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第四章
月夜の下で
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「副隊長! ご無事ですか。あの者はいったい?」
「いまは気にしなくていいよ。それよりもゲイリー・ヴァレットの追跡が先だ。捕らえた連中は牢に入れておけ。これより地上に戻る。そう皆に伝えてくれるかい」
「はっ!」
駆けてきた隊員とベインの遠い背中を見送りながら、ロナルドはそう告げる。
欲をだせばここでベインを捕らえておきたかったが、生憎こちらには時間がない。最優先すべきはゴドリュースの確保であり、万が一に備えて人手を割くわけにはいかないのだ。
「アレク。さっきは突き飛ばしてしまって悪かったね。怪我はないかい?」
嘘のように立ち去ったベインの背中を茫然と見送っていたのはアレクも同じこと。
ハッとして見上げれば、そこにはいつもと変わらない笑顔を向けるロナルドと差しだされた手。制服はボロボロで頬には切り傷があった。
気になることは山ほどある。だけどいまは目の前にいるロナルドが無事だったことに心から安堵して、アレクは少しだけ息をついた。
「僕は大丈夫です。それよりロナルドは? 血が……」
「ああ。これかい? 酒場の奴らが手当たり次第酒瓶を投げてきたものだから破片で切れたんだよ。たいした怪我じゃない。心配はいらないよ」
少し困った顔をして頬の傷を指先で触れてから、ロナルドはアレクのあたまに手を置いて笑ってみせた。
「ベインのことは俺も気になるけど、いまはゲイリーを追いかけよう。もう地下街にはいないだろうから、まずは地上に出て奴がどの階段から現れたか調べないとね」
消えたベインの背中に視線を馳せてロナルドが目を細めれば、アレクはニックが追っていた方角を指さした。
「それなら……ゲイリーはあちらの方向に走っていったので東階段かと思います」
「東?」
ロナルドはその言葉に少し考え込む素振りをみせる。だがそれも一瞬のことで彼は即座に行動を移した。
手の空いた隊員を伴い東階段を駆け上ってみれば、明るい月明かりの下で数人の隊員がそわそわとロナルドを待ち侘びており、姿を目にするなり駆けだしてくる。
「副隊長! ゲイリー・ヴァレットと思われる人物が先ほど通過しました。現在ニックが数名の隊員を伴って追跡に当たっています」
「追跡魔法は使っているね? 案内を頼むよ」
「はっ!」
東口階段からそれほど遠くないその場所は、立派な門構えの豪邸が幾つも建ち並ぶ高級住宅街だった。
一時的に身を隠すにしろ直接取引現場に向かうにしろ、人目を避けた場所を選ぶと思っていたアレクだったが、その予想は見事に外れたようだ。
スタローン王国上層東地区、貴族街。
そこは国内でも特に格式高い人間が集う場所だ。
マーリナスやロナルドが居住を置く南地区は商業施設が建ち並ぶ西地区ほどではないが酒場も点在し、時折夜中でもジャズの音と酒に酔った人々の喧騒が風に乗ってきこえてくるような、庶民的な雰囲気を持つ場所だ。
しかしこの東地区ではそのような喧騒は一切聞こえてこない。
厚い雲が度々月明かりをさえぎる下では、足音ひとつにも配慮が必要なほどの静寂だけが帳の中でひっそりと息をしている。
馬鹿笑いを人前で晒すことはマナー違反だと教育されて生きてきた者たち。
同じ上層でも地区によって格式の線引きはきちんと行われており、路を歩むだけでもドレスコードが要求されるような場所なのである。
そんな高級住宅街を歩み始めて間もなく、先を行く隊員が奥を指さした。
みれば少し先に闇夜に紛れ垣根を隠れ蓑にして身を潜めているニックと隊員たちの姿がある。その場にアレクとロナルドは身を屈めて入り込んだ。
「嫌な予感はしていたんだけどね。ニック、本当にここなのかい?」
「確かにここなのですが……わたしもどうしたものか困り果てていたのです。まさかこんな場所に逃げ込むとは思いもしませんでしたから」
警備隊駐屯地と自宅の行き来しかしていないアレクにはわからなかったが、恐らくロナルドは東階段というワードからこの状況を読んでいたのかもしれない。
東階段と告げたときのロナルドの表情が少し引っかかっていたけど、これで理由は判明した。
ロナルドにとってもこれは想定外のことだったのだろう。アレクは身を潜めながら眼前にそびえ立つ豪邸を見上げる。
この地区にある建物は皆大差なく豪華な造りの住宅ばかりだったが、この家はそれらの建物の中でも一際目立つ。
敷地の広さも他の数倍はあるようだし、横長に構えるその佇まいは家というより館という表現のほうがしっくりくる。
それだけでもよほど格式の高い人間が住んでいるのだろうと想像はつくのだが。どうも隊員たちの様子がおかしいことにアレクは気がついた。
ひそひそと顔を見合わせて言葉を交わし、不安そうにこっそりとロナルドの顔色をうかがっている。
「ここには誰が住んでいるんですか?」
そんな隊員たちの様子はその場の空気を不穏とさせる。ロナルドも感じ取ったのか、難しい表情を浮かべながら重々しく口を開いた。
「オクルール大臣閣下の官邸だよ」
「いまは気にしなくていいよ。それよりもゲイリー・ヴァレットの追跡が先だ。捕らえた連中は牢に入れておけ。これより地上に戻る。そう皆に伝えてくれるかい」
「はっ!」
駆けてきた隊員とベインの遠い背中を見送りながら、ロナルドはそう告げる。
欲をだせばここでベインを捕らえておきたかったが、生憎こちらには時間がない。最優先すべきはゴドリュースの確保であり、万が一に備えて人手を割くわけにはいかないのだ。
「アレク。さっきは突き飛ばしてしまって悪かったね。怪我はないかい?」
嘘のように立ち去ったベインの背中を茫然と見送っていたのはアレクも同じこと。
ハッとして見上げれば、そこにはいつもと変わらない笑顔を向けるロナルドと差しだされた手。制服はボロボロで頬には切り傷があった。
気になることは山ほどある。だけどいまは目の前にいるロナルドが無事だったことに心から安堵して、アレクは少しだけ息をついた。
「僕は大丈夫です。それよりロナルドは? 血が……」
「ああ。これかい? 酒場の奴らが手当たり次第酒瓶を投げてきたものだから破片で切れたんだよ。たいした怪我じゃない。心配はいらないよ」
少し困った顔をして頬の傷を指先で触れてから、ロナルドはアレクのあたまに手を置いて笑ってみせた。
「ベインのことは俺も気になるけど、いまはゲイリーを追いかけよう。もう地下街にはいないだろうから、まずは地上に出て奴がどの階段から現れたか調べないとね」
消えたベインの背中に視線を馳せてロナルドが目を細めれば、アレクはニックが追っていた方角を指さした。
「それなら……ゲイリーはあちらの方向に走っていったので東階段かと思います」
「東?」
ロナルドはその言葉に少し考え込む素振りをみせる。だがそれも一瞬のことで彼は即座に行動を移した。
手の空いた隊員を伴い東階段を駆け上ってみれば、明るい月明かりの下で数人の隊員がそわそわとロナルドを待ち侘びており、姿を目にするなり駆けだしてくる。
「副隊長! ゲイリー・ヴァレットと思われる人物が先ほど通過しました。現在ニックが数名の隊員を伴って追跡に当たっています」
「追跡魔法は使っているね? 案内を頼むよ」
「はっ!」
東口階段からそれほど遠くないその場所は、立派な門構えの豪邸が幾つも建ち並ぶ高級住宅街だった。
一時的に身を隠すにしろ直接取引現場に向かうにしろ、人目を避けた場所を選ぶと思っていたアレクだったが、その予想は見事に外れたようだ。
スタローン王国上層東地区、貴族街。
そこは国内でも特に格式高い人間が集う場所だ。
マーリナスやロナルドが居住を置く南地区は商業施設が建ち並ぶ西地区ほどではないが酒場も点在し、時折夜中でもジャズの音と酒に酔った人々の喧騒が風に乗ってきこえてくるような、庶民的な雰囲気を持つ場所だ。
しかしこの東地区ではそのような喧騒は一切聞こえてこない。
厚い雲が度々月明かりをさえぎる下では、足音ひとつにも配慮が必要なほどの静寂だけが帳の中でひっそりと息をしている。
馬鹿笑いを人前で晒すことはマナー違反だと教育されて生きてきた者たち。
同じ上層でも地区によって格式の線引きはきちんと行われており、路を歩むだけでもドレスコードが要求されるような場所なのである。
そんな高級住宅街を歩み始めて間もなく、先を行く隊員が奥を指さした。
みれば少し先に闇夜に紛れ垣根を隠れ蓑にして身を潜めているニックと隊員たちの姿がある。その場にアレクとロナルドは身を屈めて入り込んだ。
「嫌な予感はしていたんだけどね。ニック、本当にここなのかい?」
「確かにここなのですが……わたしもどうしたものか困り果てていたのです。まさかこんな場所に逃げ込むとは思いもしませんでしたから」
警備隊駐屯地と自宅の行き来しかしていないアレクにはわからなかったが、恐らくロナルドは東階段というワードからこの状況を読んでいたのかもしれない。
東階段と告げたときのロナルドの表情が少し引っかかっていたけど、これで理由は判明した。
ロナルドにとってもこれは想定外のことだったのだろう。アレクは身を潜めながら眼前にそびえ立つ豪邸を見上げる。
この地区にある建物は皆大差なく豪華な造りの住宅ばかりだったが、この家はそれらの建物の中でも一際目立つ。
敷地の広さも他の数倍はあるようだし、横長に構えるその佇まいは家というより館という表現のほうがしっくりくる。
それだけでもよほど格式の高い人間が住んでいるのだろうと想像はつくのだが。どうも隊員たちの様子がおかしいことにアレクは気がついた。
ひそひそと顔を見合わせて言葉を交わし、不安そうにこっそりとロナルドの顔色をうかがっている。
「ここには誰が住んでいるんですか?」
そんな隊員たちの様子はその場の空気を不穏とさせる。ロナルドも感じ取ったのか、難しい表情を浮かべながら重々しく口を開いた。
「オクルール大臣閣下の官邸だよ」
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