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夏休み
79 巨人
しおりを挟む「シェリルお姉様!それは違いますわ!」
ぼんやりと呟いた私の肩を、オリビア様の両手がグッと掴む。
意外と力強い。
「でも…」
「シェリル!」
今度は両頬を挟まれてグキッと顔を横に向かされた。
向いた先にはアマーリエ様の紅い瞳。
「駄目よ!貴女はわたくしの、この世界の女性達の希望の光になるのよ!お願い、どうかその夢を諦めるなんて言わないで!」
「く、首が痛い…」
「はっ!ごめんなさい」
アマーリエ様とオリビア様が手を離す。
肩を抑えられたまま首を回されるのキツかった。
「シェリルお姉様」
オリビア様が真剣な表情を浮かべて言った。
「確かに今の我が国の状況では、王族であるアマーリエ様や貴族家の令嬢達が自分で自分の人生を選ぶことは難しいと思いますわ。ですが、シェリルお姉様がこれからなさろうとしていることが、ひとりよがりの無責任な夢物語だとは思えませんの」
オリビア様の話しにアマーリエ様が頷く。
「シェリルお姉様がなさろうとしていることは、今すぐに女性達の状況を変えられるものではありませんわ。でも、いずれ大きな流れを生む為の、最初の一滴になると思うのです」
「最初の一滴……」
混乱した頭にオリビア様の言葉が入ってくる。
そうだ。
女性初の魔術師団員になることで、女性が働くことを良しとしないこの世界の常識に風穴を開けたいと思っていたんだ。
「最初から全て思った通りになんてなりませんわ。義務と責任、人としての権利のどちらが重いのかはわたくしには分かりませんが、今はとにかく各々が出来ることに最善を尽くすのが大切なのではないでしょうか?」
私は驚いてオリビア様を見た。
オリビア様はまだ十三歳なのに、前世も含めればアラフォーになる私よりずっとしっかりした考えを持っている。
「ふふっ。父の受け売りなんですの。でも迷った時には、とにかく自分に出来ることから始めるしかありませんわ」
「オリビアの言う通りよ。これから先の未来を生きる女性達のためにも、やる前から諦めないで」
アマーリエ様は必死の形相だ。
勢いに押されて思わず頷いてしまった。
「シェリル、入るわよ」
居間に漂う不穏な空気をものともせず、お母様が声をかけて入って来た。
「アマーリエ殿下、ディアナ殿下、オリビア様、ようこそマクウェン領へ」
そして三人に向かってニッコリ微笑む。
「お三人が我が家に逗留するという知らせを持った使者が先程到着しましたわ。なんでも間違えてマークベル伯爵領に行ってしまっていたそうよ。すでに王女様方がお着きになっていると知って真っ青になっていましたわ」
お母様がコロコロ笑う。
「新人さんなんですって。スタンピードのせいで人手が足りなくて急遽使者を任命されたそうなの。だから余り怒らないであげてくださいな」
突然現れたお母様の楽しげな様子に、アマーリエ様達が固まっている。
お母様は固まっているアマーリエ様に近付くと、その顔をまじまじと見つめた。
「え…?」
「まあ、本当にアントレーネ様にそっくりね」
そしてくるりと身を翻すと、王族であるアマーリエ様に退室の許可も得ず居間を出て行った。
「え?あの…」
「…す、すみません、アマーリエ様。母は…少し…自由な人で…」
「あ、ああ。そうなのね。シェリルの物怖じしない性格の原点を見た気がするわ」
「どういう意味ですか?」
「瞳の色以外はシェリル様にそっくりでしたわね。…背の高さも」
「ディアナ様もどういう意味ですか?」
背の高さならディアナ王女だって私と変わらないくせに。
「シェリルお姉様…」
オリビア様が何かを促すような目で私を見ていた。
そしてチラリとアマーリエ様に目をやる。
…オリビア様は本当に聡い人だと思う。
「うっ…ええっと…」
「シェリル?」
挙動不審になった私に気付いたアマーリエ様が私を見る。
「…っ、アマーリエ様、申し訳ありませんでした。連絡もなく来たのかと思って言い過ぎてしまいました。それに、王族としての義務と責任については私の考えが浅かったと思います」
「いいのよシェリル。スタンピード発生で混乱している中、周囲に迷惑がかかることを分かっていながら、マクウェン領に行き先を変更したのはわたくしの我儘ですもの。シェリルに叱られて当然ですわ」
アマーリエ様が穏やかに微笑んで私の謝罪を受け入れてくれた。
仲直り直後のどことなく照れ臭い空気の中、四人で目を合わせて笑っていたら、お義姉様がお茶を持って来てくれた。
まだ少し頭は混乱してるけど、今は難しいことを考える前に出来ることからやって行くしかないだろう。
「シェリル、ちょっと気になることがあるのだけど」
お茶を飲んでいたらアマーリエ様が首を傾げながら聞いてきた。
「何ですか?アマーリエ様」
「さっき林檎畑から下りて来た時、シェリルの隣りにいたのはお父様のマクウェン男爵ではないの?」
「そうですよ」
「わたくしの顔を見るなり回れ右して走って行かれてしまいましたけど…わたくし、何か…」
あ、そうだった。
忘れてた。
「ハンナ」
私は廊下に出ると、ちょうど通りかかった家政婦長に声をかけた。
「お母様に、お父様がアマーリエ様をアントレーネ様と見間違えて、走って逃げましたって伝えてきてくれる?多分林檎畑のどこかに隠れてると思うって」
話しを聞いて慌てて去って行く家政婦長を見送っていたら、アマーリエ様が困惑顔になっていた。
「回れ右する前に、アントレーネ様って呟いていたから見間違えたんだと思います。アマーリエ様は気にしなくていいですよ」
逃げて逃げて逃げまくれって言ってはいたけど、本当に走って逃げるとは思わなかった。
「そ、そう。それは…良かった…のかしら?」
「ところで、正式に我が家に滞在することは分かりましたけど、いつまでいるんですか?」
夏休み期間全部って言われたら暴れてやろう。
「今回のマクウェン男爵領滞在はスタンピードからの避難ですから、スタンピードが終わって落ち着いたら王都に戻るよう指示が来ると思いますわ」
まだ困惑中のアマーリエ様に代わってディアナ王女が答えてくれた。
「じゃあ、そんなに長くはならないですね」
スタンピードは私が王都を出発した日に発生した。
あれから約半月。
中規模とはいえ事前に察知し準備することが出来たおかげで、戦況は有利だと聞いている。
あと一ヶ月くらいで終わるのではないかと言われているのだ。
「まあ、シェリルお姉様。わたくし達と一緒に夏休みを過ごすのがお嫌なんですの?」
オリビア様が悲しげに言う。
「少しならいいですけど、ずっとは嫌です」
「正直すぎるわ、シェリル」
アマーリエ様が呆れたように言った。
私は優雅にお茶を飲む三人の高貴な女性達を見た。
アマーリエ様は良くも悪くも知っている。
オリビア様も実際会ったのは二回しかないけど、手紙のやり取りはよくしていた。
でも、レオナルド殿下の婚約者であるディアナ王女のことはあまり知らないのだ。
学園への行き帰りでレオナルド殿下の馬車に乗せられると、レオナルド殿下によって羞恥プレイを受けている真っ赤な顔のディアナ王女を見ることになるけど、普通にお話しする機会はあまり無かった。
「ディアナ様はマクウェン領に来て良かったんですか?南の離宮と違って、行き届いたお世話も、観光名所も、お買い物出来る場所もありませんけど」
アマーリエ様は言わずもがな、オリビア様もたまに強引なところがあるから、無理矢理連れて来られてしまったんじゃないだろうか。
「構いませんわ。わたくし、以前から貴女に興味がありましたの」
「へ?興味?」
ディアナ王女がずずいっと前に乗り出してきた。
「貴女と貴女のお母様、もしかして我がバレンシア王国の血を引いていませんか?」
「ええ?!」
「この巨人だらけの大陸にあってその背の低さは、我がバレンシアの血を引く証ではありませんか?」
「えええー?!」
確かにディアナ王女のバレンシア王国は、魔の森の魔素と魔王から逃れた妖精族が祖先の島国で、ほかの種族の血があまり入らなかったせいでメネティスがある大陸の人達より背が小さい。
でもだからって私も私のお母様も、バレンシア王国の血が入ってるなんて聞いたことはない。
「きょ…巨人…」
アマーリエ様が違うところでショックを受けている。
「ディアナ様、マクウェン男爵家はメーデイアと同じ血筋ですから始祖は魔族と妖精族になりますけど、バレンシア王国の血は入っていないと思いますわ」
オリビア様が助け舟を出してくれた。
メネティス王国は魔族の国だ。
魔族とは千年前に討伐された魔王が各種族の女性達を攫ってきて身篭らせた、魔王の子供達とその子孫のことをいう。
我がマクウェン男爵家はウィルフレッド様のメーデイア公爵家と同じく始祖は妖精族になる。
でも背が低いのはお母様からの遺伝だと思う。
そちらの始祖はエルフ族だ。
いや、もう色んな血が混ざっているから一概に何族の血筋ですとは言えないけど、少なくともバレンシア王国の血は入っていない。
「どちらにしても、シェリル様!」
ディアナ王女がお茶が置かれたテーブルに身を乗り出して、大きな青い瞳で私を見た。
「わたくしが作った“巨人に立ち向かうクラブ”に入りませんか?」
「え?ええぇえ~っと…」
ナニソレ?
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