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最終章 狂愛メランコリー
最終話
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────5月7日。午前7時。
「…………」
あの日から1週間が経った。
理人が屋上から飛び降りて亡くなったことで、私は悪夢のようなループを抜け出すことが出来た。
理人の自殺は誰にとっても衝撃的なもので、お通夜や葬儀が終わった今でも、涙を流す人は絶えない。
クラスメートにしても、彼を想っていた女の子たちにしても、……私にしてもそうだ。
ふとした瞬間に思い出しては泣いてしまいそうになる。
今だって、そのうち理人から“おはよう”ってメッセージが届きそうで。
お通夜の日、久しぶりに会った理人の伯母さんは、会うなり私を抱き締めた。
悲しみを堪えたような震える息遣い。
私は我慢出来ずに涙をこぼしてしまった。
理人とよく似た、でもそれより少し甘いにおいに包まれて、昔の記憶が一気に蘇ってきたのだ。
懐かしくて、愛しくて、けれど二度と戻ることのない日々の思い出。
『来てくれてありがとう、菜乃ちゃん。……今日も可愛いわね』
昔と変わらない伯母さんの優しい声と言葉。
もう一つ、いつも言っていたことは、さすがに口にしなかったけれど。
『……昔、あなたのお陰で理人は笑うようになったの。ひとりぼっちじゃなくなった』
心が震えた。
何も出来ない駄目駄目な私でも、彼の笑顔を取り戻すことだけは、出来ていたのかもしれない。
再び奪おうとしたのも私だったけれど……。
『……また、遊びに行きます』
スイートピーの咲く頃に。
そう言うと、伯母さんは腕をほどき、私を見た。
『理人と約束したんです。ずっとそばにいる、って』
不思議と涙はおさまっていた。
私は小さく笑んで見せる。
指先で目元を拭った伯母さんも、ふんわりと優しく微笑んでくれた。
『ええ、待ってる。お菓子も用意しとくわ』
昔と変わらないノスタルジックな欠片は、理人を取り巻いた至るところに散りばめられていた。
理人がいなくても世界は廻っていく。
でも、彼の存在した証はそこらじゅうにあふれていて。
繰り返した3日間が幻じゃなかったことも、私や向坂くんの記憶が証明している。
紆余曲折を経て、こじれた世界を駆け抜けて辿り着いた結末は、あまりにも残酷だった。
望んだ“最後”じゃなかった。
それでも、理人が遺してくれた未来をまた、駆け抜けていくしかない。
……もう、何も怖くない。
理人との思い出が糧となってくれるから。
勇気や自信をくれる向坂くんがいるから。
(私も理人も、もう独りじゃないよ)
学校へ行く前にコンビニに寄って、ペットボトルのミルクティーを買った。
昇降口で靴を履き替え、階段を上っていく。
屋上前に着くと、そこには変わらず向坂くんがいた。
「……よ」
「おはよう、向坂くん」
理人の件があって、もともと立ち入り禁止だった屋上は厳重に閉鎖された。
けれど、向坂くんはドアノブに巻かれた鎖を勝手に破り、鍵を壊して出入りしているようだ。
二人して屋上へ出る。
向坂くんは伸びをして、私は朝の空気を吸い込んだ。
屋上の縁へ歩み寄った私は、買ってきたミルクティーをそこに置き、黙祷を捧げた。
「……三澄は本気で愛してたんだな、お前のこと」
ぽつりと彼が呟く。
私はそっと目を開けた。
幼なじみとして、異性として、人として、彼の抱いてくれていた想いは確かに、愛と呼ぶにふさわしいものだったのかもしれない。
とろけるほど甘くて、刺すように苦いその愛に、もっと早く気付いていたら、また違った結末を迎えていたのだろう。
……今となってはもう、振り返っても戻ってやり直すことなんて出来ないけれど。
「────向坂くん」
私は立ち上がり、彼を見上げた。
このループの中で、出会えば必ずと言っていいほどの確率で助けてくれた向坂くん。
ちゃんと私の話を信じて受け止めてくれて、ずっと味方でいてくれた。
本来の出会いがどんなだったか、私には記憶がない。
でも、どの出会い方も嘘じゃない。
どの世界線での出来事も、彼との時間も、覚えていないだけでしっかりと刻まれている。
────いつも、気弱な私に道を示してくれた。
諦めそうになっても励ましてくれて、お陰でまた頑張れる気がした。
優しさと勇気と自信をくれる向坂くんに、私はやっぱり惹かれていた。
「本当にありがとう」
自分の想いを自覚しながら、改めて彼に礼を告げる。
向坂くんがいなかったら、とっくに私の心は折れていただろう。
すべて投げ出し諦めて、繰り返す3日間の中に永遠に閉じ込められていたかもしれない。
────今は色々と気持ちに整理がつかないから、思いの丈を伝えるのはまだ先になりそうだけれど。
「……はぁ」
ややあって、向坂くんが深く息をついた。
ポケットに両手を突っ込み、噛み締めるように天を仰ぐ。
「……?」
……どうしたのだろう?
何だか普段と様子が違う。
「やっと、俺の番だ」
思わぬ言葉に困惑した。
「え……?」
漂い始める不穏な気配に戸惑っていると、彼は私の置いたミルクティーを蹴飛ばす。
ペットボトルは縁から下へ落ちていった。
「ちょっと……」
不謹慎というか、分別のない突飛な行動だった。
理人の死を侮辱しているような気がして、戸惑いの中に憤りが混ざる。
……おかしい。
いつもの向坂くんなら、絶対にこんなことはしない。
「羨ましかったんだよなぁ、ずっと」
彼の低めた声はどこか興がるようで、ぞくりと背筋が冷えた。
「だって、ずるいだろ。俺だって殺したかったのに」
「……何を、言ってるの……?」
あまりにも意味が分からなくて、思考が止まる。
彼はこちらへ歩み寄ってきたが、私は居すくまって動けなかった。
どん、と肩を突き飛ばされ、ぐらりと視界が揺れる。
「え……っ」
一瞬、呼吸が止まった。
不意にわずかな空気の抵抗を感じて、自分の身体が宙に投げ出されようとしていることに気が付く。
頭の中に理人の最期が過ぎった。
────落ちる。
思わず目を瞑ったが、ぎゅっと強く彼に腕を掴まれた。
ぐい、と引っ張られ、私の足は屋上の地面を踏み締める。
「死ぬ、って思った?」
向坂くんが口端を持ち上げた。
身体が強張り、呼吸が震える。
心臓がばくばくと脈打っている。
こんな悪い冗談、笑えない。
「向坂く────」
「言っとくけど俺、お前が思ってるほどいい奴じゃねぇから。きれーな愛し方とか知らねぇし」
冷めきった眼差しで、腕を離した彼は片手で私の首を掴んだ。
強く締め上げられ、息が苦しくなる。
(なんで、……何で?)
あまりの苦しさに涙の滲む視界で、豹変した彼を捉えた。
わけが分からなかった。
……こんなの、向坂くんじゃない。
「俺が殺してもループすんのかな? それとも死んで終わりかな? ……なぁ、試してみようぜ」
彼は一層強く私の首を絞めた。
「……っ」
声すら出せずに呻き喘ぐ。
逃れようと後ずされば、縁から真っ逆さまに落ちてしまう。
心の底から愉しむような向坂くんの双眸を見て、ああ、と思った。
────狂ってる。
もともと向坂くんがそういう性質を持ち合わせていたのか、ループを繰り返して死が身近になるうちに変わってしまったのかは分からない。
ただ、どちらにしても……きっかけは私なのだろう。
ループの中で何度か私の死を目にするうち、本能的な猟奇性を目覚めさせてしまった。
血に惹かれ、さらに過激なものを求めるようになった。
苦しむ顔が見たい。痛がる声を聞きたい。血が見たい。こと切れる瞬間を見たい。
……そんなふうに。
そのために今度は彼がその手で殺そうと────。
ループの中で向坂くんが私の死に立ち会ったとしても、その記憶は何度か消えたはずだった。
けれど、本能には鮮烈に焼きついているのだろう。
(そういうこと、か……)
思えば、兆候はあった。
殺されたときのことを食い下がって詳しく聞きたがったり、私が殺される日に彼の現れるタイミングが不自然だったり。
『いや、別に。……気になったことがあって』
気になっていたのは、人を殺す感覚のこと、だったのだろうか。
私に寄り添うふりをして、理人がいなくなるのを待っていたの?
じっと機会を窺って、自分のエゴを優先して。
(どうして……)
心の中で無意味な問いを繰り返した。
それほどまでに受け入れ難い現実だった。
最初は、ううん、一度くらいは、本気で私を心配してくれていたって信じたい……。
「やっと邪魔者が消えてくれたからな。これで思う存分お前を痛めつけられる」
ぎりぎりと、爪が肌に食い込む。
ループの中で、彼が理人を殺そうとして、その理人がいなくなって、きっと向坂くんの箍は完全に外れてしまったのだ。
「死ぬときは強く願えよ。“やり直したい”って……。一度きりでくたばるなよ、頼むから。足りねぇよ、そんなんじゃ」
意識が朦朧とした。
頭の中が霧がかって、何も考えられない。
痛みも苦しみも遠のいて、死が迫り寄ってくる。
向坂くんは愉悦を滲ませ、せせら笑う。
「これからは何度でも、何度でも何度でも何度でも……」
視界が歪み、涙がこぼれ落ちた────。
「俺がお前を殺してやる」
*
アラームが鳴り響く。
画面をタップして停止すると、ロック画面を見た。
────5月7日。午前7時。
「…………」
理人の死の悲しみに暮れながら、起き上がった私はベッドから下りた。
【完】
※『純愛メランコリー』に続く
応援ありがとうございます!
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