平成寄宿舎ものがたり

藤沢 南

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諸岡百合子、その想い

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   諸岡百合子もろおかゆりこは、寄宿舎制度自体をあまりよく思っていなかった。平成の世にあって、公立の伝統のある進学校の人気が年々高まっている。田舎の公立高校の成績トップ校の中には甲子園に出る高校もあるご時世だ。昭和末期は私立高校が甲子園を目指し、公立名門高校が難関大学を目指していたが、平成は公立の進学校が文武両道の優秀な生徒を集めるようになっている。

   ことにこの川越第一女子高校は、埼玉県や周辺県から優秀な女子生徒を集める学校として有名だったが、平成になってからは優秀なだけでなく、富裕層の令嬢かつ成績優秀な女子生徒が徐々に集まるようになった。それにより一女の寄宿舎生は年々減っていったが、いまだ寄宿舎は廃止にならない。富裕層の令嬢が増えていく一方、経済的に苦しい生活に耐え、一女の入試を突破した生徒も少数ながら存在している。諸岡百合子は、そんな平成時代の一女の女子生徒だった。諸岡は、この川越第一女子高校を「育ちの良いお嬢様で成績優秀な女子生徒」の集まる高校にして、日本の、いやアジアに名を馳せる名門にするのが彼女の目標であった。

諸岡百合子がそんな考えに至った経緯としては、高校1年生の夏に、カナダの名門ハイスクールである、ラ=ファイエット高校に1ヶ月間の県費留学したことがきっかけだった。埼玉県でたった3名の県費留学を勝ち取った彼女は、その短期留学で色々な事を学び、また、母校の川越第一女子高校の在り方についても考えを巡らせるようになった。そして10月の生徒会役員選挙で初期に立候補。あっさり当選した。
「この学校を埼玉だけでなく、全国区の名門に、ゆくゆくはアジアの名門に。世界中から優秀な生徒を集められる学校にして、次世代にバトンタッチしたい。」
生徒たちからの評判は、賛否両論だった。彼女の演説は、アジアの名門なんて大きく出過ぎ、との冷ややかな意見と、県費留学生の諸岡さんなら、何か大きな事を成し遂げるかもしれない、との意見が半々ぐらいだった。なんといっても県費留学生の肩書きがモノを言い、上級生達の立候補者を蹴散らし、見事に書記に選ばれた。ただ、生徒指導部をはじめ、総じて教師陣からのウケは良かった。
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