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2話
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社殿の前で、手を打つ。
——カン、カン——
こういう時はパンパン、と言う音が聞こえるのが普通なのかもしれないが、僕の耳には柏手が社殿の中に、境内に響いて、カン、カン、と聞こえる。
清々しい音だ。
僕はそのまま静かに手を合わせ、社殿に向かって願う。
——レイが、死にますように
本当に物騒な願掛けだと思う。飼い猫に死ねと、心の中で言っているようなものだ。いや、実際言っている。
でも、最早出勤前の習慣と化している参拝において、手を合わせるという行為をすると自動的に猫の事を考えてしまうのだ。祈って、願ってしまうのだ。
そんな自分が、嫌になる。
手を合わせ終わって、一礼して、くるりと体を後ろに向ける。
誰かの願いとは裏腹に、境内はさっぱりと、爽やかな空気感が漂っていた。
僕はぐるりと境内を見渡してみる。
左の方に、複数の立木。樹の上の方は、風が吹いているのか、さわさわ、さわさわと小気味良い音を立てて揺れている。
その立木の奥にはもう一つの社殿。何処の、誰が祀られているのかは知らない。
次に、境内の中央部を眺める。
参道が伸びている。
よく参道は、産道だ、と聞くことがある。
神社に参拝するということは生まれ変わること。鳥居をくぐって女性の体内に入り、産道を逆行して社殿という名の子宮にもう一度、入り、生まれ直すという思想らしい。
なら、僕は出勤する毎朝、悪児に生まれ変わっているという事なんだろうか。子宮に向かって、ネガティブな願掛けをして、参道を通って、生まれ直す。
なんて嫌な話だ。思って僕は、左側の立木の林に視線を戻した。
木、樹、木、樹。木が、樹が、生えている。その中、小さなもう一つの社殿の足元。それは、あった。
変な石だ。
そう、奇妙で、不気味な、変な石だ。
その石を変な石たらしめている所以、それは、その石が、消えたり、現れたりするからだ。いつからか——いや、その石は僕が彼女と別れた頃から神社内に現れた。
本当に不思議である。というか、超常現象の類なのかもしれない。でも慣れとは恐ろしい物で、この街の人はこの現象をそういう物だと割り切っている。
たまにオカルトチックな雰囲気を漂わせている人とか、マスコミの取材班などが来るらしいがそれも、それだけである。それ以上もそれ以下も、何も起こらない。
とりあえず、僕としては、不思議な石を深夜の間にときたま持ち込み、神社という場所の神秘性を再確認させようとする人間の仕業だと考えている。
だから僕は、石に近づいて、そんな人間の思惑に応えるように、触れてみる。これでこの石に触るのは十五回目だ。
横八十、縦四十センチメートル程の、一抱えの石。別に丸っこくはないけれど、何か肥えたような印象のボッテリとした石。
その石はほんのり温かかった。いつもの事だ。最初こそ驚いたが、最近は近所の人も触っているのを見て、その手のぬくもりを吸収して温かくなっているのだろうと思っている。
触っていて、いつも思うことだが、少し怖い……
周りは林、不気味な暗さと、ひんやりとした空気が満ちている。
背筋がほんの少し、ぞわぞわする。
それは果たして石のせいなのか、それとも場の雰囲気のせいなのか、それは分からなかった。
たっぷりとそのその石に触れ、不気味さをチャージした所で、僕は石から離れた。今は出勤中なのだ。ずっとこうしているわけにもいかない。
石から離れる。林から出る。
——相変わらず、爽やかで、清々しい境内だ
朝の境内には誰もいない。
ひんやりと、空気が流れる。
それを肌で感じながら鳥居をくぐる————
その時、背後で木を揺さぶるような、ガサゴソという喧しい音と共に男性の唸るような、力む様な声が聞こえた。
僕は普段と違う、その状況に戸惑いはあったが、しかし、興味が湧いて、音がした方に歩いて見てみる。
見た。
そこにいたのは——男? その男は上半身を黒色のコーチジャケットで包み、下半身をオーバーサイズの、ガラガラしたギミックパンツで飾っていた。おまけに頭にはヨレヨレで、ツバが長めのバケットハット。もちろんギミックパンツも、バケットハットも黒色。
完全に不審者だった。誰がどう見ようが、不審者だった。
その男は見た目こそ不審者だったが、行動も不審行動を取っていた。
持ち上げようとしている。踏ん張って、力んでいる。それを、横に置いたリュックサックに入れようと、踏ん張っている。
言葉にできない、力み声が聞こえる。
そして力み声に混じって、コラ、とか、おい、とかクソ、とか、汚らしい言葉が聞こえる。
僕の存在に気づいていないその男は、一抱えほどの石を、リュックサックに入れようと、一生懸命踏ん張っていた。
——真逆、あの石を出現させている張本人と出くわしたか?
瞬間思ったが、その男の仕草、手際の悪さから推し量るに、それは無いとすぐに思い至った。
そんな事を僕が呑気に思っていると、男が力むのを止めた。そしてあたりをちらりと見回し、そして、僕の姿を認めた——ようだった。
その時、明らかになった男の顔は、酷く痩せ細って、まるで餓鬼のように見えた……いや、それは流石に言い過ぎだが、とにかく、頬肉はげっそりと皮だけの様な見た目だし、眼は眼窩に沈んでいるし、鼻はもう、木乃伊の様だった。
とにかく、不健康そのものの顔だった。
僕がその顔を認めると、男は酷く驚いたような仕草——大袈裟なほど体をビクつかせた——をとり、大急ぎでリュックサックを拾って林の奥へ消えた。
「は?」
意味不明な状況に、僕は思わず声が漏れた。その声は恐らくかなり間抜けな声だったと思う。
とりあえず男の後を追ってみる。もしあの男が石を盗もうとしていたのなら——僕の毎日のひそかな楽しみである、あの石を盗まれるは面白くないというか、ぞっとしない。いや、あの男にはぞっとしたが
——カン、カン——
こういう時はパンパン、と言う音が聞こえるのが普通なのかもしれないが、僕の耳には柏手が社殿の中に、境内に響いて、カン、カン、と聞こえる。
清々しい音だ。
僕はそのまま静かに手を合わせ、社殿に向かって願う。
——レイが、死にますように
本当に物騒な願掛けだと思う。飼い猫に死ねと、心の中で言っているようなものだ。いや、実際言っている。
でも、最早出勤前の習慣と化している参拝において、手を合わせるという行為をすると自動的に猫の事を考えてしまうのだ。祈って、願ってしまうのだ。
そんな自分が、嫌になる。
手を合わせ終わって、一礼して、くるりと体を後ろに向ける。
誰かの願いとは裏腹に、境内はさっぱりと、爽やかな空気感が漂っていた。
僕はぐるりと境内を見渡してみる。
左の方に、複数の立木。樹の上の方は、風が吹いているのか、さわさわ、さわさわと小気味良い音を立てて揺れている。
その立木の奥にはもう一つの社殿。何処の、誰が祀られているのかは知らない。
次に、境内の中央部を眺める。
参道が伸びている。
よく参道は、産道だ、と聞くことがある。
神社に参拝するということは生まれ変わること。鳥居をくぐって女性の体内に入り、産道を逆行して社殿という名の子宮にもう一度、入り、生まれ直すという思想らしい。
なら、僕は出勤する毎朝、悪児に生まれ変わっているという事なんだろうか。子宮に向かって、ネガティブな願掛けをして、参道を通って、生まれ直す。
なんて嫌な話だ。思って僕は、左側の立木の林に視線を戻した。
木、樹、木、樹。木が、樹が、生えている。その中、小さなもう一つの社殿の足元。それは、あった。
変な石だ。
そう、奇妙で、不気味な、変な石だ。
その石を変な石たらしめている所以、それは、その石が、消えたり、現れたりするからだ。いつからか——いや、その石は僕が彼女と別れた頃から神社内に現れた。
本当に不思議である。というか、超常現象の類なのかもしれない。でも慣れとは恐ろしい物で、この街の人はこの現象をそういう物だと割り切っている。
たまにオカルトチックな雰囲気を漂わせている人とか、マスコミの取材班などが来るらしいがそれも、それだけである。それ以上もそれ以下も、何も起こらない。
とりあえず、僕としては、不思議な石を深夜の間にときたま持ち込み、神社という場所の神秘性を再確認させようとする人間の仕業だと考えている。
だから僕は、石に近づいて、そんな人間の思惑に応えるように、触れてみる。これでこの石に触るのは十五回目だ。
横八十、縦四十センチメートル程の、一抱えの石。別に丸っこくはないけれど、何か肥えたような印象のボッテリとした石。
その石はほんのり温かかった。いつもの事だ。最初こそ驚いたが、最近は近所の人も触っているのを見て、その手のぬくもりを吸収して温かくなっているのだろうと思っている。
触っていて、いつも思うことだが、少し怖い……
周りは林、不気味な暗さと、ひんやりとした空気が満ちている。
背筋がほんの少し、ぞわぞわする。
それは果たして石のせいなのか、それとも場の雰囲気のせいなのか、それは分からなかった。
たっぷりとそのその石に触れ、不気味さをチャージした所で、僕は石から離れた。今は出勤中なのだ。ずっとこうしているわけにもいかない。
石から離れる。林から出る。
——相変わらず、爽やかで、清々しい境内だ
朝の境内には誰もいない。
ひんやりと、空気が流れる。
それを肌で感じながら鳥居をくぐる————
その時、背後で木を揺さぶるような、ガサゴソという喧しい音と共に男性の唸るような、力む様な声が聞こえた。
僕は普段と違う、その状況に戸惑いはあったが、しかし、興味が湧いて、音がした方に歩いて見てみる。
見た。
そこにいたのは——男? その男は上半身を黒色のコーチジャケットで包み、下半身をオーバーサイズの、ガラガラしたギミックパンツで飾っていた。おまけに頭にはヨレヨレで、ツバが長めのバケットハット。もちろんギミックパンツも、バケットハットも黒色。
完全に不審者だった。誰がどう見ようが、不審者だった。
その男は見た目こそ不審者だったが、行動も不審行動を取っていた。
持ち上げようとしている。踏ん張って、力んでいる。それを、横に置いたリュックサックに入れようと、踏ん張っている。
言葉にできない、力み声が聞こえる。
そして力み声に混じって、コラ、とか、おい、とかクソ、とか、汚らしい言葉が聞こえる。
僕の存在に気づいていないその男は、一抱えほどの石を、リュックサックに入れようと、一生懸命踏ん張っていた。
——真逆、あの石を出現させている張本人と出くわしたか?
瞬間思ったが、その男の仕草、手際の悪さから推し量るに、それは無いとすぐに思い至った。
そんな事を僕が呑気に思っていると、男が力むのを止めた。そしてあたりをちらりと見回し、そして、僕の姿を認めた——ようだった。
その時、明らかになった男の顔は、酷く痩せ細って、まるで餓鬼のように見えた……いや、それは流石に言い過ぎだが、とにかく、頬肉はげっそりと皮だけの様な見た目だし、眼は眼窩に沈んでいるし、鼻はもう、木乃伊の様だった。
とにかく、不健康そのものの顔だった。
僕がその顔を認めると、男は酷く驚いたような仕草——大袈裟なほど体をビクつかせた——をとり、大急ぎでリュックサックを拾って林の奥へ消えた。
「は?」
意味不明な状況に、僕は思わず声が漏れた。その声は恐らくかなり間抜けな声だったと思う。
とりあえず男の後を追ってみる。もしあの男が石を盗もうとしていたのなら——僕の毎日のひそかな楽しみである、あの石を盗まれるは面白くないというか、ぞっとしない。いや、あの男にはぞっとしたが
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