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私の「本当」

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「千佳ちゃん、ああよかった。お帰りなさい」

 ママはそう言って、合宿から戻った私を強く抱きしめた。
 あの日からママはずっと不安な顔をしている。私がいなくならないか、私がひどい目にあわないかって。

「ねえ、ママ。お願いがあるの」
「なあに? そうだ、今日はマドレーヌを焼いたのよ。千佳ちゃん大好きだものね。」

 いそいそとキッチンに向かうママに、私はずっとずっと飲み込み続けた言葉を放つ。

「チーのお母さんに会いに行きたい」

 私はチーにはなれない。
 だけど、私の中で目を覚ました「本当」が、私がしなくちゃいけないことを教えてくれた。

「私、おばさんに本当のことが言いたいの」
「あれは千佳ちゃんのせいじゃないわ。大丈夫、もう全部忘れていいのよ。そうそう、いいアッサムの茶葉をもらったの。ミルクティーにしましょうか」

 やかんを火にかけるママの手がわずかに震えていた。

「もう嘘をつきたくない。お願い、教えて。おばさんは。いまどこにいるの?」
「だめよ、千佳ちゃん。わがまま言わないで。ね、いい子だから」
「ママ――」
「だめだって言ってるでしょう!」

 ママが手にしていた紅茶の缶をテーブルの上に叩きつける。蓋が開いて茶葉が飛び散ると、華やかな香りがした。

「もう終わったことなの! 全部全部終わったの! あなたはなにも心配しなくていいの。このまま幸せになっていいのよ」
「これが幸せなの? 私がついた嘘でパパもママも私もこんなに苦しんでるのに」
「やめなさい!」

 やかんが、もうもうと水蒸気を吐き出している。コンロの火を消すママの背中が震えていた。

「海にさらわれた子どもがいるって連絡をもらったとき、あなただと思ったの。服装がよく似ていたから。でも、あなたは生きてた。――心の底から『よかった』って思ったの。死んだのがあなたじゃなく、あの子でよかったって」

――千佳ちゃん! よかった! あなたじゃなかったのね!

 バターと卵をたっぷり使ったお菓子が得意なママ。あの日からずっと不安そうな顔ばかりしていたママ。どこかふわふわと子供っぽかったママが、急に歳を取ったように見えた。

「あなたが本当のことを伝えたいっていうのは、ただの自己満足よ。あの人に悲しい思いをさせるだけ。忘れなさい。あの人に憎まれるのは私の役目よ」

 自己満足。そうかもしれない。だけど――。

「私、やっぱり会いに行く」

 ママはふっと息を吐いた。テーブルの上に散らばった茶葉を指先でもてあそびながら「パパに聞きなさい」と言った。
 ママから連絡を受けて帰ってきたパパは、私を書斎に呼んだ。
 引出しからハガキの束を取り出して、私に差し出した。
 差出人は沢野さわの美也子みやこ。チーのお母さんの名前。
 一番上にあるのは今年の年賀状で、金色で印字された「謹賀新年」以外、なにも書かれていなかった。住所は、昔、私たちが暮らしていた町――私とチーが出会った町のものだった。

「毎年送られてくるんだ。あの年から、ずっと」

 そう言われて一番下の年賀状を見ると、それはチーが死んだ年のものだった。あれから十年、一度も欠かすことなく送られてきていたなんて、知らなかった。

「行くのか」
「――行くよ」
「そうか。気を付けて行きなさい」

 書斎を出るときに振り返ると、パパが私を見つめていた。あの日から私を見なくなったパパ。その裏で、おばさんからの年賀状を引出しにしまい込んで、私の目にさえ触れさせなかったパパ。

「ありがとう。行ってくるね」

 ドアを閉める瞬間に見えたパパの顔が、少し歪んでいた。
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