【完】天使な淫魔は勇者に愛を教わる。

輝石玲

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歪な物語の始まり

10.伊織(後)

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 初めて音の無い映像に息を吹き込んでから月日は流れた。演じる事を知ってからは余計に物語にのめり込む日々。俺は高校生になっても本の虫だった。



「あ、また休み時間に分厚い本読んでんじゃん。やっぱ『真面目クン』は私たちとする事が違うね。」
「まぁまぁ、ほっといて俺らはゲームでもしようぜ!」


 あからさまに見下し嘲笑する脳内お花畑な団体は、集まって大声で笑いながらゲームをしている。
 嫌でも入ってくる話声やゲーム音は、俺が携わったものだとすぐに理解した。みんなの言う『真面目』がゲーム開発を手伝っていると知ったら……なんだかややこしくなりそうだ。



 あれから俺は他のゲーム開発も手伝った。
 声優達の指導はもちろん父さんの書いたシナリオの修正や脚色、ゲームのテストプレイなんかもするようになった。それらは小学生になってから本格的にするようになり、俺がやりたいからと周りが頼むからという理由でずっと続けていた。
 スタッフロールには俺が手伝ったものは父の名前が使われている。

 そして、あれから俺は変わった。まず変わったのは一人称。小学生に上がる時に羞恥から矯正した。とは言え低学年の内は何回も戻ってしまったが。今では一人称で『伊織』と言うことは無い。
 そして、一人称の矯正とほぼ同時期に眼鏡をかけ始めた。ゲーム開発に携わっていく上でどうしても視力は落ちてしまう。

 と言うわけでは無い。

 俺の共感能力はあまりにも高く、自分と他人の感情に線引きが上手く出来ないでいた。人の多い所ではあまりの情報量の多さに目を回してしまう。そんな時に父が伊達メガネをくれた。


「いいか、そのレンズの向こうは映像だ。VRだ。そう思って何とか自分と切り離すんだ。」
「分かった。」
「邪魔だろうが耐えてくれ。才能もあり過ぎてはマイナス…だな。」


 この時、一枚の薄いスクリーンの向こうにいた父はどこか苦しそうだった。俺だけじゃ無い。父も俺ほどでは無いにしろ共感能力は高い。いわゆる何でも『他人事と思えない』人だ。心配していると言うのがひしひしと伝わってくる。


「大丈夫だよ、父さん。伊織ならコントロール出来るから。」
「あ、『伊織』。」
「っ!また間違えた……。」


 そんなこんなでずっと伊達眼鏡をかけている。視力検査の時は結構面倒だが、まあ仕方がないだろう。これは当時の俺にとって『おまじない』の類だった。




 眼鏡に長い前髪。たしかに周りから見れば『真面目』…というより『陰キャ』だろう。それでいじられたりはするが、そんな物に構っていたら時間の無駄だ。それなら分厚い辞書を読んでいた方がいい。そう思いながら青春とやらを過ごしていた。このまま学校では本と向き合い、平穏に過ごすと………。


「それでは、職場見学は〇〇会社に行きます。」


 本当に何故だろうか。何故、職場見学がよりによって父や俺がいるゲーム会社なのだろうか。
 担任の告げた言葉に、周りはざわついた。この会社は最近話題になっている。ここで起用された新人声優は大物になるだとか、物語やキャラデザがいいとか、どれも没頭出来るとか。
 そして、この業界で父はそこそこ有名だ。俺が父の名を使っている上に、声優の起用やグラフィック・デザイン監修も父が携わっている。いわば監督だ。普通であればこんなに仕事を掛け持ちすることは無い。が、ただでさえ普通の何倍も掛け持っている人物2人分の量スタッフロールに流れるとなれば相当だ。
 この会社のゲームでは一度に何回も『橘 咲良たちばな さくら』の名前が出てくる。

 俺の平穏を返してくれと脳内で思いながら何でもないフリをした。いっその事その日だけ休んでしまおうかと思ったが、病欠やどうしても以外で休まない事を約束して仕事をしている以上それは無理だ。
 なら大人しくしていればいいと思うかもしれないが、なんだかんだ職場に行けば動きたくなってしまう。じっとしていられないだろう。




 そんな不安が募ったまま職場見学当日になってしまった。
 頭痛と胃痛を薬で抑えて(抑えられてはいない)会社に向かった。なるべく父と関わらず、首を突っ込んだりせず、大人しく見るだけにしよう。そう、思っていたが……。


「初めまして、代表で紹介する橘 咲良と申します。スタッフロールなんかで見たことのある名前かも知れませんね。」


 何故代表が父親なんだ。本当におかしい。が、有名な実力者となれば代表となり得るだろう。なんとも面倒臭い。父の後をついて行き、見慣れた場所や光景を巡った。こんなに複雑な心境は他に無いだろう。
 昼時になり、各自持参した弁当を会議室を借りて食べた。俺は胃痛が酷く、カプセル状の胃薬を流して終わらせたが。


「あれ、真面目クン弁当食べないの?」
「………」
「そう言えば、橘さんって真面目クンと同じ苗字だよねー。もしかしてお兄さんとか?」
「いやねぇだろ!真面目クンの兄弟がゲーム開発とかw」
「だよねw」


 確かに若く見えるが…兄?という疑問はあれど、取り敢えずは騒がしくて腹が立つ。ここまで来ると鬱陶しいまである。いっそ俺が関係者だとバレてもいいからここから離席したいとだけ脳死で考えていた。
 そんな時に聞こえたノックの音。


「あの…休憩中にすいません。伊織さんいますか?」
「はい、どうしましたか?長嶋さん。」


 なんともいいタイミングで来た。訪ねてきたのは声優の長嶋 有紗ながしま ありささん。新作ゲームの『リリス』というお姉様キャラの声を担当する人だ。彼女は人一倍努力家で、何度も俺に助力を求めている。今も昼時で出勤前だが台本や映像のチェックに来ている。
 俺が呼ばれた事で周りはざわついたがお構い無しに会議室を出た。表には出せないが、心の中で長嶋さんに感謝した。
 ちなみに俺が下の名前で呼ばれたのは、『橘さん』が父を指すからだ。


 長嶋さんに指導していると、昼休憩はいつの間にか終わっていた。みんなが会議室から移動を始め、並び始めた。


「それでは時間なので。」
「はい…。あ、あのっ!」


 列に並ぼうと向かってすぐに呼び止められた。生徒達から視線を感じる。それもそうだろう。3Dゲームから飛び出したかのように顔立ちとスタイルのいい女性と不釣り合いな陰キャが共にいれば。
 ここまで注目を浴びるのは全く苦手だ。しかし長嶋さんはそれにトドメを刺した。


「お仕事が終わったら一緒にお食事でも……」
「いえ、結構です。」


 結局は面倒事だ。美女に食事を誘われた挙句に食い気味に断ったのだ。周りからの視線は余計に痛くなった。
「陰キャのくせに」「大して顔がいいわけでも無いのに」「何でアイツが」ヒソヒソと聞こえるマイナスな言葉。そしてそれに気付かない長嶋さん。


「え、そんな、何かお礼をさせて下さい!」
「いえ、仕事ですから。ちゃんと給金出てますし。」
「でも……」


 全く話を聞こうとしない。
 正直この人から俺に向けられたあからさまな好意には気付いている。だからこそ、もっと距離を置くべきだ。声優だって芸能人。スキャンダルに巻き込まないで欲しい。だからあえて強めに言うべきだろう。


「そのお礼の食事代は喉のケアに使ってください。練習のし過ぎで喉潰れますよ。それと、プライベートの時間を貴女の為に割くくらいなら仕事します。人一倍努力する姿勢はいいですが、その協力は俺の仕事に過ぎないので。」


 彼女は努力もするし実力も確か、上へ上へと目指すべきだ。俺に固執していい人では無い。
 職場見学の時間がずれても良くない。俺はすぐに列に並んだ。周りからの視線も声も痛いが。俺は間違えたことはしていない。していないが……


「お前さ、何様のつもり?あの人可哀想だろ。」
「そうよそうよ。あとで謝って来なさいよ。」

「……ちっ、部外者が。」

 誰にも聞こえない声で愚痴を吐いた。可哀想だなんだと同情する前に、その考えの甘さと人間性をどうにかして欲しいと思った。切実に。
 俺も考え無しに動きはしない…だろう。少なくともさっきは脳をフル回転させた。逆に食事の誘いを受け入れていたらもっと大変な事になる。それは俺も向こうも。俺はまだ学生だ、未成年だ。いつか大物になるなら変な過去を作ってはいけない。そもそも俺が長嶋さんに気が無いと言うのもあるが。


 時間は経ち、職場見学も終盤になった。面倒事は出来てしまったがもうここまでくれば今更だろう。これ以上何も無ければ問題は多分無い。と、あやふやで不安定な考えをしていた。そんな時にとある生徒が父にとあるお願いをした。


「橘さーん!アフレコしてる所見てみたいです!」


 俺に『真面目クン』と言うあだ名をつけ、いつも最前線で俺をいじっているツインテールの女子生徒。毎回この人が面倒事を起こしている気がする。
 確かに時間的にも丁度もうすぐレコーディングの時間だが……。今日録音予定のヒロイン役の声優から遅刻の連絡が来ている。いつもより遅くに始まる予定だ。録音するにも声優がいない以上見せるのは無理だろう。


「そうですね、見てみましょうか。」


 まあ無理に決まって……え?
 YESと答えた父に俺は驚愕した。正気だろうか。
 父の言葉を聞いた社員の一人が、声優の遅刻を教えた。どうやらヒロイン役の遅刻を知らなかったようで、それを知った父は頭を抱えていた。
 頼むから中止にして早く解散して欲しいと思ったが、今日は何故か思い通りに行かない。
 録音室脇の機材が並んだ場所からチラリとこちらを向く父親。何かをお願いしているがつまりは『ヒロインの代役をしてくれ』と言う事だろう。ここでスルーすれば何事も無く終わるだろう。
 頭の中では分かっていても、体は分かっていなかった。


 学生の列から抜け出し、咲良さんの元に向かった。もちろん周りは驚いていたがもう今更だ。
 眼鏡を外し、台本を受け取った。セリフ合わせで代役は何度もやってきた。もちろんこのヒロインも。録音室に入りスタンバイをする。ここでは外の音は聞こえない。同級生の耳障りな言葉は一切通さない。やはり仕事場ここが落ち着く。
 マイクの前に立ち、映像が流れるモニターを見て、喉仏を上げた。女性キャラクターを演じるのに地声では合わな過ぎる。何度も演じていくに連れて手に入れた変声。元の声優の声にある程度合わせて演じる。
 もちろん簡単では無いがそれは俺が好きでやっている事だ。モニターの映像が動き出し、アフレコが始まった。


『さぁ、早く次の冒険へ!』


 台詞をほとんど全て覚えている俺はモニターに流れる映像、キャラクター達の声、このゲームの世界に入り込んだ。
 俺自身と声が合っていないことが少し恥ずかしく感じる時期もあったが、今では自分じゃない誰かに変わるようで楽しい。


 アフレコは約十分で終わった。
 俺の意識はモニターの中の世界から現実に戻った。演じた後は疲れよりも胸の高鳴りと僅かな浮遊感に襲われる。まるで長い長い映画を見終わった時のような満足感。
 緊張感が解けた後と言うのは感情がどうもぶれやすい。コントロール出来ないまま、いつも通り俺は笑っていた。


「お疲れ様でした……。」


 録音室を出て台本を返して眼鏡をかけた。そこでようやく落ち着いて呼吸が出来る。目を閉じ深く深呼吸して、少しずつ熱は冷めていく。
 ゆっくりと目を開くと、頭に何か乗る感覚がした。


「伊織、無茶を聞いてくれてありがとう。」
「撫でないでくださいよ咲良さん。別に俺がじっとしてられなかっただけなんで。」


 父は嬉しそうに微笑んだ。なんだかんだ俺も父に甘くし過ぎたかもしれない。が、この人に対する恩は数え切れない程だ。それもいいかもしれない。
 生徒の列に戻ると、当たり前のように周りからの注目は異常だった。周りから見た俺はどうなっているのだろうか。アフレコにいきなり割り込んだと思っているだろうか。あまりにも気不味く周りの様子を見る事はしなかった。


「さて、強力な助っ人のお陰でアフレコが無事に出来たと言う事でもう終わりですね。ありがとうございました!」


 ここで現地解散だ。が、周りの人達は俺の周りに集まった。もちろん先程の事についての説明を求められたんだ。こうなる事はなんとなく考えてはいたが実際になるとまた胃が痛くなる。
 無視したいが解散と言えど俺はこの場所に留まる身。退路は完全に絶たれた。そんな時に来た救いの手は………


「あ、伊織さんだぁ。先程のアフレコの映像、見させてもらいましたぁ。」


 ふわふわした喋り方のふわふわした女性。この人は先程演じたヒロインの声優の高谷 円たかや まどかだ。
 気の抜けた雰囲気とは裏腹に、演じる時は文字通りに別人に変わる天才だ。どんな役かを理解すれば完璧にコピー出来てしまう。それがどんなキャラであれ。


「円さん、あれを見たんですか?ははっ、お恥ずかしい…。」
「恥ずかしがらなくても、とても素晴らしくて参考になりましたぁ!あ、キャラメルいります?」


 微笑む度に花が飛ぶような彼女は俺にとって姉のようで、また彼女も俺のことを弟だと思っていると言ってくれた。
 俺がここに来た時にちょうどデビューしていた彼女は、この会社に所属することになっていた。会社とも俺ともそこそこ長い付き合いだ。いきなりヒロイン役の代役が出来たのも、担当が円さんだったから。


「いつもありがとうございます。」
「いえいえ、甘いもの食べると元気になれますからね!ところでこれは何の集まりですかぁ?」


 円さんは周りを見渡して首を傾げた。あまりこの人を厄介事に巻き込みたく無い。が、このままだとキリがない。正直なところ手助けが欲しいところだ。
 ざっくりと説明するとすぐに理解したようで、ふわふわの笑顔は急変して威圧感溢れる表情になった。役に入ると完全に急変する彼女はまさに怒らせてはならない人物だろう。本気で怒る事はあまりないにしても、怒った演技をすればあっという間に周りの空気は凍ってしまう。


「皆さんすみませんが早くここから出て行ってください。とても、とても不快なので。」


 円さんがひと睨みすると、生徒たちはすぐにその場から立ち去った。流石だ。声だけで無く絶対零度の眼差しですぐに追い出してしまった。


「強く言い過ぎたかも知れないです…ごめんなさい。」
「いえ、とても素晴らしかったですよ。」


 後日、学校で結局質問責めにされた。全部答えたが信じられる事は無く、面倒だからと無理矢理周りとの距離を大きくして高校生活は過ぎていった。

 卒業後は正社員になり、朝から夜まで仕事詰めになった。俺にとっては万々歳だ。
 新たなゲームのテストプレイは今までと大きく変わり、完全VRだった。一人称視点で動く戦闘ゲームで、早い速度で目の前の景色が変わっていく。特に技を使う時は目で得た情報を脳で処理する時間がない程に速い。何度も繰り返しテストプレイをする中ですぐに慣れていったが、俺とは別で行っていた人は全く動きについて行けないでいた。
 結局スピードは下がっていったが、そうするとイマイチ迫力が無い。三パターンの難易度で分けることになり、俺はずっと一番レベルが高いものを使っていた。これも共感能力なのだろうか。一人称のキャラクターの動きや意識とリンクして、そこそこ動きやすい。約二年間、ずっとVRのゲームをしていた。


 そして、勇者召喚の時が来た。


 最初は非科学的な事に疑いしか無かったが、夢でもVRでも無い事はすぐに分かった。
 魔法や剣の訓練が始まった時、俺は驚いた事に簡単に動きを理解出来ていた。自分にバフを付けると、有り得ないほどの身体能力が手に入る。普通であればコントロールが難しく、ある程度抑えなければならないらしい。が、俺からしたらVRゲームと同じくらいの速度。脳も体もあっという間に追いついた。
 しかしそれは経験から来るものだけでは無いだろう。元々普通だった目が更に良くなった。脳の情報処理も速くなった。体が動かしやすくなった。この世界に来てから明らかに身体能力は上がっていた。
 師の力を超え、誰とも対等に戦えなくなった。そうなれば残された訓練方法は実戦のみ。俺が戦わなければならない相手と戦い、経験を積むことしか出来ないだろう。そう思った俺は、城から抜け出し悪魔の国と呼ばれる場所へ一人向かった。
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