こうもりのねがいごと

宇井

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 コウのための巣は一メートル四方にもなったが、アスランはそれを手にすると小屋の前庭の先にある木に軽くのぼり、幹と太い枝の部分に置いてポケットに入れていた釘と槌で固定する。
 昇る時も作業する姿にも不安定さはないのだが、コウはアスランが落ちてしまわないかとハラハラとしながら見守っていた。
 自分だけの巣ができあがったのはもちろん嬉しいのだが、仕上がりを一番喜ぶ子供のようなアスランの顔の方が印象に残っている。
 大人の顔に子供の顔。色々な面を持ち、日々違う顔を見せてくれるアスラン。コウをかわいいと言い食べたいといい、愛してくれるアスラン。
 こんな幸せが自分にあっていいのだろうかと、ふと立ち止まることもあるけれど、不安はやがて消えてしまう。コウはやっぱり幸せだった。

「コウ!」
「はーい、アスラン様、なんでしょうか」
「ここから、私達の寝室が見える」

 木の上から話しかけてくるのだが、視線の先には家の寝室の窓がある。
 コウからしたらそこはアスランの私室であり、自分の部屋がないコウがお邪魔している状態だと思っているのだが、アスランは二人の部屋だと言ってくれた。
 アスランの何気ない言葉の中には、いつもコウを喜ばせる要素が入っていたりする。言った本人がそれに気付いていないのだから、コウは余計に嬉しくなってしまう。

「家と部屋が見えるのなら、僕も寂しくないですね」
「逆だ。私が寂しくないよう、ここに決めたのだ」

 するすると木から降りてきたアスランはコウを正面から抱きしめた。

「ここはコウだけの、私すら入れない家だ。いつでもここに来ればいい。だけど眠るのはいつもの寝室にしてほしい。食事はこれまで通り二人でとるようにしよう。朝の泉に入る時間は削りたくない。離れる時間が増える分、二人の時を意識して過ごしたい」
「わかりました。アスラン様、僕のための巣を作ってくれてありがとうございます。僕みたいな蝙蝠がここに受け入れてもらっただけでも大変なことなのに、僕のことを、あっ、愛してるとか……こうして抱いてくれて……僕にできるのは、料理とかお世話しかないのに……」
「コウ? 返すとか返さないではない。どうしてもコウにはそれが必要だと言うのなら、私はそれを十分に受け取っている。コウをこの緑の箱庭に閉じ込め、すべての時間を奪っているのだから」
「だったら僕も、アスラン様の時間を奪っているのですね。同じです……僕達は同じなのですね……」
「コウ、なんてかわいらし※◇※▲……コウっ……※※◇……」

 アスランは自分の気持ちが言葉に追い付かず口が回らなくなっていた。
『ああ見えて、かわいい所もあるのだ』
 アスラン様はかわいくもある。
 声の主様がおっしゃる通りだと、コウは笑ってしまっていた。


 コウの巣はとても快適だった。
 入り口は小さく、ほどよく暗い。板と板がきっちり噛み合い、隙間から光が入ってこないことにも驚いた。アスランの腕前は本物だったし手を抜いたりしていないのだ。
 箱の中には太さ違いの棒が段違いに組まれていて、その時の好みによって下がる棒を変えることができる。
 底には干し草が仕込まれており、コウが落ちても怪我をしないよう配慮されている。その干し草ベッドに潜り込むと香ばしい、腹の虫を誘うような匂いがして、お日様のにおいがして気持ちがいい。
 巣に空いている小さな窓から顔を出せば、茂った大きな葉の向こうには小屋があって、寝室と台所の窓も見える。
 あまり高すぎない場所に設置されたのも、コウの翼を思ってのことだろう。
 じいちゃんと暮らした洞窟にあった湿りけ、思い出の角灯のカンカラはないけれど、あの洞窟の次に大好きな家になった。


「コウ、そろそろ出てきてはどうだ?」

 木の下からアスランの声がする。
 せっかく作ってもらった巣だし一日に一度はそこですごくようにしたいのだが……アスランはいつもすぐにコウを迎えに来てしまう。
 もうそれはわかっていることだからいいけれど、今日だって十分ほどもぐっただけで名前を呼ばれてしまった。
 キュイっと返事をして丸窓から顔を出そうとすと、コウの三角耳が引っかかって、大きな目玉と小さな鼻先だけが出る。

 あ、これ、かっこ悪いよ。

 その愛らしい姿にアスランの胸が撃ち抜かれているとは知らず、コウは照れ笑いをしてから巣を飛び立った。
 手の平でコウの体を受け取ったアスランは、コウの体をシャツのポケットの中に入れてしまう。
 小さくなった蝙蝠のコウを家に持ち帰る、これがここ最近のアスランのお楽しみなのだ。
 今日も平和に一日が始まり、いつものように入浴し泉の中で愛し合い、昼を食べ巣に入った所だった。
 昨日のようにそしてその前の日のように、穏やかな夕を迎えるはずだったのだが、小屋へと向かうアスランの足がピタリととまる。

「っ……来たか」

 きた?
 コウがそれと気づく前にアスランは素早く来客を察知していたのだ。
 アスランがゆっくりと振り向くと、木々を抜けてこちらにやってくる見知った顔がちらりと見えた。
 ロミーだ。
 自分をここへと運び、次の日に裸で睦み合っている場面を見た人が、その肩に見るからに重そうな荷物を背負ってやってきたのだ。
 腰を曲げて、体がふらりふらりとしているのは、普段は文官として働き武道を嗜んだこともない優男だからだろう。
 アスランと目が合いビクリとのけ反りバランスを少し崩している。それはやましいことがあるからなのか……
 ああ、自分もきっとこうして運ばれてきたのだなあと蝙蝠のコウはそれを見て思う。

 キュイ。

 コウはひと声なくとポケットから飛び出しアスランの隣で人化した。一瞬アスランがそれをとめるような仕草をした気がしたけれど、気を変えたのか、途中で動作を引っ込めるのがわかった。
 ロミーの担いでいる袋はさっきからバタバタと暴れていて、ちょっと怖い。

「私は肉を食べたいと言った覚えはない。お前にはもうここには来るなと言ったはずだったが」
「一か月後に来ると言ったじゃないですか。とは言っても少しばかり早かったですね……これは肉は肉でも食べられない肉で、国でほうっておくのも限界がきて。まあ当人同士で解決してもらうのが一番というか、やはりアスラン様に説得をしてもらうのが最良かと」
「当人同士だと? 処理の難しい厄介事を押し付けに来ただけではないか」

 アスランは布の中身をわかっているかのような口ぶりだ。

「まあまあ、ジイも連日押しかけられて大変だったんですよ。で、苦肉の策でここへね、あはっ」
「持ってこられても迷惑だ。それを抱えてすぐに帰れ。いいか、それを絶対に解くな」
 
 アスランは大きく舌打ちする。
 ロミーは苦笑いしながらよいしょと荷物を地面に降ろし、アスランの声を無視して結び目をとく。
 するすると布が地面に落ちると、そこから出てきたのは、女性だった。

 どこかのお姫様?

 首はレースの立て襟、腰からストンと落ちるワンピースは足首まで。肌の露出が少なくドレスの色はベージュ色と控えめ。
 コウと同じ運命をたどりここに来たのだろう、激しく揺さぶられたせいか少々顔色は悪いが、ひとめを引く凛とした顔立ちだ。
 つんと上をむく小さな鼻に、眉の凛々しい美人。背の高さはコウと同じくらい。コウより二、三年上に見える。
 女性はゆらりと立ち上がると、まずロミーに向かって睨みをきかせ、顔に似会わぬ低くかすれた、まるでのどの奥で喋っているかのような声を出す。

「何よこれっ、こんな目に合うなんて聞いてないわよっ。信じられない。死ぬかと思ったじゃないっ」
「えー、何度も説明したじゃん。ここは龍しか入れないんだから、普通の子が来るにはリスクがあるって、きついよって。それでもいいっていったのはそっちでしょう。せっかく連れてきたのに感謝の言葉もないってどうかと思うよ? こっちはアスランに怒られるのを覚悟して連れてきたのに」
「汚い布で巻かれたと思ったら、熱いし痛いし寒いし滅茶苦茶よ。何度呼んでも返事をしないなんて、耳遠すぎ」
「汚い布だなんて失礼ですね。これは特殊な布なんだから、はっきり言ってルルアの住んでる屋敷の数倍の価値はありますよ。特殊加工が何十にもされて、滅多にお目にかかれない一品ですよぉ」

 女性の怒りっぷりをロミーはおどけることでかわす。こういった対応にはいつもより飄々としたキャラで通すと決めているのだろう。
 女性は細身ではあるが案外丈夫なのか、もう自分の足でしっかりと立ち、ちっとも汚れていないドレスの埃を払った後に、今にも掴みかからんばかりにアスランを睨みつける。

「アスランあなた! よくも婚約者であるわたくしを置いて逃げたわね!」

 こんやくしゃ……
 えっ……ええっ……

「……アスラン様には婚約者がいらっしゃったんですか」

 小さくも声を上げたのはコウだった。そして思わずアスランの袖を握りしめてしまう。
 しかしアスランはコウの動揺をよそに落ち着いており、小さな手に自分のものを重ねた。
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