南洋王国冒険綺譚・ジャスミンの島の物語

猫村まぬる

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エピローグ 成田への便は天候のせいで大幅に遅延し

エピローグ・後半

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 女王の人柄や業績については「今なお島民の記憶に新しい」の一言で片付けられていた。港務長官カシムや、その娘ファジャル、宮中武官アディなどの存在については、一言も触れられていなかった。

 少し落胆しつつ、それでもこの薄い本を愛おしく感じながら最後のページを開いた僕は「あっ」と声を上げた。

 あの子だ。王女だ。
 白黒で写りも悪く、印刷も粗悪だったけど、そこにあるのは確かに、ムラティ王女その人の写真だった。

 おそらく港務長官邸の一室と思われる室内で椅子に座った彼女は、半ば以上が白くなった髪をひっつめにして結い、金か銀かの花を挿していた。少女のころと変わらないほっそりした体を、レースのついた上着クバヤと、おそらく茶色の古典模様のジャワ更紗バティック巻衣サルンに包み、西洋風のサンダルを履いている。
 六十歳を過ぎているのだろう。顔や手に年相応のしわがあるのが見て取れはしたが、ピントが甘いせいもあってか、面差おもざしは驚くほど変わっていない。口もとには笑みをたたえながら、あの強い意志を感じさせる視線を真っ直ぐにカメラに向けていた。

 そしてその隣で、椅子の背もたれに片手をかけて立っている、白っぽいジャケットにネクタイと巻衣サルンという姿の年配の男性は、髪が白く薄くなり、体型も変わっているが、見間違えようもない、わが友アディだった。
 背中に差した短剣クリスつかの一部が見えているだけだったが、僕が王女からもらったあの短剣のように見えてしかたがなかった。

 写真の下には「退位後のムラティ女王と、晩年に結婚した夫」とだけ書いてあった。

 二人の間にある空気は、少年少女だった頃のままに見える。ここに至るまでになにがあったかは分からないけど、アディは最後まで王女を支えて役割を果たしたのだ。

 茉莉が帰ってきたときにまた泣いているのは嫌だから、僕は本を茶封筒に戻してショルダーバッグにしまって膝の上に抱き、顔を上げて遠くに目を向けた。

 カフェの外はムービングウォークのある広い通路で、欧米やアジアのブランドのきらきらしたショップが並び、見上げても見えないくらい高いガラスの天井の下を、多くの人が行き交っていた。
 チャドルで顔を隠したアラブ女性、インド系らしい老夫婦、中国系のビジネスマンの一団、大荷物のマレー人の家族連れ。
 その中に、僕は彼女を見つけた。

 髪を下ろしてしまい、サマードレスの上にパーカを羽織り、寄り道して買ったらしいTWGの紅茶の紙袋を腕にかけて、肩をきゅっと上げた彼女は、ずらっと並んだショップをきょろきょろ見ながら、僕のほうに向かって歩いてくる。
 
 王女でも女王でもない、ただトイレからもどってくるだけの、僕の妹。
 それが僕にとっては何よりも貴く、何よりも得難いものだった。

 さて、と僕は思った。
 茉莉は手紙の謎について知りたがるに違いない。
 でも話は長い。長すぎる。そしてあまりにも複雑で、信じがたい。
 どこから話そうか。どこまで話そうか。

 茉莉は僕の視線に気づき、少し早足になって近づいてくる。
 その姿に向かって、茉莉花ジャスミンの名を持つ99の魂に向かって、僕は胸の中でつぶやいた。

 ありがとう。茉莉に生まれてくれて。茉莉でいてくれて。




   ──────────────




(『南洋王国冒険綺譚・ジャスミンの島の物語』はこれで完結となります。お読みいただきましてまことにありがとうございました)
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