【R18】愛欲の施設- First Wedge -

皐月うしこ

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第十二夜 天の邪鬼な謝礼(上)

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誰かの特別にはなれない。
それは、戒に言われるまでもなく、わかっていたこと。もとより、そんなおこがましいことは考えていない。
誰かの特別になると言うことは、少なからず自分から選んで決めるということで、至高のカミ相手に、そんな罰当たりなことが出来るわけもない。
この中からより分けて、特別な存在を決める。恐ろしくて考えたくもなかった。
それでなくても、好意すら受け入れてもらえない相手、持ってはいけない相手だという現実に悩んでいる。
特別な存在になれたらいいなとは思うが、それは選択権があればの話。エサの立場である以上、捕食者は選べない。食べてほしい人に食べられるのであれば、それはエサとして本望なのかもしれない。けれど、目の前で踊る白銀の毛並みを見つめていると、不思議と分けあってほしいと思ってしまう。
ひとりではなく、等しくみんなで。
ただ、こうして騒がしく喧嘩している事実を目の当たりにしてしまうと、そうなる未来は疑わしい気がした。


「ばかばかばかぁぁぁぁっぁ」

「ッ!?」


隣に座る戒の視線を感じながら、胸の中のわだかまりを整理していた優羽は、目の前をものすごい勢いで駆け抜けていった銀色のかたまりに息を止める。


「え………なに…っ、陸?」

「陸ッ、ひとりで逃げるんズルイで!!」


今度は、さっきよりも少し大きな風が走り抜けていった。


「待て、逃がすか」


さらに、もうひとつ。髪がはためくのを感じながら、優羽は身体を小さく萎縮させる。


「わ…っ、なに…あ、あれ、みんなは?」

「………はぁ」


突風に髪を押さえている間に、忽然と静かになった空間を優羽は眺める。しんと、静寂な暗闇。ほんのり明るいのは、隣に戒がいるからだろう。
その証拠に、真横から心底飽きれたような戒のため息が聞こえてきた。


「少しは落ちついてもらいたいものです。まあ、あとはあの人がなんとかするでしょう」


そう言って、部屋の入り口を見た戒の言葉通りに、言いようのない地響きが洞窟内を揺らす。
この感覚は知っていた。
初めてここに来た日に、幸彦の足音を聞いた時がちょうどこんな感じだった。


「これで、しばらくは静かに過ごせると思いますよ」


いつものことだと、肩をすかせる戒を見つめながら、優羽は「ほう」と、どこか尊敬するような声をもらしていた。
最初から、戒は不思議だと思っていた。
誰かと特別親しいわけでもなければ、輪の中心人物と言うわけでもない。かといって、仲間外れにされているわけでも、孤立している雰囲気も感じない。
いるのにいなくて、いなくてもいる。
不思議な立ち位置。それでも、欠けてはいけない。必要な存在。
第三者としての役割のようにも感じる。戒は、誰よりも仲間のことをよく見ている。そうして周囲を見たうえで、自分がどう動くべきかを知っている。


「戒さんって、落ち着いてますよね。いつもそんな感じなんですか?」


部屋の入り口付近を見つめたままだった戒が、無言で振り向いてきた。それもゆっくりと。狼の姿でも美しさは健在だが、なんとも言えない表情で見つめられると、無駄に心拍があがってしまう。
キレイな瞳。銀色の揺らめきが、優羽を鏡のように反射させる。


「えっと……その……頭が良さそうっていうか、賢そうっていうか」

「………」

「………戒さん?」


何かを言おうとしているのだろうか。そう思ってじっと眺めていると、戒の顔が思案するように眉根をよせた。
一体何を言われるのだろうと、優羽は戒の答えを待つ。
無言の時間。その銀色の瞳を見つめていると、間抜けなことを口走ったのではないかと恥ずかしくなってくる。
早く何か言ってほしい。
冷たいはずの戒の瞳まで熱が灯ったと錯覚するほど、銀色の瞳に映る顔が紅を差していく。
今さら発言はなかったことにできず、目もそらせないまま、優羽は戒の答えをじっと待っていた。


「優羽は」


ゴクリとのどが鳴るのも無理はない。それでもなんとか、戸惑いに蓋をして、優羽は戒の声に耳を澄ます。


「見た目通りに馬鹿なんですね」

「ふぇ!?」


思わず、変な息が出た。
面切ってバカだと言われれば、どう反応を返していいのかわからない。
怒るのも違う気がするし、反論するのも違う気がする。第一、そんなことをして勝てる相手じゃないことは、重々承知していた。


「わたしのことは、"戒"と呼び捨てにして下さいと言ったはずですが?」

「は、ぇ、え……えぇ?」

「なんですか、その顔は。もう忘れたというなら、それこそ馬鹿の極みです」

「きわ…ッ…だって、名前を呼ぶなって」

「優羽のくせに、言い訳をするんですか?」

「……すみません」


不機嫌に細められた戒の視線に、優羽は気まずそうに息をのむ。
不機嫌な顔をしたいのは、むしろこちらだと、歯をみせて「いー」と吐きたいのに、それは出来ない。
面倒な狼だなと鼻息で吹き飛ばせることができたら、全裸で大人しく隣に座る今はない。
頭がいいと思ったのは嘘ではないが、もう少し言い方を考えればよかったと思う。例えば晶みたいに皮肉を込めた言葉にすればよかった。


「…………」

「…………」


圧がすごい。


「簡単に名前を呼ぶのは許しません。ですが、与えられた権利を放棄するのは、どうかと思います」


カミ様は理不尽な生き物だということを改めて実感する。
呼べと言ったり、呼ぶなと言ったり、どっちなんだと内心複雑だったが、カミ様相手に不敬な態度をとるわけにもいかない。


「…………むぅ」

「優羽、顔に全部出ていますよ」


呆れた戒の声にハッと我に返る。
確かに一瞬とはいえ、自分の立場を忘れていたと、優羽は慌てながら戒に頭をさげた。


「っ、すみません」


それこそバカの一つ覚えみたいに、エサとして従順です。私は、愚かな反抗をしません。その意味を声にひそませる。
顔に文字でも浮かんでくれたら、少しは理解してくれるだろう。しかし、その態度は間違いだったのか、頭を下げる優羽を見た戒が、再び重たい息を吐き出した。


「本当に馬鹿ですね」


全部言わなくても察しろと、全身で表現する戒の前で、優羽はかたく唇をむすんだ。
近付いた圧に体が震える。
殺されるかもしれない。
今度こそ命はないと、目も固く閉じる。


「つまり、その他人行儀な口調や態度はやめて下さいと言ってるんですよ」

「……は……え?」


思いもよらない戒の言葉に、優羽はパチパチと目をまばたかせる。
安易に「距離を取ろうとするな」と言ってきた戒に、それはもう青天の霹靂かと驚いた。
聞き間違いかと、思わず耳を疑ったのも無理はない。


「………たにん、ぎょーぎ?」


戒は気位が高くみえる。
そのせいで、対等や馴れ馴れしいのを嫌がり、一線引いた関係性が大事だと思っていた。雰囲気で勝手に判断して、決めつけていたことは否定しない。が、まさか本人の口から他人行儀などと告げられるとは思ってもみなかった。
矛盾した主張に混乱してくる。
「誰の特別にもなれません」という戒が、特別扱いしろと言っているように聞こえるのは、気の迷いだと思いたい。
「誰の特別にもなれない」というのは、誰かを特別に思うことも、望むこともできない。自分の立場を改めて理解しろと、そういう意味ではなかったのだろうか。


「他人行儀をやめるとは、親しく接しろということですか?」


ワケがわからず、優羽は呆然と戒の言葉を繰り返す。心なしか、戒の顔が赤く染まってみえた。
視界の端で左右に揺れる尻尾は見えないふりをする。


「次に、他人行儀に戒さんと呼べば、呼べるようになるまで食べます」

「えっと、つまり、戒さん、ではなく、戒と呼べと?」

「うかがう話し方もいやです」

「敬語もやめろ、と?」

「そうです。ありのままの優羽で接してください」

「………」


これは、いったい。
何が起こっているのか理解できない。
疑問符を浮かべながらも、優羽は戒の言葉を脳内で反芻していた。
「対等」という単語が目の前に見える。
それを望んでいるのは戒の顔というより、しっぽで伝わってくる。


「…………うーん」


あきらかな主従関係が確立している上に、敬語で話してくる相手に、砕けた話し方をするのはなんとも気が引ける。
それも相手が人間ならまだしも、カミ様であり、狼なのだからなおさらだった。


「でも……」

「でも、では、ありません。わたしがイヤだと言っているのですから、優羽はただ、はいと、うなずけばいいのです」

「…………は…い」


遠まわしな命令に、優羽は口元をひきつらせる。
結構ワガママなのかもしれないと、優羽は戒を見つめながら竜と初めて交わった時と似たような感想をいだいていた。
イヌガミ様の第一印象は、あてにならない。


「なんですか?」

「いっいえ。なんでもありません!!」

「………」


ムスッとした戒の表情で、優羽はハッと口を押さえる。


「な…っ…何でもない、よ?」


おそるおそる言い直してみたが、戒はフンッと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
なんだか調子が狂う。こんな性格の持ち主だったとは欠片も思わなかったと、優羽は改めて床に目を落とした。


「そんなにわたしが怖いですか?」

「えっ!?」


ふいに投げかけられた疑問に、優羽は床を眺めていた顔を戒に戻す。
依然、すねたような戒の表情は変わらなかったが、その銀色の瞳はどこか寂しそうにゆれていた。
尻尾どころか耳までしゅんと垂れたように見える。
怖い。どうしてそんなことを聞くのだろうと、優羽は首をかしげて戒を見つめた。
どちらかといえば、今の戒は「可愛い」に分類される。口が裂けても言えないけど。


「はぁ」


いちいち説明しなければ理解できないのかと、戒のため息が無情に響いた。


「忘れたわけではないのでしょう?」

「なにをでしょ…ぅ…なっ、なんのこと?」


一瞬、空気が止まる。が、言葉をなんとか軌道修正させた優羽に、戒は気がつかないフリをしてくれた。


「わたしがあなたの背に、爪をたてたことですよ」

「……………あ」

「恐怖を与えた相手です。優羽は平気なんですか?」


真剣なまなざしで、ジッと見つめてくる戒から優羽は視線をそらせる。


「怖いくせに、平気なフリをするのはやめてください」


さっきから身体が震えていますよと、単調に伝えてくる戒の言うとおりだった。
隠し切れていると思っていたのに、案外早くばれてしまったことで、居心地が悪くなる。二人きりになった途端に殺されるんじゃないかと、心のどこかで感じていた本音を指摘され、そこに意識が戻ってくる。
なにかの拍子で突然、襲いかかってくるのではないかと、警戒心がとけてくれない。


「………ごめんなさい」


エサとして、誰かを特別に望めないのと同じように、誰かを拒絶することは許されない。望まれれば与える。それが役割である以上、どれほどの恐怖を抱えたとしても、逃げることは許されない。
それこそ死を意味する。
これは、本能。戒を警戒するのは、当然と言えば当然の反応だと思いたい。
二人きりだとわかった瞬間から、誰か戻ってきてくれないかと、ずっと不安に感じている。それでも、現状から逃げる方法は思いつかない。


「余計に傷つきます」

「………はっ?」


本当に、戒の言動が読めなくなってきた。
傷つく。それは誰のことだろう。


「は、え、戒が、なんで?」


不可解すぎて、気づけば優羽は頭で考えるより先に口から言葉を発していた。


「どうして戒が傷つくの?」


意味がまったくわからない。
だいたい理不尽な暴力を振るわれたのはこちらの方なのに、加害者のくせして何を口走っているのかと、怒りがこみ上げてくる。
カミ様がどれだけ偉い存在だろうと、頭に血がのぼれば関係ない。


「戒のバカ!!」


優羽の叫び声が戒の耳をぴんっと立たせる。


「傷ついたのは私の方よ。すっごく、ものすごく、痛かったし、怖かったんだから!!」

「………」

「せっかく、戒のこと素敵な人なんだなって思いかけてたのに、あんな裏切りかたってない!!」

「………」

「死にそうになったし、受け入れてもらえないんだって、すごく悲しかった。私に避けられて当然でしょ。ちょっと反省したくらいで、カミ様だからって、許されると思ってるなら大間違いよ!!」

「………」

「傷ついたとか言う資格は、戒にない。だいたい、そういうことを言う前に、ちゃんと謝って。私まだちゃんと謝ってもらってない!!」


フンッと顔をそむけてから、優羽は我に返る。怒りにまかせて口走ったことを、冷静な頭で思い返してみると、それはもう取り返しのつかないことを並べ立ててしまっていたのだから仕方がない。
さーっと、血の気が引いていく音を聞いた気がした。
確かに言いたいことを言った。悔いはない。ないけど、戒の方に顔を戻す勇気はもちろん、湧いてこなかった。


「なるほど、あなたの気持ちはよくわかりました」

「……ひッ…」


静かな戒の声調に、優羽は今度こそ確実に殺されると、ギュッと目をつぶる。
覚悟を決めようとしている心臓の鼓動がウルサイが、そんなことにかまっている場合ではない。
身体が震えているのがわかる。
押し殺していた恐怖が、隠しきれないほどに溢れ出ていた。


「優羽」


戒が名前を呼んでくる。
たぶん、誰が見てもわかるほどに優羽の手が不自然に揺れていた。


「こちらに顔を向けてください」

「むっ、無理!!」


怖すぎて顔なんかあげられない。
戒の顔なら、もう嫌というほど見てきた。死んでも忘れることはないから安心してと、優羽は必死に戒に訴える。
顔を向けられない理由を聞いた戒が、どう思ったのかは定かではないが、スッと手が髪に触れるあたり、狼の姿から人間へと変身をとげたらしい。


「………えっ?」


触れられた瞬間、ビクリと大げさに肩を揺らした優羽だったが、それが鋭い爪じゃないとわかると、パチッと音が出るほど勢いよく目を開けた。


「なん…っ…で…?」


どうして人間の姿に。続きがうまく声になってくれない。
パクパクと口を開閉させる優羽の瞳は端麗な戒の顔を写すだけ。
これが夢じゃないのなら、至近距離まで迫ってきた戒の瞳が、目と鼻の先でジッと優羽を見つめていた。


「やっと、顔を向けてくれましたね」

「ッ!?」


ここにきて、初めて戒が笑った。それも、嬉しそうに熱を込めた顔で笑っている。
これは、ヤバい。
違う意味で心臓が強く鳴きはじめる。


「謝るときは、きちんと目を見なければ本当の気持ちをわかってもらえませんから」

「なっななななな」

「優羽」

「はっはい!?」

「わたしの独断で、苦しい想いをさせてしまって、申し訳ありませんでした」

「ひぃッ!?」
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