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魔薬
しおりを挟む時同じ頃——。
那智、伊吹と旭は、麻布十番に在る料亭を訪れていた。
「——待たせたか?」
舎弟二人と志保を連れ、芹沢が入って来た。
「早く来てしまいました。お気になさらず」
真ん中に座る那智が、柔らかな笑顔で言う。
ドレスコードに合わせた服装の三人は、芹沢達より先に待ち合わせの個室に来ていた。
芹沢は、見るからに高級そうなスーツを着ている。舎弟二人が着ているスーツと、一桁は値段が違うだろう。
ヘッドドレスを着け、着物にエプロン姿の接客係が、受け取った芹沢の上着をラックに掛ける。
長いツインテールの髪型だが、羽月との電話中に芹沢と一緒にいた女だ。
「相良はどうした?」
那智の向かい、お座敷の座布団に腰を下ろした芹沢が尋ねる。
「こっちはカシラが出向いてんだぞっ! ナメてんのかっ⁉︎」
芹沢の左側、旭の向かいに座った舎弟の男が威勢良く吠え、拳でテーブルを叩く。
二十三歳の若い男だ。眉と鼻、両耳がピアスだらけで金髪に髪を染めている。ガラも悪いが、目付きがかなり悪い。
見るからに悪そうな外見だが、身長は百七十三センチで他とは見劣りしている。鍛えてはいる様だが、捲ったジャケットの袖から見える筋肉は、相良隊の三人よりも随分と劣っていた。
「うるせぇよ」
「っす、すみません」
小言を漏らす様に芹沢が言うと、吠えた舎弟は慌てて頭を下げた。
「策の一つか?」
「はい。そうです」
芹沢の質問に那智が答え、事情を説明する。
「——そういう事か。やるな、あいつ」
納得した芹沢は、満足気に口端を吊り上げた。
「でもよぉ、もしナメてやがったら……。てめぇら、タダじゃおかねぇぞ!」
舎弟の若い男は低く唸り、威嚇する。
「安心しろ真《しん》。そん時は、捨て身覚悟で俺が出向く」
芹沢の右側、伊吹の向かいに座る、もう一人の舎弟が三人を睨んだ。
芹沢より若い三十二歳だが、もっと年上に見える。強面で百九十センチある。プロレスラーの様ながっしりした体型と、落ち着きがある分、貫禄がある。
旭は不貞腐れた仏頂面をしているが、那智と伊吹は愛想笑いを向けた。
ナメ腐っているよ。あいつは……。
口には出来ず、愛想笑いの裏で伊吹は心に留めた。
伊吹は、芹沢と初めて会ったばかりの一年近く前、豪語していた羽月を思い起こしていた。
『ヤクザなら何時でも殺せる……。敵ばっかりの連中だ。俺達は疑われない』
当たり前の様に羽月は平然と言っていた。加えて……。
『悪さしねぇヤクザはいない。弱み握って、俺が飼い慣らしてやるよ。お前は安心して志保と付き合え』
余裕の表情で羽月は豪語していた。
接客係が、全員に冷たいお茶を淹れ、一人づつに料理の支度をしていく。
この料亭は表向きは違うが芹沢組が経営している。
芹沢は、政治家が極秘会合に訪れている事に目を付け、代替わりしたばかりの未熟な店主を蹂躙して買い取っていた。
そうとは知らずに訪れた政治家を狙い、弱味を握り、今まで何人も獲物にしてきている。
「元締めの情報だが……」
「関西勢力、藤宮《ふじみや》会傘下、内藤一家《ないとういっか》組長の内藤誠也《ないとうせいや》——。表向きは芸能事務所社長ですよね」
芹沢が伝えようした情報を、那智が口にする。
「ああ、そうだ。最近になって、旧制チャイニーズの残党が集まったマフィアと組んだ。ドラキュラの血が入ったMD-1とMD-2を流している」
芹沢が言う旧制チャイニーズとは、分断しかけた中国の一強政治側を指す。
二十年前、国政不信と国際的なスキャンダルが原因になり、中国は分断が浮き彫りになった。反政府派が新党を結成し、民主派による複数政党制を確立する、新な政治体制を訴えた。多くの国民が支持し、国際社会はこれを後押しした。結果、十年後に一党政治は崩壊する。
民主主義に中国は生まれ変わった。——そして、行き場を失った者がいた。
新政治体制の中国から、旧軍部及び旧警察組織は排除された。上層部が新体制確立に対し、国家安全法の下、武力行使に出た。内戦状態となり、多くの国民が犠牲になったからだ。
新体制確立後、組織は解体され、多くの軍幹部と警察幹部は死刑となった。
軍部と警察の関係者を含む多くの旧国政側は、辺境若しくは国外に追いやられた。行き場を失った軍人と警察官の多くが、現在はマフィアとなっている。
「軍人が使うMDは別物。ヒューマロイドにならないと思っている馬鹿が多い。依存性は覚醒剤の数倍上で、副作用だって当然あるのにな」
MD《エムディー》とは、マッドドライブドラッグの略称。ドラキュラの血を薄めて製造した麻薬だ。
一般的に出回っているMDは、抗アレルギー剤と精神薬が多く混ぜられ、血の量が少ない。その為、使用初期は副作用が出にくい。
混ぜられる精神薬によりアップ効果が1《ワン》、ダウン効果が2《ツー》と分類される。
一方、軍人に使われているMDは、抗アレルギー剤と精神薬が混ざっていても、血の量が多い。その分、効果も強く副作用も直ぐに出る。
「遅いか速いかの違いですよ。紫外線アレルギーと吸血欲は徐々に現れます。身体機能の向上、魔人並の治癒力が現れると共に、性格が獰猛に変化していく。強い薬は強い毒ですからね」
芹沢の話に那智が補足する。
ドラキュラは二十歳前後になるまで、紫外線の耐性がつかない。その影響が、ドラキュラの血を飲むと出ると言われている。
MDを使うと、全ての身体機能が三倍以上に増幅される。一回の使用で効果は一週間続き、その間は飲食が不要になり眠気も感じなくなる。既に負っている障害と病気は治らないが、服用後に負った怪我は治癒出来、病気も老化もしなくなる。
だが、副作用もある。軍人が使うMDなら一月、一般的なMDならば三ヶ月以上の継続使用により、吸血欲が現れる。紫外線で火傷を負うようになり、獰猛な性格へと変貌を遂げる。
「一度でもやれば、依存症により餌付けされた、従順なヒューマロイドだ」
ヒューマロイドとはMD常用者の事だ。強過ぎる依存性により、MDを与える者の言いなりになってしまう。プログラムされた様に尽き従う事から、ヒューマロイドと呼称されるようになった。
断言した芹沢は、ベストの胸ポケットからマルボロブラックメンソールを取り出す。
芹沢が煙草を口に咥えるタイミングに合わせ、年長の舎弟がジッポを近付ける。
「つーか、破滅しかねぇよ。顧客リスト見たら、最初は一回分が一万だったのに、五回目で十倍になってた。皆がやってるからが始まりか? その場だけの多数派なのにな……」
嫌悪を丸出しに言いながら、旭は片手で髪を搔き乱した。
他の三人と同じく、旭も警察部隊に配属されて五年目になるが、犯罪者の心理は今でも理解出来ないままだった。
「そろそろ鍋の方、大丈夫ですよ」
入口の側に座る志保が、心地の良い笑顔を見せ、全員に声を掛けた。
煙草を吸っている芹沢以外が、タラバガニのカニしゃぶを食べ始める。
「羽月の分のタラバガニ、俺が食ってもいいですか?」
目の前にあるタラバガニに、心躍らせる伊吹が尋ねた。
「ああ。いいぞ」
「っずりぃ! 俺もっ!」
芹沢が了承した途端に、旭が声を荒げた。
「仲良く分けろよ」
芹沢の忠告を聞き、伊吹と旭はタラバガニを分ける。旭は味わいながら食べ、伊吹は勢いよく頬張り出す。
「かっこいいのにな……」
リス顔の伊吹を見て、芹沢は紫煙と同時に溜息を吐きながら、ボソリと残念がった。
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