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三納物語の現状がどんどん『胡散臭い』方向に向かっていっている件について(前編)
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今回はタイトルの通り、三納物語の現状がどんどん『胡散臭い』方向に向かっていっていることを考察したいと思う。
が、その前に、前回のツイッター激ヤバな件から書いてはいたものの、なかなか投稿のタイミングがなかったものを、全て削除してしまうのはもったいない(?)ため、本筋とは少し逸れるが『前編』として先にそちらを考察していきたいと思う。
まずは、近年の三納の動画の最新作についての考察。(そんなものに需要があるのかどうか書いてて筆者自身もよく分かってはいないのだがwwww)(?)
・伊能物語最新作(現在は削除されて視聴不能)
三納の動画で『伊能物語』という、自分を伊能忠敬と思い込んだ三納が、自転車でとにかく走りまくって目的地を目指すという企画がある。
前回からそうなのだが、この企画が本人の苦労の割に全然面白くないのである。(?)
そして、その『理由』が筆者にはよく分かっているのだが、何故この企画がつまらないのかというと、動画内での三納が取れる行動に『制限』がないため。
これが例えば一日に『進んだ距離』に応じて『伊能ポイント』が貯まり、それによって使える金額が決まる(その日一日のポイントではホテルに泊まれないため、一日目は野宿で我慢して翌日ホテルを満喫など)であるとか、内容が工夫されていれば面白いのだが、これはその辺の作り込みが甘々であり、ただただ三納が伊能のふりをしながら目的地まで自転車を漕いでいくというだけの内容であるため、展開としては全くつまらないと言わざるをえない。
筆者は別にこれを全否定している訳ではなく、本人がこれを撮るために身体を張って苦労しているのは伝わってくるため、その苦労に面白さの方が全く見合っていないことを、もう少し工夫すればより面白くなるのに『もったいないよ』と言いたいのだ。
あと、これを書いている途中で、よく考えたらタイトルは三納と伊能の『のう』でかけてるのかと気付いた。(?)
・ドケチ生活最新作(こちらも現在は削除され視聴不能)
まず、これを観ていて思ったのは、ドケチ生活なのにファンからお茶を貰うのは違うだろうということ。
決められた『制限』の中でどう少ないお金をやりくりして、どう切り抜けていくのかがこの企画の趣旨、面白いところ(実際前回のドケチ生活の時はそうしていた)であって、そこを困ったら何でも貰えるという風にしてしまうと、企画がブレブレになって面白みがなくなってしまうことに、やってて自分で気付かなかったのかと不思議でしょうがない。
最近のあまりの暴言ぶりに、初めは批判しようと思って観ていたのだが、動画の後半の豚のぬいぐるみを可愛がりながら、ダンボールの中で寒がっているところで何故か涙が出てきてしまい、可哀相になってきて何も言えなくなってしまった。
これは内心相当苦しんでるだろう……。
思えば、このように豹変(?)する前はそこまでへりくだらなくても……と、見てるこっちが思うぐらいめちゃくちゃ低姿勢でコメ返していたのだが、実はその時の三納が『ばなな』だったのではないだろうか?
この動画の最後の方で、『ばななにもどる』という選択肢があるのを筆者は見逃さなかった。
ばななというキャラはもうやめるなどと言っていたが、本当は本人もばななに戻りたい気持ちがあるのではないか?だからこそ動画内にそのような選択肢を設けたのではないか?と感じずにはいられなかった。
本人は自分のことをゴミ人間などと自嘲していたが、けしてゴミなどではない、これまで身体を張ってたくさんの人を楽しませて、その分幸せにしてきたじゃないか。
この後、前述の通りこれらの動画とその前の視聴者に喧嘩を売る(?)動画は、現在何故か全て『削除』されているため、現在は視聴不能の状態となっている。
ここからは、現在に至るまでの三納のあまりにイタすぎる対応(ツイッターや動画のコメント欄での返信)について。
リプやコメント欄で視聴者に痛いところを突かれたら、話を逸らして論点ずらしの的外れな返答しか出来ないのは非常にサブいし、三納のチャンネルで基本三納の味方が多いにも関わらず、三納のコメ返にいいねが一つもない時点でかなりヤバいと気付いた方が良いと思う。
悪質なアンチに対して言うのであれば良いが、心から心配だったり応援して下さる方にまで、皮肉や嫌味たっぷりに返すなど、それは人としてやってはいけないことだろう。
応援コメントに対して嫌味で返したり、この時の三納は性格が悪すぎたため、今までスタッフや周りの人が離れたりしていっていたのは、ひょっとするとカメラに映らないところでは今回のような性格をむき出しにしていたのではないか?と思ったりもした。
自分にとって耳の痛い意見でも、自分のことを思って言ってくれる人の方が、実は本当の『味方』だったりする。
自分へのまっとうな批判に対して悪態をつき、周りにイエスマンしかいない『裸の王様』になりたいのかお前はと思うし、所謂『まともな人』『良心的な視聴者』からは今どんどん呆れられ、愛想を尽かされていることは自覚した方が良いと思う。
内心は自分でも、今の自分のイタさ加減を理解しているものと思われるが、敢えて見ないようにしているというか、今の三納は努力して積み上げてきたものをわざとぶち壊して、砂上の楼閣が崩れていく様を愉しんでいるようにも感じる、そういった行為に快感を覚える自分のことを変態などと称していたが、いずれにしても普通の精神状態とはとても思えない。(というか、前述の動画を消したのは、実は動画を消したかったというよりも、『コメント欄での自身のイタいやり取り』を消したかった、正気に戻って『こんなやり取りを人に見られたくない』ということに気付いたという点の方が大きいのかもしれない)
ここからは、三納がSNS上でやっていた(現在も進行中?)、視聴者に金銭や飯をねだるなどの行為について。
まず、飯を奢って貰って視聴者のカウンセリングをやりますなどと、いま一番カウンセリングが必要なのはお前だろうと筆者などは思う。(?)
サインや写真で飯を奢れ、5000円ならぷんぷく侍もやるなどと、ハッキリ言ってそのような茶番にそこまでの価値はないし、自分のことを芸能人とでも勘違いしているのではないか。
コメントで、今の三納は自分の考えを貫いて生きていて格好いいなどという声も見たが、子供のように恥も外聞もなく視聴者に飯をおねだりしている姿を本気で格好いいなどと思っているのかと、疑問でしかない。
これまでのことは全て捨てて、自分のやりたいようにやると言うのであれば勝手にやっていればいいとしか言えないが、それがどうしても強がって開き直っているようにしか見えないのだ。
身体を張って動画を作っても、これまでのように再生数が伸びないため、動画制作にかけた労力の割に入ってくる実入りがあまりに少なくなり、そこで三納の中の何かが『はじけた』、おかしくなってしまったのではないかと筆者は感じる。(だからばななはやめると言い出したのではないか)
要は、表面上は格好のいいことを言っているが、その本質は再生数が落ち込みすぎて広告費で食えなくなってきたから、場所を転々として視聴者に飯を食わせて貰っているだけなのではないか?と思うし、そうしてそんなことが通用するのは物珍しさのある今だけであり、常に飯やお金を恵んでくれる視聴者が現れ続ける訳はないし、そんなことがいつまでも続くものではない。
勿論、本当に良い方なのであれば良いが、中には動物園の動物に『餌付け』をするような感覚で、何でも賛同しておだててその気にさせて、その実三納が破滅するまでの経過を観察して愉しんでいるような輩もいるかもしれないので、そういう『一見味方のふりをした敵』には本当に気をつけた方が良いと思う。
思えば、三納がこのような行為に至る『前兆』はあったのである。
それは、『プロオゴラレヤー』という人物と三納との対談動画。
まあ、わざわざ説明しなくても、名前からしてどのような人物なのか分かると思うため敢えて説明はしないが、この対談からの三納の行動の流れを見ると、どうもこのオッサンに感化されて上記のような行為を始めたのではないか?と思うフシもあるのだ。
筆者が三納をこれまで評価していたのは、『自分の苦労よりも作品の面白さを優先するクリエイター魂』があったからであり、それがこのような『プロオゴラレヤー』などという、人生に於いて一番参考にしてはいけないレベルの人物に感化されているとは、そうか、そこまでレベルが低かったのかと本当に残念としか言いようがない。
後編で出てくるのだが、三納はいま現在ツイッターで、『プロオゴラレヤー』の次は『キメラゴン』などという非常に胡散臭い人物に感化されており、『すぐに人に感化されやすい』性質なのではないかと筆者は感じた。
あと、以前からずっと気になっていたのだが、三納はマジでモンスターエナジーの飲みすぎではないのかと心配になる時がある。(?)
モンスターはともかく後編に続きます。
が、その前に、前回のツイッター激ヤバな件から書いてはいたものの、なかなか投稿のタイミングがなかったものを、全て削除してしまうのはもったいない(?)ため、本筋とは少し逸れるが『前編』として先にそちらを考察していきたいと思う。
まずは、近年の三納の動画の最新作についての考察。(そんなものに需要があるのかどうか書いてて筆者自身もよく分かってはいないのだがwwww)(?)
・伊能物語最新作(現在は削除されて視聴不能)
三納の動画で『伊能物語』という、自分を伊能忠敬と思い込んだ三納が、自転車でとにかく走りまくって目的地を目指すという企画がある。
前回からそうなのだが、この企画が本人の苦労の割に全然面白くないのである。(?)
そして、その『理由』が筆者にはよく分かっているのだが、何故この企画がつまらないのかというと、動画内での三納が取れる行動に『制限』がないため。
これが例えば一日に『進んだ距離』に応じて『伊能ポイント』が貯まり、それによって使える金額が決まる(その日一日のポイントではホテルに泊まれないため、一日目は野宿で我慢して翌日ホテルを満喫など)であるとか、内容が工夫されていれば面白いのだが、これはその辺の作り込みが甘々であり、ただただ三納が伊能のふりをしながら目的地まで自転車を漕いでいくというだけの内容であるため、展開としては全くつまらないと言わざるをえない。
筆者は別にこれを全否定している訳ではなく、本人がこれを撮るために身体を張って苦労しているのは伝わってくるため、その苦労に面白さの方が全く見合っていないことを、もう少し工夫すればより面白くなるのに『もったいないよ』と言いたいのだ。
あと、これを書いている途中で、よく考えたらタイトルは三納と伊能の『のう』でかけてるのかと気付いた。(?)
・ドケチ生活最新作(こちらも現在は削除され視聴不能)
まず、これを観ていて思ったのは、ドケチ生活なのにファンからお茶を貰うのは違うだろうということ。
決められた『制限』の中でどう少ないお金をやりくりして、どう切り抜けていくのかがこの企画の趣旨、面白いところ(実際前回のドケチ生活の時はそうしていた)であって、そこを困ったら何でも貰えるという風にしてしまうと、企画がブレブレになって面白みがなくなってしまうことに、やってて自分で気付かなかったのかと不思議でしょうがない。
最近のあまりの暴言ぶりに、初めは批判しようと思って観ていたのだが、動画の後半の豚のぬいぐるみを可愛がりながら、ダンボールの中で寒がっているところで何故か涙が出てきてしまい、可哀相になってきて何も言えなくなってしまった。
これは内心相当苦しんでるだろう……。
思えば、このように豹変(?)する前はそこまでへりくだらなくても……と、見てるこっちが思うぐらいめちゃくちゃ低姿勢でコメ返していたのだが、実はその時の三納が『ばなな』だったのではないだろうか?
この動画の最後の方で、『ばななにもどる』という選択肢があるのを筆者は見逃さなかった。
ばななというキャラはもうやめるなどと言っていたが、本当は本人もばななに戻りたい気持ちがあるのではないか?だからこそ動画内にそのような選択肢を設けたのではないか?と感じずにはいられなかった。
本人は自分のことをゴミ人間などと自嘲していたが、けしてゴミなどではない、これまで身体を張ってたくさんの人を楽しませて、その分幸せにしてきたじゃないか。
この後、前述の通りこれらの動画とその前の視聴者に喧嘩を売る(?)動画は、現在何故か全て『削除』されているため、現在は視聴不能の状態となっている。
ここからは、現在に至るまでの三納のあまりにイタすぎる対応(ツイッターや動画のコメント欄での返信)について。
リプやコメント欄で視聴者に痛いところを突かれたら、話を逸らして論点ずらしの的外れな返答しか出来ないのは非常にサブいし、三納のチャンネルで基本三納の味方が多いにも関わらず、三納のコメ返にいいねが一つもない時点でかなりヤバいと気付いた方が良いと思う。
悪質なアンチに対して言うのであれば良いが、心から心配だったり応援して下さる方にまで、皮肉や嫌味たっぷりに返すなど、それは人としてやってはいけないことだろう。
応援コメントに対して嫌味で返したり、この時の三納は性格が悪すぎたため、今までスタッフや周りの人が離れたりしていっていたのは、ひょっとするとカメラに映らないところでは今回のような性格をむき出しにしていたのではないか?と思ったりもした。
自分にとって耳の痛い意見でも、自分のことを思って言ってくれる人の方が、実は本当の『味方』だったりする。
自分へのまっとうな批判に対して悪態をつき、周りにイエスマンしかいない『裸の王様』になりたいのかお前はと思うし、所謂『まともな人』『良心的な視聴者』からは今どんどん呆れられ、愛想を尽かされていることは自覚した方が良いと思う。
内心は自分でも、今の自分のイタさ加減を理解しているものと思われるが、敢えて見ないようにしているというか、今の三納は努力して積み上げてきたものをわざとぶち壊して、砂上の楼閣が崩れていく様を愉しんでいるようにも感じる、そういった行為に快感を覚える自分のことを変態などと称していたが、いずれにしても普通の精神状態とはとても思えない。(というか、前述の動画を消したのは、実は動画を消したかったというよりも、『コメント欄での自身のイタいやり取り』を消したかった、正気に戻って『こんなやり取りを人に見られたくない』ということに気付いたという点の方が大きいのかもしれない)
ここからは、三納がSNS上でやっていた(現在も進行中?)、視聴者に金銭や飯をねだるなどの行為について。
まず、飯を奢って貰って視聴者のカウンセリングをやりますなどと、いま一番カウンセリングが必要なのはお前だろうと筆者などは思う。(?)
サインや写真で飯を奢れ、5000円ならぷんぷく侍もやるなどと、ハッキリ言ってそのような茶番にそこまでの価値はないし、自分のことを芸能人とでも勘違いしているのではないか。
コメントで、今の三納は自分の考えを貫いて生きていて格好いいなどという声も見たが、子供のように恥も外聞もなく視聴者に飯をおねだりしている姿を本気で格好いいなどと思っているのかと、疑問でしかない。
これまでのことは全て捨てて、自分のやりたいようにやると言うのであれば勝手にやっていればいいとしか言えないが、それがどうしても強がって開き直っているようにしか見えないのだ。
身体を張って動画を作っても、これまでのように再生数が伸びないため、動画制作にかけた労力の割に入ってくる実入りがあまりに少なくなり、そこで三納の中の何かが『はじけた』、おかしくなってしまったのではないかと筆者は感じる。(だからばななはやめると言い出したのではないか)
要は、表面上は格好のいいことを言っているが、その本質は再生数が落ち込みすぎて広告費で食えなくなってきたから、場所を転々として視聴者に飯を食わせて貰っているだけなのではないか?と思うし、そうしてそんなことが通用するのは物珍しさのある今だけであり、常に飯やお金を恵んでくれる視聴者が現れ続ける訳はないし、そんなことがいつまでも続くものではない。
勿論、本当に良い方なのであれば良いが、中には動物園の動物に『餌付け』をするような感覚で、何でも賛同しておだててその気にさせて、その実三納が破滅するまでの経過を観察して愉しんでいるような輩もいるかもしれないので、そういう『一見味方のふりをした敵』には本当に気をつけた方が良いと思う。
思えば、三納がこのような行為に至る『前兆』はあったのである。
それは、『プロオゴラレヤー』という人物と三納との対談動画。
まあ、わざわざ説明しなくても、名前からしてどのような人物なのか分かると思うため敢えて説明はしないが、この対談からの三納の行動の流れを見ると、どうもこのオッサンに感化されて上記のような行為を始めたのではないか?と思うフシもあるのだ。
筆者が三納をこれまで評価していたのは、『自分の苦労よりも作品の面白さを優先するクリエイター魂』があったからであり、それがこのような『プロオゴラレヤー』などという、人生に於いて一番参考にしてはいけないレベルの人物に感化されているとは、そうか、そこまでレベルが低かったのかと本当に残念としか言いようがない。
後編で出てくるのだが、三納はいま現在ツイッターで、『プロオゴラレヤー』の次は『キメラゴン』などという非常に胡散臭い人物に感化されており、『すぐに人に感化されやすい』性質なのではないかと筆者は感じた。
あと、以前からずっと気になっていたのだが、三納はマジでモンスターエナジーの飲みすぎではないのかと心配になる時がある。(?)
モンスターはともかく後編に続きます。
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