184 / 293
第4章 燔祭
二人の神子 2
しおりを挟む
「……ええと……あとは……あ、歯磨き粉も……」
母、幸乃は、先程からずっとこの調子だ。掌に形成された光ディスプレイに向かって、オンラインショップで、長期療養棟への入居に必要なものを物色している。
「かぁ様。お風呂、行かないの?大っきいお風呂だったよ!温泉引いてるんだって!」
「うん、聞いたわよ~~。あ、そうだ。ネェ、サク。パジャマはどっちがいい?」幸乃は、選んでいた二点の子供用パジャマを表示しながら咲間に問う。
「えぇ?これでいいよぉ」咲磨は、身に付けている入居者用室内着を指して言う。
長期療養棟には、入居者の生活に困らないよう、十分な衣類やアメニティーグッズを揃えている。着の身着のまま入所した幸乃と咲磨にしても、特に改めて生活用品を買い揃える必要はなかったのだが……
「経過観察だから、寝る時は自由でいいって、先生おっしゃってたわ。暑いし、涼しいのがいいでしょ?……青のが良いかしらね。うん、良さそう。これで良い?」「う、うん……」
オンラインショッピングで購入したものは、長期療養棟に隣接する共用次元転送サービス、あるいはドローン配送受領エリアで受け取ることができる。棟内への持ち込みにチェックはあるものの、日用品であれば、自由に購入して構わないと、貴美子の許可を得ていた。
山奥の郷で暮らす母にとって、オンラインショッピングは、趣味みたいなものだ。今日一日、気持ちが塞いでいた母が、水を得た魚のように生き生きしている。ベッドに腰掛けた咲磨は、呆れながらも、微笑ましく母を見詰めていた。
「あのお姉さん……不思議な感じだったね?」
「ん?ああ、あのお誕生会の?……そうだったかしら……あ、そうだ。わたしもパジャマ買っちゃおうっと。サクとお揃いの色にしちゃおうかなぁ~~」
「……僕と……”同じ感じ”がした……」
ショッピングに夢中なる母に、咲磨の呟きは聴こえていない。普段は父から余計なものは買うなと言われているので、ここぞとばかり羽を伸ばしたいのだろうと、咲磨は思った。
窓の外を見やれば、南の空に、星が瞬き始めていた。諏訪は、郷は彼方の方だろうか……
「ねぇ、かぁ様……とぉ様は?」幸乃の手が止まった。
「……言ったでしょ。郷のお仕事があるの。しばらくかぁさんと、サクだけでここで過ごすのよ」
「どうしてるかなぁ……」空を見上げながら咲磨は呟く。寂しげな声だった。
「サク……」幸乃は、咲磨の横に立つと、同じように夕闇が降りた空を見上げながら、口を開いた。
「病気がちゃんと治ったら……きっと帰れるから……ね?」そう言いながら、咲磨の頭を撫でていた。
「うん……」咲磨は静かに頷き、口を噤んだ。
一夜明けた諏訪は、昨日の状況が嘘のように清々しい朝を迎えていた。
IN-PSIDから諏訪入りした特殊結界構築チームによる作業は、やや困難を見せたが、夜間のうちに完了し、未明から新型結界の稼働を始めていた。稼働開始から間も無く、諏訪湖一体に醸成されていた不可思議な雲が消滅し、住民らの精神にも徐々に安定が戻る。
彼らが持ち込んだ新方式の超次元局地波動障壁は、波動収束フィールドの応用で、インナースペース内に波動収束によるPSI情報子過密場を生成し、パラメーター制御によって対象を囲い込む。パラメーターは、IMSが予め構築した電磁結界をベースにしており、有り体に言えば、この電磁結界をインナースペース深部にまで拡張したようなものである。さらに、エネルギー源は、基本的にインナースペースの無尽蔵なPSIを直接変換するため、長時間稼働も実現していた。
各避難所も、ようやく落ち着きを見せ始め、神取もローテーションどおり、休息時間に入ることができていた。その時間を利用して、神取は、再び森ノ部の郷へと忍び込んでいる。
境内へと続く階段は、祭りの準備で人の往来も多い。昨日と同じく境内の横手、崖のような斜面を神取は造作もなく登っていく。
境内に出たところで、教団信者らの話し声が聞こえてきた。茂みに身を隠し、神取は会話を伺う。どうやら、須賀の一家が姿を見せない事を不審がっているようだ。
「御子神様も、てんで見ないねぇ」「そういや、須賀さんのお宅、車も無かったわ」「もう、この祭の準備で忙しいって時に……」「御子神様のお宅だからって、手伝いにも来ないなんて、ねぇ~~」
神取が聞き耳を立てていると、社務所の方から森部が付き人を従えて姿を表した。
「須賀一家は今、御子神様に付いて、山に籠っている。今度の大祭、御子神様には、大切なお役目があるのだ。祭迄のあいだ、御子神様は、山腹の社殿にて、神と対話なされておる」
森部は、背後の山手の方を仰ぎ見ながら続けた。
「案ずる事はない。必ず大祭の日に、神のお声を携えた御子神様が戻り、祭りをお導きくださるであろう」
信者らは彼の言葉にすっかりと納得し、山腹の方へ向かって手を合わせる。
「さあ、今日もしっかりと進めてくれ」森部が促すと、信者らは、各々の仕事へとむかっていった。
「ふん!」信者が去ると、森部は両眼を釣り上げながら、鼻を鳴らす。
「須賀親子の行方は、まだわからんか?」
森部は、本殿の方へと移動しながら従者に問う。
「は……はい……御子神様と、母御が、諏訪の方へ向かった様子は、駐在所の監視カメラが捉えていたとの事です。ですが、その後の行方は……」「慎吾は?」
「はあ、昨日は家を閉め切ったまま一歩も外へ出た様子はなかったのですが……夜中のうちにどこかへ」神官服を纏った付き人は、困惑気に報告した。
「ふうむ……まぁ良い。あやつらは決してこの郷からは逃れられぬ……じきに戻るであろう」
……あの父親も姿を消したか?……
聞き耳を立てながら、神取は茂みを移動し、森部が出てきた社務所へと近づく。
……んっ?……
神取は、何者かの視線に気付くが、社務所への侵入の機会は今しかない。構わずに社務所の開け放たれた玄関へ、身を滑り込ませる。
集会場では、女達が飾りの作業に夢中だ。神取に気付く者はいない。
一番奥にある部屋の上に「執務室」と表記がある。その扉は簡単に開いた。
この郷で、誰も立ち入る事はない……そう考えての無警戒さである。逆を言えば、それだけ絶対的な権威者、つまり森部の個室である事は、容易にわかった。
「あ、皆子さん!ちょうどよかった。これ運ぶの手伝って」「え?あ、はぁい」集会場の方から、声がする。
神取は、用心の為、警戒を任務とする低級の式神を配し、素早く部屋の中へと滑り込んだ。
母、幸乃は、先程からずっとこの調子だ。掌に形成された光ディスプレイに向かって、オンラインショップで、長期療養棟への入居に必要なものを物色している。
「かぁ様。お風呂、行かないの?大っきいお風呂だったよ!温泉引いてるんだって!」
「うん、聞いたわよ~~。あ、そうだ。ネェ、サク。パジャマはどっちがいい?」幸乃は、選んでいた二点の子供用パジャマを表示しながら咲間に問う。
「えぇ?これでいいよぉ」咲磨は、身に付けている入居者用室内着を指して言う。
長期療養棟には、入居者の生活に困らないよう、十分な衣類やアメニティーグッズを揃えている。着の身着のまま入所した幸乃と咲磨にしても、特に改めて生活用品を買い揃える必要はなかったのだが……
「経過観察だから、寝る時は自由でいいって、先生おっしゃってたわ。暑いし、涼しいのがいいでしょ?……青のが良いかしらね。うん、良さそう。これで良い?」「う、うん……」
オンラインショッピングで購入したものは、長期療養棟に隣接する共用次元転送サービス、あるいはドローン配送受領エリアで受け取ることができる。棟内への持ち込みにチェックはあるものの、日用品であれば、自由に購入して構わないと、貴美子の許可を得ていた。
山奥の郷で暮らす母にとって、オンラインショッピングは、趣味みたいなものだ。今日一日、気持ちが塞いでいた母が、水を得た魚のように生き生きしている。ベッドに腰掛けた咲磨は、呆れながらも、微笑ましく母を見詰めていた。
「あのお姉さん……不思議な感じだったね?」
「ん?ああ、あのお誕生会の?……そうだったかしら……あ、そうだ。わたしもパジャマ買っちゃおうっと。サクとお揃いの色にしちゃおうかなぁ~~」
「……僕と……”同じ感じ”がした……」
ショッピングに夢中なる母に、咲磨の呟きは聴こえていない。普段は父から余計なものは買うなと言われているので、ここぞとばかり羽を伸ばしたいのだろうと、咲磨は思った。
窓の外を見やれば、南の空に、星が瞬き始めていた。諏訪は、郷は彼方の方だろうか……
「ねぇ、かぁ様……とぉ様は?」幸乃の手が止まった。
「……言ったでしょ。郷のお仕事があるの。しばらくかぁさんと、サクだけでここで過ごすのよ」
「どうしてるかなぁ……」空を見上げながら咲磨は呟く。寂しげな声だった。
「サク……」幸乃は、咲磨の横に立つと、同じように夕闇が降りた空を見上げながら、口を開いた。
「病気がちゃんと治ったら……きっと帰れるから……ね?」そう言いながら、咲磨の頭を撫でていた。
「うん……」咲磨は静かに頷き、口を噤んだ。
一夜明けた諏訪は、昨日の状況が嘘のように清々しい朝を迎えていた。
IN-PSIDから諏訪入りした特殊結界構築チームによる作業は、やや困難を見せたが、夜間のうちに完了し、未明から新型結界の稼働を始めていた。稼働開始から間も無く、諏訪湖一体に醸成されていた不可思議な雲が消滅し、住民らの精神にも徐々に安定が戻る。
彼らが持ち込んだ新方式の超次元局地波動障壁は、波動収束フィールドの応用で、インナースペース内に波動収束によるPSI情報子過密場を生成し、パラメーター制御によって対象を囲い込む。パラメーターは、IMSが予め構築した電磁結界をベースにしており、有り体に言えば、この電磁結界をインナースペース深部にまで拡張したようなものである。さらに、エネルギー源は、基本的にインナースペースの無尽蔵なPSIを直接変換するため、長時間稼働も実現していた。
各避難所も、ようやく落ち着きを見せ始め、神取もローテーションどおり、休息時間に入ることができていた。その時間を利用して、神取は、再び森ノ部の郷へと忍び込んでいる。
境内へと続く階段は、祭りの準備で人の往来も多い。昨日と同じく境内の横手、崖のような斜面を神取は造作もなく登っていく。
境内に出たところで、教団信者らの話し声が聞こえてきた。茂みに身を隠し、神取は会話を伺う。どうやら、須賀の一家が姿を見せない事を不審がっているようだ。
「御子神様も、てんで見ないねぇ」「そういや、須賀さんのお宅、車も無かったわ」「もう、この祭の準備で忙しいって時に……」「御子神様のお宅だからって、手伝いにも来ないなんて、ねぇ~~」
神取が聞き耳を立てていると、社務所の方から森部が付き人を従えて姿を表した。
「須賀一家は今、御子神様に付いて、山に籠っている。今度の大祭、御子神様には、大切なお役目があるのだ。祭迄のあいだ、御子神様は、山腹の社殿にて、神と対話なされておる」
森部は、背後の山手の方を仰ぎ見ながら続けた。
「案ずる事はない。必ず大祭の日に、神のお声を携えた御子神様が戻り、祭りをお導きくださるであろう」
信者らは彼の言葉にすっかりと納得し、山腹の方へ向かって手を合わせる。
「さあ、今日もしっかりと進めてくれ」森部が促すと、信者らは、各々の仕事へとむかっていった。
「ふん!」信者が去ると、森部は両眼を釣り上げながら、鼻を鳴らす。
「須賀親子の行方は、まだわからんか?」
森部は、本殿の方へと移動しながら従者に問う。
「は……はい……御子神様と、母御が、諏訪の方へ向かった様子は、駐在所の監視カメラが捉えていたとの事です。ですが、その後の行方は……」「慎吾は?」
「はあ、昨日は家を閉め切ったまま一歩も外へ出た様子はなかったのですが……夜中のうちにどこかへ」神官服を纏った付き人は、困惑気に報告した。
「ふうむ……まぁ良い。あやつらは決してこの郷からは逃れられぬ……じきに戻るであろう」
……あの父親も姿を消したか?……
聞き耳を立てながら、神取は茂みを移動し、森部が出てきた社務所へと近づく。
……んっ?……
神取は、何者かの視線に気付くが、社務所への侵入の機会は今しかない。構わずに社務所の開け放たれた玄関へ、身を滑り込ませる。
集会場では、女達が飾りの作業に夢中だ。神取に気付く者はいない。
一番奥にある部屋の上に「執務室」と表記がある。その扉は簡単に開いた。
この郷で、誰も立ち入る事はない……そう考えての無警戒さである。逆を言えば、それだけ絶対的な権威者、つまり森部の個室である事は、容易にわかった。
「あ、皆子さん!ちょうどよかった。これ運ぶの手伝って」「え?あ、はぁい」集会場の方から、声がする。
神取は、用心の為、警戒を任務とする低級の式神を配し、素早く部屋の中へと滑り込んだ。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説

銀河戦国記ノヴァルナ 第1章:天駆ける風雲児
潮崎 晶
SF
数多の星大名が覇権を目指し、群雄割拠する混迷のシグシーマ銀河系。
その中で、宙域国家オ・ワーリに生まれたノヴァルナ・ダン=ウォーダは、何を思い、何を掴み取る事が出来るのか。
日本の戦国時代をベースにした、架空の銀河が舞台の、宇宙艦隊やら、人型機動兵器やらの宇宙戦記SF、いわゆるスペースオペラです。
主人公は織田信長をモデルにし、その生涯を独自設定でアレンジして、オリジナルストーリーを加えてみました。
史実では男性だったキャラが女性になってたり、世代も改変してたり、そのうえ理系知識が苦手な筆者の書いた適当な作品ですので、歴史的・科学的に真面目なご指摘は勘弁いただいて(笑)、軽い気持ちで読んでやって下さい。
大事なのは勢いとノリ!あと読者さんの脳内補完!(笑)
※本作品は他サイト様にても公開させて頂いております。
時ノ糸~絆~
汐野悠翔
歴史・時代
「俺はお前に見合う男になって必ず帰ってくる。それまで待っていてくれ」
身分という壁に阻まれながらも自らその壁を越えようと抗う。
たとえ一緒にいられる“時間”を犠牲にしたとしても――
「いつまでも傍で、従者として貴方を見守っていく事を約束します」
ただ傍にいられる事を願う。たとえそれが“気持ち”を犠牲にする事になるとしても――
時は今から1000年前の平安時代。
ある貴族の姫に恋をした二人の義兄弟がいた。
姫を思う気持ちは同じ。
ただ、愛し方が違うだけ。
ただ、それだけだったのに……
「どうして……どうしてお主達が争わねばならぬのだ?」
最初はただ純粋に、守りたいものの為、己が信じ選んだ道を真っ直ぐに進んでいた3人だったが、彼等に定められた運命の糸は複雑に絡み合い、いつしか抗えない歴史の渦へと飲み込まれて行く事に。
互いの信じた道の先に待ち受けるのは――?
これは後に「平将門の乱」と呼ばれる歴史的事件を題材に、その裏に隠された男女3人の恋と友情、そして絆を描く物語。
【完結】異世界召喚されたらロボットの電池でした
ちありや
SF
夢でリクルートされた俺は巨大ロボットのパイロットになる事になった。
ところがいざ召喚されてみれば、パイロットでは無くて燃料電池扱いらしい。
こんな胡散臭い世界に居られるか! 俺は帰る!!
え? 帰れない? え? この美少女が俺のパイロット?
う~ん、どうしようかな…?
スチャラカロボとマジメ少女の大冒険(?) バンカラアネゴや頭のおかしいハカセ、メンタルの弱いAIなんかも入り混じって、何ともカオスなロボットSF!
コメディタッチで送ります。
終盤の戦闘でやや残酷な描写があります。

10秒で読めるちょっと怖い話。
絢郷水沙
ホラー
ほんのりと不条理な『ギャグ』が香るホラーテイスト・ショートショートです。意味怖的要素も含んでおりますので、意味怖好きならぜひ読んでみてください。(毎日昼頃1話更新中!)

超文明日本
点P
ファンタジー
2030年の日本は、憲法改正により国防軍を保有していた。海軍は艦名を漢字表記に変更し、正規空母、原子力潜水艦を保有した。空軍はステルス爆撃機を保有。さらにアメリカからの要求で核兵器も保有していた。世界で1、2を争うほどの軍事力を有する。
そんな日本はある日、列島全域が突如として謎の光に包まれる。光が消えると他国と連絡が取れなくなっていた。
異世界転移ネタなんて何番煎じかわかりませんがとりあえず書きます。この話はフィクションです。実在の人物、団体、地名等とは一切関係ありません。

日本VS異世界国家! ー政府が、自衛隊が、奮闘する。
スライム小説家
SF
令和5年3月6日、日本国は唐突に異世界へ転移してしまった。
地球の常識がなにもかも通用しない魔法と戦争だらけの異世界で日本国は生き延びていけるのか!?
異世界国家サバイバル、ここに爆誕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる