上 下
1 / 13
第一話 飼い主と飼い猫

飼い主と飼い猫1

しおりを挟む


「んぬあぁーおっ」

 お世辞にも可愛いとは言い難い声で鳴いて、ララの足元に擦り寄ってきたのは大きな三毛猫だった。
 キジ三毛と呼ばれる白と茶と黒が混ざった短毛は艶があり、瞳は凪いだ海のような美しいエメラルドグリーン。
 しかも、三毛猫としては珍しいオスである。
 オスの三毛猫が生まれる確率は非常に低く、染色体異常のためほとんどが生殖能力を持たないというが、とにかく珍重されて高値で取り引きされる。

「ぬあーおっ」

 今しきりに甘えた声を上げる彼が生まれた時も、周囲は大騒ぎした。
 なにしろ、猫一匹に一家が一生食うに困らないほどの値がつくのだ。

「ロウ、そんなに甘えた声出してもダメだよ。さっき、ご飯食べたばっかりでしょ」

 ララは足元にまとわりついていた三毛猫ロウ抱き上げると、鼻を突き合わせてそう言った。
 ただでさえ、最近お腹まわりがでっぷりとしてきているのだ。
 ロウの世話係であるララとしては、甘い顔ばかりはしていられない。
 彼のピンク色の鼻がふんと不満げな息を吹いて、ララのブラウンの前髪を揺らす。
 そんな一人と一匹のやりとりを、くすりと笑う者があった。

「ロウは腹が減っているんじゃないさ。発情しているんだ」

 そう言って、部屋の仕切り布を掻き分けて現れたのは、背の高い男だった。
 プラチナブロンドの短い髪とブルーの瞳の、精悍ながらも端整な顔立ちをした青年である。
 彼は底の固い靴をかつかつ言わせてララとロウに近づくと、豪奢な刺繍の入った上着を脱いで近くの椅子に投げ掛けた。

「ご主人様、おかえりなさいませ」
「ただいま、ララ」

 ララは慌ててロウを床に下ろすと、男が腰のベルトから引き抜いた剣を受け取り、それを壁の定位置へとかけた。
 ララがご主人様と呼んだ男は、名をレオという。
 レオこそがロウの飼い主であり、ララの主人であった。
 かつてララはロウと一緒に、このレオという男に市場で競り落とされたのだ。

 稀少なオスの三毛猫であるロウが生まれたのは、ある貧しい農家の藁小屋――それは、ララの生家だった。
 そして、十人兄弟の末っ子として生まれたララは、口減らしのために生まれたてのロウとともに商人に売り渡される。
 片や、貴重なオスの三毛猫として引く手数多。
 片や、何の取り柄もない貧相な小娘。
 ただし、ララの瞳がたまたまロウと同じエメラルドグリーンであったことから、売人はその時少しばかり粋な計らいをした。
 ロウとララをセットで市場に出したのだ。
 いや、そもそも価値からするとララはあくまでロウのおまけ的な扱いであったが、これが彼女のその後の運命を大きく左右することになる。
 ララはこの時、生まれて初めて唇に紅を引かれ、貧相な身体に天女の衣のように薄い布一枚で、観衆の前に放り出された。
 そして、その時の競りで他の客を黙らせる高値を掲げて、ロウと一緒にララを手に入れたのがレオだったのだ。

 レオはこの国でも有数の商家の息子である。
 四方を海に囲まれたこの国では、船を所有し他国と交易する者ほど富を築く。
 そのため、レオの一族の資産は、王家にも匹敵すると噂されるほどだった。
 レオ自身もすでに彼専用の商船を数隻保有しており、三男坊でありながら当主である父の信頼も厚い。
 そんな彼が自らの私財でララとロウを買い上げたのが五年前。
 以来、海へと漕ぎ出す度にレオは彼らを必ず同行させている。
 オスの三毛猫は昔から船を守ると信じられており、ロウは航海のお守りとして、ララはその世話係として。
 しかし、レオがララに求めるのは、なにもロウの面倒をみることばかりではなかった。

「ロウ、ダメだぞ。ララは俺のものだ」
「んあーおっ」
「文句を言うな。その代わり、お前にはいい土産をやろう」

 レオは自分の足元に擦り寄ってきたロウにそう告げると、懐から何やら取り出した。
 現れたのは、真っ白い毛並みの美しい猫である。
 とたん、にゃっ! と興奮して鼻の穴を広げたロウに、レオは苦笑しながら待てをすると、白猫の首の後ろを摘んでララの腕へと抱かせた。

「ご主人様、この子は?」
「今日の商談相手にもらった。ロウにも、そろそろ伴侶が必要かと思ってな」

 白猫は初めての場所に戸惑ったようにきょろきょろと辺りを見回していたが、ララがそっと顎の下を撫でてやると、気持ち良さそうに目を細めて小さく鳴いた。
 でっぷりとしたロウも愛嬌があって可愛いと思うが、儚気にも見えるスレンダーな白猫のシルエットは実に美しい。
 ララが思わず笑みを浮かべて顔を寄せると、白猫は挨拶するように彼女の鼻の頭を舐めた。

「ふふ、可愛い」
「よしよし、ララとの相性は問題なさそうだな」

 どうやらレオは、ロウとの相性よりもララと合うかどうかを先に確認したかったらしい。
 もしもこの白猫が本当にロウの番になるのなら、世話をするのは必然的にララの仕事になるからだろう。
 レオは女子同士の微笑ましい戯れ合いに満足げに頷くと、再び白猫の首の後ろを摘んでララの手から取り上げる。
 そして、瞳孔を開いてしっぽをゆらゆらさせていたロウの前にそれを下ろした。

「……」

 一方ララはララで、もう少し白猫を抱っこしていたかった、と小さく口を尖らせる。
 だが、両手が寂しいのもほんの一瞬のことだった。
 何故ならその直後、ララも白猫と同じようにひょいと持ち上げられ、不安定な身体を支えようと目の前のものにしがみつくことになったからだ。

「ご主人様」

 柔らかい白猫の代わりに、ララの腕はレオの頭を抱き締める。
 艶やかなプラチナブロンドからは、かすかに潮の香りがした。
 ララはひやりと冷たいそれに、そっと火照った頬を押し当てる。
 レオもララの控えめな胸元に頬を押し付けて満足げなため息をひとつ吐き出すと、彼女を抱きかかえたままスタスタと歩き始めた。

「んなぁーおっ、なーおっ」
「……なーん」

 ところが、背後から二匹の猫のそんな会話が聞こえてくると、レオはにやりと口の端を吊り上げて振り返る。

「おい、ロウ。あまりがっつくと嫌われるぞ」
「あーおっ」

 すると、ロウはしっぽを床にぴしりと叩き付け、余計なお世話とばかりに不機嫌な鳴き声を返した。
 それに、レオはさもおかしそうに声を上げて笑う。

「まあ、俺も人のことは言えないか」

 彼はそう言うと、ララを近くのベッドへと押し倒すのだった。




しおりを挟む
1 / 4

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!


処理中です...