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2 王宮
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「えー、この度は、なんといいますか。えっと、なんだっけ?」
数日後。
兄に背中を押されて、渋々王宮まで向かった俺は、眉間に深い皺を刻んだダリス殿下と対面させられていた。
まさか婚約者を公爵令息に寝取られたなんて口が裂けても言えないと、プライドだけは高い殿下のおかげで、この件は内々に処理されることとなった。俺にとっては、願ってもない幸運である。
内々なので、俺への処分はなし。だが、殿下への直接謝罪だけはきっちり行えと、兄がうるさかった。
ダリス殿下は、兄と同じ二十一歳。この国の第一王子であり、次期国王。眩い金髪が特徴的な、少し気難しい顔の青年である。
偉そうにテーブルに肘をついて、じっと俺のことを見据える殿下は、苛立ったように足を鳴らしている。コツコツと、靴のつま先と床のぶつかる音が、静まり返った室内に思いのほか響き渡っている。
「ウィル」
「……なんでしょうか、殿下」
幼少期より俺は頻繁に王宮に出入りしていた。俺の父でもある公爵は、国王の右腕として政治に関わる仕事をしている。そのため、目の前で不機嫌そうに腕を組む殿下とは親しい仲である。
なんか暇さえあれば、殿下の遊び相手をさせられていた。第一王子ということもあり、気軽に知らない子供たちと遊ぶことが許されなかった殿下にとって、俺らアグナス公爵家の息子たちは恰好の遊び相手だったのだろう。身元もしっかりしているし、なんなら身内だし。
なので俺にとってダリス殿下は、この国の王太子殿下というよりは、幼少期によく遊んだ親戚の兄ちゃんという感覚の方が強い。
だから特に緊張することもなく対面していたのだが、ダリス殿下は難しい顔で俺のことを見据えてくる。
「ウィル。君は、私に対して謝罪をしに来たのでは?」
「そうですけど」
「そうか。では続けて」
偉そうに顎で指示してくる殿下に苛立つ気持ちをグッと堪える。殿下の言葉を否定するな、謝罪に徹しろと、朝から兄に口うるさく言われていた。
「えー。この度は、えー」
「この度は、なんだ?」
「俺の、じゃないや。私の不注意で、えっと。殿下の婚約者? みたいな人を、んと」
視線は殿下に向けたまま、上着の内ポケットを探る。殿下が怪訝な表情で首を傾げているが、構うものか。
そうして内ポケットから取り出した一枚の紙を、堂々と手元に広げる。
「殿下の婚約者であるカルロッタ様には大変なご無礼を」
「待て! 待て、ウィル!」
気を取り直して謝罪をしていたところ、鋭い声が飛んできたために、ぴたりと口を閉じて顔を上げた。眉を吊り上げたダリス殿下と視線が合う。
「その手元の紙はなんだ」
「兄に渡された謝罪文です」
「せめて文面くらいは自分で考えたらどうなんだ。いやそんなことよりも。メモを見ながら謝罪するんじゃない!」
「はぁ」
「なんだその気の抜けた返事は!」
手を伸ばしてくる殿下に、兄お手製の謝罪メモを渡してやる。一瞥した殿下は、深いため息をついた。
「ディックにも困ったものだな。こうやって甘やかすから、ろくなことにならない」
なんだか殿下の怒りの矛先が兄へと向かった気がする。これはチャンスとばかりに「本当ですね!」と全力で同意を示しておけば、「おまえが言うな」と睨まれてしまった。解せない。
ぽいっと謝罪メモを放り投げた殿下は、「こういう時には自分の言葉で謝罪するんだ」と妙なアドバイスを寄越してくる。
「はぁ、そうですか。じゃあ、すんません」
早口で述べて、ぺこりと頭を下げれば、隠しもしない舌打ちが降ってきた。がらの悪い王子である。
しかし、殿下の要望通り自分の言葉で謝罪した。この場はもうお開きで構わないだろうと考えて、殿下に背を向ける。
「じゃあ俺は忙しいので。もう帰りますね」
「待て、ウィル」
「え、もう終わりましたよね?」
「終わったわけがないだろう」
こっちに来いと手招きされて、今度はこちらが舌打ちしたくなる。
「俺、この後すぐに女の子とデートの約束があるんですけど」
「反省という概念を知らないのか?」
なぜだか絶句する殿下は、両手で顔を覆ってしまう。
「おまえは本当に……!」
そのまま突っ立って、続きを待ってみるが、殿下が会話を再開する気配はない。これは帰っていいやつ? そろそろと、扉に向けて忍び足で後退する。
そうして出口までたどり着いたところで。なぜだか勝手に扉が開いた。
咄嗟に避けようとしたのだが、勢いよく突入してくる女と肩がぶつかってしまう。「いって」と肩を押さえる俺を睨み付けてきた気の強い女は、聖女様であった。
「ウィル! あなた、またやらかしたそうですね!」
勢いのままに指を突き付けてくる美しい金髪の少女は、この国の聖女ソフィアである。王宮内に存在する神殿に引きこもり、国のために祈りを捧げる少女。
この国では十八で成人となる。聖女になる条件は、魔力が豊富な未成年の少女。成人に達すれば、新しい聖女へと代替わりすることになっている。
聖女を務めた者は、その後の人生においても聖なる神の使いとして様々な面で優遇される。つまり幼少期に聖女に選ばれれば、その後の人生は安泰というわけで、このポジションを狙う少女(というよりその親)は山ほどいる。
そんな熾烈な争いを勝ち抜いてきた今代の聖女は、現在十三歳。もちろん魔力は豊富。聖女として神様の加護を受けたおかげで、人間離れした力を有している。少々やんちゃな性格が玉に瑕という感じだが。
本日だって、神殿を抜け出して王太子殿下の自室に乗り込んできた。彼女の背後では、護衛役の騎士やお付きの神官がオロオロしている。
「聖女様」
慌てたように立ち上がるダリス殿下も、困ったような様子で彼女を部屋から追い出そうと奮闘している。聖女様は神様の分身的な役割を担うので、いくら王太子殿下とはいえ無下にはできないのだろう。
そんな焦りをみせる周囲をものともせず、聖女ソフィアは、俺にぐいぐい近寄ってくる。
「今度は何をやらかしたのかしら?」
ニマニマと意地の悪い笑みを浮かべる聖女は、俺が殿下に呼び出されたと知って駆けつけたらしい。この女は、俺が殿下に呼び出される時は説教のためだと決めつけている節がある。面白おかしく毎度見学にやってくる嫌な女なのだ。
いくら聖女とはいえ、相手は完全に十三歳の少女。年下の女の子に舐められていい気はしない。ふんっとそっぽを向けば、聖女が「愛想わるぅ」と文句を垂れてくる。
「どうせあなたが余計なことをしたんでしょうけど。もう十八歳でしょ? そろそろ落ち着いた方がよろしいと思うけど?」
腰に手を当てて、嫌味ったらしく小首を傾げる聖女に、ふつふつと怒りが沸いてくる。ぎゅっと拳を握りしめれば、聖女と共に部屋へ乱入してきたフロイドが「まぁまぁ、落ち着いて」と俺の両肩を掴んでくる。
フロイドは、俺の護衛という名の見張り役である。
あれは俺が十五歳になった日であった。
ダリス殿下から誕生日プレゼントが用意されていると聞き、わくわくしていた少年時代。現れたのが、このフロイドであった。殿下からの誕生日プレゼントである。もっといい物を期待していた俺は、心底がっかりした。そんでもってフロイドが持参していたダリス殿下からの手紙に「おまえは目を離すとろくなことをしないので、見張り役をつけようと思う。仲良くするように」との文言を見つけて、もっとがっかりした。
それ以来、フロイドは俺の行動を監視しては、いちいち殿下に報告している。聞けば、所属は王立騎士団だという。だったら王族にでも引っ付いておけよ。俺に引っ付くな。
「怖い怖い。そんなんだから、いつまで経っても子供扱いされるのよ」
「あん?」
フロイドに宥められる俺を横目に、聖女はわざとらしく肩をすくめてみせる。
子供はそっちだろうが。
数日後。
兄に背中を押されて、渋々王宮まで向かった俺は、眉間に深い皺を刻んだダリス殿下と対面させられていた。
まさか婚約者を公爵令息に寝取られたなんて口が裂けても言えないと、プライドだけは高い殿下のおかげで、この件は内々に処理されることとなった。俺にとっては、願ってもない幸運である。
内々なので、俺への処分はなし。だが、殿下への直接謝罪だけはきっちり行えと、兄がうるさかった。
ダリス殿下は、兄と同じ二十一歳。この国の第一王子であり、次期国王。眩い金髪が特徴的な、少し気難しい顔の青年である。
偉そうにテーブルに肘をついて、じっと俺のことを見据える殿下は、苛立ったように足を鳴らしている。コツコツと、靴のつま先と床のぶつかる音が、静まり返った室内に思いのほか響き渡っている。
「ウィル」
「……なんでしょうか、殿下」
幼少期より俺は頻繁に王宮に出入りしていた。俺の父でもある公爵は、国王の右腕として政治に関わる仕事をしている。そのため、目の前で不機嫌そうに腕を組む殿下とは親しい仲である。
なんか暇さえあれば、殿下の遊び相手をさせられていた。第一王子ということもあり、気軽に知らない子供たちと遊ぶことが許されなかった殿下にとって、俺らアグナス公爵家の息子たちは恰好の遊び相手だったのだろう。身元もしっかりしているし、なんなら身内だし。
なので俺にとってダリス殿下は、この国の王太子殿下というよりは、幼少期によく遊んだ親戚の兄ちゃんという感覚の方が強い。
だから特に緊張することもなく対面していたのだが、ダリス殿下は難しい顔で俺のことを見据えてくる。
「ウィル。君は、私に対して謝罪をしに来たのでは?」
「そうですけど」
「そうか。では続けて」
偉そうに顎で指示してくる殿下に苛立つ気持ちをグッと堪える。殿下の言葉を否定するな、謝罪に徹しろと、朝から兄に口うるさく言われていた。
「えー。この度は、えー」
「この度は、なんだ?」
「俺の、じゃないや。私の不注意で、えっと。殿下の婚約者? みたいな人を、んと」
視線は殿下に向けたまま、上着の内ポケットを探る。殿下が怪訝な表情で首を傾げているが、構うものか。
そうして内ポケットから取り出した一枚の紙を、堂々と手元に広げる。
「殿下の婚約者であるカルロッタ様には大変なご無礼を」
「待て! 待て、ウィル!」
気を取り直して謝罪をしていたところ、鋭い声が飛んできたために、ぴたりと口を閉じて顔を上げた。眉を吊り上げたダリス殿下と視線が合う。
「その手元の紙はなんだ」
「兄に渡された謝罪文です」
「せめて文面くらいは自分で考えたらどうなんだ。いやそんなことよりも。メモを見ながら謝罪するんじゃない!」
「はぁ」
「なんだその気の抜けた返事は!」
手を伸ばしてくる殿下に、兄お手製の謝罪メモを渡してやる。一瞥した殿下は、深いため息をついた。
「ディックにも困ったものだな。こうやって甘やかすから、ろくなことにならない」
なんだか殿下の怒りの矛先が兄へと向かった気がする。これはチャンスとばかりに「本当ですね!」と全力で同意を示しておけば、「おまえが言うな」と睨まれてしまった。解せない。
ぽいっと謝罪メモを放り投げた殿下は、「こういう時には自分の言葉で謝罪するんだ」と妙なアドバイスを寄越してくる。
「はぁ、そうですか。じゃあ、すんません」
早口で述べて、ぺこりと頭を下げれば、隠しもしない舌打ちが降ってきた。がらの悪い王子である。
しかし、殿下の要望通り自分の言葉で謝罪した。この場はもうお開きで構わないだろうと考えて、殿下に背を向ける。
「じゃあ俺は忙しいので。もう帰りますね」
「待て、ウィル」
「え、もう終わりましたよね?」
「終わったわけがないだろう」
こっちに来いと手招きされて、今度はこちらが舌打ちしたくなる。
「俺、この後すぐに女の子とデートの約束があるんですけど」
「反省という概念を知らないのか?」
なぜだか絶句する殿下は、両手で顔を覆ってしまう。
「おまえは本当に……!」
そのまま突っ立って、続きを待ってみるが、殿下が会話を再開する気配はない。これは帰っていいやつ? そろそろと、扉に向けて忍び足で後退する。
そうして出口までたどり着いたところで。なぜだか勝手に扉が開いた。
咄嗟に避けようとしたのだが、勢いよく突入してくる女と肩がぶつかってしまう。「いって」と肩を押さえる俺を睨み付けてきた気の強い女は、聖女様であった。
「ウィル! あなた、またやらかしたそうですね!」
勢いのままに指を突き付けてくる美しい金髪の少女は、この国の聖女ソフィアである。王宮内に存在する神殿に引きこもり、国のために祈りを捧げる少女。
この国では十八で成人となる。聖女になる条件は、魔力が豊富な未成年の少女。成人に達すれば、新しい聖女へと代替わりすることになっている。
聖女を務めた者は、その後の人生においても聖なる神の使いとして様々な面で優遇される。つまり幼少期に聖女に選ばれれば、その後の人生は安泰というわけで、このポジションを狙う少女(というよりその親)は山ほどいる。
そんな熾烈な争いを勝ち抜いてきた今代の聖女は、現在十三歳。もちろん魔力は豊富。聖女として神様の加護を受けたおかげで、人間離れした力を有している。少々やんちゃな性格が玉に瑕という感じだが。
本日だって、神殿を抜け出して王太子殿下の自室に乗り込んできた。彼女の背後では、護衛役の騎士やお付きの神官がオロオロしている。
「聖女様」
慌てたように立ち上がるダリス殿下も、困ったような様子で彼女を部屋から追い出そうと奮闘している。聖女様は神様の分身的な役割を担うので、いくら王太子殿下とはいえ無下にはできないのだろう。
そんな焦りをみせる周囲をものともせず、聖女ソフィアは、俺にぐいぐい近寄ってくる。
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ニマニマと意地の悪い笑みを浮かべる聖女は、俺が殿下に呼び出されたと知って駆けつけたらしい。この女は、俺が殿下に呼び出される時は説教のためだと決めつけている節がある。面白おかしく毎度見学にやってくる嫌な女なのだ。
いくら聖女とはいえ、相手は完全に十三歳の少女。年下の女の子に舐められていい気はしない。ふんっとそっぽを向けば、聖女が「愛想わるぅ」と文句を垂れてくる。
「どうせあなたが余計なことをしたんでしょうけど。もう十八歳でしょ? そろそろ落ち着いた方がよろしいと思うけど?」
腰に手を当てて、嫌味ったらしく小首を傾げる聖女に、ふつふつと怒りが沸いてくる。ぎゅっと拳を握りしめれば、聖女と共に部屋へ乱入してきたフロイドが「まぁまぁ、落ち着いて」と俺の両肩を掴んでくる。
フロイドは、俺の護衛という名の見張り役である。
あれは俺が十五歳になった日であった。
ダリス殿下から誕生日プレゼントが用意されていると聞き、わくわくしていた少年時代。現れたのが、このフロイドであった。殿下からの誕生日プレゼントである。もっといい物を期待していた俺は、心底がっかりした。そんでもってフロイドが持参していたダリス殿下からの手紙に「おまえは目を離すとろくなことをしないので、見張り役をつけようと思う。仲良くするように」との文言を見つけて、もっとがっかりした。
それ以来、フロイドは俺の行動を監視しては、いちいち殿下に報告している。聞けば、所属は王立騎士団だという。だったら王族にでも引っ付いておけよ。俺に引っ付くな。
「怖い怖い。そんなんだから、いつまで経っても子供扱いされるのよ」
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