ブラッティーメアリー

燐火

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第一章

あなた、探偵でしょう?

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屋敷の一階、廊下の奥にあるニゲラの部屋の前で軽くノックをする。

「どうぞ」

扉の向こうから、穏やかな声が返ってきた。

私は扉を開ける。

「メアリーさん?」

部屋の中にいたニゲラは驚いた様子で目を瞬かせたが、すぐに微笑んだ。

「──どうしたんですか?」

「聞き込みよ。まだあなたから証言を聞いていないから」

「……そうですか。まあ、立ち話もなんだし、入ってください」

彼はこころよく迎え入れてくれ、私は部屋の中へと足を踏み入れた。

ニゲラの部屋は質素だった。余計なものはなく、きちんと整理された空間だった。

「どうぞ」

ニゲラは椅子を引いてくれた。私は礼を言って腰を下ろす。

「お茶でも飲みますか?」

彼はそう言い、机の上のティーポットに目をやった。

「……もらうわ」

「少し待っててください」

ニゲラはカップを二つ用意し、それをトレーに乗せて慎重に持ち、私の前まで運んできた。

「──熱いので気をつけてくださいね」

私はカップを受け取ると、そっと口をつけた。温かい紅茶の香りが鼻をくすぐった。

ニゲラも自分のカップを手に取る。

「それで、何を聞きたいんです?」

私は静かにカップを置き、ニゲラを見つめた。

「クレスさんから聞いた証言の補強……のようなものね」

「……なるほど」

彼は苦笑しながらも、どこか警戒した様子で目を向けてきた。

「クレスさんが言っていた通り、僕は零時付近まで厨房で料理の手伝いをしていました。その後、ウィルさんの部屋へワインを運び、十五分には厨房へ戻りました。その後、一時過ぎまで作業をして、クレスさんと一緒に厨房を出ましたよ」

「クレスさんと同じ証言ね。あなたがワインをウィルさんの部屋に持って行った時、何か変わった点はあった?」

「いえ、いつも通りでした。ウィルさんは椅子に座っていて、テーブルにワインとグラスを置いてくれと言いました。本当にいつも通りでした」

そう言うと、ニゲラは紅茶を一口飲んだ。カップを持つ手はわずかに震えているように見えた。

「──本当に、ワインを運んだ後、そのまま厨房に戻ったの?」

私はニゲラを見つめながら尋ねる。

「はい。ウィルさんの部屋にワインを運び、そのまま厨房へ戻りました」

その言葉を聞いた私は、すかさず言う。

「──それ、嘘よね」

「どうしてそう言えるんです?」

「さっき、ニコリと話してたの。夕食後、私がニコリの部屋に行っていたことを、会話を聞いてたはずだから知ってるわよね?」

「はい、夕食後に二人で会話しているのを聞きました」

「その後、ニコリが証言してくれたのよ。『あなたが使用人室に来た』ってね」

「っ……」

言葉を詰まらせるニゲラを見つめながら、私は続ける。

「そして、こう続けてくれたわ。『ウィルさんを殺してしまったと言った』って」

ニゲラは一瞬、表情を固くしたが、すぐにため息をつき、目を細めた。

「姉さんが……」

その声は、悲しみが混じったようにも聞こえた。

「そして、あなたが厨房へ戻った後、ニコリはウィルさんの部屋へ行ったらしいわ」

「────なんのために……?」

ニゲラは俯きながら私に尋ねる。

「────あなたの言葉が信じられなくて、自ら見に行った……と言った方がいいのかしら。でも、私としては、その後の行動の方が問題だけれどね」

「その後の行動……?」

「えぇ、ニコリは、ウィルさんの部屋で遺体に刺さっていたナイフを抜いたらしいの」

「……は?」

ニゲラの表情が変わる。

「姉さんが……?」

「ええ。彼女がそう言っていたわ」

「──そんなこと、聞いてない……」

「そうでしょうね。あなたの前では言えなかったんじゃないかしら?」

私はさらに言葉を続ける。

「あなたと同じ孤児院出身の彼女はあなたに特別な思いがあったんでしょうね。だから、本能的にあなたを守ろうとした。ワインとグラスも、彼女が持って行ったらしいわ」

ニゲラは膝の上で拳を握った。

「そして、ニコリはナイフを抜いた後、暖炉に投げ入れたらしいの」

「……暖炉に?」

ニゲラは低くつぶやいた。

「ええ、証拠隠滅を図ったのかもね。でも、ナイフは暖炉の温度くらいじゃ溶けないし、無くならないわ」

ニゲラの指がわずかに震えた。

「でも……ナイフは暖炉から出てこなかった」

「──要は、証拠がないのよ」

「……」

ニゲラは椅子の背にもたれ、そして、口を開いた。

「なら、僕が犯人であると言い切ることができないんじゃないですか?姉さんがそう言っていたという証言だけで、犯人にされても困りますし、動機もないでしょう?」

「──そうね……でも、ニコリがあなたを犯人にする理由もないのもまた事実……振り出しに戻ったと言っても過言ではないわ」

私は唇を噛んだ。

証拠がない──それがどれほど無力であるか、改めて感じた。 目の前のニゲラは薄く微笑んでいるが、どこか挑戦的な目を向けていた。

「メアリーさん、あなた、探偵でしょう?今まで証拠なしで犯人を捕まえてきたんですか?」

ニゲラは余裕のある口調でそう言った。

ふと、視線を落とすと彼の指先が不自然に赤く腫れていることに気づいた。

火傷やけどにも見える。かなり前にできたもののようだ。

「ねえ、ニゲラ。あなたはどうしてウィルさんを殺したの?」

「……まだ決めつけるんですか?」

「ニコリに関係すること?」

その言葉に、彼の眉がピクリと動いた。

「……」

「それとも、他に何か理由があるの?」

ニゲラは短く息をつき、紅茶のカップを手に取る。その指先が、わずかに震えていた。

沈黙が落ちる。

ニコリの証言によって、この事件は進展したように見えたが、振り出しに戻ったような気がした。

証拠はないけれど、犯人は今、目の前にいるニゲラだと私の勘は言っている。
でも、凶器はどこに……?動機は……?

整理する必要がありそうだ……。

私はゆっくりと立ち上がった。

「……どうしたんです?」

「状況を整理してくるわ。それに、まだ全員の証言を聞いていない。でも私は、あなたがウィルさんを殺したと思っている。必ずその証拠を見つけ出すわよ」

それは宣戦布告にも取れるものだった。
このまま証拠不十分で逃がしてなるものか……!

「どうぞ、ご自由に」

ニゲラは硬い声で言った。私は部屋を出る前に、もう一度だけ彼を見た。

「……ニコリはあなたを守ろうとしたのよ」

ニゲラの表情が一瞬だけ歪んだ。

それを確認し、私は静かに扉を開けた。

まだ終わりじゃない。

私は証拠を見つけなければならない。 ナイフが消えた今、それ以外の手がかりを見つけないと……。

ウィルの部屋へ戻ると、ひんやりとした空気が体を包んだ。

静かに扉を閉め、深く息を吐く。

「……整理しないと」

私はポケットから警察にもらった写真を取り出し、ベッドの上に投げた。 ウィルさんが倒れていた位置、血の流れ方、そして──

ナイフが、ない。

そう、ニコリが抜いたのだから当然だ。

ニコリはそれを暖炉へ投げ入れたと言っていた。

もう一度、暖炉を調べてみよう。

私は灰が積もった暖炉へと向かい、躊躇せずに手を入れた。

だが、探しても探しても、何も見つからない。

普通のナイフなら、暖炉程度の温度じゃ溶けるはずもないし、何かが残るはずなのに……

少なからず、普通のナイフじゃない……

それに、ニコリはナイフを持った時、すごく冷たかったって言ってた……

まさか……?

いや、そう考えれば自然だ……

思い返せば、違和感しか見つからない。

初めてニコリと会った時、彼女は三つコップが乗ったトレーを片手で持っていた。
さっき、ニゲラは二つしかティーカップが乗ってないトレーを両手で持っていた……

女性のニコリが片手で持てて、男性のニゲラが両手でしか持てないなんてことがあるのか……?

夕食後の片付けをしていた時も、ニゲラは何かを気にしていた……

そしてさっき見た、ニゲラの指の赤み……

あれはもしかして……凍傷……?

暖炉に投げ入れたナイフが跡形もなく消えているのは……

ナイフが氷でできていたから……?

でも、死亡推定時刻は深夜一時……

その時、ニゲラはクレスさんと一緒に厨房にいた……

一度、時間ごとの行動をまとめた方がいい……。

私はメモ帳とペンを取り出し、今までの証言をまとめていった。

クレスさん 
二十一時辺りに冷凍庫の掃除。
二十三時~一時過ぎまで厨房で夕食の下準備。

その後、ウィルさんと話そうとした際に死体発見。 ナナアトロさんを呼びに行く。

ニコリ 
零時頃、使用人室で鍵閉めの準備中、ニゲラがやってくる。 
零時過ぎ、ウィルさんの部屋へ行き、ナイフを暖炉へ投げ、ワインとワイングラスを自室へ持っていく。

その後は鍵閉めをしていた。

二時付近、死体を再度確認。

ニゲラ 
零時より少し早い時間に厨房へ行く。 
その後、零時付近までクレスさんの手伝いをし、零時にウィルさんの部屋へワインを運ぶ。 
ワインを運び終えた後、使用人室へ行き、ニコリと会話。
 零時十五分に厨房へ戻り、一時過ぎに厨房をクレスさんと共に出る。

二時付近、死体を再度確認。

──────と、まぁこんなところかしら。 まだ、ナナアトロさんとモリスさんへの事情聴取が済んでないから、完璧ではないけれど……

私はメモ帳に書き込んだ内容を見直しながら、深く考え込んだ。
時間ごとの行動がすべて明確に整理された今、さらに一歩進めるべきだ。
けれど、どうしても気になることがある。
ニゲラの指の赤み。
あれがもし凍傷だとしたら、彼が使ったナイフが氷でできていたことの証拠にもなる……が……

「……まだ、何かが足りない」

私の視線は再び、整理された証言とメモに戻る。何かが引っかかる。

……あれ?

私の頭の中でぐちゃぐちゃだった線が、真っ直ぐな一本の線になる。

「零時だ……」

どうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。

「そうか、本当の犯行時刻は零時付近なんだ……何かがおかしいと思っていたけれど、答えはすぐ目の前にあったのね……」

目の前がぱっと明るくなったような気がした。
今、私は明確に犯行時刻を絞り込んだ。
犯行時刻は零時、間違いない。

私は部屋を見回す。
ウィルの部屋に戻ってきた理由は、状況を整理するため、そして、証拠を集めるためだ。もしかしたら今、目の前にある何かが新たな手がかりになるかもしれない。しかし、私はもうウィルの部屋に留まっている時間はない。

再び、私の視線はベッドの上の写真に落ちる。
証拠がない、証拠がない──
その繰り返しが私を無力にしてきた。
しかし、今は違う。
死亡推定時刻は一時だが、実際には零時……。
そう確信した私は、すぐにでもそれを証明できる材料を探さなければならない。

私は深呼吸をして、心を決めた。

「厨房だ」

厨房に氷で作られたナイフが存在した証拠が隠れているはずだ。
零時付近、ワインを運ぶ時間。
誰にも疑われずに、この部屋に入れる唯一の時間……。

冷えた空気、氷の塊がガラスのように透明に光る場所──その場所に再び足を踏み入れることが、事件を解明するためのカギとなる。

「もう一度、厨房を調べ直さないと」

決意を固め、私はウィルの部屋を後にして厨房へ向かう。
証拠を探し出すために。
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