あなたの代わりに恋をする、はず、だった

清谷ロジィ

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みんなの「本当」

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 すれ違う生徒を弾き飛ばす勢いで、私は走った。廊下を爆走する元新入生代表を、みんなが目を丸くして見ている。
 鼓動が跳ねる。額に汗がにじむ。
生きている証を存分に感じながら私は走った。
 汗にまみれた青春なんてまっぴらごめんだって思ってた。いまだってそう思ってる。
だけど、そうでもしなきゃ遥に追いつけない。遥に伝えられない。

 遥に――会いたい。どうしても。

 生徒玄関に着いた私は飛びつくようにして遥の靴箱を確認した。
外履きがない。靴を履き替えるのももどかしく、外に飛び出した私は、また駆け出した。

 遥、どこ? どこにいるの?

 遥を助けるために飛び込んだ海で、同じように叫んだことを思い出す。音も光も消えてしまう真っ暗な世界で、私が呼び続けたのは、大切な人の名前。
 夕暮れの橙色に染まるグラウンドに、運動部のかけ声がこだましている。視界の片隅をよぎった姿に、私の全細胞が反応した。
 星山高校のどこにでもある藍色の背中。だけど、あれは遥だけの色だ。

「遥!」

 声の限りに叫んだ。喉が裂けたってかまわない。
 振り返った遥が私を見て、わずかにたじろいだ。そして、足早にグラウンドを横切ろうとする。

「待ってよ!」

 全速力で走った。心臓はフルスロットル。激しい呼吸を繰り返したせいで肺が痛い。足だってもう限界だ。だけど、もう諦めない。
 伸ばした手が、遥の背中に届く。ブレザーをつかむ。もう二度と離すもんか。

「……なんだよ」

 さすがに足を止めた遥が、ぶっきらぼうに言った。だけど、振り返ってはくれないことに私の胸が痛んだ。でも、これくらいで挫けていられない。

「遥に、言わなくちゃ、いけないことが、あるの」

 息が上がって、いまにも倒れてしまいそう。でも、そのおかげで、ためらう理性も働かなかった。

「ごめんなさい。遥の大切な人を、私が、いなくしてしまった。本当にごめんなさい」
「……それは、千佳のせいだけじゃないだろ。子どもだったんだし」

 遥が、ぽつりと言った。

「それくらい、俺にだって分かるよ」
「あとね、あと――私、遥が好き」

 息を切らしながらの告白に、遥は呆気にとられた顔をした。

「……そういうの、もうやめろよ」
「好き。遥が私のこと許せないのも、嫌いなのも分かってるけど――」
「千佳は、知花の……ああもう、ややこしい!」

 遥が私を見てる。
 世界をカラフルに染める目が、私にも色を着けてくれる。それが、すごく嬉しい。

「お前は、あいつの代わりに俺を好きになったんだろ。俺は、そんな嘘いらない」
「違う。遥を好きなのは私。他の誰でもない」

 グラウンドの真ん中で言い争う私たちを、部活動に励む生徒たちがちらちら見てくる。
 私は、ぐいと前髪を上げた。チーの傷跡が残っていた場所をむき出しにした。

「私はチーじゃない。だから、私のこの気持ちは私だけのもの。誰にも譲らない」

 残照が空を染めていた。今日を名残惜しむようなそのとろりとした光が、少しずつ消えていく。

「――その傷」
「え?」
「俺が付けたんだ。川原でサッカーしてたとき、俺の蹴ったボールがぶつかったせいで、あいつが転んでさ。めちゃめちゃ泣いてた。だから俺、もう一生お前が傷付かないように守ってやるって、約束したんだ。そんで、サッカーもやめた」

――これはねぇ、はるかと、わたしのひみつ。

「だけど……入学式で千佳の名前を聞くまで忘れてた。思い出しても、ああそんなこともあったな、くらいでさ。でも、千佳に向かってサッカーボールが落ちてくるのを見たとき、ハッとした。俺はこの人を守らなきゃいけないんだって分かったから」

 遥がふっと笑った。

「それからずっとあいつのこと思い出そうとしたけど、なんせ子どものときの記憶だからはっきりしなくてさ。千佳と一緒にいるときはいつも、頭振り絞ってた。だけど、なんか違う気がしてた、どっかこう……ズレてるような」
「あ、私も」

 遥の口から語られるチーと私が知ってるチー。その二つはいつもぴったりと重ならない。

「そんで、海で千佳の話を聞いて思い出した。あいつからもらった手紙のこと」

 遥がカバンから取り出して私に差し出したのは、色とりどりの小花を咲かせた便せん。
 あの日、チーが来ていたワンピースにとてもよく似ていた。

「これ、読んでみて」

 便せんには見覚えのある文字が並んでいた。大きく堂々とした、でもどこかバランスの悪い文字。触れると、チーの体温が指先で弾けた気がした。

『はるかへ。こっちにきてびっくりしたことがあります。わたしとおなじなまえのこがいた! すごくいいこ。なかよくなったよ。
 わたしはチー。そのこはカー。ふたりでひとりなの。おもしろいでしょ?
 カーはね、すごくさみしがりや。まいごになったらすぐないちゃう。
 でもとってもやさしい。
 パパがいないってわたしがからかわれると、おこってくれる。そして、てをにぎってくれるの。
 あたまがよくっていつもほんをよんでる。むずかしいことばをわたしにおしえてくれるから、わたしもあたまよくなっちゃうかも? 
 すなあそびはじょうず。トンネルをとおすのはおなじくらいかな?
 そうそう、このあいだケンカしたときに「ぜっこう」ということばをおしえてくれたよ。
 わたしがカーのママがつくったマドレーヌをいっぱいたべたせい。でも、すごくおいしいからしかたない!
 それに、なかなおりしようっておねがいすれば、ぜったいことわらないから、へいき。
 チーとカーはふたりでひとり! だもん。
 はるかにもあってほしいなぁ。きっとだいすきになるよ』

 チーを感じた。すぐ隣にいて、私の手を握っているような――。

「ずっと俺が言ってたのって、千佳のことだったんだな。どうりでズレてるはずだよ。別人なんだから」

 遥が苦笑した。

「引越すときに『毎日手紙書くね』って言ってたくせに、くれたのはこの一通だけ。忘れてた俺もだけど、あいつもけっこう薄情だよな」
「チーはね、飽き性なんだ。新しいものを見つけるとそっちに夢中になっちゃうから」

 私と遥のチーが、やっとぴったり重なった。
 正しく描き出されたチーが、間違いないよ、とうなずいてくれたような気がした。

「ねえ、遥。私――」

 うまく言葉が出てこない。嘘をつくのは簡単なのに「本当」は、いつも喉に引っかかって、少し気を抜いたら心の奥底に落っこちてしまう。

「千佳」

 遥が私の名前を呼ぶ。私の、私だけの名前。
 私の左手を取った遥は、薬指のあたりをブレザーの袖でごしごしと擦った。

「部長のやつ、やっぱり殴ってやればよかったな」
「ち、違うの。遥、あれはね――」

 私の言葉が再び途切れる。遥が、私の薬指にキスを落としたから。

「これで、消えたかな」

 少し顔が赤く見えるのは、きっと消えかけている夕日のせいだけじゃない。

「えっと――プリンセス、あなたが何者でもかまわない。どうか僕の――ああ、なんか違うな」

 遥ががりがりと頭を掻いて、仕切り直すように大きく息をついた。

「千佳が好きだ。かっこいいスピーチも、瑞希ちゃんのために変な女に突っかかっていったのも、海が嫌いなのに俺を助けるために飛び込んだりするのも、嘘つきでも大事なことにはちゃんと正直なとこも、好きだ。俺は、これからもそんな千佳のそばにいたい」

 もう一度、唇が薬指に触れた。
 くすぐったい感触はまばゆい光のようだった。
 これは、私と遥が積み上げた思い出から生まれた「本当」。放たれた光は、私のためだけに作られたガラスの靴になる。
 これを履いて、遥と一緒に歩いていくんだ。

「遥、私も遥が好きだよ」
「――危ないぞーっ!」

 無粋な声が割り込んできた。
 空を見上げると、薄く紫がかった空から私に向かって落ちてくる、白と黒の球体。
 避けようとしたとき、酷使した私の足がかくりと折れた。
 あ、と思う間もなく転んでしまう。衝撃を覚悟して目を閉じた。
 けれど、聞こえてきたのは、トッ、と軽く弾む音。
 目を開けると、そこに広がるのは藍色。星山高校のブレザーの色。この校舎にあふれた、ありきたりな色。
 だけど、これは私をときめかせる「特別」だった。
 振り返った遥はちょっと照れくさそうに笑って、私を助け起こす。

「意外と、体って覚えてるもんだな」

 そう言いながら、足元のサッカーボールを爪先で小さく蹴った。
 グラウンドの向こうのサッカー部から「ナイストラップー!」と声が飛んできて、そのうちの一人がこちらに向かって走ってくる。

「あれー?」

 近付いてきた人影が変な声を出した。こんなところ見られたらまた噂になっちゃうな。でも、まあいいか。

「あーやっぱり、入学式のときの二人だ。なんだよ、こんなところでまたラブシーン?」
 遥と私は顔を見合わせた。
 そうだ、この人は私たちが出会ったあのときの赤いユニフォームの人。今日は黒いTシャツにハーフパンツだけど。

「いやーでもナイストラップだったよ。どう、サッカー部入らない? ちなみにマネージャーも募集しております」
「遠慮しておきます」

 二人で声を合わせてお断りした。
 ちぇーっと口をとがらせた名も知らぬ私たちのキューピッドに思わず笑ってしまう。

「ま、いいや。ボール、サンキュ」

 遥が私の前にサッカーボールを蹴ってよこす。
 行け、というように、いたずらっぽくウインクされて、私は思い切りボールを蹴った――が、その行く先はあらぬ方向。

「あ」
「あ」
「あーっ!」

 名もなきキューピッドが叫ぶ。
 高く上がったボールはフェンスを越えて、止まっていた車のボンネットに綺麗に直撃した。ヤバいかも……と三人で顔を見合わせる。
 ふと、その車に見覚えがある気がした。遥も「なあ、あの車ってさ」と口にする。そう、あれは――。

「ちょっとぴーちゃん、ひどすぎるだろ!」

 運転席から降りてきたのは瑛輔くんだった。
 赤い髪に緑色の革ジャン、ダメージジーンズ、じゃらじゃらとチェーンの音をさせるその姿に、キューピッドが短く息をのむ。このスタイルの瑛輔くんを見るのが初めての遥も、目を丸くしている。

「もう、別にいいじゃない。瑛輔は器が小さいんだから」

 そう言いながら助手席から現れたのは沙耶さんだった。
 弾けるような笑顔を私たちに向けて大きく手を振った。驚く私に、瑛輔くんは照れくさそうに赤い頭を掻く。
 瑛輔くんが放り投げたサッカーボールを受け取ると、キューピッドは光の速さで逃げていった。きっともう私たちをサッカー部に誘うことはないだろうな。

「ここにいたらまたボール飛んでくるかもな。そろそろ帰ろうぜ」
「あ、瑞希と先輩どうしよう。まだ待ってるかな。瑛輔くんと沙耶さんも」

 私を送り出してくれた二人と、フェンスの向こうで私たちを待っている二人。
 さすがに置いて帰るのは……。遥の手が私の手を握る。今までと違う、指を絡める深いつなぎかたに顔が熱くなった。

「だめ。今日は二人きり。いいだろ?」

 甘えるようなそのささやきに、背筋がぞくりとする。抗う術なんかあるわけがない。

「逃げるぞ」

 遥が私の手を引いて走り出した。限界を超えていた足が、また動き出す。

「腹減ったなー。なんか食って帰る?」
「なにがいいかなー?」
「ハンバーガーにしようぜ。千佳の特訓、まだ終わってないし」
「今日はもっとうまく食べられるから!」
「へー、期待してる!」

 景色が流れていく。ああ、世界はなんて美しい。嘘も本当も全部ひっくるめて受け入れているその姿を美しいと思わせてくれたのは、私の目の前にいる大切な人。
 遥の背中を追って走りながら、私はそんなことを考えていた。
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