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第二章

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 アリシティアは震える体を両腕でぐっと抱きしめるように押さえた。視線が下を向く。

「数代前の君の母方の家系に、王家の姫が降嫁したのを知っているね?」

「……はい」

 アルフレードの問いに、アリシティアは何とか声を絞り出した。

「その姫は、リーベンデイルの宵闇の少女のモデルではないかと言われている王女の娘だ。髪や目の色は違えど、姫は母である王女にとてもよく似ていた。そして隔世遺伝なのか、…もしくは再び王家と血が交わったせいなのか、今の君は君の母方の家に降嫁した姫の母である王女と似ている。髪の色に……その夜明け色の瞳まで」


 身体が震えた。頭の芯が凍りついていく。まるで諸悪の根源はアリシティア自身だと責められているかのような感覚に陥る。リーベンデイルの生きた人形がアリシティア自身なのだとすると……。

「…………おじさま…前侯爵様…は、リーベンデイルの狂信者に、13体目の宵闇の少女として、私を売ろうとしていたの?」

 考えたくはないのに、勝手に導き出された推測にアリシティアの声が震えた。

「……ああ。そのつもりだったのだろうね。あの人は選民意識が強かったからね。王妹…当時の王女を妻にしたのに、息子の婚約者にと王に勧められたのが、ただの伯爵令嬢だったのは許せなかったのだろう。たとえ君が女神の瞳を持っていてもね。前ラローヴェル侯爵は選ばれた者とそうでない者で人を分けて見ていた。結局理由まではわからなかったけれど、前侯爵は愛玩奴隷の売買を始めた。どこから見つけてくるのか、とても美しい平民が売買されていたようだ」

『美しい平民』
アルフレードのその言葉にアリシティアの脳裏に、双子の姿がよぎる。
彼女の呼吸は徐々に浅くなり、空気すら重く感じた。予想はしていた。けれど事実を知る覚悟は足りなかった。

「やがて、希少で美しい貴族の娘が愛玩奴隷として競売に出されるという噂が、裏社会に精通する者達の間に広まった。もちろん当時ラローヴェルの名前などは一切出なかったけれど…。その時、その娘を指し示す為に使われ始めた言葉が『愛と美の女神が命の息吹を吹き込んだ、リーベンデイルの生きた人形』だ。そして、偶然か必然かはわからないが、君は宵闇の少女そのものだった」

「……おじさまが話していたリーベンデイルの生きた人形は、私の事だったのね。私とルイス様の婚約は王命に近い婚約だったから、おじ様は陛下には逆らえなかった」

「前ラローヴェル侯爵は、伯爵令嬢の君ではなく、ルイスと王女であるエヴァンジェリンとの婚姻こそを望んでいたんだ」

 だから、アリヴェイル伯爵令嬢アリシティア・リッテンドールという存在が、前ラローヴェル侯爵には邪魔だった。つまりはそういうことだろう。アルフレードがその言葉を口に出すことはなかったが…。
 アルフレードは小さく息を吐き、再び言葉を紡ぐ。

「けれど前侯爵は亡くなり、君をリーベンデイルの生きた人形として競売にかける話そのものが消えた。やがてリーベンデイルの生きた人形は、君だけではなく闇で売買される愛玩用の奴隷達を示す隠語となった。たぶん、リーベンデイルの狂信者たちがその名前に価値を見いだし、愛玩奴隷そのものに興味をもったからだ。けれど、君の噂がリーベンデイルの狂信者達にどこまで浸透していたか分からず、君の身がどれほどの危険に晒されているかもわからなかった。だから叔父上は、君を隠したんだ。『リーベンデイルの生きた人形』という言葉のもつ本来の意味が、完全に人の心から消えるまでね」



 アルフレードの言葉に、アリシティアの視界の中の色鮮やかだったはずの景色から、色が失われていく。

「おと…………」

 そこで言葉に詰まった。どんなに声を出そうとしても、出てこない。
父は知っていたのかと。けれどアリシティアは自分の問いの答えを既に知っている気がした。

 
 ルイスに拒絶され、捨てられたアリシティアに、父は言った。
『お前はなんの役にも立たない、出来損ないの人形だ』……と。
 あの時、アリシティアを人形と呼んだ父の言葉に、彼女は未知の恐怖を感じとった。父の言葉は抜けない棘となり、彼女の心に何度も繰り返して押し寄せ、不安と不信の種を植え付け、それらを芽吹かせるには十分だった。
 父の言葉は、本当に婚約者の不興を買いルイスとの婚約を危ぶませた愚かな娘への、単純な怒りと失望から出たものだったのだろうか。それとも…。




 膝の上に置いたアリシティアの握った手が小刻みに震える。力が入り、指先から血の気が消えた。

「大丈夫か?」

 アルフレードが無表情のまま、窺うように瞳の奥を覗き込んできた。アリシティアの気持ちを読み解こうとするように。けれどそんな彼の瞳の中に、彼が隠そうとする後悔が、苦悩が、確かに滲み出ているのをアリシティアは感じ取った。とても優しい人だと思う。王太子としての重圧が彼の中の本当の優しさを許さなかったとしても。
 だから、アリシティアはアルフレードを安心させるように微笑もうとした。けれど、それは力の抜けた泣きそうな微笑になってしまい、彼の視線を避けるように顔をを下に向けた。
 その瞬間、アルフレードの指先がピクリと震えて、アリシティアに向けてわずかに浮き上がり、そして、再び膝の上に戻された。


 アリシティアはこれ以上アルフレードに心配をかけないように、ゆっくりと呼吸した。

「……ええ。でも何で急にこんな話を?」

 アリシティアの問いに、アルフレードは肩から力を抜いたように、ほんのわずかに苦笑を浮かべる。

「叔父上がね…」

 その言葉で理解した。ガーフィールド公爵メフィストフィリスは、誓約を守った。彼が今まで話さなかったのは、リーベンデイルの生きた人形という名前の由来がどこからきたかは、愛玩奴隷としてのリーベンデイルの生きた人形の情報には含まれないと思ったのか。もしくは、あの頃のアリシティアの心の傷を慮ったのか。
 多分後者だろうなとアリシティアは思う。必要になれば、こうやって教えてくれる予定だったのだろう。
 
心が揺れる。押し寄せる感情に思考がついていかない。




「だからね、アリス。レティシアについての君の提案は受けない」

 続けられたアルフレードの言葉に、アリシティアはピクリと震える。

「なんでその話を……」

「私がこの庭へ来る寸前に、叔父上が知らせてきた。誘拐の標的がレティシアなら身代金さえ払えば解放される。だけど君はダメだ。王宮での君の妙な噂の広まり方といい、そこには間違いなく何者かの意図が見え隠れしているから」

「だけど……」

「君自身がレティシア・マクレガーの身代わりになるつもりだったんだろう?けれど、それだけは絶対に許さない」

 アルフレードはアリシティアの目を見据えて、冷然と言い放った。





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