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64. 二人きり

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「おおおー!先輩だ、先輩だ!」
「マジで生き返ったー」
「ああ、目の保養、目の保養…‼︎」
 翌日の部活。先輩の復帰に喚いている男子数名。それを引き目で見ながら、須山は俺に言った。
「なあ、あいつらどうにかならないのか。佐野」
「いや、俺にはどうしようもない…」
 まるで餌に食い入る夏の虫なんとやらじゃないか。多分、あそこにいる人全員、星本先輩と目があった日には気絶するだろう。
「ちぇ、これでメシウマタイムは終了だなー」
「だからお前は性格悪すぎるんだよ…」
 本当に悔しそうな表情をしながら須山は愚痴った。根はいいやつなだけに…。もったいねぇ。
「……はーい。みんな、始めるよ」
 やがて、先輩のそんな声が卓球場に響いた。先輩の表情は俺たち卓球部員がいつも見るような笑顔で、昨日俺が見た先輩の涙は嘘だったんじゃないかと感じるようなものだった。
 俺がそんなことを考えていると、顧問の住田先生が、星本先輩の横に立った。…そうか、そりゃ俺に言って先生に言ってないことないもんな。
「……部活を始める前に、1つ。知らせがある。それも、大事な大事な知らせだ──」
 いつになく真剣な表情で、先生は話し始めた。きっと俺以外、このことについては知らないから…。まあ、さっきの先輩ガチ勢からすると…。どうなるんだろうな。
 やがて、先生は俺たち卓球部員に先輩のことを話し始めるのだった。



「先輩!嘘ですよね?今日で卓球部をやめるって!」
「そうですよ!もしかして進路系の話なんですか?それならきっと大丈夫ですよ!」
「……先輩、なんでやめるんですか。新人戦、出ないんすか」
 部活後、星本先輩ファンは一気に彼女の周りを取り囲んだ。いや、今はそれよりも多い。帰る用意をしている人の方が全くいないと言った感じだ。
「……ごめんね。もう決めちゃったことだから」
 先輩は、誰に何度、どんなことを聞かれようとも。そのフレーズしか発さなかった。きっと自分が癌であることを言うと、部員を心配させるだろうと。最後の最後まで、先輩は優しかった。
「ほーらほら、葵衣困ってるでしょ?早く帰った帰った」
「き、菊池先輩…。でも、先輩は!」
「葵衣が自分で判断したことに、君たちがとやかくいう資格はないよ。確かに、このタイミングでの退部はちょっと予想外だったけど…。このタイミングだからこそ、葵衣は辞めるって言ったんだよ」
「…華」
「ま、とりあえず!別に葵衣は部活は辞めても学校を辞めるわけじゃないんだし!そんな暗い顔みんなしないでよ!ね?」
 俺はそのことを須山と共に少し離れた位置から見ていた。さっきの菊池先輩の一連の話の中に、先輩が菊池先輩を練習のペアに選ぶ理由が詰まっていたような気がした。
 ちなみに、先輩を取り巻いていた数名は、菊池先輩のその言葉に渋々ながら納得し、1人。また1人と、星本先輩に何か言ってから、この卓球場を後にしていった。
「……ほんじゃ、俺も先輩に一言言ってから帰りますかねぇ」
「……おお、もう帰るのか須山」
「もうって…。相変わらず用意が遅いのはお前だよ…。あと、駐輪場が校門で茜待たせてるんじゃないのかよ。お前こそ急がなくていいのか?」
「…多分テニス部はまだやってるんじゃないかな?」
「……そうか。ま、いーや。んじゃ、俺は先帰るぜ。佐野も早く帰れよー?」
「お、おおーう」
 須山は飄々とそんなことを言ったあと、先輩に何か一言かけてから、この卓球場を去った。気がつけば、ここに残る生徒は、俺と。そして菊池先輩、星本先輩の3人となった。先輩がここに来れるのは今日が最後だし、最後はやっぱり長らくパートナーを組んだ菊池先輩と一緒に帰るのかな、と。俺はそう思っていたけど。
「…え?」
 菊池先輩は、星本先輩の背中をタン、と。一度軽く叩いてからこの卓球場から出て行った。なんでなんだ…?なぜ一緒に帰らないんだろう…?
「……佐野くん」
「え、は、はいっ」
 すると、くるりと身を翻した先輩に不意に話しかけらものだから、菊池先輩とのことを考えていた俺は、そんな変な返事をしてしまった。
 先輩はトコトコとこっちに歩み寄りながら、
「……今日の部活、楽しかった?」
「…はい。いつも通りの、楽しい部活でした」
「そっか、よかった。学校に来られる最終日も、いつも通りの私でいられたんだね。昨日のままの私の雰囲気出てないかなって部活中もずっと気になってたんだよ…」
 あはは…。と、頭の後ろを手で軽く押さえながら先輩はそう言う。
「……これで、私の部活は終わりかぁ」
「…でも、部活を辞めるとは思いませんでしたけどね」
「……まあ、昨日言ってなかったからね」
 先輩は悲しそうな笑顔ん浮かべながら、
「本当は辞めずにいようと思ったんだけど、もう癌になっちゃったし。学校にも来れないなら、今は病院での治療とかに専念しようって。自分なりにけじめをつけたんだ」
「……そうなんですね」
 直後、俺たちの間に沈黙が生じた。お互いのことはお互いが見ているんだけど、何も喋らずに。ふと、外で部活をしている野球部の声が、時々耳に入ってきた。
 もう9月なので、日も少しずつ短くなってきている。卓球場に差し込む日差しは、綺麗なオレンジ色で、文字盤が示した6時、という時刻にちょうど当てはまっているように感じた。すると、そんなオレンジの光が、先輩の視界に入ったのか、
「……まぶっ!」
 と、先輩は突拍子もなくそう言った。まさかの沈黙を打ち破る一言に、俺は唇を震わせて、
「……ぶっ。あっははは!」
「…ちょ、ちょっと。なんで笑うのよー!太陽の光が顔に当たって眩しかったんだよ!」
「い、いや。すみません、ちょっと面白くって…。あははっ」
「謝る気ないでしょ佐野くん!もう、こうなるならカーテン先に閉めておけばよかったな!」
「……確かに、そうでしたね」
 それにしても、なんで。さっき俺は、笑いが込み上げてきたんだろう。先輩は太陽を眩しく感じただけ。それを俺は見ただけ。なのに、なんでこんな…。面白おかしく感じたんだろう。
「…あっ」
 そうか。それは、そのわけは──。俺が、先輩とのこんな何気ない日常を。どこか心の奥深くで、楽しんでいたからか。先輩の言葉に、先輩の動作に。俺自身が、深く──。
「……日も、だいぶ短くなってきたね」
「…そうですね。まだ6時なのに、もう日が暮れかかってます」
「あ、また笑おうとしてるな!?佐野くん!」
「い、いえいえ…。も、もう笑いませんから」
 頬を膨らませて、奢る先輩。その姿は、木の実を口に頬張るリスの様に感じられ、何が言いたいかというと、全然怖くなかった。なんで、先輩が頬を膨らますと、こうゆるーんとなっちゃうんだ…。
「……まあとりあえず、ここに残ってるのは私と佐野くんだけだし、片付けを始めようよ。まあ、片付けって言っても、全開になってる窓を閉めるのと、中途半端に開いているカーテンを閉じるだけなんだけど…」
「じゃあ俺、両方やっておくので…」
「……全部君にやらせるわけないでしょ?私はカーテンを閉めるから、佐野くんは窓閉めていってよ」
「わ、分かりました」
 この卓球場の窓からは、外の運動部が使用しているグラウンドを見ることができる。中浜高校は、敷地が広い。が故に当然グラウンドも広い。そんなに大きく場所を取るなら、卓球場ももう少しだけ大きくしてほしかったかな。
「……佐野くん」
「…はい?」
「……私が癌だってことさ、茜ちゃんや雫ちゃんに言った方が…いいかな?」
 ビャーッとカーテンを閉めながら、先輩は俺にそう尋ねた。振り向いた俺の先には、先輩の背中しか見えていなかったけど、きっと今の先輩はいつものような笑顔を浮かべていないのだろうと、俺は悟った。
「……俺が言ったことによって、先輩が後悔されると俺としても責任取れないので…。それは先輩に任せます」
「…そっか、分かった」
 すると、先輩は一息ついてからこっちを向いて、
「……結局、私は卒業まで学校にいれなかったかー」
「…俺としても、先輩には最後までいてほしかったですけどね」
「なになにー?またツンデレ発動してるの?佐野くん」
「…違います。ったく…、前ご飯奢ってくれた時もそうでしたけど、先輩、俺のこといじりすぎですよ…」
「……ご飯の時、か」
「え、どうしました?」
 急にそう名残惜しそうにいう先輩に、俺は疑問符を浮かべる。
「…いや、なんか癌って知らなかったあの時の会話とかが懐かしく思ってね…。ほんと、まだあれから1ヶ月も経ってないんだけどなぁ」
「確かに、あの日からまだそれしか経ってないんですね…」
「ねぇ、そういえば佐野くん。君は、覚えてるかな。あの日、私が言ったことを…」
「…えっと。すいません、なんでしたっけ…?」
「──いや、覚えてないならいいやっ。ほら、それよりも早く窓の施錠してってよ!私があとカーテン閉めなきゃいけないのってそこだけなんだよ?」
「…あ、ああ。すいません」
 俺の窓施錠が終わってないのって先輩が俺に話しかけたからじゃ?という言葉は胸の中に秘めておくことにする。
 そして俺は、唯一まだ開いていた窓のカギをかけた。ちょうど沈む太陽が窓に反射して、俺は一瞬目を瞑る。さっきの先輩もこんな感じだったのかな。
 そう思いながら俺は振り向いて言う。
「…はい、終わりましたよ。じゃあ後は先輩がカーテン閉めるだけですね──」
 瞬間、俺の言葉は止まった。
 まだ、目の前の視界はチカチカしていた。
 その中で、ひとつだけ俺は視認する。
 眉を下げ、軽く俯く先輩の姿を。
 唯一カーテンのかかっていない、俺の後ろの窓から漏れた光が、先輩の足元を照らす。
 時計の秒針の音が、卓球場に響く。
 今が何時何分なんて、確認する余裕は俺にはなかった。
 この静寂がどことなく気まずく感じた。
 外で部活をする運動部の声が、やけに近く思えた。
 刹那、先輩は俺の目を見つめた。
 彼女は、少し微笑んでいるように見えた。
 そして…口を開き彼女は告ぐ──。

「…好きだよ。佐野くん──」

「え」
 一瞬、何を言われたのが分からなかったが、俺の脳は遅れて、理解をしようとする。今、俺は何を言われた?今、俺は何を思った?今、俺は──。
 呼吸が乱れているのを感じながら、俺はなんとか言葉を紡ぐ。
「……な、なんですか急に…。えと、い、いつもの。じょ、冗談なんじゃ…」
「…冗談に聞こえたのなら、心外だなぁ。いつも、佐野くんをからかってたのが裏目に出たね…あははっ」
 先輩は俺が昨日見たような、そんな笑顔を浮かべながらそう言う。じゃあ…、じゃあ俺は今本当に、先輩に告白を……。
「…ほんとだよ。ほんと。私は、佐野くんのことが好き。大好き」
 崩れそうになる表情をなんとか抑えながら、俺は彼女の言葉を聞く。俺は今、どんな顔をしているのだろう。心臓はとても苦しくて、抑えてないと今にも身体を突き破って出てきそうで。それは、目の前の先輩が視界に入るたびに暴れ出していて。
「……先輩」
「…言えてよかった。このまま帰ってたらきっと私、後悔してた。大好きな君に、私の気持ちを伝えられてよかった」
 胸の前で手を握りながら先輩は吐露する様に言った。誰もいないこの卓球場、静かなのは当たり前なのに、なのに。途切れ途切れになる俺たちの会話は、まるでラジオのノイズのようなもどかしさを醸し出しているように感じた。
 そんなラジオのアンテナを調節するように、俺は先輩の方を見て、
「……えっと」
「…ごめん、佐野くん。急にこんなこと言って。でもね、私は君にもう一つ言うことがあるんだ」
 本来の動き方を忘れた心臓をなだめながら、俺は先輩の言葉を待つ。あの暑い暑い夏はもう終わったはずなのに、額からは汗が滲み出ていた。
 再び、俺たちの周りの時は止まった。
 だけど、先ほどよりかは短かったと思う。
 やがて、彼女はその"もう一つ言うこと"を告げるのだった。



「……一人で登校するの、いつぶりだろ」
 僕はそう呟きながら自転車を走らせる。いつも一緒に登校してる、僕の好きな人でもある佑は、今日はなぜか寝坊をしたらしい。僕は待つつもりでいたけど、遅刻をする可能性のあるほどの寝坊だったようで、さすがに遅刻は避けたかった僕は、先に学校へと向かっているのである。
「…なーんか今日は、変な感じだな」
 学校に着いた僕は、今は駐輪場に自転車を止めて、教室に向かっている途中なのだが、何かが変と感じた。言うなら、落ち着いていないといった感じだろうか?
「…なんでこんなにザワザワしてるんだ?しかも様子を見るに、学年間だけの問題だけじゃなさそうだな…。まるで、全学年が同じ話題でざわついてるみたいだぞ…?」
 階段を上がりながら、僕は疑問に思う。女子は女子同士で、男子は男子同士で何やら話し合っている。んー……。僕の考えすぎか?
 やがて僕は教室につき、クラスに入る。すると、
「あ!」
「茜だ!」
「佐伯さん、来た!!」
「え、え?」
 もともとざわついていたクラスのボリュームがより一層上がったように感じた。その理由は、紛れもなく僕がここに来たことだと思うが…。
 イスに座った僕の周りをクラスメイトが一瞬にして囲んだ。
「ど、どうしたんだ?そんなに僕を囲んで」
「…今日は佑と一緒に登校してないんか?茜」
 僕を囲ったうちの1人、棚橋くんが僕にそう尋ねた。
「う、うん。佑今日寝坊したらしくて、多分今日は遅刻すると思うぞ?佑がどうかしたのか?」
「え、なんや茜。あんた聞いてないんか?ここにくる途中までも、色々耳に入ってこんかったんか?」
「な、なんの話だよ。確かに朝からなんかざわざわしてるなーとは思ってたけど…。なんか、あったのか?」
 あたふたしながらそう答えていると、僕を囲う人の中に、椛の姿があるのが分かった。けど彼女は、僕と目が合うや否や、目を逸らしてしまった。それも何か、浮かないような表情をしながら目を離されてしまったのだ。
「……何も知らないのか?茜。お前、昨日佐野と一緒に帰ってたじゃないか」
 ふと横から声が聞こえた。
「み、実くん。まあ確かに、僕と佑は一緒に帰ったけど…。僕は何も知らない。」
「…そうか。……あとちなみに、さっき茜が言った今この学校がザワザワしている理由は、このことが原因だ。それも、佐野に大きく関わる、昨日起きた出来事がきっかけなんだ」
「佑のこと?昨日?…ごめん、本当に分からない」
「…そっか。…じゃあ言うけど」
 すると、実くんは一瞬僕の耳へと口を持っていって、あることを言った。僕は心中でその言葉を反芻する。
「(じゃあ聞いて後悔するなよ…?)」
 頭の中で疑問符が浮かぶ中、実くんは僕の周りを囲むみんなの中に戻ってから、そのことを告げた。

「つい昨日。佐野、告白されて、彼女ができたんだ。そんで、相手は。あの星本先輩だ──」

 頭に壺かなんかの鈍器で殴られたかのような衝撃を僕が感じたのは、彼の言ったことが理解できた数十秒後なのだった。途端に、目の前の視界は闇に染まっていく──。
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