上 下
46 / 293
第2章 魔界幻想

幻夢は囁く 1

しおりを挟む
 小綺麗に片付いている1DKの部屋の中で、洗濯物を詰め込んだ籠がその存在をやけに主張した。
 
 薄暗く締め切り、蒸した部屋には、生乾きで放置された洗濯物からであろう、不快な雑菌臭が、その男の鼻腔をくすぐった。洗濯籠の脇には、アイロン台と、電源の切れたアイロンが、放置されたままとなっている。
 
 男はさらに部屋の奥へと進むと、戸棚のディスプレイグラス(ガラス面に映像が投影される)に、数枚の写真がスライドショーで繰り返し、映し出されているのに気付く。
 
 彼は四十代前半であるが、細身の引き締まった身体付きから、実年齢より若く見える。暑そうに第二ボタンまで開けた白い半袖のワイシャツの胸元を、空気を送り込むようにパタパタとさせながら、そのディスプレイグラスを訝しげに覗きこんだ。
 
「……この方が、お姉さん?」
 
「え……えぇ……」男の作ったような、神妙な面持ちの問いかけに、後ろに続いて部屋に入って来た小柄な女性が、力無く返事を返した。
 
 写真の中のその女性は、静かな微笑みを湛えて男を見つめ返してくる。どこか淋しげな微笑みだと、男は感じた。
 
 家族だろうか? 三十代後半くらいの夫婦らしい男女が、彼女を包み込むように囲んで、微笑んでいる。どことなく、彼女と似た雰囲気だ。
 
「こちらは……ご親戚?」
 
「さ……さぁ……お話ししましたが、私達は二十年前の、あの震災の後、児童施設で育ったので……姉以外身寄りもありません……」
 
 小柄な女性は、写真を呆然と見つめながら答えた。
 
「宮原さん。もう一度確認しますが……」
 
 宮原と呼ばれた、その小柄な女性に続き、部屋に入ってきたのは中肉中背の五十代中ほどの男性。着用したグレーのサマースーツと、紺にストライプのネクタイは、猛暑の中にも関わらず、少しも乱れたところがない。
 
「お姉さんと、最後に連絡を取り合ったのが一昨日。十八時に会う約束をしていた。ところが、待ち合わせの場所で待つも、お姉さんは現れず、連絡もつかなくなった……」
 
 スーツ姿の男は、部屋を観察するように見渡しながら、言葉を続けた。
 
「心配になった貴女は、その足でこの部屋を訪ね、合鍵で部屋に入るが、このとおり、もぬけの殻……。それですぐに捜索願を出した……と?」
 
 部屋は昨日のままにしていると、前もって聞いている。争った形跡もない。果たして、失踪を届け出るような事態なのか? と確認するような目で、その男は宮原に回答を求めた。
 
「はい。姉は几帳面な性格で、ちょっと外出するにも片付けを済ませる人です。それが……」
 
 出しっ放しの洗濯物、その片付けが済んだら一息いれるつもりだったのか、カウンターの上に置かれた湯沸かしポットが、冷めきった水で満たされていることに長身の男が気づき、スーツ姿の男に、ポットの蓋を開けて中身を確認させる。
 
「なるほど……」
 
 スーツ姿の男は、部屋の奥へと進み、戸棚に映し出される写真を眺めた。
 
「愛奈さん、最近のお姉さん……香奈さんに何か変わった事はなかったですか?」
 
 長身の男が捜索願の依頼主、宮原愛奈に尋ねる。
 
「……これといって……」愛奈は、俯き気味で答える。
 
「そうですか……」長身の男は、スーツ姿の男が、観察している戸棚の写真の方へと向き直る。愛奈もそれに釣られるように、写真へと目をやった。
 
 見慣れない男女に囲まれ微笑む香奈。底知れない違和感と共に、妙な懐かしさも感じるその写真に、愛奈の記憶が呼び起こされる。
 
「……そういえば……」二人の男達は、愛奈の方へと振り返る。
 
「待ち合わせの電話で、変な事を聞かれました」
 
「変な事?」スーツ姿の男が、続けるように促す。
 
「はい。……パパとママに逢いたいか……と……」
 
「亡くなったご両親に?」長身の男は顔をしかめ、その答えを求めるかのように、スーツ姿の男の方へと向き直った。
 
「えぇ……一体、どういう意味なのか……」愛奈も、スーツ姿の男が、答えを解き明かしてくれる事を期待するかのように、彼の方へ問いかける。
 
「確かに、妙ですねぇ……」スーツ姿の男は、戸棚の前にしゃがみこみ、愛奈の方へ振り返りもせず、黙々と写真を観察し続けていた。
 
「上杉さん?」
 
 上杉と呼ばれたそのスーツ姿の男は、写真の中の何かにふと目を留める。
 
「葛城くん! これを」
 
 上杉は、写真の下方、ディスプレイの縁に、半分ほど隠れた薄い文字を指差す。葛城は屈みこむと、その文字を声に出して読み上げていく。
 
「O、MO、T……」
 
 葛城の肩越しに、不安げな表情で、愛奈もその文字を覗き込んだ。
 
「『オモトワ』!」その文字が何を意味するのか、すぐに読み取った葛城は、声を張り上げる。
 
「上杉さん……」当たりと言わんばかりの表情を浮かべる葛城。
 
 上杉は、写真をもう一度、一瞥するとスッと立ち上がった。
 
「えぇ。……やはり、無関係では無さそうですねぇ」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

入れ替われるイメクラ

廣瀬純一
SF
男女の体が入れ替わるイメクラの話

高校生とUFO

廣瀬純一
SF
UFOと遭遇した高校生の男女の体が入れ替わる話

アンチ・ラプラス

朝田勝
SF
確率を操る力「アンチ・ラプラス」に目覚めた青年・反町蒼佑。普段は平凡な気象観測士として働く彼だが、ある日、極端に低い確率の奇跡や偶然を意図的に引き起こす力を得る。しかし、その力の代償は大きく、現実に「歪み」を生じさせる危険なものだった。暴走する力、迫る脅威、巻き込まれる仲間たち――。自分の力の重さに苦悩しながらも、蒼佑は「確率の奇跡」を操り、己の道を切り開こうとする。日常と非日常が交錯する、確率操作サスペンス・アクション開幕!

終末の運命に抗う者達

ブレイブ
SF
人類のほとんどは突然現れた地球外生命体アースによって、消滅し、地球の人口は数百人になってしまった、だが、希望はあり、地球外生命体に抗う為に、最終兵器。ドゥームズギアを扱う少年少女が居た

サクラ・アンダーソンの不思議な体験

廣瀬純一
SF
女性のサクラ・アンダーソンが男性のコウイチ・アンダーソンに変わるまでの不思議な話

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜 

八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。 第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。 大和型三隻は沈没した……、と思われた。 だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。 大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。 祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。 ※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています! 面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※ ※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※

幻想遊撃隊ブレイド・ダンサーズ

黒陽 光
SF
 その日、1973年のある日。空から降りてきたのは神の祝福などではなく、終わりのない戦いをもたらす招かれざる来訪者だった。  現れた地球外の不明生命体、"幻魔"と名付けられた異形の怪異たちは地球上の六ヶ所へ巣を落着させ、幻基巣と呼ばれるそこから無尽蔵に湧き出て地球人類に対しての侵略行動を開始した。コミュニケーションを取ることすら叶わぬ異形を相手に、人類は嘗てない絶滅戦争へと否応なく突入していくこととなる。  そんな中、人類は全高8mの人型機動兵器、T.A.M.S(タムス)の開発に成功。遂に人類は幻魔と対等に渡り合えるようにはなったものの、しかし戦いは膠着状態に陥り。四十年あまりの長きに渡り続く戦いは、しかし未だにその終わりが見えないでいた。  ――――これは、絶望に抗う少年少女たちの物語。多くの犠牲を払い、それでも生きて。いなくなってしまった愛しい者たちの遺した想いを道標とし、抗い続ける少年少女たちの物語だ。 表紙は頂き物です、ありがとうございます。 ※カクヨムさんでも重複掲載始めました。

処理中です...