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夜が更ける頃、ようやく作業が一区切りついた。
エリアスは机の上を片付けながら、ちらりとレオナードを見遣る。
「殿下、今夜はもうお戻りに?」
「いや、今夜もここに残る」
レオナードは当然のように答えた。
「……ここに、ですか?」
「そうだ」
レオナードが軽く微笑む。
「お前と一緒にいたいからな」
レオナードの言葉は甘いが、エリアスの胸の奥にはまた**「ここでしか求められない」**という言葉が過ぎる。
(私室には呼ばれない。外でも会わない。……やはりそういうことか)
「……わかりました」
エリアスは表情を崩さないまま、静かに頷いた。
「ならば、もう少し残ります」
「そうしてくれると助かる」
レオナードは満足そうに言い、再びエリアスの隣に立った。
「エリアス」
「……はい」
「仕事は終わったのだから、少し休め」
そう言うと、レオナードはエリアスの背後に回り、肩に手を置いた。
いつものように、体を引き寄せるための動作。
(……まただ)
「殿下、私はまだ──」
「言い訳は聞かない」
レオナードはそれ以上言わせずに、そっとエリアスを抱き寄せる。
「……執務室ですよ?」
「だからいいんだ」
「……他にも部屋はあるでしょう」
「お前の望む場所があるならそこでもいいが」
エリアスの動きが止まる。
「……別、にないです」
「だろうな」
レオナードはどこか寂し気に微笑んだが、エリアスの位置からはそれが見えなかった。
「なら、今夜もここで過ごすしかない」
その言葉に、エリアスは薄く目を伏せる。
(……逃げられないな。違うか……逃げないんだ……)
自分がこの状況を望んでしまっていることを、エリアスは痛感していた。
エリアスはレオナードの肩にそっと額を押し付けるようにして、目を閉じる。
──ここでしか行われない逢瀬。
わかっているのに、抗えない。
心のどこかで「これが最後になるかもしれない」と思ってしまう自分がいるからだ。
「お前はいつもそうだ」
低く囁かれる声が耳元に触れる。
「逃げたいくせに、逃げられない顔をしている」
「……逃げたいなど……」
「嘘だな」
レオナードが首筋に唇を寄せる。
エリアスは唇を引き結び、無理に振り払おうとはしなかった。
──振り払って、もしそれがきっかけで本当にレオナードが離れていくとしたら。
「レオ様……」
「ん?」
「……どうしてここでばかり……」
無意識に零れた言葉に、レオナードの動きが止まった。
次の瞬間、エリアスの腰がぐっと引き寄せられる。
「……なんだ?」
「……何でも、ありません」
エリアスはすぐに取り繕うが、レオナードはそれを許さなかった。
「エリアス」
レオが顔を上げて、じっとエリアスの目を覗き込む。
金の瞳が真っ直ぐに自分を見ていることに、エリアスは少し息を詰まらせた。
「お前が何を考えているか、私は知りたい」
「……何も……」
言えるはずがない。こんなみっともないこと。
エリアスは自分の弱みを見せることを決して好まない。それが例えレオナードであっても、だ。
「……ふむ」
レオナードは納得していない様子だったが、それ以上は踏み込まなかった。
そのかわり、彼はエリアスの髪を指先で弄ぶように撫でる。
「エリアス」
「……はい」
「私はお前を一番大事に思っている」
「……なら、なぜ……」
言いかけて、エリアスは言葉を呑んだ。
なら、なぜ私室に呼ばれないのか?
──そう言いたかった。
けれど、それを問うこと自体が怖かった。
レオナードが「ただの遊びだ」と言えば、それがすべて崩れてしまう気がしたから。
「……なぜ?」
レオナードが重ねるように尋ねるが、エリアスは静かに微笑んで言葉を交わす。
「……いえ、何でもありません」
「お前は、相変わらず口を割らないな」
レオナードが苦笑を浮かべるが、その手はエリアスを離そうとしない。
「言わなくても、私はお前が逃げないようにするだけだ」
「……レオ様は、強引ですね」
「そうしなければ、お前がどこかに行くからな」
エリアスは返す言葉を失い、ただレオナードの胸元に顔を埋めた。
──その瞬間だけは、レオナードが自分を必要としているのだと錯覚できるような気がした。
※
それからしばらく、執務室の片隅に置かれたソファに二人は並んで座っていた。
外は既に夜が更け、窓の外には星が瞬いている。
エリアスはレオナードの肩に軽く寄りかかりながら、無言で時を過ごす。
「明日から、御子が本格的に王宮での生活を始めるそうだ」
レオナードがぽつりと話を切り出す。
「……そうですか」
「気になるのか?」
「そうですね、少しだけ」
正直に答えた。
「明るく、素直な方でした」
「そうだな」
レオナードがどこか思案するように小さく頷く。
「ハルト──彼は人を惹きつけるものを持っている」
「レオ様も、そう思われますか?」
エリアスが顔を上げてレオナードを見た。
レオナードとのことが気にならないといえばそれは嘘だ。
しかしそれと同時に、あの無垢さが餌食にらないかとも気にかかる。
「……おかしな人間に捕まらないといいのですが……」
心配そうなエリアスの声に、レオナードは少し微笑みながら答える。
「……お前は、いちいち気にしすぎだ」
「……そうかもしれませんね」
エリアスはわざと軽く流してみせる。
けれど、その胸の奥に刺さる不安は消えなかった。
レオナードの指がそっと頬をなぞり、エリアスの視線を奪う。
「エリアス」
「……はい」
「お前は私のものだ。それだけは覚えておけ」
レオナードの言葉はどこまでも甘く、優しい。
けれど──。
ここでしか必要とされないのに?
その言葉が、喉元まで上がってきたが、エリアスは静かに微笑むだけだった。
エリアスは机の上を片付けながら、ちらりとレオナードを見遣る。
「殿下、今夜はもうお戻りに?」
「いや、今夜もここに残る」
レオナードは当然のように答えた。
「……ここに、ですか?」
「そうだ」
レオナードが軽く微笑む。
「お前と一緒にいたいからな」
レオナードの言葉は甘いが、エリアスの胸の奥にはまた**「ここでしか求められない」**という言葉が過ぎる。
(私室には呼ばれない。外でも会わない。……やはりそういうことか)
「……わかりました」
エリアスは表情を崩さないまま、静かに頷いた。
「ならば、もう少し残ります」
「そうしてくれると助かる」
レオナードは満足そうに言い、再びエリアスの隣に立った。
「エリアス」
「……はい」
「仕事は終わったのだから、少し休め」
そう言うと、レオナードはエリアスの背後に回り、肩に手を置いた。
いつものように、体を引き寄せるための動作。
(……まただ)
「殿下、私はまだ──」
「言い訳は聞かない」
レオナードはそれ以上言わせずに、そっとエリアスを抱き寄せる。
「……執務室ですよ?」
「だからいいんだ」
「……他にも部屋はあるでしょう」
「お前の望む場所があるならそこでもいいが」
エリアスの動きが止まる。
「……別、にないです」
「だろうな」
レオナードはどこか寂し気に微笑んだが、エリアスの位置からはそれが見えなかった。
「なら、今夜もここで過ごすしかない」
その言葉に、エリアスは薄く目を伏せる。
(……逃げられないな。違うか……逃げないんだ……)
自分がこの状況を望んでしまっていることを、エリアスは痛感していた。
エリアスはレオナードの肩にそっと額を押し付けるようにして、目を閉じる。
──ここでしか行われない逢瀬。
わかっているのに、抗えない。
心のどこかで「これが最後になるかもしれない」と思ってしまう自分がいるからだ。
「お前はいつもそうだ」
低く囁かれる声が耳元に触れる。
「逃げたいくせに、逃げられない顔をしている」
「……逃げたいなど……」
「嘘だな」
レオナードが首筋に唇を寄せる。
エリアスは唇を引き結び、無理に振り払おうとはしなかった。
──振り払って、もしそれがきっかけで本当にレオナードが離れていくとしたら。
「レオ様……」
「ん?」
「……どうしてここでばかり……」
無意識に零れた言葉に、レオナードの動きが止まった。
次の瞬間、エリアスの腰がぐっと引き寄せられる。
「……なんだ?」
「……何でも、ありません」
エリアスはすぐに取り繕うが、レオナードはそれを許さなかった。
「エリアス」
レオが顔を上げて、じっとエリアスの目を覗き込む。
金の瞳が真っ直ぐに自分を見ていることに、エリアスは少し息を詰まらせた。
「お前が何を考えているか、私は知りたい」
「……何も……」
言えるはずがない。こんなみっともないこと。
エリアスは自分の弱みを見せることを決して好まない。それが例えレオナードであっても、だ。
「……ふむ」
レオナードは納得していない様子だったが、それ以上は踏み込まなかった。
そのかわり、彼はエリアスの髪を指先で弄ぶように撫でる。
「エリアス」
「……はい」
「私はお前を一番大事に思っている」
「……なら、なぜ……」
言いかけて、エリアスは言葉を呑んだ。
なら、なぜ私室に呼ばれないのか?
──そう言いたかった。
けれど、それを問うこと自体が怖かった。
レオナードが「ただの遊びだ」と言えば、それがすべて崩れてしまう気がしたから。
「……なぜ?」
レオナードが重ねるように尋ねるが、エリアスは静かに微笑んで言葉を交わす。
「……いえ、何でもありません」
「お前は、相変わらず口を割らないな」
レオナードが苦笑を浮かべるが、その手はエリアスを離そうとしない。
「言わなくても、私はお前が逃げないようにするだけだ」
「……レオ様は、強引ですね」
「そうしなければ、お前がどこかに行くからな」
エリアスは返す言葉を失い、ただレオナードの胸元に顔を埋めた。
──その瞬間だけは、レオナードが自分を必要としているのだと錯覚できるような気がした。
※
それからしばらく、執務室の片隅に置かれたソファに二人は並んで座っていた。
外は既に夜が更け、窓の外には星が瞬いている。
エリアスはレオナードの肩に軽く寄りかかりながら、無言で時を過ごす。
「明日から、御子が本格的に王宮での生活を始めるそうだ」
レオナードがぽつりと話を切り出す。
「……そうですか」
「気になるのか?」
「そうですね、少しだけ」
正直に答えた。
「明るく、素直な方でした」
「そうだな」
レオナードがどこか思案するように小さく頷く。
「ハルト──彼は人を惹きつけるものを持っている」
「レオ様も、そう思われますか?」
エリアスが顔を上げてレオナードを見た。
レオナードとのことが気にならないといえばそれは嘘だ。
しかしそれと同時に、あの無垢さが餌食にらないかとも気にかかる。
「……おかしな人間に捕まらないといいのですが……」
心配そうなエリアスの声に、レオナードは少し微笑みながら答える。
「……お前は、いちいち気にしすぎだ」
「……そうかもしれませんね」
エリアスはわざと軽く流してみせる。
けれど、その胸の奥に刺さる不安は消えなかった。
レオナードの指がそっと頬をなぞり、エリアスの視線を奪う。
「エリアス」
「……はい」
「お前は私のものだ。それだけは覚えておけ」
レオナードの言葉はどこまでも甘く、優しい。
けれど──。
ここでしか必要とされないのに?
その言葉が、喉元まで上がってきたが、エリアスは静かに微笑むだけだった。
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