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37. 待ち人

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「だるい」
「ん?どーした須山」
「…やっぱし、学校はだるい!」
 放課後の卓球場にて、須山は突然そんなことを言い出した。
「お、おお…。そうだな」
「ま、いいや!部活では星本先輩に会えるし!」
 そう言った須山はそそくさと練習の用意に行ってしまった。いきなりなんだ、コマ送りのような速さで物事が起きたから振り返ろうにも振り返れないぞ…。
「…あいつ。昨日でなんかあったのか?」
 1人残された俺はポツリとそう呟くのだった。本当にテンションの緩急が激しいやつである…。
 やがて久しぶりな部活が始まった。俺は転校してきてからペアを須山を組んでいるが、今回も彼とペアを作る。
「さ、打ってくぜー、佐野」
「おう、こい」
 何だろうか。今日のこいつはどこか集中していないように見えるな…。どうしてだ?テストが近いからとか…?それか、単純に学校がだるいとか?どんな悩み事が…?
 流石に部活中だし尋ねるわけにもいかないので、須山とラリーを黙々と続ける。
「………」
 目の前の須山が何かで悩んでいるのと同様に、俺にも少し悩むというか、気になっていることがある。それは、野活からの帰宅後、茜の過去について知った時…。佐伯姉妹と関わりのあることが分かった星本先輩についてだ。前、野活後に呼び出された時はよく分からないようにはぐらかされた感じがしたが、このことを先輩に話したらどう答えるつもりなのだろうか。
 間接視野にはっきりと映るピンクのヘアバンド。あれは、星本先輩がずっとつけてるものだ。もちろん、野活前にもつけていた記憶がある。プレーしてたら、髪が邪魔になるのだろうか、女子ってよく分からない。
 すると、目の前を通るピンポン玉を俺は空振りしてしまった。
「…おい、佐野!」
「っと、すまん須山。続けよう」
 いけないいけない。そのことについて考えてしまいすぎていた。須山との何気ないラリーが続かない。集中しないと…。
 でも、やっぱり気になるんだよな…。今日、部活終わり尋ねてみようか…?いや、でも先輩は3年。総体はまだとはいえ、今が1番忙しい時期のはずなのに、俺のこんな質問で呼び止めるわけにはいかない。ああ、でも……。
「……あっ」
 そんな俺の耳に入ってきたのは地面を跳ねるピンポン玉の音だった。また、空振りしたんだと、先ほどよりも遅い認知で俺はそのことに気づく。
「…悪い、俺ちょっと顔洗ってくる」
「…何だあいつ」
 何か不思議そうにボソリと言った須山の横を俺は駆け足で通り、卓球場の外にある、手洗い場に行く。
「…ダメだ。集中しねぇと…」
 頭の中には佐伯姉妹と先輩の関係性。それと、野活の後に、茜がした…。
「あー、ダメだダメだ。完全に集中してねぇ…」
 そう頬を軽く叩きながら蛇口から出る水を顔にかける。冷たい、という感情が走った。顔を洗ってくると言ったものはいいものの、こんなんで集中が戻るのだろうか…。
「くそっ」
 再び顔を濡らす。そんな時、真横からいつか聞き覚えのある声が聞こえた。
「どーしたの佐野くん。なんか不調そうだね」
「えっ」
 顔がびしゃびしゃな状態で頭を上げたため、目の前がぼやけて見えた。だが、その人の正体を表すものがそんな俺の目に入った。
「…星本先輩ですか」
 タオルで顔を拭きながら俺は先輩の名を呼んだ。タオルを払った先には、小さく微笑する星本先輩の姿があった。ピンクのヘアバンドはやっぱり目立つなぁ。
「うん、よく分かったね!」
「まあ…はい。それに、そうですね。ちょっと調子悪いかもしれないです、すいません…」
「まあ、大丈夫大丈夫。調子が悪い日なんかみーんないくらでもあるからねー」
 ヘアバンドを頭から外して、蛇口を捻りながら先輩は俺にそう言った。先輩も顔を洗いに来たのだろうか。
 それよりも、と俺は思った。今、チャンスなんじゃないか?佐伯姉妹と先輩のことについて、先輩から何か知れるんじゃないか?前は茜自身、自分を救ってくれたのは先輩だと言っていた。そのことを先輩に話して、もしまだ知らないことがあるのなら…。
 まあ、知らないことがあるのかも分からないが…。
「っ、せ──」
「…佐野くんの」
 尋ねようとしたその刹那。先輩の声が俺の耳に入り、俺は思わず口を閉じてしまった。…先輩も、何か聞きたいことがあったのか?
「え、は、はい」
「お母さん、大丈夫だった?私、顧問の先生からその話聞いて、だから落ち込んでるのかなって気になってて…」
 タオルで顔を拭きながら先輩は俺に尋ねた。なるほど、先輩は俺のことを気にかけてくれていたのか。そんな先輩に俺は前の話の掘り起こしを…。なんか、尋ねるのは今じゃない気がしてきたな。
「いえいえ、大丈夫です。ちょっと睡眠不足なだけなので…。心配、ありがとうございます」
 手を前にしながら、俺は先輩にそう言った。すると、先輩はよかった、と白い歯を見せて、ニッと笑うのだった。この笑顔…、あいつに似て…。
「…キュッと。えーっとバンドバンド」
 そんなことを考えていると、先輩は顔を洗い終わったのか、そう呟きながら探し物をし始めた。言葉からするに、ヘアバンドだろう。
「ここにありますよ、先輩」
 俺は水道の淵を探す先輩に、蛇口の上のスペースにヘアバンドがあることを教えた。そう言いながら俺はそのヘアバンドを取る。
「…?」
 すると、ふとヘアバンドに文字が入っているのが見えた。ちょっと消えかかってるが…。これは、名前…?
「ゆい…?」
 小さく、拙い字でひらがな2文字、そう記されていた。誰だ?てっきり、先輩の名前が入っているように感じたが、このヘアバンドは星本先輩のじゃないのか…?
「…このヘアバンド、先輩の大切なものなんですか…?」
 その瞬間、俺は反射的に先輩にそう尋ねていた。ヘアバンドを受け取った先輩は、少し驚いたような様子で、
「…まあね。これは、私の宝物だよ。私の、大切な、大切な…」
 どこか悲しそうな、そのような表情で先輩は言った。でも、名前を見る限り先輩のものでは無さそうだが…。
「ま、そんなことより!佐野くんの調子が戻りそうでよかったよ、さ、練習に戻るよ!」
 先ほどの表情がウソのような笑顔に切り替わった先輩。ヘアバンドを頭につけて、先に卓球場へと戻ってしまった。
「…ゆいさん。一体誰のことなんだ?」
 1人残された俺はポツリとそう呟く。俺の知り合いにゆいって人はいないし、そもそもとして女子の友達なんて茜と雫、それに椛くらいだ。じゃあゆいさんって…。
 もしかしたら、佐伯姉妹と関係のある人なのだろうか。茜は両親が亡くなってしまった話を俺にしたが、そのお母さんの名前がゆいさんなのか…?今日、下校時に茜に聞いてみるか。
「…さ、須山待たせてるし、俺も戻ろ」
 そんな思考を巡らせながらタオル片手に俺は卓球場へと戻るのだった。



「え、まじ?」
「うん…。ごめん佑、僕ちょっと先生に呼び出されてて、しかも時間かかりそうだから、先帰ってて」
 下足箱にて、俺は申し訳なさそうな茜にそう言われた。尋ねたいこととかたくさんあったけど…。まあ、しょうがないよな。
「おう、じゃあな」
「うん、明日の学校は一緒に行こうな!」
 元気よく俺を送り出してくれた茜に俺は軽く手を振りながら、その場所を後にするのだった。そう言ってくれることを少し、嬉しく思いながら…。
 駐輪場に向かいながら俺は思った。そういえば、この学校に転校してきてから1人で帰るのは初めてだ。なんか、寂しいな…。片道20分くらいする道のりを1人黙々と帰るのか…。まあ、しょうがないか、今日ばかりは諦めて1人で鼻歌でも歌いながら帰ろう。
「よっと。さ、帰るぞー」
 そう呟いて、自転車にまたがり、俺は校門へと向かった。すると、その付近に、1人見覚えのある人が自転車のストッパーを上げて、佇んでいた。
「…雫?」
 それは、通路から出てくる自転車を気にしながら背伸びする雫の姿だった。今までだったら、喋りもせずに、そのまま帰っていただろう。でも、なぜか俺は彼女の声をそことなく聞きたくて、雫の自転車の横でペダルを漕ぐ足を止め、声をかける。
「…雫」
「…えっ、あ、佑」
 彼女は今気づいたかのような様子で俺にそう言った。あれ、俺見えてなかったのかな…?
「そんなとこにチャリ止めて…。誰か待ってるのか?」
 先ほどの様子からするに、誰かを待っているんだろうと思った俺はそう尋ねた。すると、雫は俺から目を逸らしながら、
「んーまあ、そうだけど…」
「そっか、じゃあ俺帰るわ。じゃあな」
 ペダルに足を合わせながら俺はそう言って、自転車を走らせようとした。
「あ、やっぱ私も帰ろーっと…」
「え?」
 すると、そんなことを言いながら自転車のストッパーを外す雫。俺は思わずツッコむ。
「いやいや、待ってるやつがいるんだろ?じゃあそいつ待っとかないと…」
「い、いいの!」
 謎に半逆ギレを食らった俺。やっぱり雫は掴めない…。
「じゃあ俺ちょっと水飲んでから帰るから、雫先帰ってなよ」
 不意に、喉が渇いたことに気づいた俺は、カバンから水筒を出す。雫も俺と帰りが被るのは嫌だろう、そう思ったのもあったのだが…。
「わ、私もう少しここの空気を吸っておこうかしら…」
「ぶっ!」
 雫の思わぬ言動に俺は水を吹き出しそうになった。学校の空気ってなんだよ…。
「なんだよそれ…。じゃあ俺は帰るからな」
「…さて、十分空気を堪能したし、私も帰るとしようかしら」
「なんなんお前…」
 俺は苦笑しながら雫のその妙な行動にツッコむのだった。すると俺は雫の待ち人の候補に気づく。もしかして…?
 そして俺は冗談まじりに雫に尋ねる。
「…俺、待ってた?」
 言った瞬間に気づく。やば、俺気持ちわる!なんなんだそれ。自分の気になってる人ならいいけどそういう人じゃなかったらドン引き鳥肌レベルだろこれ、久しぶりに佐野佑、やらかしました…。
 そう心の中で俺が大焦りしていると…。
「ち、違うから!茜が佑と今日帰らないってのは知ってて、1人だと寂しいかなって思ったから、仕方なく一緒に帰ってあげるってだけだから!」
「…え?待ってたのほんとに俺なの?」
「そうよ、はい!佑を待ってましたよ!何か悪い?」
 えぇ…。なんで開き直りながら俺怒られてるの?下校する生徒になんか変な目で見られてるんだが…。恥ずかしいっす…。
「い、いや…。何も…」
「じゃああんたは黙って私と帰ればいいの!ほら、帰るわよ!」
 すると雫は颯爽と自転車にまたがり校門へと自転車を進めた。
 「もう…、読めないよ…。いつまで経っても雫のことは…」
 苦笑いしながら先に校門を通過した雫の後を、俺は追うのだった。
「ほら佑!早く来なさい!」
 雫のそんな、どこかあいつに似た、元気な声に引っ張られるように…。
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