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幸せになるために

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「あのなあ……お前……」

 呆れたようなダイモンの声が聞こえてきたが、尻すぼみに闇の中に消えていく。物言いたげな沈黙に促され、コーディエは手を握りしめた。膝を濡らす水が冷たい。

「私は……ずっと、君とのことを考えていたんだよ、ダイモン」
「は?」

 今度は、ダイモンの方が素っ頓狂な声を上げる番だった。

「君に旅に誘われて、嬉しかったんだ。けど、正直君がどういうつもりで私にそう言ったのか分からなかったし、また裏切られるのも怖いと思って、断ってしまって……それなのに今更になって、本当にそれでよかったのか、今からでも撤回すべきなのか、迷いが出てきてしまって……分からなくなっていたんだ」

 信じられない、という表情のダイモンに語り掛ける。

「……随分と身勝手な話だよな。迷惑をかけてすまなかった」

 心の内を晒す、というのは、膿を出す作業に似ているかもしれない、とコーディエは感じた。痛みを伴うが、どこか爽快感のようなものがある。

「いや、ああ、それは……構わない、が……うん。どういうつもり……かぁ」

 また月を見上げたダイモンが、しばし考えた後にコーディエに視線を戻した。茶褐色のはずの瞳は、夜空と同じ色を写している。目を凝らせば、その中に瞬く星さえ見えそうだった。

「俺は、コーディーとずっと一緒にいたいと思ってる。話が面白いし落ち着くし、何よりかわいいからな。だからコーディーと旅をして、もっと面白いもんや素敵なもんを見せてやりてえと……いや、一緒に見て回りてえと思ったんだ。それだけだ」
「……うん」

 コーディエが頷くと、ダイモンは少しだけその顔を険しくした。

「裏切るつもりや、コーディーのことを悲しませるつもりは、もちろんない。けど、それについては……これからどうなるか、正直、俺にも分からない」
「どういうことだ」
「俺は……グノシオン以外の奴に惚れる日が来るとは、思ってなかった。あいつ以上の相棒なんていないって、ずっと信じてたんだ。それなのに今、俺はお前と一緒に旅に行きたいと思っている。だから、今はそのつもりはないとしても、もしかしたら、将来また他の奴に心が動く時があるかもしれない」
「なっ……」

 あまりにも率直すぎる告白に、コーディエは返す言葉がなかった。ただ口を開閉させていると、ダイモンが厳しい顔で続ける。

「それに、それを差し引いても、旅は何が起こるか分からない。もしかしたらすぐに俺がなんかの拍子に死んじまって、コーディーを一人にする可能性だってある」
「そ……そうか」
「だから……それを怖いと思うなら、来なくていい。手紙くらいは書いてやる」

 生きてればな、と付け加えるダイモンは、寝間着のまま手を広げ、首を傾げた。

「……一緒に来てくれ、とは言ってくれないのか」

 コーディエが恨みがましい声を出すと、ダイモンはくすくすと笑った。

「当然だよ。俺は……お前に、幸せになって欲しいんだ。んで、それは――自分じゃないと、決めらんねえからな」
「……なるほど、ね」

 コーディエは大きく息を吸った。ダイモンの言葉を、ゆっくり数えるようにもう一度噛みしめる。
 ふと、ある疑問が湧いた。

「……なあ、ダイモン。『他の人に心変わりするかもしれない』『すぐに死ぬかもしれない』ってのは……私も、同じだよな」

 コーディエだって、トマスと別れ、ここでこんな風に悩む日が来るなんて考えたこともなかった。そして、事故に巻き込まれる可能性がある点もダイモンと同じだ。

「そうだろうな」

 ダイモンはこともなげに言い放った。

「コーディー。前にも言ったと思うけど、時間って奴は有限なんだよ。それでも俺は……違うな。だからこそ俺は、お前と旅がしたい。そう思ったから誘ったんだ」
「ダイモン……君は……」

 コーディエはそれ以上何も言えなかった。胸の中に大きな感情がつかえてしまい、言葉が出てこない。
 コーディエがつまづいている怖さをとうの昔に彼は乗り越え、そしてその上で、コーディエに聞いていたのだ。
 自分と一緒に幸せになる――あるいは、自分のために不幸になる覚悟はあるか、と。

(……私は……馬鹿だ)

 ダイモンの言うとおりだ、と思った。
 いつまでも過去のことばかり考え、彼が手を差し伸べてくれているのを無視しようとしていた。

 これからどうなるかなんて、分からない。

 だが一つだけ、確実なことがあった。
 今、ダイモンの手を取らないと、これから一生コーディエは後悔しつづける、ということだ。
 横に転がっている箒を取り上げ、コーディエは立ち上がった。

「分かった。ダイモン、旅には何が必要だ?」
「……いいのか、コーディー」
「ああ」

 コーディエは頷いた。

「私も一緒に連れて行って……いや、行かせてくれ」

 ふは、と変な笑い声を上げながらダイモンも立ちあがった。箒を持つコーディエの手を握り、肩を抱き、頬にべたべたと触れてくる。

「っ……ほ、本当か、コーディ? 夢……じゃないよな、これ。明日の朝になったら忘れてたり……」
「夢でも幻覚でもないから安心しろ」

 喜ぶダイモンに触れられると、なんだか全身がそわそわしてくる。ああ、と熱いため息を漏らしたダイモンの指先がコーディエの唇に触れ、位置を確かめるように上をなぞっていく。先端を軽く咥えたコーディエは、きらきらとさっきよりも輝きを増したダイモンの目を見つめた。
 ゆっくりと近づいてくる顔に、コーディエは目を閉じた。指の代わりに入ってくる肉厚な舌先を吸い、奥へと導く。

「んっ……」

 太い腕が、コーディエのことを強く抱きしめた。少し苦しいが、それすらもなんだか心地よい。コーディエも箒を持ったままダイモンの背中に手を回した。
 互いの舌が触れあい、上顎を舐められるたびに体が火照ってくる。頭の中が、ふわふわと溶けていくようだ。

「……嬉しい、コーディー」
「私も……ありがとう」

 唇を離し、わずかな隙間から囁き合ったときには、コーディエは自分の足が地についているかどうか自信が持てなくなってきていた。分厚い絨毯の上を歩いているようで、どこか現実味がない。

「帰るか、ダイモン」

 もっと気兼ねなく触れ合いたい。ダイモンの胸に手を当てると、心臓が大きく動いているのを感じた。

「……だな」

 にやりと口角を上げたダイモンの笑みは獰猛で、これからのことを考えたコーディの体はさらに熱を帯びた。
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