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プロローグ

「またね」

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「くそ! やっぱり短くなってる!」

 俺の言葉にラナは悲しげに目を伏せた。

 封印が完成した日から半年、俺がこの遺跡に辿り着いてから一年が経っていた。

 半年前の封印が完成した日、俺は意識を失った。
 幸い、あのときはすぐに目が覚めた。ラナは封印が失敗したのかと心配していたが、特におかしなところはなかった。
 身体にも異常はない。

 しかしその後も急に意識を失う事が幾度もあった。そして日に日に頻度が増していった。
 今ではたったの三時間しか起きていられない。
 ここで俺は悟った、時間切れタイムリミットが迫っている事を。

 俺が気付いたのだから聡明なラナも当然気付く。その時のラナの顔が忘れられない。

 だから俺はラナを救い出す為に考えうる限りの方法を試した。
 
 斬撃だけではなく、闇をハンマーにして叩きつけてみたり。
 ラナの魔術で超高温に熱した後に急速冷却させたり。
 水の魔術を改良してウォーターカッターを作り出したり。
 ウォーターカッターに鉱石を混ぜ込み、削る力を上げたり。
 
 地球の知識を使い、ありとあらゆる事、思いつく限りの方法を試した。
 しかしそのどれもが失敗に終わった。時間だけが無為に過ぎていく。

 時間が足りないのに、その時間も奪われていく。何か方法はないかと焦燥感ばかりが募っていく。
 そうして記憶を掘り起こしているうちに脱力感に襲われ俺はまた気を失った。



「ラナ?」

 目覚めたとき、俺はラナに膝枕をされていた。
 一気に顔が熱くなり慌てて起きあがろうとしたが、ぐっとラナに頭を押さえつけられた。
 そして目元を両手で覆い隠される。これでは前が見えない。

「おいラナ……なにを……」
「レイ。私。この一年間、楽しかったよ」

 俺の言葉を遮ってラナが言う。声が震えているのに気が付いて俺は口を閉じた。
 
「レイは? 楽しかった?」
「もちろんだ。ずっとここに居たいぐらいだよ。キミといるとこんな狭い場所でもまるで楽園だ」

 俺の言葉にラナはクスリと笑った。
 それは本心だ。俺はラナがいてくれるだけで充分だ。

「そうだね。私もレイとずっと一緒に居たかった。……でも……もう時間がないんだよね?」

 俺の頬にポタポタと水滴が落ちる。俺は何も言う事ができなかった。できる事は奥歯を噛み締める事だけだ。
 俺は何もできなかったのだから。
 
「……レイは頑張ってくれたよ。……でも最近のレイは正直見ていられないかな」

 ラナとはずっと一緒に居る。
 だから俺が焦っている事にも気付いている。でも諦めきれないし諦めてはいけないのだ。
 だから必死になった。

 ラナがはとても優しくて良い子だ。
 だから俺を気遣ってくれる。一番辛いのは自分なのに。

 でも俺はラナのそんなところにも惹かれていた。

 俺はラナに心の底から救われたんだ。なのに俺はラナに何もしてやれない。
 
「……でも!」

 俺は搾り出す様に言った。その口にラナが人差し指を当てる。

「レイ。 私、わがまま言っていいかな?」

 俺は何も言えなかった。これから先、ラナが言うことがわかってしまった。
 本当に優しい子なのだ。だから自分の心を押し殺してしまう。
 
 心の底から助けて欲しいと思っているはずなのに結局一度も言葉にしなかった。違う世界の俺の人生を縛り付けてしまうとわかっているから。
 
「……ああ」

 俺の声も震えていた。
 
「レイが居なくなる瞬間まで楽しく過ごしたいな?」

 俺は奥歯を強く、強く噛み締める。そうしないと目にたまった雫が零れ落ちてしまいそうだった。
 
「……ごめん。不甲斐ないよな俺」
「ぜんぜん。そんな事ないよ。私はレイとの思い出だけでこの先、生きていける。それぐらいレイには救われたんだ」

 ラナは優しい手つきで俺の頭を撫でる。

「でも俺は何もできなかった」

 ラナが首を振る気配がした。
 
「それは違うよ。この一年、レイはずっと一緒に居てくれた。私の話を聞いてくれた。私の為に努力してくれた。諦めていた私に夢を見させてくれた。私はそれだけで良かったんだ」

 ……違う。それは違う。

 ラナはここから解放されなければいけない。必死に努力してきた少女の結末がこんなクソみたいな物であっていいはずがない。
 
 思う心とは裏腹に言葉にはできなかった。何もできなかった男にこれを言う資格はない。
 でもやっぱり諦めきれない。

「レイ」
 
 何か言おうと口を開いた俺を遮ってラナが言う。
 
「私のわがままを聞いてくれる?」

 その言葉に俺は拳を力いっぱい握りしめ、頷くことしかできなかった。


 
 それから俺とラナは時間が許す限り語り合った。
 
 地球の事、幼馴染の事、親の事、幼い時のこと、学校での事。
 グランゼル王国の事、ラナの世界の事。魔術で失敗して大事な木を折ってしまった事。妹がとっても可愛いという事。
 
 本当に些細なことから、大事なことまで。
 暗い話題は避けて明るい話ばかりしていた。それはとても充実した時間だった。
 
 俺が生きてきた中で宝物のようにかけがえのない時間だ。
 だから俺は失いたくなかった。失うのがひたすらに怖かった。

 だから最後の日、俺は覚悟を決めた。

「ラナ。……俺はキミを必ず救い出す」
「え?」

 俺の言葉にラナは目を見開いた。
 これまで、あえて口にしてこなかった言葉だ。無駄に希望を持たせないように。ラナを傷付かせないように。
 だけどここで俺は口にした。

 救われた命をラナのために使う。文字通り人生をかける。問題は山積みだ。だがそんなものは関係ない。これは俺が決めた道だ。

 ラナの目尻に涙がたまり、溢れ出した。宝石の様な涙がこぼれ落ちていく。

「……でも!」

 言い募ろうとしたラナを俺は優しく抱きしめた。肩が震えていた。

「レイ? 私、信じていいのかな?」
「もちろん。約束だ」
「……期待しちゃうからね? 嘘って言ってももう遅いよ?」

 俺は抱擁を解くと、両手でしっかりと手を繋ぎ見つめ合う。そしてもう一度、口にする。
 
「俺がキミを必ず救い出す」

 これは誓いだ。俺が俺に課した誓約。決して破る事はない。この誓いだけは死んでも守る。
 
「……わかった。……わたし、わたし待ってるから! ずっとずっと……レイが来るまで待ってるから!」

 その時、脱力感が襲ってきた。直感でわかっていた。これが最後だと。

「ごめんラナ。後ろを向いててくれる? 死ぬ姿はあまり見せたくない」

 本当は扉の外まで行くのが良いのだろうが、おそらく間に合わない。
 だからお願いしたのだが、ラナは首を横に振った。
 
「やだ。最後まで顔見てたい。あと手も繋いでたい」

 繋いだ手がギュッと握られる。その愛おしい姿に胸が熱くなる。
 そんな事をされたら断る事なんてできない。

「わかった。なら右手は繋いどこう」
「うん!」

 涙に濡れた顔に笑顔が浮かぶ。やっぱりラナは笑顔が似合う。俺は左手を離し、ラナの涙を拭う。

「やっぱりラナは笑っていた方がかわいいよ」

 俺の言葉にラナが頬を染める。
 その時、脱力感が増した。あまり時間がない。

「第一封印解除」

 最後の力を振り絞り黒刀を作り出し、自分の胸に突き付ける。

「ラナ。さよならは言わない。……だから……またね」
「うん! ……またねレイ!」

 胸に秘めた想いはまだ伝えない。「またね」と言ったからには必ずまた会う。
 だから俺の気持ちは次でいい。次に会ったときにしっかり伝えよう。この気持ちは決して消えないのだから。

 俺は精一杯の笑顔を浮かべ、自分の胸に刀を突き刺した。
 意識が消えるその時まで、手を握り目に焼き付ける様にラナと見つめ合っていた。

 最後に見た光景は涙に濡れたラナの笑顔だった。俺はこの光景をいつまでも忘れないだろう。

 そうして俺は夢から醒めた。
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