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第3章 死者の都

閉ざされた街 1

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「水織川市天蓋結界捕捉!距離1000!」

「ティム、停船よ。」「了解!」

「サニ、結界を時空間スキャン。船内時空座標に同期させて、リアルタイムで計測!」「はい!」

「アラン、データが来たらすぐかかってちょうだい」「ああ」

天蓋結界、並びに施設の結界は、結界内のPSI現象化に応じて、常に揺らいでいる。現象界の結界ゲートを開けば、これに連動したインナースペース領域の結界も緩まり、<アマテラス>の侵入も容易ではあるが、今の状況下ではゲートを開くことはできない。

<アマテラス>の表層、第3PSIバリアを結界の揺らぎとと同期させ、あたかも結界と一体であるように振る舞うことで結界をすり抜けられるハズ……と、今しがた、IN-PSID本部でミッションを見守るアルベルトから説明があった。

「ま、やってみんことには、わからんがな」

モニター越しに自前のコーヒー片手に言い放ったアルベルトの無責任な笑みが、ティムを苛立たせる。

「くっそ、あのオヤジ。また適当なこと抜かしてねーだろーなぁ。下手こいたら船やっちまうってのに」

エンジンを温めたまま、突入を待つティムは、左足を小刻みに揺すっている。と、思いきや、それが腰に伝わったのか、今度は腰を手でさすりながら悶絶を始めた。

「……」ティムの一人芝居に暫し見入ってしまう直人。その視線にティムはふと気づく。

上目遣い気味に心配そうに見つめる少年のような幼顔、いつにも増して、憂いを湛えた瞳……もう少し髪でも伸ばしたら、案外、可愛い……かも……?

「ティム?」直人が心配気に見つめてくる。慌てて視線を前に戻すティム。

……どどど……どした、俺??……

先刻のインストラクターの艶かしい上目遣いが脳裏を過ぎる。

「shit!!」ティムは口汚く吐き捨てた。


「結界データサンプリング、リアルタイム変換開始しました。副長!」「よし、こっちに回してくれ」

サニがサンプリングした結界データが、アランによってすぐに解析されていく。

「PSIバリアへデータリンク……いけそうだ」

「ティム、両舷微速。結界に突入する」

「りょ……両舷微速!ヨーソロ!!」微速前進にも拘らず、やたらと力むティムに、カミラは目が点になる。


<アマテラス>は結界との接触に備えながら、ゆっくりと進む。現象界側に残っているスカイランタンは、この現象境界域の次元でもはっきりと捉えられ、<アマテラス>のモニターにもその姿が映し出される。

「船体周辺にランタン浮遊反応!数14」「現象界側の像よ。干渉はしない。このまま進む」

カミラはサニの報告を流そうとするが、サニはレーダー反応の変化を具に捉えていた。

「いえ、待ってください!一時方向のランタンに波動収束反応!四時、七時方向のも同反応が!!」「何!?ビジュアル変換してモニターに投影!」

スカイランタンは、有機ELが放つ光とは別に、この次元で初めて観測できる光の球体に包まれている。所謂「オーブ」というものである。サニが波長チューニングするたびに、震災の遺族らの想いが、オーブに影絵のようになって照らし出されていく。

一方で、それらに引き寄せられるかのように別次元からも励起してくる存在がある。朧げに形作られるのは、ありし日の人影のようだ。

現世にある者が、亡き人を思い偲ぶ時、インナースペースに残留する思念や、現世の想いが現象境界で像を結ぶ。時折、これは影形となって"現象化"したり、あるいはこの次元を垣間見せたりする。「幽霊」などと呼ばれるのは、こうした存在達である。

だがどうも様子がおかしい。

オーブは、仄暗い青灰色、土気のある色、黒々とした赤色の色味を帯びたかと思えば、激しく振動し、ランタンの像を揺さぶる。

「次元振動臨界突破!現象化します!!」

サニが報告するや否や、現象界にあるランタンが唐突に発火する。連鎖的に残っているランタンも次々と発火しだす。

「これが発火の正体?でも……」「ああ、普通こうはならない。施設跡からのPSIパルスに反応しているようだ」訝しむカミラに、アランはオーブの解析結果を眺めながら答えた。

同時に、<アマテラス>のブリッジには、音声変換された低く唸るような声音が流れ始める。苦しみ、怒り、悲しみ……剥き出しの負の感情が言葉にならない怨嗟を紡いでいた。直人は身を硬くしてその「声」に耐える。

突如、ブリッジに細かい振動と鈍い衝突音が伝わってくる。

「オーブ反応、接触!下方からも来ます!」

「カミラ、オーブはこのフネと同次元にも収束している。接触を続ければPSIバリアを損耗するぞ」

「のんびりしてられないわね。ティム!両舷増速!結界へ突入する!」「両舷増速!」

<アマテラス>のバーニアが青白い光の束を吹く。行手をオーロラの如く揺らめく結界が遮っている。その揺らぎと同調するように<アマテラス>の船体表面が艶やかに色づき始めた。


『ご覧ください。水織川市を覆う結界の中は、肉眼でもわかるほどの……あれは、えぇと、なんでしょう……まるで雲のようなものに包まれています。スカイランタンはまだ上空に30個ほど残っていますが、やはり発火現象が続いています。えー、レスキュー隊の報告によりますと、火災箇所は全部で4箇所……いずれもランタンの発火によるものと思われ……』

亜夢は瞬きもなく、テレビの中の様子をじっと見つめている。氷細工のような横顔は、彼女の感情を何一つ語ろうとはしない。

「気になりますか?」神取は静かに語りかけた。亜夢が神取に答えることはない。承知の上で神取は続ける。

「……それはそうでしょうね。あの空から降ってくる火……憎悪、怒り、悲しみ……あの街を襲った悲劇を生み出したのは、他ならぬ貴女だった……」

亜夢の瞳が大きく見開かれる。その瞳には湖面の輝きのような、微かな光が宿っている。

神取は構わず続けた。

「いや……正しくは貴女とあの『異界船』の青年……貴女方の邂逅が引き起こした……というべきか?」

神取の言葉の切先が亜夢を振り向かせる。

「……あなた……誰……」

抑揚のない、辿々しい声……同じ肉体が発する声でありながら、"もう一人"の亜夢とは、全く異質の声に感じられる。

「ふっ、これは心外だ。貴女の担当医ではありませんか?」

おそらく、こちらの意思は、もう一方の意思が活動している間も、深層意識層下で己の魂の片割れを見守っているはず。

「貴女こそ何者ですか?」

神取は、彼女の欲した答えを与える代わりに問う。亜夢は目を見開いたまま、神取の顔をじっと見つめている。まるでその問いの答えを彼女自身が求めているかのように……

「『救済の神子』……"我々"は貴女をそう呼んでいます。その謂れは知りませんがね」

戯(おど)ける素振りを見せながら、神取はテレビの方へ視線を向けた。

「それがどうです。貴女がもたらしたのは、破壊……救済どころか、とんだ死神ですよ、貴女は」

……崩れ落ちる山肌、土石流……どこからともなく溢れ出す大量の水……ただ逃げることしか出来なかった……その中で感じ取った、無慈悲なまでの清浄なる気配……

神取の魂の髄にまで刻み込まれた記憶。その記憶を呼び起こす気配が今、目の前に居る。

「……私の母も……貴女に殺された」

神取は、自己の魂の傷へと目の前の存在が触れたのを感じ取った。亜夢の大きく見開いた瞳が震えている。

……人の罪悪を解るというのか……ならば存分に味わうが良い。己の罪を……

「……ご安心を。仇をとろうということじゃありませんよ。ただ……」

「貴女が何者なのか……。それを知るまで私は貴女から目を離せませんのでね」
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