孤島に浮かぶ真実

平野耕一郎

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第二部

26

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 私は問題用紙をパッと読み進める。頭に浮かんだ答えをかりかりと記していく。

 焦りはなかった。ただ書けと言われたていることを書けばいい、それがテストだ。

 今は『国語』のテスト。解いているのは、古文、「児のそら寝」。宇治拾遺物語か。問われているのは、先生がテストに出る部分といったところばかり。それも前の高校でやった内容だ。

 これもやった……

 これもやっている……

 これもだ……

 なんだ、他愛もない。私は最後の大問である、古文を解き終えて解答用紙をひっくり返して、カンニングの防止を図る。

 時間は優に余っている。ぼんやりと黒板を見た。試験監督役の先生は、本を読んでいるようだったが、ある異変に気付いたのか、読むのをやめる。丸眼鏡をずり上げ、ゆっくりと動き始めた。

 誰だろう?

 窓際の自席から、右斜め前。教卓がある中央の列の前から3番目。

 体調を悪くし、手を挙げたのは竹井美香だった。私は彼女の顔を見て、目を疑った。

「どうした?」

 先生が心配そうに声をかける。

 くぼんだ目は光を失いかけている、紫色の顔は生気を失いかけている。何を隠そうか、私は緑の葬式の日を思い出す。死に顔、死がそこにある顔――ただ、まだ死ぬとは決まっていない。まだ体調が悪い段階で、あちら側に行くことはない。

 でも単に体調が悪い、おかしいという感じではない。1刻の治療が施されなければならないのは素人目からも明らかだ。 

 美香は、ひどい状況の中でも自分で動こうとした。

 がたっと椅子が動き倒れる。まともに歩ける様子ではなかった。美香の体が、前のめりにふら付いていた。ゼーハーと呼吸が生々しいほど、荒い。誰かの支えがなければならかった。

今は机に手をついて、ようやく立っているが1人では1歩も動けないだろう。

「おい、大丈夫か?」

 先生の声が1段と大きくなって、周りも異変に気付いた。

 ウゥフゥーフゥフゥーという常軌を逸した呼吸音……

 美香はむせた。ガハガハと腹の中の何を出そうとしているようだった。実際に吐いた。

ドロドロした腐り切ったヘドロのような、塊。見たこともない、あり得ないものが床に落下する。

彼女の体は何かにつまずいたわけでもなく、よろめき倒れる。ああ、よっぽどダメなのかと、私は遠目ながらに思う。

「おいっ!」

 緊張感に満ちた、事務的な作業を時間内にやらねばならない試験という行事に、異常な事態が発生している。

 モアッと鼻をつく、悪臭が漂う。全員が嫌悪感にあふれた顔で現場を見つめている。もはや問題用紙に集中している生徒は誰もいない。

 行動をしようという者はいなかったのが、美香にとって不憫なことだ。その原因は、このヘドロが発するこの世のものとは思えない臭いのせいだ。

 それでも、クラスの男子が動くと、近くの席の人が動き出す。

 まず倒れた美香を起こし、両手を二人の男子の肩に預けて、運び出されていった。床に垂れ落ちたヘドロは、残った生徒がモップとバケツを持ってきて掃除をする。鼻がもげそうな顔をしながら必死に作業を終わらせようと頑張っていた。

 やがて掃除が終わり、教室は落ち着きを取り戻していた。

 また1人、教室を後にして十3人になった。

 試験後、挨拶を待たずして教室はざわついていた。ただ話の内容は特殊だった。

「マジあれヤバくない?」

「顔ヤバすぎ……」

「あの臭い、死ぬかと思った」

「大丈夫かな?」

 クラスはテストの重圧から離れ、1時の解放感に包まれたわけではない。あの光景を、まともだと思う人間はいないだろう。次の時間もテストがあったが、謹んで勉強しようという者はいなかった。

「臭かったね、何あれ?」彩月の顔が歪む。

「変ね」

「そう。体調が悪い感じ……じゃないよね?」

「また毒かしら?」

「毒?」

 私が思い切って『毒』という言葉を吐くと、彩月は見事に飛びついてきた。だが、反射的に返事をしないのは、彼女の賢さを示していた。彩月は腕を組み、少し思案してから話し出した。

「あの、美作が死んだ毒と、彼女の苦しみ方が違うんじゃない?」

「確かにね」

「あーなに、何なのよ?」

「どうしたの?」

「人が、3人も。違う5人よ」

「5人?」

「バイク事故で死んだバカと、石だかで殴られたアホも、含めれば島で5人の人間が死んだ――この最近でね。で、竹井ね――あいつは、言いたかないけど、やばいと思う」

 彩月は『やばい』の部分だけ耳打ちで、周りに聞こえないように伝えてくる。

「そうね」

「そうねって……変よ」彩月は呆れた顔で私を見る。

「でも分からないわ」

「そう、分からない。誰が殺したのか。警察もきっと苦労しているのよ」

「……」果たして、どうだろうか?

 島の警察とはいえ、捜査レベルは決して侮れないのではないのだろうか?

「ま、プロの仕事よね。素人が出しゃばる幕じゃない」

 最もだ。推理は本の中だけにしとくべきだ。

 議論は、次の試験監督の先生の訪れにより終わる。

席に戻ろう。試験はまだ終わっていない。目の前にすべきことはある。私は心の動揺を隠しながら試験に勤しむ優等生であろうと振る舞った。
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