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第6章:聖女の使命

第62話 覚悟

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 倒れ込むシトラスの身体を、隣に居たアンリが受け止めていた。

 知らされた事実に、その場にいた者は言葉もなかった。

 世界を救うためには、シトラスの命を犠牲にしなければならない――それは、その場の誰もが認めることのできない現実だ。

 重苦しい沈黙を、エルメーテ公爵が破った。

「ともかく、シトラスの身体を休めよう。
 我々は別邸に戻る。
 グレゴリオ最高司祭は引き続き、聖玉を修復する方法を探ってくれ」




 別邸に戻る馬車の中で、アンリはシトラスを抱きかかえながら、その顔を見つめていた。

 レナートが、懺悔ざんげをするように青い顔で語る。

「お嬢様は、『自分の中に人々に失望している心がある』とおっしゃられていました。
 処刑された時に強く刻み込まれたその思いが、聖女の異物ではないでしょうか。
 私は軽率な言葉で、お嬢様にそれを思い出させてしまった。
 今回のようなことが無ければ、聖玉に亀裂が入ることもなかったかもしれない。
 全て、私の責任です」

 エルメーテ公爵が冷静に告げる。

「そう早まるな。
 シトラスが人々に失望しているなら、遅かれ早かれ聖玉に亀裂は入っていた。
 今はシトラスがその心を忘れられるよう、全力を尽くそう」

 ギーグがシトラスを見つめながらつぶやく。

「シトラスが死ななきゃならんなど、私には認めることはできん」

「すぐに死ねと言われている訳でもない。
 シトラスに穏やかな日々を送ってもらい、人生に満足してもらってから聖玉を作ってもらう道もあるだろう」

「変わりゃしねぇよ! 人生をまっとうできねぇなら何も変わらねぇ!」

「そう荒れるな。新しい聖玉を作る以外の道も模索していく。
 私だってシトラスには幸福な人生を送ってもらいたい。
 シトラスの犠牲で世界が救われるなど、私だって認めたくはない」


 大人たちが心痛で沈黙したまま、馬車は別邸まで駆けていった。




****

 目が覚めると夕方だった。

 私はぼんやりと部屋の天井を見上げ、妖精の告げた言葉を思い出していた。

 そっかー、私は世界を救うために死ぬ運命にあったのか。

 自分でも驚くほど、素直にそれを認めることが出来た。

 前回の人生では、死に方を間違えた。

 今回の人生では、正しく死のう。

 あーでも、アンリに子供を産んであげるって言っちゃったな。

 聖女が約束を破るなんて、しちゃいけない。

 子供を産むまで、今の聖玉が持ってくれるといいんだけど。

 聖地の場所は――貧民区画の礼拝堂。あそこで間違いない。

 王都で一番、聖神様の力が強い場所だ。

 あそこで魂を捧げれば、私の役目もおしまいだ。

 自分がやるべきことがはっきりとわかって、私は穏やかな気分だった。

 それで人々が救われるなら、もうそれでいいんじゃないかな。

 ハンドベルを鳴らすとレイチェルが姿を見せる。

「レイチェル、紅茶をもらえる?」

 私はベッドから起き上がり、ソファに腰を下ろした。

 そして夕食まで、静かに紅茶の香りを楽しんでいた。




 夕食になり、食卓に着く。

 みんなが落ち込みながら、静かに食事を進めていた。

「皆さま、お顔が暗いですわよ? 世界を救う方法がはっきりしたのですから、もっと明るくしませんか?」

 お父様が戸惑うように告げてくる。

「お前は、不思議なほど明るいね」

「それはそうですわよ。私は聖女、人々を、世界を救う使命を持つ人間ですもの。
 その具体的な方法がわかって、とても心が軽くなりましたわ」

 今までは何をしていいのかがわからなくて不安だった。

 その不安がなくなったのだから、これは喜ばしいことだ。

 アンリ兄様が顔をしかめながら告げてくる。

「だがお前だって救われていいはずだ」

 私は微笑みながら応える。

「大丈夫ですわ。私の命で世界が救われるなら、それで満足して死んでいけます。
 それに、お兄様には子供を産んで差し上げると約束をしてしまいましたし、それが終わるまで死ぬつもりはありませんわよ?」

 お父様が力強く告げる。

「つまり、猶予はあるということだな。
 ならばそれまでに、お前の命を犠牲にせず世界を救う方法を探し出してみせよう。
 お前は穏やかに自分の人生を歩んでくれ」

 そんな方法、あるのかな?

 別に無理をしなくてもいいと思うけど。

 一度は不本意な死を与えられた人生を、もう一度やり直せる幸運をもらった。

 前回は得られなかった愛する人を、今回は得られた。それだけで幸福で、お釣りがくる。

 私は一人、明るい気分で夕食を食べ進めていった。




****

 夜になり、アンリ兄様の部屋の扉をノックする。

「お兄様、よろしいかしら?」

「どうしたんだ、こんな時間に。もう寝る時間だろう」

 私は微笑んで応える。

「寝る時間だからですわ。添い寝をお願いします」

 アンリ兄様の顔が強張こわばった。

「……今日も悪夢を見るのか」

「ええ! 間違いないと思いますわ!
 落ち込んでいるお父様たちに、私の絶叫なんて聞かせる訳には参りませんでしょう?」

 ため息をついたアンリ兄様がベッドに横たわり、スペースを空けた。

 私はそのスペースに滑り込むように布団に潜り込んだ。

 そのままアンリ兄様の胸に頬をうずめながら告げる。

「手を出したければ、出しても構いませんわよ?」

「それで子供が出来てしまえば、お前の死期が早まる。そんなことはできない」

「ふふ、それもそうだね。じゃあおやすみ、アンリ」

 私はアンリに包まれたまま、意識を手放していった。




****

 翌朝、私はお父様たちと一緒に貧民区画の礼拝堂に向かった。

 お父様やお母様も、聖地の場所をじかに見ておきたかったみたいだ。


 私が礼拝堂で奇跡を起こしてみせると、お父様たちも驚いていた。

「本当に聖水なしで奇跡が起こるんだな」

「ええ! 聖神様の力がとても強い場所です。
 ここが聖地で間違いないですわ」

 何年後になるかはわからないけど、私が人生の最後を迎える場所だ。

 お父様が考えこみながら告げる。

「……わかった。この周辺を重点的に区画整理していこう。
 その時に向けて、ここの治安を少しでも向上させていく」

 私はきょとんとしてお父様に尋ねる。

「どういう意味ですの?
 そんなことをして、この区画の住民はどうなりますの?」

「お前は何も心配しなくていい。
 元からいた住民の住居はきちんと用意する。
 追い出すような真似はしないさ」

 お父様には何か考えがあるみたいだ。

 それならお父様に任せてしまおう。

「わかりました、ではお願いしますね」




 お父様を王都に残し、私たちは領地の公爵家本邸へ戻っていった。

 帰り道の馬車も、空気が重たい。

「もー皆様! いい加減に覚悟なさってください!
 どうして皆様が落ち込むのですか!
 私は納得しておりますわよ?!」

 お母様が、決意したように告げる。

「そうね、覚悟は必要ね。
 でもヴァレンティーノが必ずあなたを救ってくれると、私は信じてる。
 私も精一杯、あなたに幸福な時間を与える努力をするわ」

「それは安心なさってください。
 私にはお兄様が居ます。それだけでもう、充分に幸せですから!」

 私の微笑みを、みんなが辛そうに見つめていた。

 ……心から笑えたはずなんだけど、どうしてそんな目で見るの?




****

 宮廷の一室で、エルメーテ公爵とグレゴリオ最高司祭が話を進めていた。

「――なるほど、それならシトラス様を救える可能性があるかもしれません。
 ですが準備には相当な時間が必要ですよ?」

「年単位の計画になるが、猶予はある。間に合わせてみせるさ。
 それより、シトラスの聖名について確認をしておきたい。
 彼女の聖名はファム・エストレル・ミレウスだったな」

「ええ、『新しき原初の聖女ファム・エストレル・ミレウス』、初代聖女を上回る聖名です」

「彼女が与えられた加護は、本当に三つだけなのか?
 それほど特別な聖名なら、他にも力があるんじゃないか?」

「それについては、私も感じるところがあります。
 シトラス様が目覚めていない力が秘められている――そんな気がするのです。
 調べてはいますが、まだ目覚めの兆候はないように感じます」

 エルメーテ公爵が小さく息をついた。

「その調査も引き続き頼む。
 我が家名にかけて、彼女の人生を救って見せる。
 彼女に我が一家の人生が救われた。その恩を返せずに、なにが公爵か」

 力強く告げるエルメーテ公爵に、グレゴリオ最高司祭が微笑んだ。

「私も聖教会の名にかけて、シトラス様の人生を救うために全力を尽くしましょう。
 シトラス様に聖神様のお導きがあらんことを」
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