5 / 5
胡麻だれひやむぎ
しおりを挟む
夏が来ると思い出す。
クーラーのない平屋の大きな家。
蝉の鳴き声が煩いくらい、風通しの悪いその家の中に響いていた。
ジリジリした灼熱の太陽が屋根瓦を焼く。
平屋なせいか、その熱が直に家の中に照りつけている気がした。
暑さが陽炎のようにだだっ広い庭に揺らめく。
夏。
それが私の中にある夏。
「おまたせしました。」
そう言って店員が運んできたものを見つめる。
そして目が点になった。
え??これって、喫茶店にも出てくるメニューなの??
そう思いながら店内を見渡した。
店内??
不思議に思う。
どうやら暑さに参って、いつの間にか喫茶店に入っていたようだ。
店名なのか「ダイニングキッチン『最後に晩餐』」といくつかの窓に渡って書かれている。
「……変な名前。」
こんな変な名前の店、近所にあったかしら?
そんな事を思う。
いやそれよりも目の前のこれだ。
私は視線を戻し、首を捻る。
ひやむぎだ。
確かに暑さに参っていたなら頼んでもおかしくはない。
だが問題はタレの方だ。
そこにつゆはなく、ポテッとした黒い塊と冷水が置かれている。
私はそれが何か知っていた。
胡麻だれだ。すりごまに味噌と砂糖、そしてシソを擦り込んで作る物だ。それを水で溶かしてひやむぎを食べる。
甘じょっぱい不思議な味のする胡麻だれだ。
でもこれは店で食べるというより、田舎の家で作る物だ。
小さい時から大きなすり鉢を押さえるのを手伝わされるのが常だった。
煎りたての胡麻が弾ける香ばしい匂い。
胡麻が擦れたらそこに味噌と砂糖を加えて味を整える。
どれくらい入れるかは味見をして決めるので適当だ。
そして最後にシソの葉を入れて無理やりスリ棒で細かくして混ぜ合わせる。
そんな事を思い出しながら、私は胡麻だれをつゆ鉢に適量入れて冷水に溶かす。
これがまたなかなか溶けなくて苦戦する。
溶けると黒い粒のあるグレーの液体が出来上がる。
何とも不思議な色合いだ。
ひやむぎに箸を伸ばし、胡麻だれを潜らせて勢い良く啜る。
ああ、田舎の味だ。
好きか嫌いかで言えば、別に好きでも嫌いでもない。
でも懐かしい。
走馬燈のように幼い頃のあの夏を思い出す。
「美味しい?」
「たくさんお食べ。ひーちゃんは食が細せぇから、ばあちゃん、いつも心配だ。」
はっとして顔を上げる。
懐かしい味に浸っていた私にかけられた、懐かしい声。
そう、あの夏の中にいつもあった優しい声。
「お母さん……おばあちゃん……。」
いつの間にか、前の席に二人が座っていた。
柔らかな笑顔を見返し、瞳からぼろりと涙が落ちた。
それは後から後から湧いてきてとめどなく流れる。
二人はそれを見守りながら優し笑ってく頷く。
「え……?何で……?」
「アンタ、倒れたんよ。暑さで。」
「ええから、それ、ちゃんと食って帰んなさい。」
「そうよ?まだひなちゃんもてるくんも小さいんだから、しっかりしなさい!翔さんもいるんだから一人で頑張らないの!」
「……うん。」
「真面目なんはひーちゃんのええとこやけど、何でも一人で抱え込んだらあかん。家族なんやから。」
「そうよ?お母さんだってお父さんしばき倒して色々やらせてたの見てたでしょ?!」
「アンタのはやり過ぎや。すぐ手が出よるし。浩二さん可哀想やったわ……。」
「あら?時代に合わせて女だって強くならなきゃ!」
「いや、多分、そういう強さじゃないよ……お母さん……。」
そんな話をしながらひやむぎを啜る。
懐かしい味と会話が体と心を緩めてくれる。
しかしスルスルと喉を通るひやむぎと楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。
私は少し暗い気持ちで箸を置いた。
「……また、会える?」
そう言いながら泣きそうになった。
それが叶わない事を私が誰より一番良くわかっていたからだ。
しかしお母さんとおばあちゃんは顔を見合わせ、きょとんとする。
「会えるも何も……。」
「アタシら、いつだってひーちゃんの側におるよ?」
「お盆だけが特別って訳じゃないしね?」
「会いたかったら、いつだって会える。」
「そう、いつだってね。」
そう言って屈託なく笑う二人の顔。
涙は止まらなかったが、私はニッと笑って立ち上がった。
「気いつけてな?」
「次、不注意でここに来たらしばくわよ?」
手を振って別れを告げ、私は店の外に出ようとカウンターの前を通る。
店員さんがニコっと笑った。
「ごちそうさまでした。」
「ありがとうございます。お帰りは川と反対方向ですよ。」
頷き、カランとドアベルの音を鳴らす。
私は店の前の道を川音とは反対方向に真っ直ぐ進んで行った。
ゴリゴリとすり鉢が音を立てる。
田舎にあった大きくて立派なすり鉢ではないけれど、私はそれを懸命に磨った。
手で胡麻を磨るのは一苦労だ。
その鉢を交代で子どもたちが押さえてくれる。
「これでそうめん食べるの?」
「そうめんじゃなくてひやむぎね。」
「味噌味なの?!」
「味噌の味はそんなにしないかな?どちらかというと甘いよ?」
クーラーの効いた部屋。
あの夏とは違うけれど、そこには確かに夏の匂いがしていた。
クーラーのない平屋の大きな家。
蝉の鳴き声が煩いくらい、風通しの悪いその家の中に響いていた。
ジリジリした灼熱の太陽が屋根瓦を焼く。
平屋なせいか、その熱が直に家の中に照りつけている気がした。
暑さが陽炎のようにだだっ広い庭に揺らめく。
夏。
それが私の中にある夏。
「おまたせしました。」
そう言って店員が運んできたものを見つめる。
そして目が点になった。
え??これって、喫茶店にも出てくるメニューなの??
そう思いながら店内を見渡した。
店内??
不思議に思う。
どうやら暑さに参って、いつの間にか喫茶店に入っていたようだ。
店名なのか「ダイニングキッチン『最後に晩餐』」といくつかの窓に渡って書かれている。
「……変な名前。」
こんな変な名前の店、近所にあったかしら?
そんな事を思う。
いやそれよりも目の前のこれだ。
私は視線を戻し、首を捻る。
ひやむぎだ。
確かに暑さに参っていたなら頼んでもおかしくはない。
だが問題はタレの方だ。
そこにつゆはなく、ポテッとした黒い塊と冷水が置かれている。
私はそれが何か知っていた。
胡麻だれだ。すりごまに味噌と砂糖、そしてシソを擦り込んで作る物だ。それを水で溶かしてひやむぎを食べる。
甘じょっぱい不思議な味のする胡麻だれだ。
でもこれは店で食べるというより、田舎の家で作る物だ。
小さい時から大きなすり鉢を押さえるのを手伝わされるのが常だった。
煎りたての胡麻が弾ける香ばしい匂い。
胡麻が擦れたらそこに味噌と砂糖を加えて味を整える。
どれくらい入れるかは味見をして決めるので適当だ。
そして最後にシソの葉を入れて無理やりスリ棒で細かくして混ぜ合わせる。
そんな事を思い出しながら、私は胡麻だれをつゆ鉢に適量入れて冷水に溶かす。
これがまたなかなか溶けなくて苦戦する。
溶けると黒い粒のあるグレーの液体が出来上がる。
何とも不思議な色合いだ。
ひやむぎに箸を伸ばし、胡麻だれを潜らせて勢い良く啜る。
ああ、田舎の味だ。
好きか嫌いかで言えば、別に好きでも嫌いでもない。
でも懐かしい。
走馬燈のように幼い頃のあの夏を思い出す。
「美味しい?」
「たくさんお食べ。ひーちゃんは食が細せぇから、ばあちゃん、いつも心配だ。」
はっとして顔を上げる。
懐かしい味に浸っていた私にかけられた、懐かしい声。
そう、あの夏の中にいつもあった優しい声。
「お母さん……おばあちゃん……。」
いつの間にか、前の席に二人が座っていた。
柔らかな笑顔を見返し、瞳からぼろりと涙が落ちた。
それは後から後から湧いてきてとめどなく流れる。
二人はそれを見守りながら優し笑ってく頷く。
「え……?何で……?」
「アンタ、倒れたんよ。暑さで。」
「ええから、それ、ちゃんと食って帰んなさい。」
「そうよ?まだひなちゃんもてるくんも小さいんだから、しっかりしなさい!翔さんもいるんだから一人で頑張らないの!」
「……うん。」
「真面目なんはひーちゃんのええとこやけど、何でも一人で抱え込んだらあかん。家族なんやから。」
「そうよ?お母さんだってお父さんしばき倒して色々やらせてたの見てたでしょ?!」
「アンタのはやり過ぎや。すぐ手が出よるし。浩二さん可哀想やったわ……。」
「あら?時代に合わせて女だって強くならなきゃ!」
「いや、多分、そういう強さじゃないよ……お母さん……。」
そんな話をしながらひやむぎを啜る。
懐かしい味と会話が体と心を緩めてくれる。
しかしスルスルと喉を通るひやむぎと楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。
私は少し暗い気持ちで箸を置いた。
「……また、会える?」
そう言いながら泣きそうになった。
それが叶わない事を私が誰より一番良くわかっていたからだ。
しかしお母さんとおばあちゃんは顔を見合わせ、きょとんとする。
「会えるも何も……。」
「アタシら、いつだってひーちゃんの側におるよ?」
「お盆だけが特別って訳じゃないしね?」
「会いたかったら、いつだって会える。」
「そう、いつだってね。」
そう言って屈託なく笑う二人の顔。
涙は止まらなかったが、私はニッと笑って立ち上がった。
「気いつけてな?」
「次、不注意でここに来たらしばくわよ?」
手を振って別れを告げ、私は店の外に出ようとカウンターの前を通る。
店員さんがニコっと笑った。
「ごちそうさまでした。」
「ありがとうございます。お帰りは川と反対方向ですよ。」
頷き、カランとドアベルの音を鳴らす。
私は店の前の道を川音とは反対方向に真っ直ぐ進んで行った。
ゴリゴリとすり鉢が音を立てる。
田舎にあった大きくて立派なすり鉢ではないけれど、私はそれを懸命に磨った。
手で胡麻を磨るのは一苦労だ。
その鉢を交代で子どもたちが押さえてくれる。
「これでそうめん食べるの?」
「そうめんじゃなくてひやむぎね。」
「味噌味なの?!」
「味噌の味はそんなにしないかな?どちらかというと甘いよ?」
クーラーの効いた部屋。
あの夏とは違うけれど、そこには確かに夏の匂いがしていた。
10
お気に入りに追加
4
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
【ねむちゃん様】
ご感想ありがとうございます。とても嬉しいです。思い出の食べ物は、身近すぎてぱっと思い出せないモノなのかもしれません。でもきっと、食べたら幸せな気持ちを思い出せる、そんな何かなのだと思います。