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第四章

戯れる猛者と嘆きの魂

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 むき出しとなった喉仏が大きく波打ったのを見て、アレクはその場に崩れ落ちた。

 必死になにかを叫びたくて、喚きたくて、心臓は潰れてしまいそうなほど痛んだ。

 入り乱れ、とめどなく溢れる感情は荒れ狂う大海原のように制御が効かない。

 大きく開かれた紫色の瞳から、破綻はたんした感情は大粒の涙となって頬を濡らし続ける。

 クッキーを片手にゲイリーはそんなアレクを静かに見つめていた。冷たくもあり同情するようでもあり、まったく何も考えていないようでもある、感情の読み取れない目をして。

 ロナルドが飲み干したことを確認した手下は押さえつけていた手を放した。

 唯一の支えを失い、虚ろな表情を浮かべたままロナルドの体は力なくその場に倒れこむ。

 光をなくした瞳に映るのは、視線と平行を保つ紅い絨毯の細やかな毛並みのみ。

 ロナルドは残存した意識の中で途切れ途切れに少量ずつしか吸い込めない空気を、なんとか精一杯吸い込もうともがく。

 傍目にはロナルドの体は微動だにひとつしていなかったが、動作という機能を停止したひとの器の中で、ロナルドの意識だけは狂いそうなほど必死に抗っていた。

 けれど息苦しさはいつまでも改善されず、もがけばもがくほど体力さえも奪っていく。

 体内に熱がこもって全身から汗が噴き出し、喉は渇きうめき声すらだせず。喉を掻きむしり、穴を空けてしまいたいほどだった。

 延々と続く生き地獄の中で薄らと瞳を濡らし、ロナルドの精神だけが狂った叫び声をあげて暴れ回っている。

 だがその体は死んだようにその場に転がるのみ。

「ふむ。呼吸が乱れ、脈も不安定です。意識はあるでしょうが、完全に麻痺状態です」

 ロナルドの手首や首筋に触れて、反射反応などを念入りに調べた執事がそう告げる。満足げにうなずいたオクルールにエレノアはにっこりと微笑んだ。

「ご満足して頂けたでしょうか。ですが、あくまでこれはゴドリュースです。劇薬であるゴドリュースは確実に死に至らしめる。呼吸困難と全身麻痺。それも長期に渡って体をむしばめば合併症を引き起こし、いずれは死を迎えます。助けるつもりがおありでしたら、早めに解毒剤の投与をお勧めします」

 最後の方は、声のトーンがやや落ちた。本心ではなかったから。

 ゲイリーはピクリと口元を引きつらせる。

「おい。そういうことは早めにいえよ。商品のリスクを隠すのは褒められたものじゃないな。エレノアさんよ」

 短い沈黙の中でふたりは怒りの滲む視線を静かに交える。

 エレノアとしては殺せと命じたオクルールの判断に大賛成だったのだ。それを誰彼構わず火遊びの対象にするしか能のない、軽薄な男のわがままで見逃すなど納得がいかない。

 あばよくば実験と称してここで殺してしまいたかった。オクルールもその意図を汲んでせめて二滴入れてくれたら事後報告で済んだのに、律儀にも一滴しか使用しなかった。

 そのためオクルールに殺す意思がないことを悟ったエレノアは、諦めて事実を話すことにしたのだ。

「よこしな」

 席を立ち上がったゲイリーは冷ややかな眼差しをエレノアに向けて手を差し出した。

 女のように細く、長い指。恐らく全部魔道具の類だろうが、はめられた指輪は自分でアレンジでも施したのか、見たこともないデザインの物ばかり。

 一本気の男らしい気質を好むエレノアからしてみると、無駄に洒落けついたこの男の風貌には虫唾が走る。

 テーブルに広げたトランクは二重底になっており、一段目にはゴドリュース。二段目には解毒剤をしまっていた。

 一段目を抜き出して横に置き、底にあった透明な解毒剤入りの小瓶をひとつ、ゲイリーの手に置く。

「即効性を求めるなら、それを三本飲ませればいいわ。時間が経つほど効果は薄くなるけれど、今ならまだ効くでしょう」

「そんなに必要なのか?」

 たった一滴の毒で解毒剤が三本。足元を見られているのではとゲイリーは怪訝な顔をする。

「ええ、嘘じゃないわ。ゴドリュースは劇薬だもの。簡単に解毒できるはずがないでしょう?」

 疑われたことに気を悪くし、エレノアは逆に責める口調で答える。しかしすぐにこれではオクルールの信用も勝ち取れないのではと思い直し、ため息混じりに言葉を重ねた。

「実は解毒剤の原料となるリラ・フォックスの胆嚢は毒性が強いの。毒をもって毒を制す。その作用を利用して作られているのよ。そのために解毒剤はかなり希釈して作られているから、その分本数が必要になるってわけ。わかったかしら」

「それが本当なら、なぜ俺の手の上にはひとつしか乗ってないんだ?」

「ひとつはサービスよ。まさか、残りの二本もタダで手に入れる気なの?」

 勝ち誇った顔のエレノアに、オクルールの目が鋭く光る。

 やはり闇商人。貴重な解毒剤をやすやすと渡すはずもない。今回はゲイリーがあの者たちを庇ったことに商機を見たのだろう。

 だが一筋縄でいかないのはゲイリーも同じこと。

 ゲイリーの顔に焦りの色など微塵も浮かばない。むしろたのしそうにエレノアを見つめ、口角をつり上げてみせた。

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