ミコトサマ

都貴

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第一章

幽霊屋敷③-2

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今日も湿気の多い蒸し暑い風が吹いている。
可愛いからとブレザーを着用したのは間違いだった。
綾奈は隣りを歩く玲にちらりと視線を送る。

赤いタンクトップに、七分袖の薄手のフード付きの黒い上着と涼しそうな服装だ。
細身の紺のジーンズを着こなすスラリと背の高いモデル体型に美貌、我が兄ながらかっこいいと綾奈は思わず見惚れる。

「おはよう、綾奈」

 背後から足音もなく近寄ってきて声をかけられ、綾奈は肩を跳ねさせる。

「ごめん、驚かせた?」

 綾奈の顔を覗き込んだのは無二の親友、都築美也《つづきみや》だ。
美也は小学校の頃からずっと一緒にいる友達だ。

「おはよ、美也。全然気配も足音もなかったから、ちょっと驚いちゃった」

 美也が真っ黒な長い髪を揺らし、切れ長の瞳を細めて笑顔を浮かべる。

「じゃあドッキリ成功だ。ワザとこっそり近寄った甲斐があるわ。玲さんに見惚れてたから、ぜったい私に気付いてないと思ってた」
「もう、見惚れてなんてなってば。やめてよね、美也ったら」

 綾奈は美也と顔を見合わせて笑った。

「玲さん、おはようございます」
「おはよう、美也ちゃん」

 三人は自然と並んで歩き出した。

玲が大学で専攻している民俗学の話や、高校の授業の話など、他愛もない話をしながら人通りの少ない道を並んで歩いていると、背後から自転車の車輪が回る音が近付いてきた。
次いで、甲高いブレーキ音が聞こえた。

三人が足を止めて振り返ると、跳ねっ毛のショートカットの少女が自転車を引いて走り寄ってきた。

「綾奈、おっはよ~!」

朝っぱらから快活な声で綾奈を呼んだのは、綾奈の幼馴染の北川由梨絵《きたがわゆりえ》だ。
幼馴染といっても家が隣同士なだけで、特別仲がいいわけではない。

幼稚園の頃はよく家族ぐるみで付き合っていたけど、小学校以来、一緒に行動することはほとんどなくなり、時々家に遊びにきたり、地区別の行事の時に行動を共にしたりするだけの付き合いだ。
別々の高校に通うようになってからは、家が隣り同士にも関わらず、ずっと顔を合わすことがなかった。
由梨絵に言われてラインを交換したものの、最初によろしくと連絡しあってからは一度も活用されていない。

そんな希薄な仲なのに、由梨絵がやたら馴れ馴れしく走り寄ってくる理由は一つ。
玲がいるからに他ならない。

本人から聞いたわけではないが、由梨絵は玲が好きだ。
見ていればすぐにわかる。玲を見る由梨絵の狐目がきらきらと輝いている。

「おはようございまぁす、玲さん」
「おはよう、由梨絵ちゃん」
「お久しぶりですねっ、アタシ、髪染めたんですよぉ。似合います~?」
「明るい茶髪にしたんだね、似合っているよ」

 普段はハキハキした声なのに、由梨絵は玲と喋っている時はいつも甘ったれたような声をだす。

綾奈は値踏みするように由梨絵を上から下まで見た。
セーラー服のスカートを折り曲げ、白くてむっちりとした太腿を剥きだしにしている。スカートの丈は短ければ短いほどいいとでも思っているのだろうか。
あまりに短いとかえって見苦しい。

 綾奈の冷たい視線に気付かずに、由梨絵はわざわざ自転車を引いて玲に寄り添って歩いている。

トーンアップした声でしきりに玲に話しかける由梨絵に、綾奈は少し不愉快な気分になった。

兄目当てで近付いてくるのはやめて欲しいものだ。
うんざりする綾奈の隣で、美也も同じ表情を浮かべていた。

美也と由梨絵は犬猿の仲だ。
こうして偶然顔をあわせても、互いに声をかけることはない。

美也は由梨絵を見ると不機嫌そうな顔になり、由梨絵は美也のことを完全にフレームアウトしている。
二人が仲良く話すのは、猫がプールで華麗に泳ぐのよりも困難な気がする。

朝から居心地の悪いことになってしまった。
綾奈は眉根を小さく寄せる。


結局、由梨絵は最寄り駅の神座駅まで玲にべったりと付き纏っていた。

「じゃあ、俺はこっちのホームだから。綾奈、いってらっしゃい」
「うん、お兄ちゃんもいってらっしゃい」
「いってらっしゃ~い、玲さん!」

 綾奈の横から身を乗り出し、由梨絵が大袈裟に手を振った。
玲が苦笑しながらもちゃんと由梨絵に手を振り返し、ホームへの階段を登っていく。

兄を見送ると、綾奈と美也も階段を上った。
由梨絵が間に割って入ってきた。

「ねえ、綾奈の兄貴ってやっぱりカッコイイよね」
「そう、だね……」
「いいな~あんなにカッコイイ兄貴がいつもそばにいて。でも、ある意味それってカワイソウだよね」

 敢えてなのか無神経なのかはわからないが、由梨絵の言葉は悪意的で、綾奈を不快にした。
可哀相なんかじゃない。
そう反論したかったけど、言葉がでてこない。

綾奈が黙っていると、美也がかわりに怒りを露わにする。

「ちょっと。どういう意味よ、それ」
「べつにぃ。深い意味はないけどぉ。だって、超美形の兄貴がいても、兄貴とは結婚できないでしょ。恋人同士にもなれないし。いつか結婚したら、別れ別れになるじゃん。あ~あ、兄貴がカッコイイのも考えものよねぇ。その点、アタシはチャンスあるよね」

 鼻歌交じりに答えた由梨絵に、綾奈も美也もいっそう不愉快になった。

由梨絵にはたぶん、嫌味を言っているつもりはない。
ただ思ったことをそのまま口にしているだけなのだろう。

周囲の人間に一切気を使わない彼女らしい態度だが、自分の発言に責任を持ってもらいたいものだ。

「それにしても、ホント美也って綾奈とばっかいるよね。高校も綾奈が選んだから白藤(しらふじ)高校へ行ったんでしょ?」
「なにか問題でもある?」

 ジロリと美也が由梨絵を睨むが、由梨絵は平気そうな顔で笑う。

「べっつにぃ、問題とかないけど。いいよねぇ、二人とも頭よくって。アタシはアタマ悪いし勉強なんてマジメにする気ないから、暁商業を選んだけど、制服カワイイから白藤もいいなって思っただけ。それにしても綾奈、美也とばっかりいてもつまんないでしょ。高校で新しいトモダチとか作った?」

 余計な御世話だ。零れそうになった言葉を飲み込み、綾奈は素っ気なく返す。

「別に。美也とずっと一緒でもつまらなくなんかないよ」
「ふ~ん、そういうものなの?あっ、真希だ!アタシ行くね」

 好き放題喋ったあげく、別の友達を見つけて由梨絵は去っていった。

「やっと台風が去った。あんなのが隣りの家なんて最悪だよね」

 金髪の少女と楽しそうに喋り出した由梨絵を密かに睨みながら美也が呟く。
敵意丸出しの美也に綾奈は苦笑した。

「まあね。まあ、人生楽しそうで羨ましいかな」
「確かに。綾奈も私もごちゃごちゃ考えちゃうタチだから、ああいう能天気を見てるとイラッとくるけど、少し羨ましくなるよね」

 美也が大袈裟に肩を竦めた。
もう由梨絵に構われるのはごめんだと、綾奈と美也は彼女の居る場所から離れた場所に立って電車を待った。

待つこと数分、みっちりと人が詰まった電車がホームに滑り込む。

田舎で人があまり多くない神座山並《かみざやまなみ》町で育った綾奈や美也たちにとって、通勤ラッシュによる満員電車は地獄だった。

高校生になってはじめての朝の満員電車に乗った時は、あまりの人の多さに酷い圧迫感を覚え、目的地で降りた時にはフラフラになっていた。

高校に通い始めた頃は、二つ隣の白藤駅に行くまで十五分という短い時間でさえ耐え難かった。

相変わらず人が多いことに対する不快感は拭えないが、今では気分が悪くなることはもうない。

 白藤駅で降り、綾奈は美也と並んで通学路を歩いた。
駅から白藤高校までの道路には蕎麦屋や喫茶店や美術館がぽつぽつと建っている。

歩道が車道の両側にあり、自分の暮らす町と違って歩きやすい。

「由梨絵って、玲さんのこと絶対狙ってるよね」

 美也の意見に、綾奈は小さく頷く。

「うん、私もそう思う」
「正直、嫌でしょ?」
「そうだね。だってもし、由梨絵とお兄ちゃんが付きあって結婚でもしちゃったら、私と由梨絵が姉妹になっちゃうでしょ。絶対それだけは嫌かな」
「確かに、あんな無神経でおバカな姉妹がいたらムカつくね」

 本当はそれだけじゃない。ブラコンと笑われるかもしれないけど、兄を誰かにとられるのがちょっと嫌だった。玲が今までに家に恋人を連れてきたことはない。

あんなにハンサムで性格も優しいのに不思議だが、どうやら玲はあまり恋愛に興味がないらしく、女の影を匂わせたことは一度もないのだ。


もしも、玲恋人ができたらどうなるだろう。
やっぱり、恋人にべったりで構ってくれないようになるのだろうか。

玲とは一緒に買い物したり映画に行ったりしている。
それが突然、一緒にでかけてくれなくなったら少し淋しい。
その時のことを考えると、けっこう憂鬱な気分になる。

綾奈は思わず長い溜め息を漏らした。美也が励ますように肩をポンと叩く。

「大丈夫よ、綾奈。玲さん、ぜんぜん由梨絵に興味無いから、二人が付き合うなんてことは天と地がひっくり返ってもないわ」

 違うの、由梨絵に限ったことじゃないの。
内心そう思っていたが、相手が美也でもこの感情は知られたくなかった。

綾奈は誤魔化すように笑みを浮かべる。

「そうだね、ありがとう美也。それより、今日の小テストいやだね。自信ないよ」
「私もよ。数学はばっちりだけど国語がちょっとね」
「私は逆に数学が怖いよ。美也は数学得意だから羨ましいな」
「確かに数学は得意だけど、そのぶん国語は全然だめ。そういう綾奈は国語得意でしょ。漢字とかばっちりだし」

 玲の話からテストの話に話題が逸れ、綾奈はほっとした。疾しい気持ちがあるわけではないけれど、玲の恋愛に関する話題は避けたかった。
しかし、テストの話はテストの話で気分が重たくなる。

もっと楽しそうな話題に転換しようと考えていると、ふと脳裏に昨夜の幽霊屋敷の人影が過ぎった。

 明るい話題どころか、一層薄暗い話題になってしまう。そう思いながらも、綾奈は聞かずにはいられなかった。

「ねえ美也、町はずれの幽霊屋敷の噂ってどんな話だったか覚えてる?ほら、なんかミコトサマっていう幽霊の話」

 教室の席に着くなり尋ねた綾奈に、美也が眉を顰める。

「それって小学校の時に流行った噂だよね?きゅうにどうしたの、綾奈ってホラー好きだっけ?」

 怪訝な表情を浮かべる美也に綾奈は苦笑を浮かべた。

「べつに好きじゃないけど、昨日ね、幽霊屋敷の前を通ったの。その時、なんだか怖いものを見ちゃった気がして」
「怖いもの?なに、それ」
「うん、髪の長い女の人。あそこって確か、怖い噂話あったよね」
「あったね。小学校の時だっけ、噂が流行ったの」
「たぶんそうだったと思う。美也、内容覚えてる?」
「うぅん、どんな話だったっけ」

 唸り声を上げながら美也は思い出そうとしてくれていたが、彼女が話を思い出す前に始業ベルが鳴った。





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