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氷姫救出編

魔王

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 束ねられた鎖に冥刀が触れた。その瞬間、抵抗すら許さずに刃が食い込み、そのまま鎖を断ち斬った。祭壇には傷一つ付いていない。
 偽剣はただ鎖だけを的確に斬った。

 世界に色が戻り、五感が戻る。
 呼吸を止めていたせいで肺が空気を求めて咽せた。急いで呼吸を整える。

 すでに崩壊は始まっていた。

 鎖が切断面から風化するようにボロボロと崩れていく。それはものの数秒でラナを拘束していた枷に達した。
 そして枷が外れる。
 
 その時にはもう片方の崩壊も魔王封印に届いた。

 俺は鞘を作り出すと抜刀の構えを取る。

「ラナ! 下がれ!」
「うん!」

 自由になったラナが祭壇から飛び退く。
 刀界はあまり大きくせず、祭壇を覆えるぐらい止める。必要なものは斬撃の密度だ。
 この一撃で決める。

 魔王封印に亀裂が入り、黒い霧が噴き出した。
 亀裂が広がり、像の表面を覆っていく。それが全体に渡った時、一斉に崩れた。
 
 封印が解かれ、魔王が顕現する。

 その瞬間、空気が重くなったように感じた。息が詰まるような重さだ。

 現れた魔王は青年のような見た目をしていた。
 漆黒の鎧を身につけ、腰には剣を差している。肌は浅黒く髪も、瞳も黒い。その端正な顔には無機質な表情が貼り付けてあった。
 感情が抜け落ちてるとでも言うのだろうか。俺たちを見る瞳には光が無い。
 堕ちた騎士。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。

 だが、そんな事はどうでもいい。

 重要なのは情報と違うという一点に尽きる。
 天穿つ厄災はローブ姿の魔術師だ。だが現れた魔王にそんな特徴はない。

 ……こいつは前魔王なんかじゃない!
 
 魔王が凄まじい速度で剣を抜き放つ。
 その瞬間、ゾッと怖気が走った。

 ……この剣はやばい。

 直感が告げている。
 この剣は星剣ラ=グランゼルに匹敵すると。

 俺の全細胞が逃げろと警鐘を鳴らす。
 久しく感じていなかった感覚だ。

 即ち、――恐怖。

 だが退くわけにはいかない。ここで退けば文字通り世界が滅びる。そんな確信ともいえる予感があった。

 魔王が体勢を整える前に偽剣を放つ。
 俺は恐怖を意志力だけで捩じ伏せ、冥刀を振り抜いた。

「第一偽剣、刀界・絶刀無双!!!」

 刀界内を斬撃が満たす。
 一瞬にして放たれた斬撃。その数は数万にも及んだ。依然とは比べ物にならない数だ。
 その全てが魔王に襲いかかる。

「――ッ!」

 一瞬にして放たれた数万の斬撃を魔王はその手に持つ剣で真正面から

 信じられない。
 無差別に、無軌道に、一瞬にして襲いかかる斬撃。その全てを破壊することなどできるものか。

 できるわけがない。偽剣の使い手である俺にも不可能だ。

 俺ですら及ばない極致にこの魔王はいる。

 場を殺気が満たした。
 首元に刃を突きつけられているかのような、鋭い殺気だ。手足が震えそうになるのをなんとか堪える。

 次の瞬間、魔王が消えた。

 ……まずい!

「ラナ!」

 叫ぶと同時にラナが背後に向かって、星剣を振るう。
 冷気が放たれ、一瞬で前衛と中衛との間に分厚い氷壁を作り出した。

 仲間を分断する攻撃。それは普通なら下策も下策。戦力低下しか起こさない。
 だが、それでいい。

 こちら側にいるのは俺とラナ、そしてカナタの三人だ。
 俺も、ラナも。この三人でなければ瞬く間に殺されると判断した。とても庇いながら戦えるような相手ではない。

「え?」

 アイリスの困惑した声が聞こえた。だが意識を向けている余裕すらも無い。

 そして目の前に魔王が現れた。振り上げられた剣が迫る。

「……ッ!」

 咄嗟に反応し、右の冥刀で受ける。しかし一瞬で押し負けた。膂力が段違いだ。

 ……受けるのはダメか!
 
 次ぐ二撃目を左手に持った鞘を黒刀に変化させて受け流す。だが、ただの黒刀では受け流し切れずに砕け散った。
 咄嗟に縮地を使って後退する。

「くっ……!」

 ボタボタと夥しい量の血が地面を濡らす。
 身体を見れば左肩から腰に至るまでを縦に斬り裂かれていた。だが内臓に達しているわけでは無い。この程度なら問題ない。

 即座に砕け散った黒刀を修復し、身体を強化している闇を分けて冥刀へと変える。
 その時には既に魔王が距離を詰め、剣を振り上げていた。

 一瞬の内に数十もの斬撃が襲いくる。それを二つの冥刀と闇を駆使して的確に捌いていく。
 それは極限の綱渡だ。小さな針穴に糸を通し続けるようなもの。そよ風の一つでも吹けば瓦解する。
 そしてその瞬間はすぐに訪れた。

 ……まずっ!

 冥刀の傾き、力の加減。それは誤差と言っていいほど僅かなものだったが、この戦いではそれが致命的だった。
 力を受け流し切れず、冥刀にヒビが入る。咄嗟に修復を試みるが、魔王が繰り出す斬撃の方が早い。

「――ッ!」
 
 冥刀が砕け散り、刃が首を断ち切らんと迫る。

「レイ!」

 ラナの声が聞こえた瞬間、冷気を感じた。魔王の立っている地面が瞬時に凍りつき、先の尖った氷柱が現れた。
 数十本もの氷柱が魔王に襲いかかる。それと同時に魔王の頭上に雷球が現れ、雷を落とした。
 だが魔王はまるで意に介さずに剣を一振り。その全てを破壊する。
 しかしその一瞬で命拾いした。

「助かった!」
「うん!」
「おう!」

 再び振るわれた剣を、新たに作り出した冥刀で受け流す。何度も振るわれる剣をなんとか捌く。
 
 防戦一方。
 俺が受け流し損ねた攻撃をラナとカナタがカバーしてくれる。だがそれでも攻撃に転じる余裕が無い。
 
 俺たちと魔王との間にあるのは純然たる実力差。それだけだ。

 ……第五封印じゃダメだ。

 このままではジリ貧だ。
 力が、闇が、何もかもが足りない。

 そんな俺の内心を察してか、ラナが叫んだ。
 
「レイ! 五分ならもつ!」

 何が、とは聞かない。だから俺は躊躇いなく言葉を紡いだ。

「第六封印……解除!!!」

 瞬間、闇が氾濫した。
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