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12歳

300 そのままで

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「……眠れない」

 結局、いつも通り白猫エリスちゃんと一緒に寝ることになったのだが、全然眠れない。

 同じ屋敷内に、ベネットがいるのに。会えないとはどういうことだ。

 おやすみ前に眠れないと騒げば、ロニーがちょっとお喋りに付き合ってくれたけど、それでも眠気はいっこうに訪れない。簡単にいえば、テンション上がってじっとしていられないのだ。

 だって、ベネットいるし。

 明日の朝には帰ってしまうという。お泊まりしてくれたはいいものの、遊ぶ時間はたいして増えなかったのが、非常に不満である。夜更かしすると主張したのだが、フランシスにダメと一蹴されてしまった。

 ガバリと飛び起きて、猫を引き寄せる。むにゃむにゃしているエリスちゃんを抱っこして、室内をうろうろする。

 そうして暗い室内で過ごすうちに、ふと、ロニーと夜中に内緒でお茶したことを思い出した。

 ロニーは優しいから、俺とたくさんお喋りしてくれる。

 最近では、よくお兄さんの話をしてくれる。ロニーには、お兄さんがいるらしい。もう数年は会っていないと語るロニーは、昔を懐かしむような感じで、些細な思い出として。穏やかな表情で、静かに言葉を紡いでくれる。その優しい語り口が、俺は心地よくて大好きだ。大好きなんだけど、「とりとめのない話ですね」と、小さく苦笑するロニーを見るたびに、なんとなく羨ましいような気持ちにもなる。

 小さい頃の思い出があるって、いいな。

 俺は、なんにも覚えていない。気が付いたら、ユリスとしてここに居た。俺の中にはっきりとあるのは、ユリスとして過ごした十歳の頃の記憶から。自分がこの世界の生まれではないことはわかるのだが、それだけだ。前世でどんな生活していたのか、思い出せない。なんとなく、高校生やってた気はするのだが、それも時間が経つにつれて、どんどん曖昧になっていく。

 ロニーが、小さい頃のお兄さんの話を聞かせてくれるたびに、オーガス兄様やブルース兄様の小さい頃に思いを馳せる。

 ふたりの小さい頃って、どんな感じだったんだろう。あとユリス。いまいちなにを考えているのかわからないお子様だが、もっと小さい頃ってどんな様子だったのだろうか。

 ユリスについては、色々と噂を聞く。マーティーがよく、ユリスは悪魔だと語っていた。気持ちはわかる。あいつはユリスにいじめられていたから。

 でもそうやって、俺の知らない昔の話を、家族みんながわいわいと語る時。俺の知らない兄様たちの過去を知りたいという気持ちと、俺だけが居ない過去の話をしないでほしいという矛盾した思いが湧き上がる。その点、ロニーの思い出話は気楽に聞けるから好き。

 足を止めて、腕の中の猫を見下ろす。

 しんと静まり返る室内。みんなのことを考えたら、途端に人恋しくなった。窓の外は真っ暗。

「……行くぞ、猫」

 ガチャリとドアを開けて、そろそろと廊下に顔を出す。明かりのついた空間に出ると、わけもなくホッとする。猫を抱えたまま、パタパタと先を急ぐ。ロニーの部屋の前を通る時、ちらりと閉じられたドアに視線を注ぐが、すぐに顔を前へ戻した。


※※※


「……おっと。これは」
「フランシス。起きてた?」

 フランシスが使っている客間をノックすれば、ほとんど間を置かずに、静かにドアが開け放たれた。

 怪訝な顔を覗かせた彼は、俺を目視するなり額に手をやった。

「ルイスくん、ひとり?」
「? 猫も一緒」
「あー、うん。そうだね」

 きょろきょろと廊下を確認するフランシスは、なにかを考え込むように、突っ立っている。入口を塞ぐように佇む彼は、部屋に引き返そうとして、けれども躊躇うように俺へと視線を向ける。

「……困ったなぁ」

 小さく呟いたフランシスに、首を傾げる。猫をぎゅっと抱きしめて、室内の様子を覗き見る。

 白いシャツを身につけたフランシスは、寝ていたようには見えない。部屋も明かりがついている。結構遅い時間だと思うのだが、もしかして彼も眠れなかったのかな。でも、格好を見る限り、はなから寝るつもりがなかったかのように見受けられる。

「こんな時間にどうしたのかな?」

 ちょっと腰をかがめて、俺の目を覗き込んでくるフランシスは、部屋に入れてくれる気配がない。とりあえず、猫を差し出しておくが、フランシスはなんだか浮かない顔だ。

「ルイスくん。夜更かしはダメだよ」
「眠れないから。一緒寝よう」
「……」

 難しい顔で沈黙する彼は、どう返答するか迷っているように見えた。迷惑だったのかもしれない。

 やっぱりいいや、と口にしようとしたのだが。

「一緒に寝るのはダメだって、さっき理解してくれたんじゃなかったっけ?」
「ベネットとでしょ? ブルース兄様もよく言ってるよ。騎士と使用人の私室には入るなって」
「なるほど。そう理解したのか」

 間違ってはないけどね、と肩をすくめるフランシス。口ではそう言いながらも、今のはどう考えても俺が間違ったことをしているみたいな態度だった。

「あのね、ルイスくん」
「うん?」
「夜中にさ、人の部屋に突入するのは、やめたほうがいいと思うけどな」
「うん。ご迷惑?」
「いや迷惑というより。面倒なことになると困るだろ?」
「めんどう」

 きょとんとする俺に、フランシスは眉間に皺を寄せる。いつも飄々としている彼にしては、珍しく真剣だ。

「そう。面倒なことになるかもしれない」

 俺が抱えるエリスちゃんの頭を軽く触って、次に俺の頭を撫でてくる。いつもの乱雑な手つきではなく、壊れ物にでも触るみたいな、すごく優しい手つきだ。

「フランシス?」

 見上げた彼は、見たことのない表情だった。

 無表情とも違う。なにかを堪えるように、微かに眉間に皺が寄っている。いつもと違う雰囲気に、一歩後ろに下がった。

「こういうことをされるとさ。僕もちょっと勘違いをしてしまいそうになる」

 言うなり、フランシスが俺の前にしゃがみ込んだ。下から覗き込まれ、瞳が揺れる。

「っ」

 すっと、音もなく。右手で頬を触られて、びっくりしてしまう。意外と大きな手は、ひんやりしていた。

「君は多分、僕のことを信頼してくれているんだね。でも、そうやってなんでもかんでも信じてはいけないよ」

 言葉の意味を理解する前に、フランシスがにこりと微笑んだ。

 先程までの変な空気が霧散して、ヤンチャそうな一面が顔を出す。わしゃわしゃと、遠慮なく頭を撫でまわしてくる彼は、俺の肩を掴んで、無理矢理回れ右をさせてくる。

「はいはい。ということで、お部屋に戻ろうね。僕が案内してあげよう」

 背中を押されて、仕方がなく部屋に引き返す。道中、隣に並んだフランシスは、へらっと意味もなく笑っている。

「……フランシスとは、一緒に寝たらダメなの?」
「うん? ダメだよ」

 あっさり答えた彼は、「そもそも、僕が悪い大人だったらどうするつもりだい?」と、おかしな質問をしてくる。

「フランシスは、いい人」
「……どうだろうね」

 視線を逸らした彼は、部屋の前に来ると、ドアを開けてくれる。促されて、中に入るが、フランシスは立ち止まったまま。

「入んないの?」
「ルイスくん」
「なに」
「……やっぱり、いいや。でもこれだけは言わせて。君は、ゆっくり大人になるといい」
「俺はもう大人ですが?」

 ふはっと。吹き出すフランシスは、失礼だと思う。

「こういう世界だからね」
「どういう世界?」
「足の引っ張り合いとか、まぁ汚い大人の世界だよ」

 彼は多分、貴族社会のことを言っているのだろう。世の中いい人ばかりではないと語るフランシスは、心当たりでもあるのか。ちょっと悲しそうな目をしていた。

「君はそのまま、純粋なままでさ。大人になりなさい。幸い、君にはそれができる素質と環境がある」

 僕からのお願いだよ、と。

 小さく笑うフランシスは、結局、俺の部屋に入ることなく去って行った。
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