半世紀の契約

篠原 皐月

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第71話 腹黒黒兎

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 男二人がそんな風に静かに火花を散らした、翌日の午後。藤宮家に、宅配便で大量の荷物が届けられた。

「何かしら? この大量の荷物。かさばっている割には、妙に軽いし……。私宛てだし、開けてみても良いわよね?」
 送り主が秀明であり、自分宛てであった為、取り敢えず受け取ったものの、これについての話を聞いていなかった美子は困惑した。そして戸惑いながらも一番大きい箱を開封し、中身を覗き込んでみた美子は、驚いて目を見開く。

「これって!?」
 そして数十秒固まった美子は、その後猛然と全ての箱を開封して中身を確認した後、携帯電話を手にして秀明に電話をかけた。しかしなかなか応答が無く、留守電に切り替わってしまう。

「もうっ! こういう時に限って、会議中とか商談中なの!? 暇になったらすぐにかけ直して!」
 苛立たしげにメッセージを残して通話を終わらせると、それから二十分程して、秀明から美子の携帯電話に着信があった。

「俺だが、どうかしたのか?」
「どうもこうも! 何なのよ、あのドレス!」
 平然と尋ねてきた秀明に、美子は叫ぶように問い質した。しかし彼にとっては予定していた事だった為、淡々と確認を入れる。

「ああ、届いたか。ちゃんと他も揃っているだろうな?」
 その問いに、美子は即座に答えた。
「ブーケもベールも靴も手袋も、あなたのタキシード一式と靴とブートニアまで、完全に揃ってるわよ! これ、どういう事? お母さんに見せた時のレンタル品と同じ物を、わざわざ買ったわけ?」
 一気に言い切った美子に、秀明は苦笑しながら答えた。

「いや。それは元々レンタル品じゃないんだ。あの店はレンタル事業をやっていないからな」
「それって……」
 相手の言わんとする事をすぐに理解した美子が、呆然となって黙り込むと、秀明が穏やかな口調で言い聞かせてくる。

「あの時、二人分を一揃い購入して病院で使った後、専門の業者でクリーニングして貰って、今まで店で保管して貰っていた。式はそれを着てするから、確かにちょっとフライングではあったが、俺達が深美さんに見せた“あれ”は嘘じゃない」
「……あ、あのねぇっ!」
「うん? どうかしたのか?」
 言い返そうとしたものの、これ以上何か言ったら泣き出しそうになった美子が口を噤むと、秀明は何事も無かった様に声をかけてきた。そんな彼に向かって、手の甲で目の周りを擦った美子が、いつもより低めの声で告げる。

「好きな物……」
「は? 今、何て言った?」
「好きな料理をメールで教えて。偶には作ってあげるから、夕飯を食べに来なさい。お父さんにも文句は言わせないわ」
 些か素っ気なさすら感じる口調で美子が宣言すると、秀明は電話越しに嬉しそうに応じた。

「分かった。後からメールする。早速、明日食べたいんだが」
「分かったわ。作って待ってるから」
 そして通話を終わらせてから、早速届いた箱を空いている部屋に運び込んでいると、秀明からのメールが届いた。

「早速来たわね」
 そして送信されてきた内容を確認して、呆気に取られる。
「ちょっと……、何よ、この膨大なリストは?」
 しかし呆れながらも怒り出す事は無く、それを確認し終えた美子は、引き続き箱の整理を続けた。

「取り敢えずおかしくない組合せで、明日の夕飯の献立を考えましょうか」
 そして引き続き機嫌良く片付けを終えた美子は、ディスプレイを眺めながら、翌日の夕飯の献立について、考えを巡らせ始めた。

「やあ、今晩は」
「いらっしゃい、江原さん!」
「今日はお仕事が忙しく無かったんですか?」
「随分早いお出ましね。忙しく無かったの?」
 職場からの移動時間を考えると、どう考えても定時より前に上がったとしか思えない時間に来訪した秀明に、美子は疑惑の眼差しを向けたが、彼は笑顔で土産の花束とケーキを差し出しながら、事情を説明した。

「忙しかったが、残った仕事は上に押し付けたり下に丸投げして、早退してきたからな」
「あのね……」
「うわぁ、江原さん悪い人~」
「ちょっと美幸! 冗談に決まってるでしょう?」
 美子が顔を引き攣らせ、美幸が大げさに驚いたが、秀明は苦笑しながら弁解してきた。

「実は美野ちゃんの言う通り、今のは冗談なんだ。今日は午後から外に出ていて、商談先から直帰予定だったからね」
「なぁんだ、騙される所だった」
「江原さんが、そんなに不真面目なわけ無いじゃないの」
 妹二人はそれで納得したが、美子は上がり込んだ秀明と並んで廊下を歩きながら、疑わしそうに再度尋ねた。

「本当に直帰予定だったの?」
「当たり前だ」
(もの凄く怪しいわね……)
 しれっとして言い返した秀明をそれ以上問い詰める事もできず、美子は疑惑を抱えたまま彼に手料理をふるまった。
 そして料理を綺麗に平らげた秀明が、満足して自宅に帰ってから少しして、昌典が帰宅した。しかし遅い夕飯を食べながら、自分が帰宅する直前まで家にいた人物の事に話が及んだ途端、渋面になる。

「今日、江原君が夕飯を食べに来ただと?」
「ええ。出先から直帰だったとかで、随分早い時間に来て。食事の後もお茶を飲みながら色々話をしていて、お父さんが帰る直前まで居たんだけど」
「ほおぉぅ? 俺が聞いた話とは、随分内容が違うな」
 そのはっきりと皮肉が込められた口調に、美子は嫌な予感を覚えながら尋ねてみた。

「……因みに、お父さんはどういう話を聞いたの?」
「今日は夕方から、主だった管理職が一堂に会しての会議で、奴はその席で、この前の南米視察の報告をする筈だったんだがな? 急な体調不良で早退したと、所属部署から司会者の方に連絡があったらしい」
 淡々と昌典が説明した内容を聞いて、美子の顔が強張った。

「その……、それじゃあ、その報告は……」
「奴が纏めた報告書と資料を元に、同行者が報告した」
「そうですか……」
 そこで言葉少なに頷いた美子に、昌典が軽く睨みつけながら呼びかける。

「美子?」
 そこで父親が暗に求めている内容を、理解できない美子では無かった。
「……教育的指導をしておきます」
「そうしてくれ」
 ブスッとしながら頷いた昌典のご機嫌を取ろうと、ここで美子は恐る恐るお伺いを立ててみた。

「あの……、お父さん。お燗して持って来ましょうか?」
「頼む」
 そして美子は気まずい空気が満ちた食堂から台所に抜け出し、重い溜め息を吐いた。

(職場で大嘘ついた挙句に、しれっとした顔で食べまくっていくなんて、あの男!)
 取り敢えずお酒を出したら、文句の電話をしてやると決意しながら、美子は手際良く燗をつけて昌典に運んで行った。
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