある研究室。
  パイプやらワイヤーやらがクモの巣の如く張り巡らされたこの場所は、静かに機械音だけを鳴らしていた。
  その中の………機器を分け入って、機器全体の中核とも言える場所に、一人の金髪の男が立っていた。

『それで…………やつはどうなった?』
  画面に映し出された、見知らぬ男の顔。金髪は静かに答えた。
「しくじった罰として、そちらが送ってきた暗殺メンバーの一人で処分しました」
『エアリスを使ったのか…………あいつは後始末はしないほうだぞ』
「ご心配なく。遺体は発見されても、警察に事の顛末が分かるとは到底思えません。心配はご無用かと」
『そうか………まぁ今回は不問にしよう。だが次しくじれば…………』
「分かっております」
  マイクに向かった金髪の声が、研究室内で反響する。
「しかし総帥。今回そちらが送ってきたもう一人のメンバーですが…………」
『フレーベのことか。ヤツがどうした?』
「それが…………なんでも重症を負い、警察に逮捕されたそうで………」
『…………なんだと? 重症だと?』
  相手の顔が厳しいものになる。金髪は緊張して、声を高く上げて。
「ハッ! なんでも、その場に居合わせた魔法側の人間との戦闘により敗北―――」
『敗北―――あの恥知らずめ!』
  ヒィっと金髪は怯える。
『あの女に我々一族の力を与えてやったというのに、まさか魔法ごときに負けたというのか! あり得ん、あり得んぞ!』
「そ、それは………少し違います。彼女を敗北に追いやったのは、使だという報告があります。決して魔法に破れた訳では…………」
『そちらのほうがもっとあり得ん! ただの人間に、我々一族の力が負けたなどと…………』
  画面の相手はしばらく放心状態となっていた。額に手を当て、「一族の力が…………」とか、「たかが一般市民に…………」とかほざいている。これには金髪も唖然とした。
  やがて―――
『その者は―――』
「はっ?」
『フレーベを打ち破った者の名は?』
「えっ、えっと…………そう、福本、福本アヤノンというそうです」
『福本………アヤノン………』
  画面の主は、その名を口にし、頭の中で復唱する。乱れた情緒が徐々に安定し、精神が一定となり、
『…………取り乱したな。申し訳ない』
「………っ! いえ。そんなことは………」
『………おそらく、だが』
  金髪は「はぁ」と応じる。
『フレーベが負けたのは偶然であろう。ヤツの力はそれほど強くはない。戦場の環境によっては、ヤツが不利になり得たかもしれんしな』
「そうですか。では、…………」
『うむ。ヤツもしておけ。敗者に用はないからな』
「承知。しかし、福本アヤノンについては………?」
『……………』
  気にかかってはいる。だが、行動にはまだ気が早いのではと感じた。
  画面の主は口を開いた。
『放っておけ。今回は見逃しておこう。だが、再び我々の前に現れたら、その時は、敵と見なし、』


『―――排除せよ』






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