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夏休み
110 麦です
しおりを挟む「それは大変でしたわね」
マチルダ様が労うようにそう言った。
「本当に大変でした」
私も包み隠さず愚痴をこぼす。
なんでもアントレーネ様は、若かりし頃魔術師団に入りたくてその実力もあったのに、女性だからという理由で当時の魔術師団と中央議会に阻まれ入れなかったらしい。
仲の良かったお母様の娘で、しかも自分と同じく魔術師団を目指す私のことが以前から気になっていたそうだ。
同志だ同志だと興奮するアントレーネ様を何とか宥めたら、今度はお着替えよ!とまた興奮されてしまった。
何故か私ピッタリサイズのドレスが大量に用意してあって、着せ替え人形のごとく色んなドレスを着せられた。
結構朝早くから公爵邸に行ったのに、婚約式のために中央教会に着いた時にはすでにお昼を大分回った頃だった。
カルロス様とアントレーネ様、あとはウィルフレッド様の一番上のお兄様ご夫婦という、実にこじんまりした婚約式だったのに、わざわざ神殿長が来て誓いの義を執り行ってくれた。
そう、私を聖女にとか言ってた丸顔のおじさんだ。
結婚しても聖女にはなれますよ、と言ってきたから再度丁重にお断りしておいた。
すでに面倒臭いことに取り囲まれているのに、さらに面倒事に巻き込もうとしないで頂きたい。
ちなみにウィルフレッド様の二番目のお兄様は、スタンピードでレオナルド殿下とウィルフレッド様が抜けた穴を埋める為アストロス辺境伯領に行っていて、まだ帰って来ていないそうだ。
「でも、良かったわ。私はほんの数日しかシェリルとメーデイア様の様子を見ていないけど、それでも二人が思い合っていることは分かりましたもの。
改めて、婚約おめでとう、シェリル」
「っ!…は、はい。ありがとうございます。マチルダ様」
何だか恥ずかしい。
マチルダ様にも、私がウィルフレッド様のことが好きなことバレていたんだ。
「おめでとう、シェリルちゃん」
「おめでとう、シェリル」
後ろにいたアンさんとセイラさんも声をかけてきた。
「ありがとうございます」
セイラさんが私の頭をポンポン叩く。
「収まるところに収まってくれて良かったよ」
セイラさんが感慨深そうにしみじみ言うと、アンさんも深く頷いた。
いや、何でそんなしみじみしてるの?
「それにしても、遅いわねぇ」
私の疑問を他所にアンさんがそう呟くと、みんなの視線が目の前の小さな門に集まる。
今日は夏休み最終日。
まだ朝早い時間だけど、マチルダ様とアンさんとセイラさんと私の四人は、王宮の北側にある小さな門の前にいた。
刑罰が下ったマチルダ様の元家族が護送されることになり、それを見送りに来たのだ。
すでにキャンベル伯爵家は取り潰され、領地・屋敷は国が管理することになり、キャンベル伯爵は爵位剥奪、家名も断絶となった。
本当なら、違法な闇魔法の使用は親類縁者諸共に処刑されることが多いんだけど、今回は、使用した元妹が無自覚で、しかも使った相手が自身の家族や使用人が主だったことから減刑となった。
元キャンベル伯爵とその妻は鉱山で強制労働、元妹は断崖絶壁に立つという北の修道院で社会奉仕という名の幽閉になった。
「そういえば、使用人はどうなったんですか?」
私が気になっていたことを聞くと、アンさんがニッコリ笑って答えてくれた。
「マチルダちゃんの味方だった執事さん達はリーバイ男爵領にいるわ。ほかの人達は魅了の解術をした後のことは分からないけど、家政婦長は魅了がなかなか解けなくて、廃人のようになってしまったと聞いたわ。多分何処かの修道院へ送られたんじゃないかしら」
そうなんだ。
「魅了の術にかかっていたとはいえ、家政婦長のマチルダに対する嫌がらせは何度聞いても腹立たしいんだけど、まぁ被害者っちゃ被害者だから刑罰は免れたらしい。本当はタコ殴りにしてやりたいけどな」
セイラさんが鼻息荒く拳を振り回していたら、門の前に動きがあった。
待機していた小さな馬車が一台、門の近くに移動したのだ。
マチルダ様がパッと門を見つめる。
その顔は真っ白だ。
小さな門が開き、背を丸めどことなく廃れた様子の男性と、同じように背を丸め疲れ切った様子の女性が現れた。
マチルダ様は小さく震えていた。
私は思わず手を伸ばし、マチルダ様の手を握った。
その手をギュッと握り返したマチルダ様は、固い顔で微笑んだ。
「……裁定の時のようね」
そうだった。
マチルダ様とその家族が法的に決別したあの日も、私とマチルダ様は手を繋いでいたんだ。
「マチルダ!」
女性がマチルダ様に気付いて名を呼んだ。
「マチルダ!マチルダ!ごめんなさい!私は貴女に何てことを…ああぁ」
粗末な服を着て、手入れのされていないパサパサな金茶色の髪を振り乱し、その場に崩れ落ちる元伯爵夫人。
マチルダ様は、一瞬ピクリと肩を震わせたものの、何も言わずに元母親を見つめている。
その目に、様々な感情が入り乱れては消えて行く。
まるで固まってしまったかのように動かないマチルダ様の、繋いだ手が震えていた。
見張りの騎士が、泣き崩れる伯爵夫人を立たせて馬車に乗せる。
ごめんなさい、ごめんなさいと泣きながら叫ぶ声が馬車の中に消えて行った。
残された元伯爵は、マチルダ様を見ていた。
マチルダ様と同じ栗色の髪、三角の耳、鳶色の瞳。
その瞳にキラリと光ったのは、涙だろうか。
元伯爵夫人を馬車に乗せた騎士が、元伯爵を促す。
元伯爵は小さく頷くと、もう一度マチルダ様を見た。
裁定の時の、憎々しげな目ではない。
慈しむような、愛おしむような穏やかな目だった。
マチルダ様の視線の先にも、父親である元伯爵。
二人はただひたすらにお互いを見ている。
マチルダ様の姿を焼き付けるかのように見ていた元伯爵の口が微かに動いた。
『愛してる』
と、聞こえたような気がした。
再度騎士に促され、元伯爵はゆっくりと妻が泣き叫ぶ声が響く馬車に乗り込んだ。
外側から鍵がかけられると、すぐに馬車は走り出した。
ガタゴトと揺れる馬車は、王都から北東にある鉱山に向かう。
極刑は免れたものの罪を犯した者が送られる北東の鉱山は、所謂終身刑に当たる。
大陸全体で禁止している闇魔法の違法使用は、貴族平民関わらず厳しい厳罰が下される大罪だ。
元伯爵は姉に似たマチルダ様に複雑な感情を抱いていたのは事実だけど、自分に良く似たマチルダ様を愛しく思っていたと、解術をした魔術師に話していたそうだ。
元伯爵夫人も初めての我が子であるマチルダ様を愛していたと、そう話していたらしい。
私はチラリと隣りのマチルダ様を見た。
マチルダ様はかつて愛情を求めてやまなかった父親と母親が乗る馬車を、ひと言も、何も言わずにただただ見送っていた。
憤るでもなく、悲嘆にくれるでもなく、あっけないくらいの再会と別れ。
「マチルダ様……」
堪らず声をかけると、ポロリ、とマチルダ様の鳶色の瞳から涙が溢れた。
王都に戻る馬車の中で、両親がまた自分を愛してくれても、幸せを感じることは出来ないと思うと言っていたマチルダ様。
一度壊れてしまった関係をもとに戻すのは難しい。
それがたとえ家族であっても。
私はそっとハンカチを渡した。
と、そのハンカチを見たマチルダ様が目を剥いた。
しまった。
今日はリドベル夫人の淑女教育で無理矢理やらされた刺繍のハンカチだった。
「……麦です」
これは何?と聞かれる前に言っておこう。
「…あ、そうですのね。今度は何の魔物かと思いましたわ」
裁定の時のはヒュドラでしたね。
あの時もそんな風に目を剥いて私の刺繍をガン見していましたね。
「ぷっ…クククッ」
後ろから笑う声がする。
振り向くとアンさんとセイラさんが肩を震わせていた。
「シェリルの三つ首ヒュドラの刺繍、見せて貰ったよ」
「凄いわねシェリルちゃん。どうしたらこんなことになるの?」
どうしたらと言われても、真面目に頑張った結果です。
「フッ、フフフ」
マチルダ様が耐えきれなかったように笑い始めた。
「本当に…シェリルの刺繍にはいつも助けられますわね」
「刺繍に?私じゃなくて?」
むくれてマチルダ様を見ると、涙を流しながら微笑むマチルダ様がいた。
「ありがとう、シェリル」
そう言って私のハンカチで涙を拭くマチルダ様は、吹っ切れたような表情を浮かべていた。
「あっ、馬車が」
セイラさんの声にみんなが振り向く。
もう一台待機していた馬車が動き、門から金茶の髪から三角の耳を覗かせた少女が出て来た。
「レイチェル…」
マチルダ様の口から元妹の名前がこぼれた。
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