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マダム・マリエールの遺産

第2章 宇宙海賊のクセに探偵の真似事をするはめに 1

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 そこはうらぶれた人工衛星都市だった。
 どのくらいうらぶれているのかというと、この間タナトスを買った時に立ち寄った、違法バザールよりも、治安の悪さでは上だった。
 かなり昔に打ち捨てられた古い人工衛星には、いまだに人が住んでいた。
 住んでいた、と言うより、吹きだまりのように自然に集まってきた、と表現したほうがふさわしいだろう。
 人工衛星としての機能など、とうの昔に停止していて、引力の影響で辛うじて宇宙空間に浮いているに過ぎないだけだった。
 軌道に微妙なズレが生じたとしても、それを元に戻すためのエンジンも燃料も、この人工衛星にはなくなってしまっているのだから、ここに住む人々は、ある日突然、この古い衛星が空中分解するかも知れないということを、承知の上で暮らしているのだった。
 おまけにここの空気製造機は、廃棄されていた年代ものを、ジャンク屋が拾ってきた部品でつぎはぎにして、何とか動いている程度の代物だったから、いつ空気が供給されなくなっても不思議はなかった。
 そうと知っていてなお、ここにしか住むところがないような、そんな人間達がここに集まってくるのだ。
「心配か?」
 俺は横を歩くソーニャに声をかけた。
 彼女は不安そうに、穴だらけの低い天井を見上げていたが、首を振った。だが、その瞳は正直だった。
「大丈夫さ」
 俺は唇の端だけで、小さく笑った。
「ここは回転部分だ。この天井の上にもうひとつ天井があって、そこが宇宙と接している外装になる。
 宇宙線は入ってくるかも知れないが、数秒で空気が抜けるってことにはならないさ。……防御シャッターがまだ正常に動いていればの話だけどな」
 人形の可憐な顔が、さらに青くなったようだった。
「俺は宇宙線は平気なんだ。お前もだろ?」
 そう言って笑い、ソーニャの肩を叩いた。
 塵と埃と判別のつかぬゴミが舞う小道を幾つも抜けて──もっとも、この衛星はどこまで行ってもそんな光景しかないのだが──ガラの悪い緑のペンキをぶちまけた扉をくぐった。
 薄暗い店内に入ると、どこの言葉とも分からぬ奇妙な歌がバックに流れていた。
 中にいた何人かの男が顔を上げて、こちらを見た。
 俺は隣のソーニャを側から離さぬように注意しながら、カウンターへ近づいていった。「お久しぶり。まだ生きてたんですかい」
 カウンターの奥でグラスを磨いていたバーテンが声をかけてきた。
 馴染みの者らしいと知った者達は再び顔を手元のグラスへ落とした。
「今日は美人を一緒に連れてますね。あんたがこの店に他人と来たのは、初めてじゃなかったですか?」
「ちょっと見ない間に、おしゃべりになったんだな。マスター」
 俺のセリフに、バーテンは肩を竦めた。裏の世界ではおしゃべりな奴は長生きできない。
「この辺で腕のいいハッカーを知らないか」
 同じカウンターで少し離れた位置に座っていた男は、振り向きもしなかった。
 他の者には聞こえない程度の小声なのだから、それも当然だ。
 バーテンは、白い布に包まれた手の中のグラスから、視線を外した。
「最近流れてきた二人組のうちの一人が、腕のいいハッカーだそうだ」
「マスターのおすみつきかい?」
「歓迎パーティーをしようとした、チンピラの何人かは、二度と戻ってこなかった」
 俺は軽く口笛を吹いた。
「セリアという名前だ。会いたけりゃ、Dブロックの二一番地へ行ってみるといい」
「じゃ、バックスとパルミナを一回分づつくれ」
 バーテンは無造作にグラスに液体を注いだ。
 俺は代わりにカードを手渡し、彼はそれから代金分を引くと、戻してよこした。
 レシートには十万クレジットの金額が書きこまれていた。今の情報料である。
「おっと。こりゃ、飲むもんじゃないんだぜ」
 不思議そうな目でバーテンのよこしたグラスを見つめるソーニャに俺は言った。
「こうやって使うのさ」
 俺はグラスを引き寄せ、一緒についてきた錠剤を中に落とした。
 景気よく泡が噴き出した。
 その様は酒というより炭酸ソーダのようだった。中身はすぐに固まり、どろどろとした緑色に変わった。
 爆弾だ。
 プラスチック爆弾より扱いやすく性能がいい。
 本物の酒も扱っているが、こういうものも扱っているのがこの店だった。
「『ガム』さ。そういう名前だ」
 グラスを逆さまにして、出来上がったドロドロを紙に包んで店を立ち去ろうとすると、目の前に男が立ちふさがった。
 硬質の輝きを持つ褐色の肌に、黄土色の複眼。
 どこからが首でどこからが胴体か判別がつかなかった。
「見せつけてくれるじゃねぇか。兄ちゃん。
 『ガム』を買いに来たようだが、ここは観光気分で、女を連れてくるような所じゃねぇんだぜ」
 俺だってそのくらい知っている。
 できれば、ソーニャを連れて歩きたくなんかなかったさ。
 だが、万が一の用心の為に、彼女には側にいて貰わないと困るのだ。
 俺は黙り込んで男を睨みつけた。
 男は顔色を変えて──外骨格なのだから、本当に色が変わったわけではなかったが、文学的表現というやつである──憤った。
 こんな程度のことで怒りに我を忘れるなんて、低レベルなチンピラだ。こんな町では長生きできないだろう。
 奇声をあげて俺達に掴みかかろうとした昆虫男の額のど真ん中に、音をたててナイフが突き刺さった。
 ソーニャは振り返ったが、俺は振り返らなかった。
 かわりに相棒の肩を引き寄せて、店の外に向かって歩き出した。
 店の扉を閉じる前に、中からバーテンの声が聞こえてきた。
「この町で長生きしたきゃ、この店の中で喧嘩をしないことと、相手構わず喧嘩を売らないこと。これが最低限の条件だ」
 外へ出ると、ソーニャが心配そうな顔で俺を見上げた。
「さっきのことか? 心配ないって。この衛星で、あの店のバーテンに睨まれた奴が、一時間以上生きていたって話は、聞いたことがないからな」
 全然なぐさめになっていない。
 安心させるどころか、かえって物騒な話をしてしまったことになるが、この町はそういうところなのだ。
「それよりお前、あんまり笑ったりとかしないなぁ」
 バザールの何でも屋のおやじが、彼女を俺と引き合わせた時から思っていたのだが、ソーニャは喜怒哀楽の表現が、あまりないのだった。
 いつも大きな瞳を見開いて、控えめにしている。言葉数も少なかった。
 疑似人格がそういうプログラムなのかも知れないが、連邦政府領で出会った、あのメカフェチの博士が連れていた人形は、人間並に表情が変化していた。
「ま、タナトスがお喋りだから、お前くらい口数が少ないほうが、足して二で割ると丁度いいのかもしれないな」
 ソーニャが小さく笑った。
 ようやく、笑った。俺は心の中で胸をなで下ろした。
 別にお笑い芸人じゃないが、しんき臭い顔をした奴を長い間連れ歩くのは、俺としても気がめいる。
 なにしろDブロックまで、まだだいぶ歩かなければならない。
 この衛星にはバスなど走っていないのだから。


「あんたがセリア? 調べて欲しい情報があるんだが」
 俺は狭く汚い部屋の中で、電脳の山に埋もれる男を前にして言った。
 ハッカーは、真紅と言ってもいいほど赤い瞳をしていた。あとは髪も肌も真っ白で、シャツの腕をまくった両腕は機械で出来ていた。サイボーグである。
 男はあまり喋らなかった。
 だが、こんな所まで来るような男が、尋常な仕事を持ってくるはずがないことは、承知しているようだった。
 俺としても、それで充分だ。お喋りな奴はあの宇宙艇くらいでいい。
「頼みたい仕事はこれだ」
 俺はポケットから金色のキーを取り出した。
 マダム・マリエールから最後に預かった遺品だ。
「こいつはヴィル・マリエール王家の所有物だ。そこまでは分かってる。問題はこいつの用途が何なのかを、あそこの電脳に侵入して調べて欲しい」
 キーは再びポケットにしまい、かわりに写真を男に投げ渡した。
「報酬は?」
「二十万クレジット」
「三十万クレジットだ。半分は前金で」
 男は受け取った写真から目を離さずに言った。
「では前金で十五万だ」
 俺は灰色のカードを手渡した。
 銀行から発券される小切手のようなもので、あらかじめ、十五万クレジットの金額が設定してある。
 白い男は初めて顔を上げた。射抜くような眼光で俺を見つめる。
「やけに金払いがいいな……」
 俺はブルゾンの襟を直して、向きを変えた。
「確かに、口封じをしそうな、お偉いさんには多いパターンだな。金で吊って、言い値で払って、後始末をする。だが俺は二百年以上も宇宙海賊をやってるんだぜ……。裏の世界の礼儀は心得てるつもりだ」
 ハッカーは何も言わなかった。無言でじっと俺を見つめる。
「五日後にもう一度来る。それまでに調べられるだけ、調べておいてくれ」
 それを捨てセリフに、俺は部屋を後にした。


「あの方、指が六本ありましたね」
 ハッカーのアパートを出るとすぐに、ソーニャが素朴な声で言った。
 小さい子供がそうであるように、彼女は色々なものに素直な疑問を持つようだった。
 彼女の知識は、宇宙船の操縦や複雑な軌道計算のことばかりで、船の外に関することはあまり入力されていないのだから、当然と言えば当然かも知れなかった。
「目が赤くて、後は全部、紙みたいに白かっただろ」
「それに両腕がサイボーグでしたね」
 俺は頷いた。
「あれはアグメナイトっていう人種さ。特殊能力を持っていて重宝がられる、連邦の人種のなかでも、結構有名なタイプだ。戦闘用アンドロイド並の戦闘能力を持ってる。普通は一生、軍から抜けられない」
「それがどうしてこんなところに……」
 俺は笑って、目の前の新しい相棒を見下ろした。
「脱走したか、特殊任務か……。だがな、ソーニャ。これから先、俺の相棒をつとめていく以上は、それくらいのことは相手を見ただけで、判断できるようにならなきゃいけないぜ。目に見えるものも見えないものも信用せず、その裏に隠された真意を見抜くくらい、逞しくなきゃな」
 正直な話、それくらい用心深く、そして生きることに貪欲でなければ、連邦という、生きるのに難しいところでは、宇宙海賊なんてやっていられない。
 俺はソーニャの肩を抱え、脇の小道へ滑り込んだ。
 胸ポケットから小さな箱を取り出して、ピンを口を使って引き抜くと、一リーガル(約一─五メートル)足らずの道路の反対側へ向かって腕を振った。
 目には何も見えなかった。
 ソーニャの目には、ただ俺が腕を振っただけにしか見えなかったはずだ。
 だが実際には、一ミクロン以下の不可視の糸が、道のこちらと向こうに、張られたのだ。
 こいつを視認できるのは、高性能のレンズ・アイを搭載した、戦闘用アンドロイドくらいだ。
「キャプテン・カーチェス?」
 わけがわからないでいるソーニャの口を手で押さえつけ、俺は道の脇に寄った。
 視線を落とすと、曲がり角の向こうから人影が見えていた。
 足音と気配は消しても、影は消さなかったわけだ。まぬけな奴。
「ぐわっ?」
 くぐもった声が上がった。
 俺がたったいま張ったトラップに引っ掛かって、腹を境に、上と下が分割したのだ。
 下半身は何歩か歩いた後に地面に倒れ、上半身はその場で下に落ちた。
 そのはずだった。だがそうはならなかった。
 外骨格の昆虫男は驚きの声を挙げはしたが、そのまま歩き続けた。
 見事に切断されたはずの胴体は、着ていた服だけは線が入ったように裂けていたから、失敗したというわけでもなさそうだった。
 糸は確かに奴を二つに切った。
 だが、何事も無かったように、道の端にいる俺達の方に振り向いた。
 今度は俺が、驚きの声を挙げる番だった。
「貴様、単細胞生物だったのか!」
 切断と同時に体の細胞を自ら切り離して、もう一度ひっついたのだ。
 つくづく、連邦の人種の多さにはあきれかえるばかりだった。
「さっきはよくも、コケにしてくれたな」
 あの店でコナをかけてきた昆虫野郎が、落とし前をつけに来たらしい。
 俺は腰のベルトの後ろに手を伸ばした。
 ソーニャが短い悲鳴をあげた。こんな時まで控えめな声だった。
 瞬間、昆虫男の外骨格が張り裂けて、中身が壁に当たったトマトのように飛び散った。同時に、体は炎に包まれた。今度は本物の断末魔の声があがった。
 火だるまになった固まりは一気に燃えつき、俺と視線を合わせた五秒後には、灰の固まりになっていた。
 俺は手に持った銃をおろし、呆然としているソーニャに向き直った。
「な? だから言ったろ? あの店でマスターに追い出された奴は長生きしないって」
 奴に使ったのは特殊ナパーム弾だ。
 宇宙生活じゃ、やばいウィルスを持った菌が船内に入った時にはこれを使う。
 大抵の場合、強力な火炎で焼くとくたばっちまうからな。
 ソーニャが青い顔で俺を見上げた。『自分がやったくせに』と言いたそうな顔で。



続く
   
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