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第4章 鎮火、その藍の瞳に堕ちて

罪の意識

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 しかし、ハルの語ってくれた組織の恐ろしがどれほどのものか知らないサラにとって、それはあまりにも現実味のないものであった。

「今でも悪夢ゆめをみるよ。辺り一面を赤黒く染め上げる血の海にたたずむ己の姿。手に握られているのは一振りの血塗られた剣。その刀身は禍々しい夜の闇をまとった漆黒の色。足下に横たわる無数の屍は自分がこの手で殺め続けてきた罪なき人たち。それらを平然と見下ろし、漂う血の臭気に眉ひとつさえ動かさず、薄く笑っている自分の顔……」

 なぜ、笑っている。
 どうして、罪の意識を感じない。
 何度、夢の中の自分に問いかけただろうか。
 違う……本当は気が狂いそうで、泣き叫びたかった。

 組織から抜けたからといって、都合良く忘れてしまおうなどとは虫のいい話だ。
 記憶の片隅に封印ふうじた忌まわしい過去。
 いまだ悪夢となってよみがえり、己を打ちのめすまでに苦しめ苛む記憶。
 胸のうちを静かにあかすハルの言葉を、サラは微動だにせず聞いていた。

「こんな俺でもいいのか? あんたは恐ろしくないのか?」
「何度も言わせないで。どうしてそんなことを聞くの? それに……」

 サラはハルの手をとり、自分の頬にあてた。

 ずっと、苦しんできたのね。
 そんなに心を痛めないで。
 これからは私がハルの側についていてあげる。悪夢にうなされたら私がハルの手を握りしめてあげる。
 何だか初めて出会った時のことを思い出すわ。
 怪我の痛みで苦しんでいるハルの手を、こうして握ってあげたことを。

「ハルの瞳はとても澄んでいてきれいな瞳よ」

 ハルはとても優しい人。本当は汚れのない心を持った人だと思ってる。

「組織に捕らえられた瞬間からずっと、俺はいつかここから抜け出し自由になってみせると心に誓った。そのためにはと、子どもの頃から俺の面倒をみてくれた人に何度も言い聞かされた」
「さっき、言っていたハルのお師匠様ね。ハルが組織から逃げ出すためにいろいろしてくれた人」
「そう、外の世界を望むのなら、何よりもまず、誰をも凌ぐ力を身につけなさい。全力で追ってくる追跡者を、自力で退けるだけの強さを手に入れなさい。そして、人としての心を失ってはいけないと……こうして俺がここにいられるのも、その人のおかげだ」
「その人はとてもハルのことを大切に思っていたのね。優しい人ね」
「優しいかどうかは……彼も組織の、それも上層部の人間だから」
「ねえ、その人の名前は何て言うの?」
「レイ……」

 おそらく、そのレイという人のことを思いだしているのだろう。ハルはどこか懐かしむような目を夜の虚空にさまよわせた。

「ハル……」

 ハルは組織の人間たちには感情がないと言っていた。ただ人を殺すだけの道具だと。けれど、ハルは違う。

「ねえ、逃げよう。組織の人たちが追ってこない、どこか人目のないところに。私も一緒に行く」

 しかし、ハルは首を振った。

「意味がないよ」
「どうして!」
「どこへ逃げても意味がない。組織の人間は何食わぬ顔をして普通に俺たちの生活にまぎれ込んでいることもある。例えば、あんたの家庭教師が組織の者だったということも」
「マ、マイネラー先生がハルがいた組織の人! 数学しか興味ないって言っていたのに! ああ、だからレザンに関心を持ってはいけないって言ったのね。た、大変……っ!」

 咄嗟にハルの手に口元を抑え込まれ、サラの声が途切れた。

「声が大きいよ。誰か来るだろう」
「うう……」
「それに、例えばの話をしただけで……そうとう混乱してるね」
「うん、かなり……」

 口元を押さえられたまま、サラはくぐもった声をもらす。

「俺の例えが悪かったよ。こんな話を聞かされて動揺するなという方が無理かも知れないけど、とにかく少し落ち着いて。手を離すけどいい?」

 サラはうんうん、とうなずき大きく深呼吸した。

「これまで追っ手がなかったのは、組織を抜ける時にレイがいろいろ根回ししてくれた。俺はレイに殺されたと、組織のやつらは思い込んでいるはず。だけど、そのことをいつまでも隠し通せるほど組織は甘くはない。きっと、いつかばれてしまう。そうだ……」

 と、声を落としてハルはシャツのボタンに手をかけ、ゆっくりとひとつひとつ外していった。
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