愛してほしかった

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29.彼について

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 少年は凡庸な子どもではなく、最初から求められる役割があった。
 彼は無感情にそれらを受け入れていた。
 これといった感動も、不満も、喜びも苦しみも、特になかった。
 その凪いだ世界が初めて揺らいだのが、彼女と出会った瞬間だった。

 木陰で微睡む彼女に釘付けになる。
 ヨシュアは体の内側に酷い違和感を覚えた。脈拍がいつもよりも少し早い。体温もいくらか上昇しているように思う。

 彼女がこちらに気付いて無防備に歩み寄ってきた。
 見上げてくる瞳は無垢な色で染まっている。
 ヨシュアの目には魔力が形となって見える。彼女のそれは眠気を誘う木漏れ日のような色をしていた。

 何一つ不足の無い環境で、彼は何かを求めたことなど無かった。
 それが初めて、心の底から欲しいと思うものを見つけた。

 己の内に生まれた激情の詳細を解き明かす為、彼女と時間を共にした。
 そして、理屈では説明が付かないのだと直ぐに判断した。

 幸い彼女は多くの魔力を有しているうえ、こちらを好意的に見ていた。
 なのでさっさと婚約を取り付け、ただのタスクでしかない役目にも、彼女の生きる国ならばと──これまでが不真面目というわけではなかったけれど──心から注力するようになった。

 時折叶う彼女との逢瀬はヨシュアにとって最大の価値ある時間であり、流れる空気は心地よく、掛け替えのない癒しだった。
 しかしこの頃から、愛しさから派生した様々な感情が彼の内側で蠢いていた。

 彼女と自分の間には決定的な感情の差がある。
 一寸の陰りもない彼女の心はヨシュアの感覚からずっと遠いところにあり、己の執着のみでしか彼女との関係を固く繋ぐことができないと度々感じた。

 彼女でなければならないヨシュアと違い、一般的な少女の価値観を有するレネの心など簡単に揺らぐ。
 ヨシュアは彼女を深く愛しているが、信用などは一切していなかった。

 実際レネは妃教育が進むにつれ、初めて会った時と比べて遥かにヨシュアを『王太子』として意識するようになった。
 プレッシャーに押され、ヨシュアの前でも緊張で表情を強張らせるようになっていた。

 こうなることを予想はしていた。
 彼女の根本的な性格から、王宮での暮らしなど合わないことは分かり切っている。

 善良で、臆病で、脆弱である。

 どうしようもなく愛おしい反面、どうしたものかと思案した。

 昔のように無邪気に笑う事がなくなった彼女を見て、素朴で穏やかな暮らしに身を置く方が幸せなのだろうなと思う。しかしそれらと無縁の地位にヨシュアはいる。

 彼女の幸せを思うなら手を放すべきなのだろうが、生憎その選択肢はない。
 王太子の座を降りるというのも簡単にはいかない─というか、そんなことを言い出せば改心するまで懲罰房にぶち込まれる可能性がある。そういう事を平気でする父親である。
 そうでなくとも、彼女と自分を繋いでいる絶対的なものは立場を利用した婚約であるため、やはりそれを捨てるわけにはいかない。

 一先ず王宮内に彼女が安らげる場所を作る必要がある。
 元々私欲と悪意が渦巻く王宮内に、大切な彼女を野放しにしておくのも不安があった。

 いっぱいいっぱいの彼女に色々と押し付けるのもよくない。彼女はまだ幼く、下手な触れ合いは返って更なるプレッシャーや恐怖を与えてしまう可能性がある。社交の場などは彼女の精神衛生にも、何より自分の精神衛生にもよくないので当分は控えさせて───

 そういった思考を巡らせる日々の中で、転機は突如として訪れた。

「明日からハリス家の娘がお前の婚約者となるからな」そう決定事項として現国王、リジオ・ユーツベルクから告げられた。書類に目を通しながら、世間話のような調子で。

 クリスティナ・ハリスとはレネと出会う前から面識があった。
 何かにつけて近付いてきては、婚約者候補たちといざこざを巻き起こしていたような──特に興味が無いため態々口を出すこともなかったが。

「陛下、魔力量にそれほど大きな差はありませんし、何より私は現在の婚約者を愛しているので、この件は承諾しかねます」

 国王は書類から顔を上げ、丸めた瞳で息子を眺めた。その後、手で口元を覆いクツクツと笑う。

「お前も冗談など言うのだな」

 明日は槍でも降るかな、そう可笑しそうにしてから「その愛する女とやらは保険として置いておけよ」とまるで本気に受け取らないまま続けた。

「陛下、」

「なんだ、今日は珍しくよく話すじゃないか。遅い反抗期か? お前に限ってはそんなものも無さそうだが、」

 くだらない冗談は一度切りで十分だぞ──そうもう興味も冷めたような声音で言われ、ヨシュアは開きかけていた口を閉じた。

 ここで食い下がるのは悪手だな。
 そう結論付け、さっさと王の執務室を後にした。
 あのままあの男に言葉を砕いたとして、意見が通ることはまずないだろう。国王の性格は熟知している。下手を打つとレネに手を出される可能性が大いにある。

(………それにしても…)

 ヨシュアは顎に手を当て思い耽る。
 自分は心からレネを愛していて特にそれを秘めているつもりもなかったというのに、何故冗談だと捉えられたのか。

 感情の起伏が人より少ないことは自覚している。
 表情が豊かでないことも。口数は………

(特に少ないつもりはないが…認識を改める必要があるか…?)

 そこまで考えたところで一旦止まる。
 今考えるべきはこの事項ではない。

 第一優先で、国王に勘付かれない形で新しい婚約者を排除しなければならない。

 レネと出会っていなければ、婚約者がどれだけ入れ替わろうが特に気にもしなかっただろう。そんなヨシュアであるから、国王の先程の反応は当然とえば当然だった。

 しかし過去と違い、ヨシュアはもうレネ以外の女は相手にするのも嫌なのだ。

 面倒なことになったと、心底嫌気が指しているが嘆いたところで状況は変わらない。

 打開策を練る必要があるが───

 この時点でヨシュアは先々の計画を粗方決めた。
 一旦は彼女を側室に置くしかない。
 彼女を実家に帰したところで、碌でも無い縁談に使われるのが目に見えている。そもそも手放す気などないが。
 しかし──


(彼女は、どう思うだろうか)


 何かを言い出す事を怖いと感じるのも、ヨシュアには初めてのことだった。





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