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『僕と君』

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 僕は勉強も運動も出来ない何の取り柄もない人間だったけど、それでも人間関係には恵まれていたと思う。
 僕のことを一生懸命に想ってくれている家族がいる。
 友達は少ないけど親友と呼べるほど仲のいい友人だっている。
 そんな人たちがさ、色々なものをくれたんだ。
 それは本やバイクみたいに形のある物だったり、優しさとか愛情みたいに形のないものだったり。
 でも僕は残念なことに、本来ならそれらをもらえるような価値なんてない人間だった。
 勉強も出来ない。運動も出来ない。何の取り柄もない。
 だから誰に何も返すことが出来ない。当然、何もしてあげることさえも。
 そんな自分のことが嫌で嫌で堪らなくて、誰かの優しさに触れる度に傷付いていた。
 みんなが当たり前のように出来ることが、どうして僕には出来ないんだろう?
 みんなにはある何かしらの才能や特技が、どうして僕にはないんだろう?
 みんなみたいに上手に生きることが、どうして僕には出来ないんだろう?
 そう思いながら日々を過ごしてきた。
 そんなある日、僕は一冊の小説に出会った。
 その小説の主人公は僕みたいに何も出来ない普通以下の人間だった。
 勉強も出来なければ運動も出来ない、人に誇れる特技もない。
 だけど、その主人公は途中で諦めた僕と違って、誰かに認められようと必死に足掻いていた。
 自分にも何か価値があるのだと。生きる意味が何かあるのだと。
 誰でもいい。ただ自分という存在を認めてほしい。
 何でもいい。自分の人生に何か価値があってほしい。
 しかし、その主人公の想いに反し、やることは全て裏目に出たり空回りしたりと散々な結果で終わってしまい、そんな主人公が最後の最後に行き着いた先が小説を書くことだった。
 主人公はとある出来事を通じて関わりを持つようになったヒロインをモデルに、小説を書き進めていく。
 そのヒロインもまた、主人公や僕と同じで普通以下の人間だった。
 でも、そのヒロインは主人公や僕とは違い、普通以下である自分を認めていて、誰に揶揄われようが誰に馬鹿にされようが、自分が自分であることに誇りを持っていた。
 『誰かに人生の価値を付けてほしい主人公』と『人生の価値を自分で決めているヒロイン』は互いに無いものに惹かれ合いながら、数々の出来事を通して2人の仲は進展していく。
 しかし、そんな中、物語の終盤でヒロインは不運な事故に遭って命を落としてしまった。
 大切な人を失ってしまった主人公は悲しみに暮れながらも、小説を書き続けた。
 誰かに嗤われても明るい表情で笑い飛ばしていた大切な人の人生が間違いであったはずがないのだと。自分が苦しい時でも誰かに手を差し伸べることを辞めなかった大切な人の人生が多くの人に届くようにと。主人公は沢山の人に否定され続けてきた人生の全てを賭けて、大切な人の人生を小説に書いた。
 そして主人公は完成させた小説をネットに上げ、それは沢山の人に読まれ、多くの共感と感動を巻き起こし、最後に主人公は自分の人生の価値を見出して幕を閉じる――そんな物語。そんな小説。
 その小説を読み終わった時、僕は泣いていた。
 涙が勝手に溢れてきてどうしようもなかった。
 あぁ、言葉って凄いなって思った。
 あぁ、物語って凄いなって思った。
 そして――僕もこうなりたいと願った。
 小説を読んで心を動かされた僕のように、僕の書いた小説で誰かの心を動かしたい。
 それが僕の小説の始まりだった。
 君は知ってる? 創作物には作り手の人生ってやつが現れるんだってさ。
 色々な人がくれた優しさや、喜びや、悲しみや、苦しみや、怒りや、痛みが――そんな色々なもので形成された僕が作った小説で、誰かを笑わせたり、感動させたり――そうやって誰かの心を動かすことが出来れば、僕にも生きる価値があると思った。
 そうすれば色々なものをくれたみんなに「ありがとう」を言える。
 みんながくれたものを決して無駄にはしたくなかった。
 みんなが色々なものをくれたから、今の僕があるのだと、そう胸を張って生きれると思ったんだ。 
 そうして僕は……大嫌いな自分を少しでもいいから好きになりたかった。
 だけど、所詮普通以下の人間が書いた小説は僕が読んだ小説のように順調にはいかなくて、文章には荒さが目立ち、展開には矛盾が多くて、誰かに伝えたい想いをちゃんと表現出来なくて、そんな拙く稚拙な小説しか僕は書けなかった。
 でも、そんなぼろぼろな小説でも読んでくれる優しい人たちがいて、更新を待ってくれる物好きな人たちもいた。
 書き続けていく内に読んでくれる人は次第に増え、元々は自分のために書いていた小説はいつしか誰かのための小説に変わっていた。
 どうすれば読んでくれている人たちを楽しませることが出来るのだろう?
 どうすれば誰かの痛みに寄り添えられるのだろう?
 どうすれば誰かの心を動かすことが出来るのだろう?
 僕はずっとそう思いながら6年間、小説を書き続けた。
 だけどある日、プツンと糸が切れてしまったように僕は全く小説を書くことが出来なくなった。
 きっかけはふとした不安だった。
 自分が一生懸命に頑張って書いていることは本当に意味があるのか?
 期待して待ってくれている人たちがいると僕が勝手に思い込んでいるだけで、本当は誰も期待なんてしてないんじゃないか?
 もし仮に期待して待ってくれている人たちが本当にいたとして、僕の書いた小説はつまらないもので、書けば書くほど待っている人たちを失望させてしまっているんじゃないか?
 考え始めれば考える程どんどんと不安は増していき、これまでどうやって小説を書いていたのか分からなくなってしまった。
 それからは読んでいて違和感を覚えるような文章しか書けなくて、書いている内容もどこかで読んだことのあるような本の下位互換みたいなもので、書いては全てを消して書いては全てを消してを何度も何度も何度も何度も繰り返した。
 それでも、僕は小説を書くことを辞めるという選択が出来ず、また何もない振り出しに戻ってしまうのが怖くて怖くて仕方がなくって、自分の唯一の存在価値を守ろうと必死に足掻き続けていた。
 そんな時に――僕はあの神社で君と出会った。
 神社で初めて会話をした時の君の印象は……うん、それはもう最悪だった。
 学校で遠目から眺めていた君は容姿端麗かつ勉強も運動も出来て、クラスの人気者でありながらオマケに素晴らしい写真も撮れる。そんな遠い存在だったのに、実際に話した君は幼い子どものように我儘かつ横暴で、心底ガッカリしたのを今でも鮮明に覚えている。
 ……まぁ、とりあえずは怒らないで続きを読んでくれよ?
 ここに書くことに嘘はつけないし、心底ガッカリしたのは事実だけど、遠い存在だった君が身近な存在に感じられて嬉しかったのもまた事実だから。
 私のことを小説に書いてよ――その君の一言から、僕と君との時間は始まった。
 君と一緒に過ごした日々は特別だらけだった。
 君がどういった表情で写真を撮るのか知れた。
 形にして残したいと思えるような景色に初めて出会えた。
 君が心の底から幸せだと思った瞬間、何を考えているのかを知れた。
 君の夢に対する想いを知れた。そこにある悩みや葛藤も。
 迷惑になると分かっていても、それでも恋愛感情を伝えたいと思えるほどに初めて人を好きになれた。
 君のくれた言葉で自分の感情に、心に、夢に、正直になれた。
 ……君と一緒に過ごしてきた時間の中で、ずっと想っていたことがあるんだ。
 これを君に伝えるのはとても恥ずかしくて、これを伝えたらきっと君は得意気な顔をするから伝える気なんてなかったけど……でも、きっとこの機会を逃せば、2度と君に伝える機会は訪れることがないと思うから、だから、ここで伝えるよ。
 僕はずっと――君みたいな人になりたいと、そう想っていたんだ。
 朝を告げる太陽のように、騒がしくて、眩しくて、温かくて、優しい――そんな旭のような君に、僕はなりたかった。


 最近さ、苦手だった母さんと世間話をするようになったし、自分から父さんにツーリングに行こうって誘うようにもなったよ。
 しかもなんと、この前なんかは家族でツーリングに行ったんだ。
 僕と父さんがバイクを出して、母さんは父さんの後ろに乗ってさ。
 母さんと父さんが初めてデートした場所を3人で巡ったんだ。
 その時に父さんから母さんがそこで起こした恥ずかしエピソードを聞かされたんだけど……母さんに誰にも言わずに墓場まで持っていけって脅迫されてここに書くことは出来ないから、またいつか話す機会があればそこでするよ。
 とにかく、初めての家族ツーリングはとても楽しかった。
 それに藤に言われたんだけど、君と遊び始めてから僕はよく感情を表情に出すようになったんだってさ。
 君と遊ぶ前の僕は、ずっと不機嫌そうでぶっきらぼうな顔をしていた、って藤は言ってたけど……そこまで酷い表情はしてなかったよな?
 ……まぁ、何が言いたいかというと、君と出会ってから僕は変わったということ。
 全部、全部、君が教えてくれた通りだった。
 僕が見ようとしていなかっただけで、この世界には美しい景色がたくさん拡がっていた。18年間も見続けた景色の中にも特別はあった。
 君が言っていた通り、僕の書いた小説で心を動かされた人がたくさんいた。僕が他人を信じることが出来ていなかっただけで、僕の一生懸命はちゃんと誰かの心に届いていたんだ。
 君と出会ってからの僕の変化を色々と書いてきたけど、その中でも特に君に伝えたい僕の変化があるんだ。

 《僕さ、大嫌いだった自分のこと、少しだけ好きになれたよ》

 憧れていた君のような人になれたかは分からない。
 近付けてさえもいないのかもしれない。
 胸を張り、いい顔をして、自分のことが好きだってはっきり言うのにはまだ時間がかかりそうだけど、それでも確かに僕は自分のことが少しだけ好きになれたんだよ。
 君に出会わなければ、僕は今の僕ではいられなかった。
 これを伝えたら、きっと君は「私は何もしてないよ」と謙遜しながら優しい笑みを浮かべて否定するんだろうな。
 それでも全部、本当に君のおかげなんだ。
 君と出会えたからなんだよ。


 君と会えなくなったあの日から、僕はずっと君のことを考えていた。
 どうすれば君の心を救えるんだろう?
 君の痛みや苦しみに寄り添うためには、いったい何をすればいい?
 君とまた一緒にいられる時間を手にするために、僕は何を犠牲に出来る?
 考えた。悩んだ。葛藤した。苦しんだ。悶えた。叫んだ。泣いた。悲しんだ。
 こんな想いをするなら、いっそのこと君に出会わなければ良かったのに、とも思った。
 だけど、そう思った瞬間、凄く凄く辛くなって、一瞬でもそんなことを思ってしまったことをとてもとても後悔した。
 君と共に過ごしてきた日々を無かったことにはしたくなかったから。
 君のおかげで変わり、少しだけ好きになれた今の自分を否定はしたくなかったから。
 だから、また僕は、君のために僕が何を出来るかを考え続けた。
 そして、1ヶ月半も時間をかけて、考えに考えた末に辿り着いた答えは、やっぱりこれだった。
 僕は自分を信じるよ。
 君のことも信じる。
 僕の書いた小説を読んで『心を動かされた』と、君が言ってくれたんだ。
 僕の書いた小説を読んで『僕にしか出来ないことがある』と、大切な人たちが言ってくれたんだ。
 僕の書いた小説を読んで『救われました』と、顔も知らない誰かが言ってくれたんだ。
 だから、もういいよ。
 心の底から本当に欲しかったものは、手に入ったから。
 これからの自分の人生に価値なんていらない。
 この小説が知らない誰かになんて届かなくていい。
 この小説がたった1人だけに届いてくれたなら、それでいい。
 これは君だけのために書いた小説だ。
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