冷酷な少年に成り代わってしまった俺の話

岩永みやび

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 その日の午後。
 セドリックは仕事があると一旦席を外した。ティアンもクレイグ団長に呼ばれたとかで一緒について行ってしまい、俺はジャンと黒猫ユリスを従えて庭に出ていた。

 寒いから外は嫌だとごねる黒猫ユリスをマフラーでぐるぐる巻きにしてジャンに持たせている。『これ僕必要か? こいつに抱えられているだけでなんの意味があるんだ?』とにゃあにゃあ煩い。どれだけ外が嫌いなんだ。

 そうして遠目にこちらを観察してくる騎士たちを気にせずにいつも通り庭を駆け回っていた時である。大きめの木の裏に回り込んだその一瞬のことであった。

「こんにちは、ユリス様」
「怪しいお兄さん!」

 草木の合間から顔を覗かせた件の怪しいお兄さんは、ハンチング帽に手をかけて小声で話しかけてくる。どうやらジャンや騎士たちの視界から外れたごく僅かな時間を狙ったらしい。なんて奴! 凄腕スパイみたい!

「口止めにキャンディー渡したのに、あっさり暴露してくれましたね」
「あ、あれはついうっかりで」

 向こうからジャンが俺を呼ぶ声が聞こえてくる。ちらりと帽子の影からそちらに目をやったお兄さんは「くれぐれも内緒でお願いしますよ」と念押ししてくる。

「お兄さん何者? なにしてんの?」
「いえちょっと野暮用がありまして。心配せずともヴィアン家の敵ではありませんよ」
「本当に?」
「えぇ、本当に」

 上着のポケットに手を伸ばしたお兄さんは、クッキーを手渡してきた。

「これ俺がいつも食べてるクッキー!」
「でしょうね。ちょっと厨房からもらってきたんで」

 お菓子泥棒じゃん。え、まさかお菓子泥棒しに来てんのか、このお兄さん。俺のおやつが減ってしまう。危機感を覚えた俺は「厨房のあれは全部俺のものだから。勝手にとらないで」とお兄さんに強くお願いしておく。

 頰を掻いたお兄さんは「お菓子への執着がすごいな」と変な感心をしていた。

「じゃあ僕はこれで」
「待って! 怪しいお兄さん」
「……その呼び方やめません? なんか不名誉です」

 だって名前知らないしと首を傾げれば、お兄さんはニヤリと口角を上げた。

「僕のことはアリーと呼んでください」
「それ本名?」
「まぁ、概ね本名ですね」

 だから概ねってなに? 本名なの? 違うの? どっちだよ。

 適当なお兄さんは颯爽と去って行った。それにしてもこれだけ警戒されている中、俺に接触してくるなんてとんでもない人だな。


※※※


「そういえばあのお兄さん、ヴィアン家の敵ではないって言ってたよ」
「なんで今さら言うんだ。そういうことはすぐに言え」

 そろそろ冷えてきたのでお部屋に戻りましょう、とジャンが煩い。仕方なく部屋に戻った俺を待ち構えていたブルース兄様に報告してやれば少し怒られた。なぜ。

「だって今聞いたんだもん!」
「今⁉︎」

 目を剥いた兄様をみて再び「しまった!」と口元を押さえる俺。だって屋敷がざわざわしているから。危険なお兄さんではないということだけでも教えてあげようと思って。

「今会ったのか⁉︎」
「う、うーん?」

 お兄さんと内緒って約束したしな。迷っている俺であったが、ちょうどよく戻ってきたセドリックが手にする物を見て決意が揺らいだ。

「ユリス様。その怪しいお兄さんとやらについて教えてくださればこちらを差し上げましょう」
「……お菓子食べる」

 セドリックが渡してきたのは美味しそうな焼き菓子だった。やったぁ! と手放しで喜んでいるとブルース兄様がセドリックを睨みつけていた。

「うちの弟を餌付けするのはやめろ」
「事態の解決が優先です」

 きっぱり言い切ったセドリックは「そのお兄さんとやらはどんな人でした?」と訊いてくる。俺は記憶を頼りに例のお兄さんについて説明してやる。

「髪の毛長かった。お団子にしてたけど。なんでせっかく伸ばしてるのにお団子にしちゃうのか。伸ばす意味なくない? いや伸ばしては欲しいんだけど、なんか違うよね」
「なんの話だ」

 半眼になるブルース兄様に、俺は後ろで髪を括っただけの長髪男子くんが好きなのであって、お団子とかそういう凝った髪型はあまり好きではない旨を教えてやった。だが兄様は興味なさそうな顔をしていた。

「他には?」

 続きを促すセドリックは追加でお菓子を渡してくる。こんなにたくさんのお菓子どうしたのかと訊ねれば、「先程ニックにもらいました」との返事があった。よくわからない。ニックとセドリックって結局どういう関係なの?

 さっそくひとつをもぐもぐしながら、俺は知っていることを全部教えてあげた。

「アリーって名乗ってた」
「アリー? 偽名か?」
「概ね本名って言ってた」
「概ねってなんだ」

 知らんがな。
 なぜか俺を睨みつけるブルース兄様は、そのまま考え込んでしまう。

 結局、不審者の正体は不明なままだ。
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