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第三章

【小休憩SS】王弟殿下の華麗なる1日…みたいな?話(中編)

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「予想外に、何事もなく終わったな」

 王弟殿下は本日最後の書類にサインをして、ふっと息を吐いた。その言葉に、書類をまとめていた秘書官が問う。

「予想外とは?」

「いや。子ねずみが二匹、チョロチョロしていたからね。何か仕掛けてくるのではないかと警戒していたんだが。結局、ソニアの持ってきた珈琲に、大量の砂糖が入っていただけだった」

 その前に、承認印を押すだけの書類の束の中に、アリシティアが紛れ込ませた書類があったのだが、すでに忘却の彼方である。
 万が一中を見ずに印を押せば、膨大な国家予算が、小娘の思いつきだけで、削り取られていたのだが。とは言え、王弟殿下の仕事に、そんな万が一は起こらないのである。

「それであんなに難しい顔をしていらしたんですね。あの子達はお茶の時間のあとには姿を消しましたよ。砂糖まみれの珈琲を無理にでも平静を装って飲む閣下を見て、満足したのでは?」

「ならいいけどね。次に見つけたときは、捕まえてどこかの無人島にでも送り込んでしまおうか」

「どうせなら、あの案件にでも使ってください」

「……ああ、あれか」

 王弟殿下はわずかに口角を上げた。
 二匹の子ねずみとは、無論、アリシティア・リッテンドールとレナート・ディノルフィーノである。
 二人が王家の影として与えられた名前は、ドールとノル。影たちの偽名は基本的には名字の一部が使われている。リッテンドールのドールと、ディノルフィーノのノル。もちろんこのなんのひねりもない命名は、王弟殿下である。
 影たちの本当の名前を知っている人間に聞かれたとしても、単なる名字から取った愛称とおもわれるだろうし、知らない人に聞かれた場合は、その呼び方からは簡単に本当の名前にたどり着けないように……、などという表面的な理由があるにはあるのだが、単に、王弟本人の覚えやすさ重視なのだ。


「それにしても、あの二人には困ったものだ」

「私としては、ソニアさんに出されたものであれば、何でも飲み食いしてしまう閣下のほうが、困ったものだと思いますが」

「何を言う。最近のソニアは、毒入りのものを持っては来ないんだ。私は彼女に愛されているからね」

「ご存知ですか、閣下。たとえ愛してなくても、一般的には、毒入りの飲み物は持って来ないんですよ? それに、毒以外はドールにお願いされると、いつもと何一つ変わらない様子で持ってきてしまいますよね? この前はペペロンチーノとやらのニンニクが、三十倍になっていたではありませんか」

「ああ、議会のない日で良かった」

「この部屋に来た客は、みんな息を止めてましたけどね。そもそも食べる前に、臭いで分りましたよね」

「わざわざ私のところまで運んでくれたソニアの愛だ。食べないわけがないだろう」

「作ったのはドールですがね。その前は確か、超絶激辛焼きそばでしたっけ? 臭いからして危険でしたよ」

「あれにソニアは残さず最後まで完食できるようにと、牛乳を用意してくれたんだ。愛以外の何物でもないだろう」

 それは、どんなことをしても最後まで食べきれという、無言の圧力だった気がするのは気のせいかと、秘書官のフェデルタは考える。
 大量の汗をかいて、辛さを紛らわせるために牛乳を飲み干す王弟のグラスに、牛乳を注ぐソニアの柔らかい笑顔は、いつも通りだった。だからこそ余計に怖いのだが。

「閣下の中に、ソニアさんが持ってきた物を食べないという選択肢がない事が不思議です。それにソニアさんは侍女としての仕事をしているだけだと思いますけどね」

「失礼な奴だな。最近のソニアは、私に隙があっても、殺そうともしないのに。これが愛でなくて、なんだというのだ」

 隙があろうがなかろうが、人を殺そうとしないのは当たり前である。まして相手が王弟なら尚更だ。王弟暗殺に失敗してもなお、生きているのは、ソニアだけかもしれない。
 こうして今日も今日とて、王国を掌の上で転がす王弟殿下は、愛しのソニア・ベルラルディーニの掌の上で踊らされているのであった。だが、本人が幸せそうなので、誰も止めることはできないのである。

 そんなこんなで、ガーフィールド公爵邸に帰ってきた王弟殿下を出迎えた家令の隣には、侍女姿のソニアが立っていた。今夜のソニアは、王弟の専属侍女として、この邸にいる。

 そんな王弟殿下に、家令は「アリシティア様とレナート様がおいでになっておりますが、先程から本館と別館を行ったり来たりしております。理由をお伺いしたのですが、『驚かせたいから内緒』と、教えてはいただけませんでした」と、粛々と告げる。

「はぁ? 今度はなにをしているんだ?」

 眉根を寄せて呟きつつ、自室に戻るために、階段を登る。
 だが、廊下を進むにつれ、なにやら妙な気配がする。自室を前に立ち止まった王弟殿下の後ろから、ソニアがいつものようにほんわかとした笑顔で「閣下へのプレゼントを部屋に運んで良いかと聞かれたので、許可しました」などという。

 ちなみにアリシティアとディノルフィーノは、幼い頃からこの邸で教育を受けていたので、勝手知ったるなんとやらである。

 アリシティアに至っては、別館に自分専用の客室まで作っていて、もはや半居候と言っても過言ではない。
 この二人は、幼い頃から王弟殿下の足元でちょろちょろとしているので、邸の者も彼らの奇行を気にしたりはしないのである。
 ちなみに、アリシティアがこの邸でやらかした時の損害請求は、ルイスに行く事になっていると、アリシティアは知らない。

 閑話休題。
 王弟殿下は、一応警戒しつつ自室の扉を開けた。瞬間、

「「サプラーイズ」」

 少女と少年の声がハモる。そして、

「「「「「「 みゃー、みゃー 」」」」」」

 室内のあちこちに、数十匹の子猫がいて、みゃうみゃうと鳴いていたのだ。

「なんだこれは!」

「子猫でぇーす」

 王弟殿下に答えたのは、ディノルフィーノだ。

「猫が大好きな、王弟殿下へのプレゼントです」

 アリシティアがにこにこ顔で答える。
 そんな二人に王弟が、白い目を向ける。

「私は猫など!」と、言いかけた所で、

「可愛い!! ここで飼うのですか?」

 背後から聞こえる声は、普段よりもかなり弾んでいる。声の主は無論ソニアである。

「……猫など、大好きだ」

「「そうだと思った~」」

 アリシティアとディノルフィーノの声が重なり、二人がハイタッチする。
 王弟が後ろをみると、胸の前で両手を組んだソニアが、目をキラキラさせて猫を見ている。
 この国では、猫は愛玩動物というよりも、あくまで、ネズミを駆除させるために穀物庫や保存食を仕舞う倉庫、船などで飼うものだ。
 だから、王弟がソニアが猫好きと知らなくとも無理はない。

「だが、これだけの猫を私の部屋で飼うわけには……」

 そこまで言って、王弟殿下は今朝見た書類の内容を思い出した。

『疫病を媒介するネズミを駆除する猫達に、ノミやダニが大量発生している』

 確かそう、丸っこいちまちました字で書かれていた。

「あー、アリス、レナート。聞きたいのだが、その子猫達は、ノミやダニの対策はしているのか?」

「してません。ネズミから猫にうつるノミやダニは、病気を媒介し、その病気は人間に感染し、下手をすれば人口の半分が命を落とすような疫病が蔓延するというのに、提出した水際対策案は何処かのお偉い様に却下されてしまって…。うっ……」

 アリシティアがわざとらしくハンカチで目元を押さえ、ディノルフィーノも袖口で、目元を拭うふりをする。

「そんな、酷い」

 どこか棒読みのように、ソニアが呟く。

「実際には、何も問題が起こってないのだからと、相手にもされず、要望書はゴミ箱に投げ入れられてしまいました」

 よよよっと、アリシティアが泣きまねをすると、ソニアもまたハンカチで目元を押さえた。

「我々のような、力なき者の声は、やはり聞き入れる価値もないのでしょう」

 悲しげなソニアの声に、王弟は急いでソニアの肩をだく。

「大丈夫だ、ソニア。その件はなんとかしよう。国家予算はさけないが、猫のノミダニ忌避剤を使わせるよう、国民には周知しよう」

「本当ですか?」

「もちろんだ」

「良かった。…でも、この部屋のこの子達をまずはどこかに移動させて、ノミダニ処理をしなければなりませんね」

 ソニアの言葉に、子猫を数匹かき集め抱き上げたアリシティアが微笑む。

「では、一旦この子達は、別館の猫部屋に移します。この室内ニは、ノミダニ駆除のスプレーをあらかじめしてありますが、ソニア様は念の為に、奥の殿下の寝室の寝具のシーツを交換してください」

「わかりました」

 ソニアに了承してもらい、アリシティアとディノルフィーノは、子猫達をかき集めてバスケットに入れ、部屋を出た。

 部屋の扉を閉めると同時に、二人は必死に笑い声を抑えながらも腹を抱えた。
ひとしきり声もなく笑った後、呼吸を整えてニヤリと笑う。

「第ニ次NNN作戦成功。これより、第三次MILF作戦に移行する」
「イェス、マム」

 アリシティアとディノルフィーノが扉の奥の廊下から姿を消した時。王弟殿下は今度ばかりはアリシティアの手中にハマった事を自覚して、どうお仕置きするかを考えるのであった。





……また続く



 

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