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第三部 アストラス編~竜の血脈~
3.傷つく心
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その日、ハインツはなんだか不思議な感覚に襲われていた。
なんだか落ち着かないような……そう、クレイが紫の瞳を解放した時のような感覚に近しいものを感じていたのだ。
それが何故なのかはわからない。
わからないけれど────妙に気になって自分の眷属へと尋ねていた。
「ねえルルカス。クレイに何かあったのかな?」
【今からちょっと行って調べてこようか?】
「頼める?」
【うん!まっかせといて!】
そうして暫くしてルルカスは帰ってきたのだが…。
「どうだった?」
【ハインツ様…予想外でした】
しょぼんとした様子で項垂れるルルカスに思わず焦りを覚える。
「え?何?クレイに何かあったの?!」
こうしてはいられない。
何があったのかは知らないが、クレイは自分の大事な兄なのだ。
困ったことがあるのなら、いつだってどんなことでも力になりたいと思っている。
だからルルカスが止めるのも聞かずに、そのまま影を渡った。
「クレイ!」
そうして息せき切ってレイン家へとたどり着いたのだが、そこにいた人物に思わず目を瞠ってしまった。
「フローリア…様?」
そこにいたのは久しく会っていなかった自分の初めての相手だった。
美しさのなかに気の強さを感じさせる容姿をしていながらも、その実中身は触れれば壊れそうなほど脆くて頼りない────そんなどこか支えてあげたくなるようなトルテッティの麗しの姫君だ。
そしてあの閨を共にした日以来会うことはなかったが、こうして会えたことによって自分の中に熱い何かが込み上げてくるような気がした。
「フローリア様……お久しぶりです」
あの日自分の腕の中で彼女はその胸の内にある感情をぽろぽろと吐露していた。
それはまるで全身で愛されたいと叫んでいるようで、その時の自分には痛々しいほど愛おしく感じられた。
今はあの頃のシュバルツへの想いを吹っ切ることができたのだろうか?
そう思いながらふと彼女の腕の中の存在に気が付いた。
そこには彼女によく似た赤子の姿があって────。
「え?」
自分の視線に気が付いた彼女はすぐさまその存在を隠すように背を向け、場をとりなすようにロックウェルがその前へと出て口を開いた。
「ハインツ王子。彼女は……」
けれどそんな言葉など耳に入るわけがない。
先程見えた赤子の瞳はどこからどう見ても紫ではなかっただろうか?
それは即ち、あの時の────。
そうしてバクバクと心臓を弾ませていると、今度はクレイが前に出て話を引き継いだ。
「ハインツ。勘違いするな。あの子供はレイン家の子だ。お前は何も心配せず婚約者と予定通り結婚すればいい」
けれどその言葉に思わずカッとなってしまう。
「クレイ!誤魔化さないで!その子は…、その子は僕の子供なんでしょう?!」
あのフローリアとの一夜は、忘れたくとも忘れられない甘美な時間だった。
ロックウェルとしか寝ないクレイが彼女と寝ることはないとわかり切っているし、時期的に考えてあの時の子供であっても何ら不思議ではない。
「…………」
「フローリア様、どうして教えてくださらなかったのです?!そんなに私は頼りになりませんか?!自分のしたことに責任のとれない子供だと……そう仰られるのですか?!」
一言伝えてくれればよかった。
そうすればいくらでも迎えに行ったし、自分の妃として迎えることだってできた。
それなのに────。
けれど彼女の口から出た言葉は予想外のものだった。
「ハインツ様、勘違いしないでくださいませ。クレイも言っておりましたが、この子はレイン家の子供。つまりはこのクレイの子ですわ」
「私の……子供ではない…と?」
「そうです。この子はあくまでもレイン家の子供であって、ハインツ様とは関係ございません」
それならば何故、自分の視界から隠そうとしたのか。
何故、ロックウェルが嫉妬を全開にして怒っていないのか。
こんなバレバレの嘘を吐いてでもその子をレイン家へと迎えたいとでもいうのだろうか?
我が子を前にしているというのに一度として抱かせてもらえない。
自分の子だと認めてもらえない。
それが凄く辛くて、悲しかった。
これはルルカスが言い渋るのも無理はなかったかもしれない。
「…………」
ここで自分に言えることは何もないのだろうか?
自分はこのまま決められた相手と結婚し、そのまま気持ちとは裏腹にその相手と寝て子をなさなければならないのだろうか?
(そんなのは嫌だ…!)
アストラス王家の血を引きトルテッティの姫から生まれたにもかかわらず、この子が公の場に出されることなくレイン家に引き取られるしかないというその事実が悔しくて仕方がなかった。
けれどそれをこの場でどう主張しようと、この場の三人はきっと聞き入れてなどくれないだろうことは明白だった。
だから、先に自分の方を何とかしようと思った。
問題となっているのが彼の国の姫のことなら、それを片付けないことにはフローリアを迎えることなどできはしないのだから…。
「今日は一先ず引きますが……必ず迎えに来ますから覚悟しておいてください!」
そうしてすぐさま王宮へと取って返し、兄であるルドルフの元へと足を運んだ。
「兄上!」
「ハインツ?どうかしたのか?」
ルドルフは自分の姿を見てすぐさま何かあったと悟り、仕事の手を止め声を掛けてくれた。
そんな兄に人払いを頼み、先程の事を告げた上で何かいい案はないかと相談を持ち掛けた。
それに対しルドルフは物凄く驚いたようだったが、クレイ達の言い分はよくわかるからこれは慎重に事を進めないと難しいと言われてしまった。
「そうだな。少なくともドルト殿とショーンに話を通しておけば父上への対応は考えてもらえるだろう。それとお前の婚約者であるカルトリアのココ姫にも一度会って、しっかり話をした上で動いた方が話が早く進むかもしれん」
実は婚約したとはいえココ姫とは顔を合わせたことすらなかった。
彼女の年は自分より上の17才。
本来であれば年下がよいとされるところなのだが、跡継ぎをすぐにでも作ってほしいのだというこちら側の要望で候補者が絞られた結果、彼女に白羽の矢が立ったというわけだ。
それに対して先方も大国アストラスに嫁げるなら大歓迎だと二つ返事で引き受けてくれたので、ここで一方的にやはりなかったことにと言い出すのが容易でないことくらい自分にだってわかるつもりだ。
最初に無理を言って推し進めた手前、こちらからの婚約破棄などまずありえない話だろう。
だからクレイもロックウェルもレイン家に引き取ると言ってくれたのだろうし、それは仕方がないことだと思う。
けれど自分はできるならフローリアと結婚したいし、子供だって自分の子として育てたかった。
(今から思えば、あの時もっと状況を調べておけばよかったんだ……)
候補者を絞る時に一応自分の意見も言わせてもらえたので、トルテッティのフローリア姫も入れてもらえないかと伝えたのだが、打診をした時点でトルテッティ側から断られてしまったらしい。
その理由として、以前のロックウェルとクレイに対する事件を起こした張本人を妃にさせるわけにはいかないというのを前面に押し出されたのだ。
だからそれは確かに仕方のないことだと納得してしまった自分がいた。
それだけあの事件は大きなものだったのだから────。
けれどそれを打診した時点で既にフローリアの懐妊が分かっていたのだとしたら、それはただの断り文句の一つでしかなかったと言うことなのだろう。
向こうがこちらに何も言ってこなかったことから、恐らくフローリアは両親にさえ子の親が自分だとは言っていなかったのだと容易に想像がつく。
あの時自分が勇気を出して、責任を取るから結婚させてほしいと先方に手紙を出していればもっとスムーズに事が運んだのではないか────そう考えると悔しくて仕方がなかった。
けれどここで後悔しようと後の祭りだ。
兎に角、今の自分にできることをやるしかないのだから……。
「わかりました。なんとかココ姫と話す場を作り、婚約解消へ向けて上手く動けないか検討してみます」
こうして一先ず身近なところへと相談し、根回しをすることにしたのだった。
***
その頃シュバルツはトルテッティにいるアベルに連絡をし、子の父親が判明したと報告していた。
「そういう訳で、フローリアはクレイのところに預けたから、また痛い目にあいたくなければおかしな話は広めないように」
その言葉にアベルはサッと顔色を変えて、ガタガタと震え始めた。
「そんな…叔父上が折角大喜びしていたのに……」
「何?ちょっと呼んでもらえるかな?」
流石にそれは聞き捨てならない。
正直本当に自分が相手だったなら、まずフローリアはわざわざ自分のところになど逃げてこず、父に真っ先に話していただろう。
それこそ嬉々として。
ロイドとの仲を喜んでいない父を味方につける最大のチャンスをあのフローリアが逃すはずがないではないか。
そうして考えているとすっかり孫フィーバーになった父が飛んできた。
「シュバルツ!フローリアと子作りしたなら私に言ってほしかったぞ?!それなら黒魔道士とは言え愛人の一人や二人大きな心で許してやるのに!」
「父上?何を勘違いしているのかは知りませんが、子作りしたいなら母上とどうぞ。フローリアの相手は私ではありませんので」
「隠さなくてもいいだろう?」
「本当ですよ。子は紫の瞳をしておりましたのでフローリア共々クレイへと預けておきました。トルテッティを滅ぼしたくなければ今後言動には十分お気を付けくださいね?それでは…」
そうして冷たく言い放ちさっさと魔法を解除した。
これでトルテッティ側はおとなしくなることだろう。
それよりも……。
「ロイド。フローリアを連れてきた時のことだけど」
「なんだ?」
そうして隣で何事もなかったかのようにソファで寛ぎ魔道書へと目を走らせる恋人に、胡乱な目を向ける。
確かに今回の件はそう簡単に回避できるような内容ではなかったが、婚約しているにもかかわらず他の女と結婚しろと言ってきたロイドには物申したい気持ちでいっぱいだった。
あれではいつでも自分を諦められると言われたようなものではないか。
けれどそうやって納得できない気持ちをぶつけても、ロイドの態度は淡々としたものだった。
「私は別にお前があの女と結婚しようと追いかける気はない」
「~~~~ッ!」
それは自分には追いかける価値すらないということなのだろうか?
両想いになったとは言ってもやはりどうしても結婚したいというほどの想いは持てないと…そう言うことなのだろうか?
そんな気持ちの重さの違いに物凄く打ちのめされて、思わず目に涙が浮かんでしまう。
けれどそこで思いがけずダートが口を開いた。
【お前は本当に黒魔道士のことをわかっていないな】
「うるさいな」
「ダート、余計なことは言わなくてもいい」
【いいえ。この馬鹿な白魔道士には言わないとわからないのです。そもそも結婚願望のないロイド様が結婚してもいいと口にし、父親には返すつもりはないとばかりにあれほど動かれたのはそこに強い想いがあるからなのに、それすらわかっていないのですよ?これほど我が主を馬鹿にされては物申さずにはいられません】
「…………」
その言葉に白魔道士と黒魔道士の考え方の違いを思い知らされる。
【ロイド様はここでお前と別れたら一生独身だ。この意味が分かるか?】
けれどそんなことを言われてもどうも自分の感覚ではピンとこなかった。
黒魔道士は独身が基本なのだから、それは特段おかしなことではないのではないだろうか?
そんな自分にロイドは溜息を吐き、ダートに下がる様にと言うにとどめた。
「ダートが言ったことは気にしなくてもいい。別れたくなったらいつでも言ってこい。ではな」
そうしてあっさりと自室へと戻るロイドの背中を遣る瀬無い想いで見送って、自分もまた自室へと戻った上でフローリアの様子を尋ねるべくクレイ達へと連絡を取った。
「シュバルツ」
「そっちはどうだ?」
「ああ。フローリアとルッツは用意した部屋で休んでいる。少し話すか?」
「いや。いい」
まだレイン家での生活は始まったばかりだから色々あるだろうし、できることがあれば何でも言ってきてくれと一応伝えておく。
そしてトルテッティにはこちらから連絡しておいたから心配はしなくてもいいと報告しておいた。
そんな自分にロックウェルが感謝を伝えてくれる。
「こちらとしては助かりましたが、今回は災難でしたね」
本当にそうだと思う。
とんだ横槍だ。
「フローリアのお陰でロイドとの仲が険悪になった」
だから少しくらい愚痴をこぼすくらい許してほしいと思う。
そんな自分にロックウェルは同情的な眼差しを送ってくれたが、クレイは胡乱な眼差しを向けてきた。
「シュバルツ。ちゃんとロイドにフォローを入れたんだろうな?」
「……?」
正直クレイがそんなことを口にする意味が分からなかった。
酷いことを言われたのは自分の方で、ロイドの態度で傷ついたのだって自分の方だ。
謝るなら向こうの方だし、自分は何も悪くないと思う。
「別に何も。大体ロイドは酷いんだ。フローリアと結婚しても今後はセフレでとかなんとか言ってたし…。だから、追うほどには自分の事を想ってくれていないのかと喧嘩になって……」
その言葉にクレイが勢いよく立ち上がってあまりにも驚いた。
「この馬鹿!呑気に話してないですぐに謝って慰めてやれ!」
慰めに?はっきり言って言われている意味が分からない。
隣ではロックウェルも不思議そうにしているし、自分が鈍いわけではないはずなのだが…。
「~~~~ッ、わからないならもういい!今日はもう俺が慰めに行く!ロックウェル、魔力交流だけじゃなくちょっとくらい手と口で慰めてきていいだろう?!」
「「は?!」」
それにはさすがに二人揃って一体何を言われたのかわからなかった。
「それか花街に連れて行くから許可をくれ!」
「クレイ!」
突然そんな話をされても行ってこいなど言えるはずがないのに、クレイはどうもかなり怒っているようだった。
「お前が弱ってるロイドにそんなに冷たい態度を取るなんて思いもしなかった!」
どうもいつもとは様子が違い、そうやってどこまでも引く気はなく冷たい目を向けてくるクレイに、これは冗談ではないのだと思い知らされる。
「ちょっと待てクレイ!そんな事許せるはずがないだろう?!絶対に行かせない!」
ロックウェルはそんなクレイを止めにかかるが、クレイは聞く耳もたないようだった。
「ロイドは俺の恩人だ。そこの頼りない白魔道士に任せられないなら俺が慰めるしかないだろう?」
どんな手を使おうとと低く言い放つクレイにロックウェルが珍しく気圧されてしまう。
それほどの────怒り。
けれど傷ついているのはロイドより自分の方だ。
「……安易に捨てても平気だと言われた私だって傷ついている」
だからそう言った。
そんな自分に『そうだな』とクレイは言ってはくれたが、続く言葉にドキッとなった。
「一流と自負する自分に、打つ手がない、味方も得られない、ただわかり切った結果を受け入れるしかない、そんな悔しさと虚しさを抱えていたロイドが、良かったと安堵したところで想い人である当の本人から罵られてこれ以上ないほど傷ついて打ちひしがれている姿が目に浮かぶようだ」
本気で好きな相手からそんな仕打ちをされたら別れられても文句は言えないぞと言われて、ロイドの先程の様子が思い返された。
全てがどうでもいいような投げやりな態度にあの時は腹立たしい気持ちが込み上げそのまま見送ってしまったが、もしもクレイが言うような心境だったのだとしたら……。
あの時のダートの言葉が不意に蘇り、クレイの言葉とロイドの性格を考えて……。
「わかったならさっさと行ってこい!」
その言葉に背を押されるようにしてすぐさまクレイに頭を下げると、急いでロイドの元へと走ったのだった。
なんだか落ち着かないような……そう、クレイが紫の瞳を解放した時のような感覚に近しいものを感じていたのだ。
それが何故なのかはわからない。
わからないけれど────妙に気になって自分の眷属へと尋ねていた。
「ねえルルカス。クレイに何かあったのかな?」
【今からちょっと行って調べてこようか?】
「頼める?」
【うん!まっかせといて!】
そうして暫くしてルルカスは帰ってきたのだが…。
「どうだった?」
【ハインツ様…予想外でした】
しょぼんとした様子で項垂れるルルカスに思わず焦りを覚える。
「え?何?クレイに何かあったの?!」
こうしてはいられない。
何があったのかは知らないが、クレイは自分の大事な兄なのだ。
困ったことがあるのなら、いつだってどんなことでも力になりたいと思っている。
だからルルカスが止めるのも聞かずに、そのまま影を渡った。
「クレイ!」
そうして息せき切ってレイン家へとたどり着いたのだが、そこにいた人物に思わず目を瞠ってしまった。
「フローリア…様?」
そこにいたのは久しく会っていなかった自分の初めての相手だった。
美しさのなかに気の強さを感じさせる容姿をしていながらも、その実中身は触れれば壊れそうなほど脆くて頼りない────そんなどこか支えてあげたくなるようなトルテッティの麗しの姫君だ。
そしてあの閨を共にした日以来会うことはなかったが、こうして会えたことによって自分の中に熱い何かが込み上げてくるような気がした。
「フローリア様……お久しぶりです」
あの日自分の腕の中で彼女はその胸の内にある感情をぽろぽろと吐露していた。
それはまるで全身で愛されたいと叫んでいるようで、その時の自分には痛々しいほど愛おしく感じられた。
今はあの頃のシュバルツへの想いを吹っ切ることができたのだろうか?
そう思いながらふと彼女の腕の中の存在に気が付いた。
そこには彼女によく似た赤子の姿があって────。
「え?」
自分の視線に気が付いた彼女はすぐさまその存在を隠すように背を向け、場をとりなすようにロックウェルがその前へと出て口を開いた。
「ハインツ王子。彼女は……」
けれどそんな言葉など耳に入るわけがない。
先程見えた赤子の瞳はどこからどう見ても紫ではなかっただろうか?
それは即ち、あの時の────。
そうしてバクバクと心臓を弾ませていると、今度はクレイが前に出て話を引き継いだ。
「ハインツ。勘違いするな。あの子供はレイン家の子だ。お前は何も心配せず婚約者と予定通り結婚すればいい」
けれどその言葉に思わずカッとなってしまう。
「クレイ!誤魔化さないで!その子は…、その子は僕の子供なんでしょう?!」
あのフローリアとの一夜は、忘れたくとも忘れられない甘美な時間だった。
ロックウェルとしか寝ないクレイが彼女と寝ることはないとわかり切っているし、時期的に考えてあの時の子供であっても何ら不思議ではない。
「…………」
「フローリア様、どうして教えてくださらなかったのです?!そんなに私は頼りになりませんか?!自分のしたことに責任のとれない子供だと……そう仰られるのですか?!」
一言伝えてくれればよかった。
そうすればいくらでも迎えに行ったし、自分の妃として迎えることだってできた。
それなのに────。
けれど彼女の口から出た言葉は予想外のものだった。
「ハインツ様、勘違いしないでくださいませ。クレイも言っておりましたが、この子はレイン家の子供。つまりはこのクレイの子ですわ」
「私の……子供ではない…と?」
「そうです。この子はあくまでもレイン家の子供であって、ハインツ様とは関係ございません」
それならば何故、自分の視界から隠そうとしたのか。
何故、ロックウェルが嫉妬を全開にして怒っていないのか。
こんなバレバレの嘘を吐いてでもその子をレイン家へと迎えたいとでもいうのだろうか?
我が子を前にしているというのに一度として抱かせてもらえない。
自分の子だと認めてもらえない。
それが凄く辛くて、悲しかった。
これはルルカスが言い渋るのも無理はなかったかもしれない。
「…………」
ここで自分に言えることは何もないのだろうか?
自分はこのまま決められた相手と結婚し、そのまま気持ちとは裏腹にその相手と寝て子をなさなければならないのだろうか?
(そんなのは嫌だ…!)
アストラス王家の血を引きトルテッティの姫から生まれたにもかかわらず、この子が公の場に出されることなくレイン家に引き取られるしかないというその事実が悔しくて仕方がなかった。
けれどそれをこの場でどう主張しようと、この場の三人はきっと聞き入れてなどくれないだろうことは明白だった。
だから、先に自分の方を何とかしようと思った。
問題となっているのが彼の国の姫のことなら、それを片付けないことにはフローリアを迎えることなどできはしないのだから…。
「今日は一先ず引きますが……必ず迎えに来ますから覚悟しておいてください!」
そうしてすぐさま王宮へと取って返し、兄であるルドルフの元へと足を運んだ。
「兄上!」
「ハインツ?どうかしたのか?」
ルドルフは自分の姿を見てすぐさま何かあったと悟り、仕事の手を止め声を掛けてくれた。
そんな兄に人払いを頼み、先程の事を告げた上で何かいい案はないかと相談を持ち掛けた。
それに対しルドルフは物凄く驚いたようだったが、クレイ達の言い分はよくわかるからこれは慎重に事を進めないと難しいと言われてしまった。
「そうだな。少なくともドルト殿とショーンに話を通しておけば父上への対応は考えてもらえるだろう。それとお前の婚約者であるカルトリアのココ姫にも一度会って、しっかり話をした上で動いた方が話が早く進むかもしれん」
実は婚約したとはいえココ姫とは顔を合わせたことすらなかった。
彼女の年は自分より上の17才。
本来であれば年下がよいとされるところなのだが、跡継ぎをすぐにでも作ってほしいのだというこちら側の要望で候補者が絞られた結果、彼女に白羽の矢が立ったというわけだ。
それに対して先方も大国アストラスに嫁げるなら大歓迎だと二つ返事で引き受けてくれたので、ここで一方的にやはりなかったことにと言い出すのが容易でないことくらい自分にだってわかるつもりだ。
最初に無理を言って推し進めた手前、こちらからの婚約破棄などまずありえない話だろう。
だからクレイもロックウェルもレイン家に引き取ると言ってくれたのだろうし、それは仕方がないことだと思う。
けれど自分はできるならフローリアと結婚したいし、子供だって自分の子として育てたかった。
(今から思えば、あの時もっと状況を調べておけばよかったんだ……)
候補者を絞る時に一応自分の意見も言わせてもらえたので、トルテッティのフローリア姫も入れてもらえないかと伝えたのだが、打診をした時点でトルテッティ側から断られてしまったらしい。
その理由として、以前のロックウェルとクレイに対する事件を起こした張本人を妃にさせるわけにはいかないというのを前面に押し出されたのだ。
だからそれは確かに仕方のないことだと納得してしまった自分がいた。
それだけあの事件は大きなものだったのだから────。
けれどそれを打診した時点で既にフローリアの懐妊が分かっていたのだとしたら、それはただの断り文句の一つでしかなかったと言うことなのだろう。
向こうがこちらに何も言ってこなかったことから、恐らくフローリアは両親にさえ子の親が自分だとは言っていなかったのだと容易に想像がつく。
あの時自分が勇気を出して、責任を取るから結婚させてほしいと先方に手紙を出していればもっとスムーズに事が運んだのではないか────そう考えると悔しくて仕方がなかった。
けれどここで後悔しようと後の祭りだ。
兎に角、今の自分にできることをやるしかないのだから……。
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「何?ちょっと呼んでもらえるかな?」
流石にそれは聞き捨てならない。
正直本当に自分が相手だったなら、まずフローリアはわざわざ自分のところになど逃げてこず、父に真っ先に話していただろう。
それこそ嬉々として。
ロイドとの仲を喜んでいない父を味方につける最大のチャンスをあのフローリアが逃すはずがないではないか。
そうして考えているとすっかり孫フィーバーになった父が飛んできた。
「シュバルツ!フローリアと子作りしたなら私に言ってほしかったぞ?!それなら黒魔道士とは言え愛人の一人や二人大きな心で許してやるのに!」
「父上?何を勘違いしているのかは知りませんが、子作りしたいなら母上とどうぞ。フローリアの相手は私ではありませんので」
「隠さなくてもいいだろう?」
「本当ですよ。子は紫の瞳をしておりましたのでフローリア共々クレイへと預けておきました。トルテッティを滅ぼしたくなければ今後言動には十分お気を付けくださいね?それでは…」
そうして冷たく言い放ちさっさと魔法を解除した。
これでトルテッティ側はおとなしくなることだろう。
それよりも……。
「ロイド。フローリアを連れてきた時のことだけど」
「なんだ?」
そうして隣で何事もなかったかのようにソファで寛ぎ魔道書へと目を走らせる恋人に、胡乱な目を向ける。
確かに今回の件はそう簡単に回避できるような内容ではなかったが、婚約しているにもかかわらず他の女と結婚しろと言ってきたロイドには物申したい気持ちでいっぱいだった。
あれではいつでも自分を諦められると言われたようなものではないか。
けれどそうやって納得できない気持ちをぶつけても、ロイドの態度は淡々としたものだった。
「私は別にお前があの女と結婚しようと追いかける気はない」
「~~~~ッ!」
それは自分には追いかける価値すらないということなのだろうか?
両想いになったとは言ってもやはりどうしても結婚したいというほどの想いは持てないと…そう言うことなのだろうか?
そんな気持ちの重さの違いに物凄く打ちのめされて、思わず目に涙が浮かんでしまう。
けれどそこで思いがけずダートが口を開いた。
【お前は本当に黒魔道士のことをわかっていないな】
「うるさいな」
「ダート、余計なことは言わなくてもいい」
【いいえ。この馬鹿な白魔道士には言わないとわからないのです。そもそも結婚願望のないロイド様が結婚してもいいと口にし、父親には返すつもりはないとばかりにあれほど動かれたのはそこに強い想いがあるからなのに、それすらわかっていないのですよ?これほど我が主を馬鹿にされては物申さずにはいられません】
「…………」
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【ロイド様はここでお前と別れたら一生独身だ。この意味が分かるか?】
けれどそんなことを言われてもどうも自分の感覚ではピンとこなかった。
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そんな自分にロイドは溜息を吐き、ダートに下がる様にと言うにとどめた。
「ダートが言ったことは気にしなくてもいい。別れたくなったらいつでも言ってこい。ではな」
そうしてあっさりと自室へと戻るロイドの背中を遣る瀬無い想いで見送って、自分もまた自室へと戻った上でフローリアの様子を尋ねるべくクレイ達へと連絡を取った。
「シュバルツ」
「そっちはどうだ?」
「ああ。フローリアとルッツは用意した部屋で休んでいる。少し話すか?」
「いや。いい」
まだレイン家での生活は始まったばかりだから色々あるだろうし、できることがあれば何でも言ってきてくれと一応伝えておく。
そしてトルテッティにはこちらから連絡しておいたから心配はしなくてもいいと報告しておいた。
そんな自分にロックウェルが感謝を伝えてくれる。
「こちらとしては助かりましたが、今回は災難でしたね」
本当にそうだと思う。
とんだ横槍だ。
「フローリアのお陰でロイドとの仲が険悪になった」
だから少しくらい愚痴をこぼすくらい許してほしいと思う。
そんな自分にロックウェルは同情的な眼差しを送ってくれたが、クレイは胡乱な眼差しを向けてきた。
「シュバルツ。ちゃんとロイドにフォローを入れたんだろうな?」
「……?」
正直クレイがそんなことを口にする意味が分からなかった。
酷いことを言われたのは自分の方で、ロイドの態度で傷ついたのだって自分の方だ。
謝るなら向こうの方だし、自分は何も悪くないと思う。
「別に何も。大体ロイドは酷いんだ。フローリアと結婚しても今後はセフレでとかなんとか言ってたし…。だから、追うほどには自分の事を想ってくれていないのかと喧嘩になって……」
その言葉にクレイが勢いよく立ち上がってあまりにも驚いた。
「この馬鹿!呑気に話してないですぐに謝って慰めてやれ!」
慰めに?はっきり言って言われている意味が分からない。
隣ではロックウェルも不思議そうにしているし、自分が鈍いわけではないはずなのだが…。
「~~~~ッ、わからないならもういい!今日はもう俺が慰めに行く!ロックウェル、魔力交流だけじゃなくちょっとくらい手と口で慰めてきていいだろう?!」
「「は?!」」
それにはさすがに二人揃って一体何を言われたのかわからなかった。
「それか花街に連れて行くから許可をくれ!」
「クレイ!」
突然そんな話をされても行ってこいなど言えるはずがないのに、クレイはどうもかなり怒っているようだった。
「お前が弱ってるロイドにそんなに冷たい態度を取るなんて思いもしなかった!」
どうもいつもとは様子が違い、そうやってどこまでも引く気はなく冷たい目を向けてくるクレイに、これは冗談ではないのだと思い知らされる。
「ちょっと待てクレイ!そんな事許せるはずがないだろう?!絶対に行かせない!」
ロックウェルはそんなクレイを止めにかかるが、クレイは聞く耳もたないようだった。
「ロイドは俺の恩人だ。そこの頼りない白魔道士に任せられないなら俺が慰めるしかないだろう?」
どんな手を使おうとと低く言い放つクレイにロックウェルが珍しく気圧されてしまう。
それほどの────怒り。
けれど傷ついているのはロイドより自分の方だ。
「……安易に捨てても平気だと言われた私だって傷ついている」
だからそう言った。
そんな自分に『そうだな』とクレイは言ってはくれたが、続く言葉にドキッとなった。
「一流と自負する自分に、打つ手がない、味方も得られない、ただわかり切った結果を受け入れるしかない、そんな悔しさと虚しさを抱えていたロイドが、良かったと安堵したところで想い人である当の本人から罵られてこれ以上ないほど傷ついて打ちひしがれている姿が目に浮かぶようだ」
本気で好きな相手からそんな仕打ちをされたら別れられても文句は言えないぞと言われて、ロイドの先程の様子が思い返された。
全てがどうでもいいような投げやりな態度にあの時は腹立たしい気持ちが込み上げそのまま見送ってしまったが、もしもクレイが言うような心境だったのだとしたら……。
あの時のダートの言葉が不意に蘇り、クレイの言葉とロイドの性格を考えて……。
「わかったならさっさと行ってこい!」
その言葉に背を押されるようにしてすぐさまクレイに頭を下げると、急いでロイドの元へと走ったのだった。
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――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
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俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
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邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
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鍛えられた肉体、高潔な魂――
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山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
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強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない
砂糖犬
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12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生
BL 男達の性事情
蔵屋
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漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
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個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
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