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38. 勝負

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 いつもの景色、いつもの時間。でも、今日だけは1つだけいつもと違うことがある。
「いやぁ、すっかり暑くなってきたわね」
 隣でそう喋るのは、俺がいつも一緒に帰ってる茜…、ではなくその姉、雫だ。そんないつもと違う横顔を俺は眺めながらそんなことを思う。
 校門をくぐる頃はわりかし強引だったのに、今は最近見る、少し丸くなったように感じる雫になっていた。
「そうだな、そろそろ夏がやってくるぜ」
「そして、テストかぁ。嫌になってくる…」
 そうなのだ。野活から帰ってきて早々、2週間後にはテストが待っている。色々詰め込みすぎでは…?
「そろそろテスト勉強始めようかな?」
「佑って頭いいの?」
 不思議そうに雫は俺にそう尋ねた。
「転校前は、学年の人数は300人だったんだけど、俺は280位くらいだったな」
「いやめちゃくちゃアホじゃないですか…」
「うるせぇよ…」
 線のような目で俺にそうツッコむ雫。なんか、雫って俺に対する表情増えたなぁ。最初はいつ怒られるかビクビクしてたが、今は向ける表情が豊かになった気がする。そんな中でも俺が1番驚くべきことはこの町に引っ越してきてからまだ1月半しか経っていないことだろう。もっと長い時間過ごしている気がする。
「そんなに言うなら雫は1年の時さぞかしよかったんでしょうね?」
「そ、そうよ?私は学年20位前後をうろうろしてるわ?」
 目が泳ぎまくっている雫。本当なのか…?苦笑いしながら俺は雫に尋ねる。
「ほう、じゃあ今度茜に尋ねてみるとしよう」
「げっ」
 右から聞こえたそんな声に俺は確信を持った。やっぱりこいつ嘘ついてますね…。
「あはは、バレバレでやんの」
「う、うるさい!私は少なくともあんたよりかは賢いんだからね?」
「どっちもどっちじゃねぇか…。じゃあ勉強教えてもらうこととかもできないな」
 独り言のようにそう言って、目の前の信号の色を見て、俺はブレーキを踏んだ。
「ん?雫?」
 独り言のようには言ったが、一応会話はしていたはずなのでそれが途切れたことに違和感を感じた俺は彼女の名を呼ぶ。
「…勉強?…2人で?」
 するとそこには言葉を詰まらせながら俺の横に自転車を止めた彼女の姿があった。なんでそこでそうなるんだ…。
 でも、そんな姿に俺は今までにない違和感を感じていた。野活を通して、彼女に対する見方が変わった気がする。そんな何気ない仕草が、俺の何かを湧き上がらせている。
「…ま、まあ。そうなるかな?」
 妙な雰囲気に押されながら俺は雫にそう言う。なんで緊張気味になっちゃってるんだ俺…。
「そ、そう…」
「おう…」
 そして、沈黙が訪れた。なんだこれ気まずいぞ…。さっきまでの何気なく感じた会話が嘘のようだ…、な、何を話せばいいんだ…。
「…………」
 今すべき最善の行動が分からなくて、不意に俺は雫の方をチラッと見た。
「…っ!」
「……!」
 刹那、生きてきた中で動かしたことのない首のスピードで、俺は視線をすぐさま彼女のいる方向の逆の方へと動かした。い、今…、目が合った。きっと今雫も目を逸らしているのだろうか、さっきの反応を見る限りそうなのかもしれない…。俺も同じような反応してしまったし…。
 なんだあの小さく赤く染まった頬とあの目線は…。上目遣いってやつか、あれって…?
 そして同時に、心臓が明らかに高く跳ねた。脳裏につい先ほどの雫の表情が浮かぶ。そんな表情…、今まで見せてこなかっただろ…、あの野活の時だって…。
 なんだあの顔は、なんだあの視線は、なんだあの…。魅力は。
「………」
 気づけば、口元が少し震えていた。言葉にならない感じとった気持ちが、喉先まで出かかってるのだろうか。雫との下校…、これって…。
「…はっ」
 すると、目の前から鳥のさえずる音が聞こえた。顔を上げると、信号は青色になっていた。
「…あ、青になったぞ、行こう」
「うん…」
 間接視野的な範囲で雫のことを見ながら、俺は彼女にそう言った。横断歩道の上を2つ並んだ自転車が通る。
「え、えっと。勉強、嫌だよねぇ。あはは…」
「…そうだな。やっぱり苦になるよ」
 多少気まずそうにしながら、雫は苦情気味に俺に話を振った。そのことを少しだけありがたく思いながら俺はそう言う。助かった、このまま残り約20分くらい無言で帰るとか地獄の範疇だからな…。
「ねぇ、佑はなんの教科が得意なの?」
 そんな質問に俺は頭を一度捻って、
「んー数学?かな?」
「え?数学?私もよ!」
 自分を指差してそう言う雫。嬉しそうにしてるその顔を見るとこっちとしても嫌な気はサラサラない。
「ねぇ佑」
 ボケっとそんなことを考えていると、雫から声がかかった。
「ん?どーした?」
「テスト、勝負しようよ、数学だけ!」
「な、なんで数学だけ?」
 苦笑いをしながら俺は隣の雫に尋ねる。すると、雫は得意げに胸を張って、
「ま、あんたは私の学力に及ばないだから、せめて張り合える数学で勝負してあげるってことよ!」
「あ、じゃあ勝負いいでーす」
「嘘、嘘嘘!勝負しよ!ごめん!」
 なんだろう…。雫の扱い方がだんだんと分かってきたような感じがする。茜も家でいつもこんな感じで雫と喋ってるのだろうか?
「なんなんだよ…。勝負したいのか?」
「べ、別にそう言うわけじゃなくて、私さっき言ったじゃない?私と張り合えるのは…」
「あ、やっぱいいです」
「はい、勝負したかったです!すいません!」
 このクダリいつまでやるんだ…。と心中ツッコミを入れた俺は微笑を浮かべながら、
「いいよ、じゃあ数学勝負しようか」
「あ、ちなみに罰ゲームあるよ?」
「は?」
「ちょ怖い怖い…」
 突然のそんなカミングアウトに俺は思わずそんな反応をしてしまった。少し怯えている雫の目が映る。
「罰ゲームなんて聞いてないぞ、やっぱやめる」
「へぇ?」
 すると、3度目のクダリかと思いきや、雫は眉をピクっと上げ、
「逃げるんだ?佑。私に負けるのが怖いんだ?」
「…は?そんなんじゃねぇし。俺が数学で負けるわけないだろ?」
「じゃあこの勝負、乗るのね?」
「当たり前だろ、漢に二言はない!」
 今になって気づく。俺、雫にうまく誘導された…?俺が雫の扱い方を分かってきたのと同じように、雫も俺の扱い方に気づき始めたのか…?でも、そう言った以上、取り消すわけにはいかない。
「じゃあ勝負だ!負けないわよ?」
 確信した。うまく乗せられたわ俺。
「おう、ちなみに…。罰ゲームってなんだ?しっぺか?」
「なんで第一の選択肢にそれが出てくるのよ…。違うわよ、罰ゲームってのは…」
 そして雫はその罰ゲームの内容を端的に一言で言うのだった。



「お、もう家だ」
「本当だ。家だ家だー」
 2つのチェーンの音が鳴るこの住宅街で、私たちは自転車を停めた。
「ほんじゃ、またな」
 佑は家に自転車を停め、ドアに手をかけた。
「…罰ゲーム、覚えていてよ?」
「当たり前だろ、忘れねぇよ」
「だって佑鳥頭だから…」
「うるせぇよ、絶対勝つからな!」
 笑いながらそう言った佑は家の中へと入っていった。さて、私も入るとするかな。
「…ただいまーっと…」
 当然中には誰もいない。いつもなら茜が先に家にいるはずだが、今はまだ帰ってきていない。
「茜はこんな下校の時間を毎日過ごしてるのか…」
 私は誰もいない玄関でふと口元を緩ませ、
「なーんか、ちょっと羨ましいなぁ…」
 と、ポツリと言って、リビングへと歩を進めた。弁当をキッチンに出し、ソファーにゆっくりと座る。疲れが一気に逃げていく感触がした。
 そんな状態の私がいるこの家に、玄関のドアが開く音がした。
「ただいまー」
「おっ」
 リビングのドアが開いた。肩にバックをかけた茜がしんどそうな顔をしてソファーにドスッと座る。
「おかえり、だいぶ疲れてるわね…」
「そりゃそうだ、その理由はお姉ちゃんにあるんだからな!初めてこんなことしたけど…、やっぱり1人は寂しいぞ…」
 テレビのニュースを眺めながら、愚痴のようにそう言う茜。そんなになるなんて…、何か申し訳ないことをしたわね…。
「…でも珍しいよな、お姉ちゃんが佑と一緒に帰りたい、だなんて言うとは」
「あ、改めて言わないでよ!恥ずかしくなるじゃないの!」
 今日の登校前、佑の気分が落ちてると個人的に思い、何かかけてあげる言葉が見つかるかと思った私は、茜に断られる覚悟でお願いをした。
『え?』
 そう茜は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐにどこか安心というか、そんな顔をして、
『いいよ、今日はお姉ちゃんに譲ってあげる』
 にへっという文字が似合いそうなそんな笑顔で私にそう言ってくれた。そんな笑みに釣られ、私も笑ったんだっけ。
「お姉ちゃん?ぼーっとしてどうしたの?」
「え、ああいや。なんでもないわよ」
 今思っても、それを許可してくれた茜に感謝をしないとな…。
 すると、そんな茜は明らかにニヤついた表情をしながら私に尋ねてきた。
「それでそれで、お姉ちゃんどんな話したのさ?恋バナ?恋バナしたのかお姉ちゃん?」
「ちょっと、いきなり何よ…。別に恋バナなんてしてないわよ…」
「何照れてんだよー!教えてよお姉ちゃん教えて教えて教えてー!」
「うるさいわね!さっきまでの倦怠さはどこに行ったのよ茜…」
「お姉ちゃんのそういう話聞くと僕は元気になるので!ちなみに佑と話すの楽しかった?どうだった?」
 楽しかったか、か。そんなの…。
「別に楽しくはなかったわ?いつも通りの佑って感じだったし、一緒に帰ったからって何か特別感も意識することもなかったし…」
「ほうほう、それはお姉ちゃん的に楽しくて、一緒に帰ったことによって特別感や意識することがあったんだね?」
「な、なんでそうなるのよー!」
「また顔が真っ赤になってるぞお姉ちゃん…」
 いつも1人で帰ってた帰り道と全く同じ道を通って帰ってきたはずなのに、今日はいつもよりも何十分早く帰ってきたかのような感覚があった。その時に私が感じた気持ちを茜に簡単に見破られてしまい、恥ずかしい思いをしてしまった…。
 まあでも、その気持ちに…、ウソはなかったな。また機会があれば、また、あいつと──。
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