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13歳

閑話14 不幸な次男

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 ルンルン気分で廊下を歩いていた時である。玄関から入ってすぐの少しだけ広くなっている玄関ホール的な空間に、ブルース兄様がいた。なにやらぼんやりしている。

 俺は今、綿毛ちゃんを抱えて歩いていた。ジャンとロニーは部屋にいる。今日はひとりで、玄関先で遊ぼうと思っていたのだ。俺ももう十三歳である。あまり遠くへ行かなければ、ひとりで庭遊びしても誰もなにも言わない。綿毛ちゃんも一緒だし。

 だが、廊下の先にいるブルース兄様のことが気になる。俺は外に出たいので、必然的に玄関前にいるブルース兄様の横を通らなければならない。兄様は、だいたいいつもきびきび動く。シャキッと背筋を伸ばして、なぜか眼光鋭く大股で偉そうに歩くので、ぱっと見はめっちゃ怖い人に見える。キャンベルは、そんなブルース兄様の気迫にいまだにビビっている。中身はそんなに怖くないんだけどな。

 そんな兄様が、珍しくぼんやりしている。

 周囲には誰もいない。ひとり無言で佇んでいる。なにか考え事でもしているのか。それとも突然ぼんやりしたい気分になったのか。

 俺も、たまに突然ぼんやりしたくなる。
 暑い時は日陰で、寒い時は日向で。猫か犬を抱き枕代わりに、寝転んでボケッとするのは楽しいと思う。もしやブルース兄様もそんな気分なのだろうか。だが、兄様は犬も猫も持っていない。だからああして黙って突っ立っているのかもしれない。

 仕方がない。俺はできた弟なので、たまには兄様にも犬を貸してあげようと思う。俺はひとりでも遊べるから大丈夫。今日は暑いので噴水を見に行こうと思っている。

 そうして綿毛ちゃんを貸してやろうと、ブルース兄様目指して駆け出そうとしたその時である。

 ボケッとしていた兄様が、俺に気が付いてこちらを向いた。事件は、その瞬間に起こった。

 兄様がいた玄関ホールには、なんか高そうな花瓶が置かれている。インテリアだと思う。たまにお母様が、使用人に指示を出して違う花瓶と入れ替えたりしている。そこには、季節ごとの花が活けてある。

 ここまで言えば察しがつくだろう。

 ブルース兄様が俺を振り返ったその拍子に、兄様の腕が花瓶に当たった。それはもう見事に命中した。そんでもって、兄様からの攻撃を喰らった花瓶は、当然のように落下する。

 ガシャン、と。すごい音がしたのは言うまでもない。

 真っ二つに割れた花瓶と、驚きに目を見開くブルース兄様を見比べる。大きな音にびっくりした綿毛ちゃんは、ちょっと耳がぴくぴく動いている。この状況で、俺がやるべきことはひとつだった。

「落とした!! ブルース兄様が花瓶落とした! ダメなんだぞ、そんなことしたらぁ! お母様に言ってやる!」
「うるさい!」

 指を突きつけて大声出せば、兄様の方も負けじと大声を出してくる。

「お母様に謝れ!」
「おまえは向こうに行ってろ!」

 しっしっと、雑に俺を追い払おうとしてくるブルース兄様に駆け寄る。

 しゃがみ込んで花瓶を確認する。間違いなく割れている。

「触るな、おい。危ないからあっちに行ってろ」

 そんなことを言って俺を花瓶から遠ざけた兄様は、大きくため息を吐き出す。俺が花瓶を割ったら絶対に怒るくせに。なんだそのため息は。ジトッと無言の抗議のために兄様を睨みつけていれば、「あれ?」と気の抜けた声が割り込んできた。

「すごい音がしましたけど。あ、割れてる」

 ゆったりとした足取りで寄ってきたアロンは、ズボンのポケットに手を突っ込んで、やる気なさそうに遠目から花瓶を眺めている。

「ダメですよ、ルイス様。ブルース様もそんな怒らなくても。人間誰しもうっかりする時はありますからね。仕方がないですよ」
「アロン」

 このクソ野郎が。
 こいつは花瓶を割った犯人が俺だと決めつけている。なんて嫌な奴なんだ。

「違う! 割ったのはブルース兄様!」

 ムスッと頬を膨らませて、すかさず抗議する。それを聞いたアロンは、目を見張った。

「ブルース様が?」
「そう。俺じゃないから」

 兄様が、気まずそうに咳払いをした。それで犯人がブルース兄様だと納得したらしい。俺を庇うような姿勢を見せていたアロンが、途端に手のひらを返した。

「なにをしているんですか。花瓶割るとか。注意散漫なのでは?」
「おまえ、さっきは仕方がないと言っていなかったか?」
「え? 俺そんなこと言いましたっけ?」
「言っただろ」

 ブルース兄様とアロンが揉め始める。

『喧嘩しないでぇ』

 なぜか綿毛ちゃんが止めに入っているが、ふたりとも聞いていない。

「ユリスにも教えてあげよう」

 ユリスは、こういう事件が大好きだ。早速耳に入れてやろうと踵を返す俺の首根っこを、ブルース兄様が引っ掴んでくる。

「余計なことをするな」
「なんで。ユリスだけ仲間外れは可哀想」
「これはそういう話じゃないだろ」

 じゃあどういう話なんだ。
 ブルース兄様は、己の失態を広めてほしくないのだろう。ふむ。

「口止め料を寄越せ」
「うるさい」
「ユリスに言うぞ!? オーガス兄様にも言ってやる!」
「だからうるさいと言っている」

 ご機嫌ななめのブルース兄様は、口止め料のお菓子をくれなかった。酷すぎる。「ひどいね、綿毛ちゃん」と腕の中の毛玉に同意を求めれば、『そだねぇ』と怠そうな声が返ってきた。


※※※


「いいか、綿毛ちゃん。俺がこれ投げるから。ちゃんとキャッチしてね」
『オレは犬じゃないってば』

 ぐだぐだ言う綿毛ちゃんを無視して、ボールを構える。以前オーガス兄様にもらった小さめボールは、綿毛ちゃんと遊ぶのにぴったりだ。

 よくある犬がジャンプして空中でフリスビーをキャッチするやつをやってみたい。だが、俺はフリスビーを持っていない。代わりにボールでチャレンジしてみる。

 えいっと勢いよく放り投げる。綿毛ちゃんが渋々追いかけるが、ジャンプする前に『あ』と間の抜けた呟きが発せられる。

「いてっ」

 やっば。
 なんてこった。俺の投げたボールが誰かに当たったらしい。どうやら花壇の陰に人がしゃがみ込んでいたらしく、俺の立っている場所からは見えなかった。声を聞くにボールが命中したのだろう。

 のっそりと立ち上がった人物を見て、反射的に回れ右をした。

「おい、こら。逃げるな」

 右手にボールを持ったブルース兄様は、俺を睨みつけてくる。この人、こんなところでなにをしているんだ。

「人に向かってボールを投げるんじゃない」
「投げてないもん。ボールが落ちたところにたまたま兄様が居ただけだもん」
「またそんな屁理屈言って」

 先程、花瓶を割ったばかりで不機嫌モードのブルース兄様は、すべてを俺のせいにしてくる。本当に偶然なのに。綿毛ちゃんが『坊ちゃんは、なんというかボール投げるの下手くそだよね』と、どさくさに紛れて俺の悪口を言っている。俺が悪いのか?

「そんなところでなにしてたの?」

 そもそもは兄様が花壇の陰に隠れていたのが原因だ。軽く肩をすくめた兄様は「花を活けようと思って」と顎で花壇を示す。

 どうやら花を摘んで、花瓶に活けようと思ったらしい。

「なんで?」
「なんでって。新しい花瓶を出したから」

 聞けば、あの玄関先の花瓶にいつも花を活けているのはブルース兄様だったらしい。お母様じゃなかったのか。

「母上は花瓶を出しているだけだ」

 そういえば、お母様があれこれ悩みながら花瓶を配置する場面は何度か目にしたが、花を活けている場面は見たことがない。

「ブルース兄様、花好きなの?」
「花瓶だけ置いてなにも活けないのは変だろ」
「ふーん」

 そうかな? すげぇ高そうな花瓶だから。花瓶単体でも絵になるけどな。じっと兄様を見上げていれば、なぜか兄様の眉間に皺が寄る。

「ほら! あっちで遊べ」
「俺が先に遊んでたのに」
「いいから向こうに行け」

 横暴な兄だな。照れ隠しなのか?
 勢いで誤魔化そうとしているらしいブルース兄様に流されて、渋々場所を譲ってあげる。

 それにしても。
 花瓶を割るし、ボールが直撃するし。本日のブルース兄様はあれだな。

「今日のブルース兄様はちょっと不幸だよね」
「うるさい」
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