【完】天使な淫魔は勇者に愛を教わる。

輝石玲

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歪な物語の始まり

16.敵対

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 ーーーーーミカーーーーー

 弱々しく名前を呼ぶイオリ。何故、ここにいるのだろうか。というか、ここは一体どこだろうか。オレは知らない。こんな赤に染まった地を、オレは知らない。こんな、血の匂いが漂う場所は………。

「イオリ?それにラドンさんまで。二人揃ってなんでこんなとこに………」
「貴様ッ!」

 ラドンはオレに拳銃を向けた。オレに拳銃を向けるラドンの目に何故か怒りが見える。その理由を予測する暇もなく、ラドンは躊躇なくオレを撃った。その弾は胸の真ん中を的確に貫き、血が溢れ出した。

「な、んで…?」
「くそっ、止められなかった…!」
「イオリさん!邪魔をしないで頂きたいっ!」

 そっと撃たれた場所に触れてみると、ようやく自分の姿が変わっている事に気が付いた。黒く染まった爪は長く伸び、右手の甲には魔王との契約印が浮かんでいる。直ぐに撃たれた場所を治したが、現状把握が出来ないでいた。
 なぜ、こんなことになっている?何があった?オレは、何をしていたんだっけ…?落ち着かないまま記憶の時間を遡る。そこでようやくオレは理解した。

「オレ、人間を殺したんだ…。そうだ、オレ、人間を喰って………!」

 体が震える。呼吸が乱れる。オレは、無意識に人間を喰ってしまったんだ。空腹に耐えられずに。ラドンがオレを撃ったのは、オレが人間を喰う為に悪魔の姿になっていたから。そして恐らく殺すところを、喰うところを見られたから。

「貴様……ずっと騙していたのか!人間のフリをして、人間を殺す為に!!」
「待ってくださいラドンさん!」

「イオリ、もういいよ。」

 オレを殺そうと必死になるラドンを必死に牽制するイオリ。だけど、その必要はもう無い。だって、もう、遅いから。

「条件を果たせなかった以上、オレはもう人間の国ここにはいられない。だからさよならだ。」
「ふざけんな!そんなこと、認められるか!」
「………イオリ、最初から分かってたことだ。条件を果たせたとしてもオレはどこにも行けないって。少しでも未来を夢見れて嬉しかった。だから、お前まで壊す前にオレは消える。」

 全部、元に戻るだけ。別に、たったの二ヶ月しかいなかったんだ。今まで生きてきた時間に比べれば僅かな時間。
 なのに…なんで、こんなにも離れがたいのだろう。それでも行かないと。戻らないと。自業自得なのだから。

「絶対に認めないからな、ミカ。お前が人間の国にいられないのなら、俺が悪魔の国へ行く。」
「なっ、聞いてたか!?イオリを壊したく無いから離れるって言うのに……」
「馬鹿はどっちだ!」

 イオリは真っ直ぐオレの目の前に来ると、ケープをふわりとかけてオレを抱き寄せた。イオリに抱きしめられるのなんて何度もあったのに、何度経験しても暖かくて、縋りたくなってしまう。
 それでも今は耐えないと。離れないと。頭で考えても体は言うことを聞いてくれない。

「どうしても俺から離れると言うのなら、俺を殺せ。お前がいなくなるくらいならいっそ、お前に殺された方がずっといい。」
「そんな…それじゃなんの意味も無い。」
「それだけ、ミカのことが大切で大切で仕方ないんだ。分かったか。」
「分かん、ない。分かるわけねぇだろそんな事!」

 結局、感情を抑えきれなくなった。
 いつか来るであろう別れの時くらい、未練がましくならない様にアッサリ切ろうって思っていたのに。まるで心に同調したかのように大振りの雨がオレを貫き、返り血と黒霧こくむを洗い流していく。

「なんで!?なんでこんなオレみたいな化け物にそこまで言うんだよ!オレは千年も人間を殺してきたし、殺しても死なない化け物なんだよ!?なんで、悪魔にすら化け物扱いされたオレを人間のお前が受け入れられるんだよぉ!!」

 オレは嗚咽混じりに叫ぶことしか出来なかった。何を言っても突き放すことは出来なかった。
 慣れない力の暴走と精神的に疲れたのか、段々と意識が遠のいて行った。イオリの胸の中で。




 ーーーーーイオリーーーーー


「なんで」と叫び続けるミカは、暫くして眠った。血と雨の水溜りに落ちないよう横抱きで抱えたが、大きな黒い羽のせいで少し支え辛い。

 ……少し、満たされた感覚があった。今までろくに教えてくれなかった彼自身のことを少しでも知れた。それに、眠りに落ちるその時まで、抵抗はしても本気で振り解こうとはしなかった。
 今の黒い姿が本当の姿なのだろうか。
 いつの間にか日は完全に沈み、星一つない寂しい夜になっていた。深い森に街灯なんて物もなく、夜のとばりが今にも真っ黒な彼を呑み込んでしまいそうだ。


「……イオリさん、知ってたんですか?そいつが悪魔だと。」
「知るも何も、ミカとは悪魔の国で会いましたから。」


 いつもなら言葉をすぐに返してくれるラドンさんが、沈黙を語った。正義感に溢れ、悪魔を絶対的な討伐対象であり仇だと思っているラドンさんなら、俺ごと切り捨てても不思議は無い。


「ラドンさんは…このことをどうするつもりですか。上に報告でもしますか?それとも、今ここで二人とも殺し……」
「え、何を言っているんですかい?やだなぁ、イオリさんは被害者じゃないですか。安心してください。洗脳はちゃんと解きますからね。」


 洗、脳……?

 違う、この現状も感情も全て俺自身の意思だ。洗脳なんてされてない。この人は一体なんの根拠があって、俺が洗脳されてると確信したんだ?


「俺は洗脳なんてされてません!」
「なら魅了ですかね?……イオリさんのような人が、我らが勇者様が自ら望んで悪魔と共にいるとは思いたくないんですが。」


 ならば、勇者という身分を捨ててやろうか。
 そんな考えが浮かんでしまったが、すんでのところで言葉にするのを辞めた。俺は勇者という立場を使って終戦を計るという、ミカと交わした大切な約束がある。こんなところで終わらせるわけには行かない。
 それにしても、悪魔を前にしたラドンさんに恐怖を感じる。冷静な様でいて、俺以上の熱を感じる。絶対に悪魔を赦さないという強い意思を。それと同時に、勇者に対する期待値も誰よりも高い。


「もし、本当に自分の意思だというのなら……ここで殺します。」
「何を言われても変わりません、俺は……」

 バンッ!

 言い切る前に聞こえた爆発音に似た音。
 ラドンさんの持っている拳銃の銃口は、こちらを向いている。そして、その銃口から発した弾丸は、抱えていたミカの右肩を貫いていた。
 その衝撃でミカは目を覚ましたが、ラドンさんを見るなり飛び起き直ぐに戦闘態勢に入った。右肩から血を流したまま。


「ラドン……お前は敵?お前はイオリや悪魔を殺す?」
「………殺す、と言ったらどうするつもりだ。」
「止める。絶対に、殺させはしない!」


 高速でラドンさんの近くまで移動したミカは、蹴り上げて拳銃を弾き飛ばした。そして懐に一発殴り込むと、ラドンさんは数メートル後ろまで飛ばされ、木に強く背中を打ちつけて止まった。
 ミカは完全に俺の出した条件を破っている。俺はいいとしても、ミカ自身がずっと守り続けていたそれを、すでに諦めているかの様に。


「ぐっ…!貴様……、本性を出したな。」
「守りたいものを守って何が悪い。俺はただ、二度と失いたく無いだけ……っ!?」


 途端に、ミカの右腕が痙攣し始めた。右肩に撃ち込まれた弾丸に何か付いていたのだろうか。ミカは迷い無く傷を抉って弾丸を取り除いた。
 痛く無いはずないのに、なぜそこまで当たり前のように出来るのだろうか。答えの予想なんてあまりにも簡単に出来てしまう。けど、認めたく無い自分がいる。
 ……きっと、彼にとっては文字通り当たり前のこと、なのかもしれない。そんな、痛みに対して当たり前と感じているかも知れない大切な人の力になることすら、今の俺では出来ないんだ。


「まさか、こんなにあっさり弾丸を取るとはな。」
「……何故、そこまで悪魔を嫌悪する?」
「大切な人を殺されたからだ!絶対に許さない……!」


 その瞬間、ほんの一瞬だが表情が曇った。それもそうだろう。ラドンさんは自分が殺したかもしれない人の関係者なのだから。
 ラドンは攻撃体制をとったにも関わらず、ミカの動きが完全に止まっている。まさか、攻撃を受ける気じゃないだろうか。
 なんて焦りは空振った。それは、ラドンさんが武器を下げたから。


「……?撃たないのか?」
「じゃあ聞くが、なんで何もしない?お前なら今のうちに俺を殺すくらい訳ない筈だ。」
「だって、ラドンにとってオレは仇じゃないか。抵抗する資格なんて無い。」


 …………

 複雑過ぎる。ラドンさんの気持ちも理解できる。大切な人を、それも奥さんを殺されているから、敵意や殺意を抱くのも無理は無い。
 でも、ミカは番人として、悪魔を守る為に殺さないといけなかった。どちらが間違いでも、どちらが正しいわけでも無い。


「………二人とも、宿に戻ろう。雨も強いしもう真っ暗だ。」
「イオリ…?なんでそんな泣きそうな……。」
「っ…。確かに、こんな時じゃ俺もろくに動けないしな。」


 戦意喪失している二人は簡単に頷いた。ラドンさんは武器をしまい、ミカは元の白い姿になった。そして重い空気のまま、宿へと戻った。
 帰り道、古家を通ると灯りのついたランプが窓際に置かれていた。中では二人の男が荷物整理をしているだけに見えた。が、その時に見えた細身の双剣に見覚えがあった。
 そしてそれを指摘したのはラドンさんだ。


「あれ、あの剣ってミカのじゃ……。」
「あ、確かに。道理で見覚えがあると思った。でもなんで?」
「………」


 当人はなぜか何も言わない。何も言わずに古家から目を逸らしていた。
 そう言えばミカのケープもこの辺りに落ちてたような…。そう思いながらケープに目をやると、ミカは胸元にある留め具辺りを強く握りしめていた。
 追い剥ぎにでもあったのだろうか。でもそれくらいなら簡単にどうにか出来るだろう。だとしたら……。駄目だ、良くないことばかり考えている。



 宿に着き、一旦はそれぞれが部屋に戻った。
 また明日、夜が明けたらちゃんと話す予定だ。だから夜のうちにちゃんとミカと話さないといけない。
 戻ってから濡れた服を乾かし、入浴を済ませる。その時間が過ぎても彼はまだ塞ぎ込んでいる。どうすればいいか手探りで行くしか無いけれど、それでもしっかりと話すことで何か変わるかもしれない。


「……ミカ。」
「何?イオリ。」


 優しい笑顔で反応をくれたミカ。笑顔の中で、虚ろな瞳がどうしても際立ってしまう。少しでもミカの心が分かるように眼鏡を外し、ソファーに向かい合って座った。


「俺はこれからも一緒に居たいけど、ミカはどう思ってる?」
「オレは……、ここに居てもいいのかな。結局オレのせいで色んな人に迷惑をかけてる。人間を殺しもしたし、過去に殺した人間と親しい人にも会って、結局オレみたいな化け物が外にいちゃ行けなかったんだなって。でも……イオリから、離れたく無い…なんて、思ってる。」


 震えた声で怯えながらも、ちゃんと答えてくれた。それが嬉しくて嬉しくて、つい、口元が緩んでしまった。
 ミカはずっと震えている。今にも泣き出しそうな目をしていても、しっかりと自分の心と向き合っているようだ。いつだって自分の望みや欲望を後回しにしていた彼が、ようやく素直になってくれた。『誰かの為に』から『自分の為に』を考えている。
 俺だって、ミカに尽くしたいのに、それ以上に彼が動いてしまうから結局なにも出来ていない。俺はそれが嫌だ。


「そう思ってくれて嬉しい。それで、ミカはこれからどうしたい?一緒にいること前提で、悪魔の国に行くかここに居るか。」
「イオリを悪魔の国に連れて行くわけにはいかない。だから……イオリと、まだ、ここに居たい……。」
「ならそれでいいだろ?何も難しく考える必要は無い。本当に必要なのは、自分がどうしたいか、なんだからさ。」


 ミカはゆっくりと頷いた。
 こんな異様なまでに優しい彼が、なぜ『化け物』と言われているのかは分からない。きっと、教えてはくれないだろうし、俺も聞く気は無い。きっと俺に言えないことの一つだろうから。
 それでも少しずつ素直になってくれている事実に、俺は少しずつ満たされていくような気がした。





 ーーーーーラドンーーーーー











 イオリさんとミカと別れ、すぐ隣にある自分の部屋に戻ってきた。本来なら直ぐにでも上に……陛下に報告しなければいけない案件だが、どうやら俺は躊躇っている。

 何故だ?

 何故、正しい筈の行動を俺は躊躇っている?
 ミカが時折見せる目は、あまりにも年不相応であることは気付いていた。どれほど過酷な環境で育てばそうなってしまうのかと。
 しかし実際は千年以上生きていると分かり、納得した。筈だった。
 初めて向けられたあいつからの敵意は、『怒り』によく似ていた。それも俺によく似た、俺以上の。
 そしてふと思った。俺があいつに言われた言葉。俺は『止める』とは言われたが『殺す』とは言われていない。殺意も無かった。
 ………本当に、ただ守る為に俺と戦ったのか?


「………ダメだ、気をしっかり持て。あいつは悪魔なんだぞ?その話が本当かどうかも分からなければ、俺だって洗脳されてるかも知れない。」


 正気を保つべきだ。なんて考えていても、俺はまだ報告をせずに過ごしている。
 あいつの今まで全てが演技だったら……なんて考えると、裏切られた様で怒りよりも悲しみが込み上げてくる。昨日はもう一人息子が出来たようで和んでいた相手だ。知らないままなら、きっと今も同じように思っていただろう。
 でもあいつは確かに悪魔で、目の前で人間を食っていた。

 そんな葛藤は、夜が明けるまで続いた。





 ーーーーーミカーーーーー




 月が雲に隠れた真っ暗な夜。
 イオリは先に寝て、オレはずっと眠れずにいた。あの時、久しぶりに人間を喰らった時、俺は三人も裏切った。イオリが出した条件を、魔王に下された命も、そして…唯一の友人の最後の願いさえも。


『人間に害をなさなければ信用しよう。』

『この国に入った人間のみ処理しろ。』

『人間も、悪魔も、守って……。』


「………オレはどうすればよかったのかな。なぁ、ディーク……。」


 今は亡き友人の名を呼んだ。反応がある筈ないと、分かっていながら。
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