狂愛メランコリー

花乃衣 桃々

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第五章 ノイズ

第15話

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 放課後まではあっという間だった。

 4月30日────つい、今日の日付を何度もロック画面で確かめてしまう。

 今のところはそれくらいに平穏だった。

 昇降口で靴を履き替えていると、向坂くんが柱の影に立っているのに気が付いた。

「…………」

 思わず見つめてしまう。

 彼の双眸も私を捉えていた。

「行こうか、菜乃」

「あ……うん」

 理人に声をかけられて頷く。

 何か言いたげだった向坂くんを再び見やったが、既にそこには誰もいなかった。

 気にかかったけれど、どうしようもない。

 私は理人とともに帰路についた。



 いつもと違う道を歩く。理人の家に近づいていく。

「誘っておいて何だけど、別に何もないからね?」

 少しだけ照れくさそうな理人に、小さく笑ってしまう。

「あるよ、理人の家には色んな思い出が。この道だって、既に懐かしいよ」

「それは確かにそうだよね。菜乃と二人で歩くのは久しぶりだな」

 そのうち、白いレンガ造りの小さな一軒家が見えてくる。

 洋風の造りと手入れの行き届いた庭が可愛らしくて、昔は“お城みたい”なんてはしゃいでいた。

 お洒落な鉄製の門を潜る。

 ふと庭の花壇が目に入った。

 スイートピーはもう咲いていなかったけれど、他の花々が風に揺れている。

「……花壇は、今も理人が?」

「うん、基本的には」

 出会った頃、放課後の小学校でそうしていたように、家でも彼がよく花の世話をしていることは知っていた。

 スイートピーは特に、今でも彼にとって大切みたいだ。

「そっか、綺麗だね。スイートピーの咲く頃に来たかったなぁ」

「また来なよ」

 理人は何でもないことのように言い、鍵を開けて玄関のドアを引いた。

(“また”……か)

 このループする3日間を抜け出さないことには、永遠に訪れない。

 それ以前に今日、私は殺されるのに。

 紛れもなく、彼の手によって。

 ……なのに、何でそんな気配を微塵も感じさせないの?

「……そうだね。お邪魔します」

 曖昧に笑い、玄関の中へ入った。

 ふわりといいにおいがする。理人のにおいだ。

 何かは分からないけれど、どことなく甘くて爽やかで懐かしい。

「先に僕の部屋行ってて。お茶持ってくよ」

「あ、ううん。手伝う」

 理人とともにリビングの方へ向かった。

 彼の家はリビングとキッチンが一つの空間にある、いわゆるLDKというやつだ。

 彼が取り出したカップとお茶の入った魔法瓶をトレーに載せる。

 冷蔵庫や棚を覗いていた理人は困ったように眉を下げた。

「うーん、ないなぁ」

 お菓子の話だろう。

 昔からここに遊びに来ると、お茶やジュースと一緒にお菓子も出してくれた。

「いいの、気遣わないで」

「でも……。あ、林檎でも切ろうか」

 テーブルの上に置いてあったバスケットから、赤く熟れた林檎を取り出す理人。

「じゃあ、お願い」

 そう言うと、微笑んだ彼は引き出しから包丁を取り出した。

 私は何気なく部屋を見回し、すん、と懐かしい香りを吸い込んだ。

「昔に戻ったみたい」

「そうだね」

 理人が木製のまな板の上に林檎を置いた。

「覚えてる? 伯母さん、私が来るといつも────」

「“大きくなったら結婚”……ってやつ?」

 彼は先んじて言うと、こと、と静かに包丁を置く。

 カウンターの向こうにいる私を真っ直ぐに見つめた。

 不意に、完全な静寂に包まれる。

「僕は本気」

 窓から射し込む柔らかい光に、理人の髪が透き通っていた。

 その眼差しは凜然としていて、少しも揺らがない。

「今もそう思ってるよ」

 かち、こち、と秒針が時を刻み込む音だけが場を支配する。

 私は理人から目を逸らせなくなった。

「菜乃」

 キッチンから出てきた理人は、ゆっくりと私に歩み寄ってくる。

 ……心臓がどきどきした。
 鼓動が速まり、何だか胸が苦しい。

「好きだよ」

 ────分かっていた、はずだった。

 それなのに、理人の焼き菓子みたいな甘い声に心が揺さぶられる。

 痺れるように指先と頬が熱を帯びた。

 愛おしげな眼差しはいつもと同じで、それだけに悟る。

 ……いつも、いつも理人は伝えてくれていたんだね。

 私に、あふれんばかりの好きだって想いを。

「理人……」

 思わずその名を呟くと、彼が一歩踏み込んだ。

 背中に手を添えられ、そのまま引き寄せられる。

 ふわりと包み込むように抱き締められた。

「小さいときからずっと好きだった。僕には菜乃しかいないんだ」

 ぎゅう、と抱きすくめられる。

 熱っぽくて、それでいて切なげな声色。

(私、知らなかったよ……)

 こんなにも強く想われていたなんて。

 自分の無神経さが申し訳なくなる。

 幼なじみだ、という認識は、私が傷つかないための予防線だったんだ。

 そのせいで彼の気持ちにも気付けなかった。

「…………」

 ────でも。

 でも、やっぱり私は……理人とは、幼なじみなんだ。

 彼のような“好き”には、どうしたって変化しない。

「……ごめん、理人。私────」

「だからさ、菜乃」

 私の言葉を遮り、理人は言う。

 離れると、勢いよく私の両肩を掴んだ。

「僕と一緒に死のう」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

「え……?」

「この世界を終わらせるんだ」

 理人は嬉々として、再びカウンターの向こうへ回った。

 林檎のそばに置いていた包丁を手に取り、こちら側へ戻ってくる。

「ちょっと、待って」

「分かってるよ、菜乃。菜乃は僕の想いに応えられないんでしょ? あいつが好きだから」

 足がすくむ。心臓が嫌なふうに収縮している。

 強張った頬から血の気が引いていくのが分かる。

「今回の君はいい子だったね。僕に嘘をつかなかった」

「理人……」

「でも、僕に何されたか覚えていながら、ここへのこのこついて来たんでしょ?」

 彼が包丁の刃を指先でなぞった。

「諦めたってこと? それとも、僕に殺されることを望んでるの?」

「そんなわけない……!」

「へぇ、そう。じゃあどうして?」

 理人は首を傾げる。

 色も温度もないその瞳を見るのは、何度目だろう。

「……ここへ来れば、私の知らない理人のことが分かると思って」

「ああ、それ口実じゃなかったんだ?」

 彼は冷たくせせら笑う。

「……それと」

 俯いてしまうと、なかなか言葉が続かない。

 期待した私が馬鹿だった。

 ちゃんと話せば分かって貰えるかも、って。本心を私の口から告げれば伝わるかも、って。

 私の理人に対する気持ち。向坂くんへの想い。

 理人に頼らず“頑張りたい”って覚悟。

「理人に分かって欲しかった」

 じわ、と涙が滲んだ。

 今の理人に届くはずがないのに。

「……分かってないのは菜乃の方だよ」

 短い沈黙を彼が破った。

 不興そうに低めた声が私の鼓膜を揺らす。

(私が、分かってない?)

「そうでしょ? 菜乃は僕のものなんだから」

「何を……」

「僕さえいれば充分なのに、何で分かってくれないかなぁ。どうしてあいつを選ぶの? どうして、僕を好きになってくれないの?」

 彼は責めるように言い、眉頭に力を込めた。

「いつも。いつも……いつもいつもいつも!」

 すっかり気圧された私の瞳は、きっと不安定に揺らいでいると思う。

 落ち着かない呼吸が震えた。

「こんなに菜乃のことが好きなのに」

 今さら怖気づいてしまい、逃げるように一歩後ずさる。

「昔からずっと、菜乃だけを見てきたんだよ。菜乃だけを想ってきた。ずっと隣にいるために、菜乃が僕だけを頼ってくれるように、色んなことをした」

 どういう意味……?

 そう尋ねることすら許してくれない。

 理人は包丁を片手に柔らかく微笑む────。

「でも、もうおしまい。今回の……いや、ここ数回の君とはお別れだ」

 妙な言い方だった。

 まるで、次に目覚めたときには、何も覚えていられないような────。

「!」

 はっと息を呑んだ。

 もしかしたら、理人も記憶の法則に気付いたのかもしれない。

「大丈夫、ひとりぼっちにはしないよ。僕も一緒に死ぬから」

 私が死にさえすれば、理人が生きていても死んでいても関係ないのだろう。

 たとえ命を落としたとしても、巻き戻れば生き返ることが出来るんだ。

 “前々回”の向坂くんみたいに。

「少しだけ我慢してね。一瞬で終わらせてあげるから」

 包丁を構えた理人が踏み込む。

「いや……っ」

 すくんだ足を必死で動かし、背を向けて駆け出そうとした。

 しかし、髪を掴まれてバランスを崩す。

 逃れるようにもがくうち、どす、と身体に熱い衝撃が走った。

 熱いのに、冷たい金属の感触を感じる。

 驚いて、つい動きが止まる。

 その数秒後、思い出したように激痛が訪れた。

「逃げると辛いのが長引くよ?」

「ぅ、あ……っ」

 背中に突き立てられていた包丁が抜かれる。

 翻った血飛沫が壁に飛んだ。

 あふれた血が制服に染みを作る。ぼたぼたと床に血溜まりが出来る。

 力が抜け、どさりと崩れ落ちた。

「……っ」

 痛い。
 痛い痛い痛い痛い……!

 ずきずき、じくじく、波動が響いていくように疼く。

(やだ、嫌だ。死にたくない……)

 逃げるように床を這った。

 屈んだ理人は私を仰向けに転がし馬乗りになる。

「いいね、その表情かお。何度見ても飽きないよ」

 そう言って私を見下ろす理人の顔は、恍惚こうこつと酔いしれるようだった。

 べったりと血に濡れた手で頬を撫でられる。

 ぬる、と生あたたかくて、気持ちが悪い。

「う……っ」

 呼吸が浅くなり、ひどく苦しかった。

 酸素が足りないのに深く息を吸い込めない。

 どろ、と生ぬるい血が背中の傷からあふれていくのが分かる。

「言い残したことがあるなら聞くよ、菜乃」

 理人の顔がぼやける。視界が歪む。

 もう、声も出せない。

「…………」

 ────殺されることは分かっていた。

 それはもう、とっくに覚悟していた。

 頭の中に記憶が蘇る。 

(向坂くん……)

 何より怖いのは、殺されることそのものより、忘れてしまうことだ。

 怖くてたまらない。

 理人が気付いてしまったのなら、次に目覚めた私は何も覚えていないかもしれない。

 つ、と涙が伝い落ちた。

「……ごめんね、意地悪だったね。今、楽にしてあげる」

 私の涙を見た理人が包丁を振り上げたのが、ぼんやりと霞んで見えた。

 身体はもう動かない。

 あれほど響いてきていた痛みも、既に麻痺していた。

(……何で、こうなっちゃうんだろう)

 どうして、うまくいかないんだろう。

 私たちにハッピーエンドは訪れないのかな……?

 こんな苦しみが延々と続くなら、もういっそのこと────。

(ううん、駄目。やっぱり諦めたくない……)

 早く……巻き戻って。

 やり直させて。

 次は、次こそは失敗しない────。



*



 こと切れた菜乃を見下ろした理人は、はっとして立ち上がった。思わず後ずさる。

 自身の握り締めている包丁を、怯んだように放り捨てた。

「菜乃……」

 、だ。

 血まみれの手で頭を抱える。

 また、同じことを繰り返した。

(これで、何度目だ……?)

 自分自身に嫌気がさし、苛立ちと絶望感を抱きつつも、頭はどこか冷静だった。

 血の海に横たわっている菜乃の傍らに屈む。

 そのブレザーのポケットに手を入れ、彼女がいつも持ち歩いている鏡を抜き取っておく。

「!」

 ぴくりと菜乃の指先が動いた。

 ……まだ、生きているのだ。

 意識はないし、もう助からないだろうが。

 理人は彼女が完全に息を止めるまで黙って見守っていた。

 やがてそのときが訪れると、再び包丁を手に取る。

「……また会おうね、菜乃」

 そっと、色を失った彼女の唇に口付けた。

 毒林檎を食べた後なら、あるいは目覚めてくれただろうか。

(なんてね……)

 儚げに笑んだ理人は包丁を握り直し、迷わず自身の心臓に突き立てた。
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