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お洗濯
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「霞お嬢様、シーツを干すのをお願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい。お任せください!」
洗濯したばかりのシーツが入った籠を使用人から受け取り、霞はふんふんと鼻歌を歌いながら庭へ向かう。
食事の支度だけではなく洗濯や掃除も手伝うようになり、この頃になると使用人たちとも随分と打ち解けていた。家事の合間に談笑したり、彼らとおやつを食べることもある。
初めの頃は厳しかった八千流の態度も、以前よりも軟化したように感じられる。雅とは相変わらず些細な理由で言い争いをしているが、あれはあれで喧嘩するほど何とやらというものだろう。
しかし霞には大きな問題があった。
(皆さんとは仲良くなれたんだけどなぁ……)
肝心の想い人との進展はさっぱりだ。たまに廊下ですれ違っても、軽く会釈をされる程度。食事の最中も終始無言で、食べ終わるとすぐに部屋へ戻ってしまう。
確かに、この縁談が形だけのものであって、本人たちの意志など蚊帳の外になっていることを考えれば、こんなものかと納得がいくのだが、それでは物足りないと思うほどに、蓮への想いはますます大きくなっていた。
「はぁ……」
思わず溜め息が漏れる。青く澄み切った晴天の下で、霞の心はどんよりと曇っていた。それでも与えられた仕事をこなそうと、物干し竿に洗いたての白いシーツを干していく。ふわりと香る洗剤の香りが、少しだけ暗い気持ちを癒やしてくれる。
「霞さん」
そ、その声は。突如後ろから名前を呼ばれて、霞はビクッと体を揺らした。
恐る恐る振り向けば、眉目秀麗の青年がこちらへ歩み寄ってきていた。
「れ、れ、蓮様……っ!!」
突然の事態に、霞はパニックに陥っていた。緊張のあまり手にしていたシーツをうっかり手放してしまい、籠の中へ落ちる。
「……驚かせてしまったようですね。申し訳ありません」
「そんなことありませんっ! えっと、わ、私に何かご用ですか!?」
上擦った声で尋ねると、蓮は「用、というほどではないのですが」とどこか気まずそうに目を伏せた。言葉を慎重に選んでいるようにも見える。そしてようやく考えが纏まったのか、視線を霞に戻す。
「霞さんが炊事や洗濯をしていると、黒田から聞きました」
「は、はいっ」
「ですから、もしやご自分の立場を気にして働いているのではないかと」
「え!? そんなことありません! ただ皆さんのお手伝いを出来ればと思っただけで……!」
首を横にぶんぶんと振りながら否定した霞だが、悪い予感が脳裏をよぎりハッと息を呑む。
「もしかしたら、ご迷惑だったでしょうか?」
「いや、そんなことはありません。使用人たちは皆、あなたに感謝していると黒田が言っていました」
霞の不安を読み取ったのだろう。蓮は早口で言い切ると、一拍置いてから言葉を継いだ。
「ですが、学業と家事ばかりで、ご自分の時間を持てないのではありませんか?」
「私なんかより、蓮様のほうがお忙しそうです。朝から晩まで働き詰めで……だから、こうして、一緒にお話が出来て、嬉しいです!」
自分の気持ちを正直に伝える。たったそれだけのことなのに、相手が好きな人というだけで顔が熱くなり、心臓が騒がしく音を立て始める。
「そ、そうでした! 早くお洗濯を干さないと!」
他のことをして気分を落ち着かせよう。慌てて籠の中からシーツを取り出して物干し竿に干そうとするが、側に落ちていた石をうっかり踏んでしまい、大きくバランスを崩してしまう。
「ひゃっ……」
「霞さん!?」
蓮が慌てて霞の両肩を掴み、転倒しそうになる体を支える。
「……大丈夫ですか?」
「は、はいっ。ありがとうございま……」
安堵の息を漏らしながら顔を上げた途端、霞はピシッと硬直した。すぐ目の前に、許嫁の美しい顔があったのだ。
「あわわわわ……!」
「お怪我はありませんか? 足を痛めたりは……」
「大丈夫ですっ! あの、あのっ、失礼しましたぁぁぁぁっ!」
えらいこっちゃ。霞は慌てて後ろへ飛び退き、脱兎の如くその場から逃げ出した。「霞さ……」と蓮が呼び止める間もなく、遠ざかっていく霞の悲鳴と足音。
蓮は突然のことに暫し呆然としていたが、やがて取り残されたままの洗濯物を干し始めた。
「……ようやく霞さんとお話が出来た」
その口元は、柔らかに緩んでいた。
「はい。お任せください!」
洗濯したばかりのシーツが入った籠を使用人から受け取り、霞はふんふんと鼻歌を歌いながら庭へ向かう。
食事の支度だけではなく洗濯や掃除も手伝うようになり、この頃になると使用人たちとも随分と打ち解けていた。家事の合間に談笑したり、彼らとおやつを食べることもある。
初めの頃は厳しかった八千流の態度も、以前よりも軟化したように感じられる。雅とは相変わらず些細な理由で言い争いをしているが、あれはあれで喧嘩するほど何とやらというものだろう。
しかし霞には大きな問題があった。
(皆さんとは仲良くなれたんだけどなぁ……)
肝心の想い人との進展はさっぱりだ。たまに廊下ですれ違っても、軽く会釈をされる程度。食事の最中も終始無言で、食べ終わるとすぐに部屋へ戻ってしまう。
確かに、この縁談が形だけのものであって、本人たちの意志など蚊帳の外になっていることを考えれば、こんなものかと納得がいくのだが、それでは物足りないと思うほどに、蓮への想いはますます大きくなっていた。
「はぁ……」
思わず溜め息が漏れる。青く澄み切った晴天の下で、霞の心はどんよりと曇っていた。それでも与えられた仕事をこなそうと、物干し竿に洗いたての白いシーツを干していく。ふわりと香る洗剤の香りが、少しだけ暗い気持ちを癒やしてくれる。
「霞さん」
そ、その声は。突如後ろから名前を呼ばれて、霞はビクッと体を揺らした。
恐る恐る振り向けば、眉目秀麗の青年がこちらへ歩み寄ってきていた。
「れ、れ、蓮様……っ!!」
突然の事態に、霞はパニックに陥っていた。緊張のあまり手にしていたシーツをうっかり手放してしまい、籠の中へ落ちる。
「……驚かせてしまったようですね。申し訳ありません」
「そんなことありませんっ! えっと、わ、私に何かご用ですか!?」
上擦った声で尋ねると、蓮は「用、というほどではないのですが」とどこか気まずそうに目を伏せた。言葉を慎重に選んでいるようにも見える。そしてようやく考えが纏まったのか、視線を霞に戻す。
「霞さんが炊事や洗濯をしていると、黒田から聞きました」
「は、はいっ」
「ですから、もしやご自分の立場を気にして働いているのではないかと」
「え!? そんなことありません! ただ皆さんのお手伝いを出来ればと思っただけで……!」
首を横にぶんぶんと振りながら否定した霞だが、悪い予感が脳裏をよぎりハッと息を呑む。
「もしかしたら、ご迷惑だったでしょうか?」
「いや、そんなことはありません。使用人たちは皆、あなたに感謝していると黒田が言っていました」
霞の不安を読み取ったのだろう。蓮は早口で言い切ると、一拍置いてから言葉を継いだ。
「ですが、学業と家事ばかりで、ご自分の時間を持てないのではありませんか?」
「私なんかより、蓮様のほうがお忙しそうです。朝から晩まで働き詰めで……だから、こうして、一緒にお話が出来て、嬉しいです!」
自分の気持ちを正直に伝える。たったそれだけのことなのに、相手が好きな人というだけで顔が熱くなり、心臓が騒がしく音を立て始める。
「そ、そうでした! 早くお洗濯を干さないと!」
他のことをして気分を落ち着かせよう。慌てて籠の中からシーツを取り出して物干し竿に干そうとするが、側に落ちていた石をうっかり踏んでしまい、大きくバランスを崩してしまう。
「ひゃっ……」
「霞さん!?」
蓮が慌てて霞の両肩を掴み、転倒しそうになる体を支える。
「……大丈夫ですか?」
「は、はいっ。ありがとうございま……」
安堵の息を漏らしながら顔を上げた途端、霞はピシッと硬直した。すぐ目の前に、許嫁の美しい顔があったのだ。
「あわわわわ……!」
「お怪我はありませんか? 足を痛めたりは……」
「大丈夫ですっ! あの、あのっ、失礼しましたぁぁぁぁっ!」
えらいこっちゃ。霞は慌てて後ろへ飛び退き、脱兎の如くその場から逃げ出した。「霞さ……」と蓮が呼び止める間もなく、遠ざかっていく霞の悲鳴と足音。
蓮は突然のことに暫し呆然としていたが、やがて取り残されたままの洗濯物を干し始めた。
「……ようやく霞さんとお話が出来た」
その口元は、柔らかに緩んでいた。
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