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第二章 ネコは増殖する

10話 承認欲求モンスター

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「トライアンの母親は、ラーガストの地方領主の娘だったらしい」

 時刻は午後一時を回り、私はミケと一緒にトラちゃんの部屋を後にした。
 私はこの後、王妃様を訪ねるつもりだが、その前に軍の施設へ戻るミケを見送るため王宮の玄関に向かう。
 昼食を詰めてきたバスケットの後片付けは侍女に任せ、腕にはネコを抱えていた。
 侍従長の負の感情を食らって満腹のネコは、お腹の毛に潜り込んだ子ネコ達を抱くようにして丸くなっている。
 しゃべりさえしなければ普通の猫と変わらないため、その満足そうな寝顔を見ると自然と癒された心地になった。
 しかし、ミケの言葉が私を現実に引き戻す。

「元々は王太子付きの侍女だったが、国王に見初められてしまったことで随分と苦労したようだな」
「うわぁ……息子の侍女に手を出すなんて……。トラちゃんのお母さん、他のお妃様なんかにいじめられた、とかですか?」
「ああ、いかに国王の寵愛を受けようとも、後ろ盾が地方領主では弱過ぎるからな。凄惨ないじめを受け続け、トライアンを生んだ頃から急激に精神を病んでいったらしい」
「じゃあ……トラちゃんはそんなお母さんしか知らないんですね……」

 心が壊れて人形のようになってしまった母を、トラちゃんは物心ついた頃から面倒を見てきたようだ。
 父親である国王は金銭的な援助こそ怠らなかったものの、この頃にはすでに別の相手に夢中になっていたという。
 私はミケと並んで王宮の廊下を歩きながら、居た堪れない心地になった。

「トラちゃん、ヤングケアラーだったんだ……私の元の世界でも、問題になってましたよ。本来大人が担うべき家事とか、家族の世話や責任を負わされている子供がいるって」
「皮肉なことだが、トライアンは捕虜になったことでその重圧から解放されている。だから今しばらくは、母親と離しておくべきだと思うんだ」

 終わりの見えない戦後処理に疲れ果てながらも、自国のみならず敵国の王子まで気にかけるミケのことは尊敬する。
 しかし、彼もまた多くのものを背負い過ぎているのではないかと、私は心配になった。

「そういえば、小さなレーヴェみたいな子がミットー公爵閣下のところに行きませんでしたか? チートって名前がつけられた」
「来た来た。公爵にベッタリで、他の将官達が羨ましがって大変だったぞ。公爵も公爵で、仕事を邪魔されまくっているのに幸せそうでな」
「全力でネコハラされてますねー。でも、それだと永遠に仕事ができませんので、公爵閣下にはあの子を軍服の胸元にでも放り込んでおくことをお勧めします。そこで落ち着いたら、しばらくは大人しくしていると思うので」
「なるほど。伝えておこう」

 ミケは頷きながらも、じっとこちらを見つめてくる。
 もしかして、彼もミットー公爵が羨ましかったのかと思い、私は立ち止まってネコを差し出してみた。

「ミケもだっこしてみますか? いい匂いがして癒やされますよ」
「そうだな……癒やされようか」

 同じく立ち止まったミケも、すぐに頷いて両手を伸ばしてくる。
 ところが彼が抱き上げたのは、ネコではなかった。

「いや、ミケさん!? 私じゃなくて、ネコをっ……!!」
「私は、ネコよりもタマと触れ合っている方が癒やされる」
「なら、いいですけど……いいのかな? これ、ミケの体面的に大丈夫ですか?」
「問題ない」

 ミケはそう言い切って、抱え上げた私の肩に額を押し付けてくるが、問題ないようには思えない。
 実際、私達の近くに居合わせた人々はざわりとした。
 私という存在はこの半年で随分と周知されたが、昨日の令嬢達みたいに快く思っていない者もいるだろう。
 それに、元人見知りとしては、好意的であろうとなかろうと自分に視線が集まるのは好ましくない。
 居心地の悪さに耐えかね、私もミケの肩に顔を伏せてしまおうかと思った時だった。 

『ええいっ! 静まれぇ、静まれぇ、静まれえええいっっっ!!』

 私とミケの間に挟まっていたネコが、ぬるんっと抜け出して叫ぶ。
 ネコはミケの肩によじ登り、彼の後頭部に前足を置いて立ち上がった。
 にゃおーん! と高らかな鳴き声が響き渡り、おおっ! とあちこちから歓声が上がる。

『愚かな人間どもめ! 珠子の貧相な毛並みではなく! 我の! この! フサフサを! 見よーっ!!』

 お腹にくっ付いていた子ネコ達も加わって、にゃごにゃごにゃー! ミーミーミー、と大合唱が始まった。
 ちょうど玄関ホールに差し掛かっていたものだから、吹き抜けの高い天井にネコ達の声が響き渡る。

「ネコちゃんかわいい……尊い……」
「モフモフも、鳴き声もすばらしい……」
「あの前足で殴られたい……」

 承認欲求モンスターのおかげで、人々の関心は一瞬にして私とミケから逸れてくれた。
 うっとりとした顔で見上げてくる人間達を眺め、ネコはひげ袋を膨らませて得意げな顔をする。

『ぬわーはははは! 我と子らの尊さにすっかりやられておるわ! ちょろい! ちょろすぎるぞ、人間っ!!』
「いや、頭の上でにゃーにゃーうるさいし、しっぽが邪魔なんだが?」

 頭を踏み台にされた上、フサフサのしっぽで横面をベシベシ叩かれ、さすがにミケが抗議の声を上げる。
 それでもネコを振り落とさない彼の寛大さに感心しつつ、私はふと疑問を覚えた。

「それはそうと、ミケはどうして、私がトラちゃんのところにいるってわかったんですか?」
「侍従長から聞いた。タマこそ、陛下から申し付けられたとはいえ、なぜ私に相談もないままトライアンと会っているんだ」
「相談したら反対されるかな、と思って。それに、トラちゃんのことも心配でしたし」
「反対するに決まっているだろう。タマはあいつに刺されたんだぞ。陛下も、何を考えていらっしゃるのやら……」

 憮然と呟きながらも、なおも擦り寄ってくるミケは、何やら大きな猫みたいだ。
 刺された時の痛みも恐怖も覚えていない私は、トラちゃんの年齢や生い立ちを思うと恨む気になんてなれない。
 一方ミケは、彼の事情を十分慮りつつも、それを理由に私の傷を蔑ろにすることはなかった。

「ミケが、昼間に王宮の方に戻ってくるのは珍しいですよね。国王様か王妃様に御用でしたか?」

 金髪をそっと撫でて問えば、ミケは私の肩口に顔を埋めたままくぐもった声で答える。

「タマの様子を見にきた」
「えっ、私? なんで、また……?」
「雨が、降ってきたからな」
「雨って……──あっ!」

 ここで私は、半年前の傷が痛んだのは雨のせい、というような話を彼にしたのを思い出した。昨日のことだ。
 雨が降り出したのに気づいたミケは、私がまた痛がっているのではないかと心配して、わざわざ様子を見にきてくれたのだろう。
 私は一瞬、言葉に詰まった。 
 ミケの貴重な時間を割かせてしまって申し訳ない気持ちと、忙しい中でも気にかけてもらえてうれしい気持ちとが、私の中でせめぎ合う。
 しかし、顔を上げたミケを見て、自然と溢れたのは笑みだった。

「ミケ、心配してくださってありがとうございます。今日はね、全然痛くないので大丈夫ですよ」
「そうか。それならばいいんだ」
「でも、雨に感謝ですね。一緒にお昼ご飯を食べられて楽しかったです」
「私もだ。タマの欲張りっぷりには笑わせてもらったしな。将官達へのいい土産話ができた」

 それは、ちょっと困る。
 欲張って具材を巻きすぎたせいで、半分も食べないうちに中身を全部落としてしまった、なんて失態を吹聴されるのは。
 私がどうやってミケの口を封じようかと考えていると……くすくすと柔らかな笑い声が聞こえてきた。

「──メルか」
「あっ、ほんとだ、メルさんだ。昨夜はお疲れ様でした」
「殿下、タマコ嬢、お疲れ様でございます。お二人は相変わらず仲良しですね」

 胸に片手を当てて優雅に礼をしたのは、白い軍服に身を包んだ男装の麗人、メルさんだった。
 高い位置で一つに結んだストレートの黒髪が、頭を下げた拍子にさらりと美しく前に流れる。
 この時、ネコはまだミケの肩に乗ったまま、後ろに集まった観衆に向かって機嫌良く鳴き声を披露していたが、子ネコ達は我先にとメルさんに飛び移った。
 可愛い集団にミーミー擦り寄られてほくほくする彼女に、ミケは私を下ろしつつ問う。

「メル、何か急ぎの用か?」
「いいえ、殿下。ロメリア様の命で、妃殿下に書類をお届けに上がったのですが、急を要するものではございません」
「そうか、母上のところならばちょうどいい。タマを一緒に連れていってくれ」
「かしこまりました」

 王宮の玄関はもうすぐそこだった。
 昼間は開け放されている観音開きの巨大な扉の向こうに、青空が見える。
 雨は、すでに上がっていた。
 ミケが頭の上に乗っていたネコを下ろすと、その独演会にうっとりとしていた人々もようやく我に返る。

『ふふふぅん! 今日も絶好調じゃわい! 珠子、ちゃんと見とったか? 我のオンステージをっ!!』
「はいはい、見てた見てた」

 人々がそそくさと持ち場に戻っていく中、ネコも私の腕の中に帰ってきた。
 興奮冷めやらぬ様子のネコを宥めつつ、私はミケと向かい合う。
 
「ミケ、お茶の時間にまたお邪魔しますね」
「ああ」
「私が手巻きサンドを欲張った件は、皆さんには内緒にしててくださいね?」
「それは約束できないな」

 ミケは小さく笑いながら、颯爽と玄関を潜っていった。
 とたん、頭上から降り注ぐ日の光で彼の金髪がキラキラと輝く。
 その神々しさにしばし見惚れていた私の横で、同じようにミケを見送っていたメルさんが口を開いた。

「殿下は……タマコ嬢と出会って、お変わりになりましたね」
「えっ、そうなんですか?」

 私と出会った時期というのは、戦争終結の時期と重なる。
 もしもミケが変わったというなら、後者の影響の方が大きいのではないかと思ったが、メルさんの見解は違うようだ。

「私は、ロメリア様に随従して早くから城に上がっておりましたが……殿下がタマコ嬢ほど密接に人と接していらっしゃるのは、見たことがありませんでした」
「あっ、距離近いなぁとは思ってましたけど、あれがミケのデフォ……えっと、基本的な状態じゃないんですね?」
「下々の者にも気さくに接してくださるので、もともと人望の厚い方でしたが……どこか一線を引いていらっしゃるように感じましたね。幼馴染でいらっしゃるロメリア様や指南役のミットー公爵閣下、その他の忠臣の方々に対してもです」
「そう……なんですか?」

 私は、今のミケしか知らないため比較のしようがない。
 ただ、メルさんの口ぶりは、彼のその変化を歓迎している風なので、自分が悪影響を及ぼしたと気に病む必要はなさそうだ。
 私はメルさんと連れ立って王妃様の部屋へと足を向けながら首を傾げた。
 
「私との出会い以降ってことは……初対面が衝撃的だったんですかね?」
「そうかもしれませんね。あの時は私もロメリア様も本当に驚きました。見知らぬ女の子が突然、殿下のお膝の上に裸で……」
「メ、ル、さんっ! その記憶はすみやかに消去してもらっていいですか!?」
「ふふ……失礼しました」

 メルさんを恨みがましげに見上げたところで、はたと気づく。

「よくよく考えたら……将官の皆さんも全員、あの現場に……」
「居合わせておりましたね」
「つまり私は、会議室にいる全員にすっぽんぽんを晒した可能性が……」
「ございますね」

 衝撃の事実に、私はたまらず頭を抱えた。

「は、はずかしすぎるーっ! これからどんな顔をしてお茶を淹れに行けばいいのっ!?」
『気にするな、珠子。我やきょうだいなんて、四六時中すっぽんぽんじゃぞ』

 ネコがなんの慰めにもならないことを言う。
 そのふさふさの毛に、私が真っ赤になった顔を埋めようとした時だった。

「──タマコ嬢、子ネコさん達をお返しします!」
「えっ……?」

 メルさんが、戯れついていた子ネコ達を私の腕に戻してきた。
 彼女はさらに、私とネコ達を近くの柱の陰に押し込んでしまう。

「メ、メルさん? 何事ですか!?」
「申し訳ありません、タマコ嬢! どうか少しだけ隠れていてください!」

 メルさんの鬼気迫る表情に、私は戸惑いつつも言われた通りに身を潜める。
 その直後、聞こえてきたのは壮年の男性の、冷ややかな声だった。

 
「──メル、こんなところで何をしている」
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