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「私なんて」「本が好き」な「寂しがり屋」
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「澤野さん、ちょっといいかな」
吉田さんに声をかけられたのは、日直の仕事で職員室に行った瑞希を、私が一人で待っているときだった。
放課後の教室には、私と吉田さんの二人きり。私が断れないタイミングをずっとうかがっていたのかもしれない。
「……なに?」
「澤野さんって遥くんと付き合ってるの?」
さすが女王蜂。イエスかノーでしか答えられない問いで、単刀直入に切り込んでくる。
「私ね、遥くんのこと、好きみたいなの」
可愛らしい笑みにそぐわない好戦的な目は、絶対に逃がさないと言わんばかりだ。
「それなら私じゃなくて、遥に伝えるべきじゃない?」
「だって、もし澤野さんと付き合ってるなら告るだけ無駄でしょ」
嘘つけ。
吉田さんは彼女がいるかどうかなんて気にしない。欲しければ手を伸ばす。そして、絶対に手に入れる。じゃなきゃ、女王蜂になんてなれない。
「なんか、澤野さんが遥くんの運命の人……っていう噂聞いたんだけど、それって嘘でしょ」
ピンクベージュの唇からこぼれた笑いが、吉田さんの顔に張り付いた笑顔に、ぴしり、と小さなヒビを入れた。そこからじわじわ嘲笑が漏れ出てくる。
「だいだい、自分が遥くんに釣り合うとか思ってないよね。あたしたちよりずーっと頭のいい新入生代表さんなんだから分かるでしょ?」
「どうして、釣り合わなきゃ隣にいることも許されないの?」
吉田さんの目が私を見た。
新入生代表でもなく、遥や瑞希の隣にいる誰かでもなく。「私」を「見た」。
「私はずっと、遥に会うために生きてきたの。遥に会うためになんだってした。吉田さんにそんなこと言われる筋合いなんかない」
――遥はね、すっごくきれいなんだ。
遥は、チーにとって特別な人。あなたなんかに渡さない。チーの初恋は、私が守ってみせる。
「第一、吉田さんは遥のどこが好きなの? たぶん、話したこともないでしょ?」
「どこって……その、やっぱり、かっこいいし」
ふふっと笑った私に、吉田さんが顔をしかめた。
「なによ」
「ごめんなさい。でもね、遥って昔から外見のこと言われるのが大嫌いなんだ。もしそんな理由なら、吉田さんこそ遥にふさわしくないんじゃないかと思って」
予想外のカウンターに固まった吉田さんの隙を逃さず、私はその手を取った。
誰かに触れられるのは嫌い。触れるのも嫌い。特に、こんな人が相手ならなおさら。
でも、チーの初恋を守るために、私は戦わなくちゃいけない。
それが、私の役割だから。
相変わらずの粘っこい感触に鳥肌が立つ。それを押し殺して、私は聖母のように慈愛に満ちた(つもりの)笑みをたたえて、吉田さんを見つめる。
「釣り合うとか釣り合わないとか、そんなことばっかり考えて生きてて疲れない? 見た目がいいから好きになるって、吉田さんは今までそんなお手軽な恋愛ばっかりしてきたの? それってちょっと心配かも。もっと人の内面を知って好きになったほうがいいよ。そのほうがきっと、吉田さんも幸せになれると思う」
しばらくぽかんとしていた吉田さんだったが、その顔が徐々に赤くなっていく。
「おまたせ、チッカ……って、なにしてんの?」
教室に戻ってきた瑞希が、怪訝そうに私たちを見てそう言った。吉田さんはハッと我に返って、私の手を振りほどく。
「あんたに関係ないでしょ!」
私と瑞希、どちらに行ったのかよく分からないセリフを吐いて、入口に立つ瑞希を強引に押しのけると、吉田さんは走り去っていった。
「なにあれ。やっぱりあいつ、いやな女」
パタパタと遠ざかっていく足音の行く先をにらみつける瑞希の目にはまた、はっきりと拒絶の色が浮かんでいる。
「チッカ、なんか変なことされたんじゃない?」
「別に大したことないよ。それより、もう帰らなきゃ」
「そうだ。遥くんも待ってるんだった」
「え、じゃあ急がなきゃ!」
今日は水曜日で家庭教師の日だから、文芸部の特別授業はお休みだ。
それが少し寂しいと思うなんて、最近の私はちょっとどうかしている。
瑞希と二人で慌てて教室を出ると、廊下の先に遥がいた。
みんなと同じ制服。だけど違う。特別な藍色の背中。足音に振り返った遥が微笑んだ瞬間、世界が鮮やかに色づいていく。
「遅かったじゃん」
「今日は勉強会もないし、先に帰ったかと思ってた」
「千佳を置いて帰るわけねーだろ」
私の中でなにかがまた暴れ始める。正体不明の、懐かしさのかけらもない、でも、少し甘やかな、なにかが。
「千佳は昔から寂しがり屋だからな」
そんなことない、と言いかけて、ぐっとこらえた。
チーはいつでも私の手を引いてくれた。私を探してくれた。私を一人にしなかった。
――でもそれは、チーが寂しかったから、なのかな。
またひとつ、私が知らないチーが増える。ノートに書きこんでおかなくちゃ。
『チーは寂しがり屋』
前髪を撫でつける。
ねえ、チー。
私の中で暴れてるものは――この気持ちは、チーのもの、だよね?
吉田さんに声をかけられたのは、日直の仕事で職員室に行った瑞希を、私が一人で待っているときだった。
放課後の教室には、私と吉田さんの二人きり。私が断れないタイミングをずっとうかがっていたのかもしれない。
「……なに?」
「澤野さんって遥くんと付き合ってるの?」
さすが女王蜂。イエスかノーでしか答えられない問いで、単刀直入に切り込んでくる。
「私ね、遥くんのこと、好きみたいなの」
可愛らしい笑みにそぐわない好戦的な目は、絶対に逃がさないと言わんばかりだ。
「それなら私じゃなくて、遥に伝えるべきじゃない?」
「だって、もし澤野さんと付き合ってるなら告るだけ無駄でしょ」
嘘つけ。
吉田さんは彼女がいるかどうかなんて気にしない。欲しければ手を伸ばす。そして、絶対に手に入れる。じゃなきゃ、女王蜂になんてなれない。
「なんか、澤野さんが遥くんの運命の人……っていう噂聞いたんだけど、それって嘘でしょ」
ピンクベージュの唇からこぼれた笑いが、吉田さんの顔に張り付いた笑顔に、ぴしり、と小さなヒビを入れた。そこからじわじわ嘲笑が漏れ出てくる。
「だいだい、自分が遥くんに釣り合うとか思ってないよね。あたしたちよりずーっと頭のいい新入生代表さんなんだから分かるでしょ?」
「どうして、釣り合わなきゃ隣にいることも許されないの?」
吉田さんの目が私を見た。
新入生代表でもなく、遥や瑞希の隣にいる誰かでもなく。「私」を「見た」。
「私はずっと、遥に会うために生きてきたの。遥に会うためになんだってした。吉田さんにそんなこと言われる筋合いなんかない」
――遥はね、すっごくきれいなんだ。
遥は、チーにとって特別な人。あなたなんかに渡さない。チーの初恋は、私が守ってみせる。
「第一、吉田さんは遥のどこが好きなの? たぶん、話したこともないでしょ?」
「どこって……その、やっぱり、かっこいいし」
ふふっと笑った私に、吉田さんが顔をしかめた。
「なによ」
「ごめんなさい。でもね、遥って昔から外見のこと言われるのが大嫌いなんだ。もしそんな理由なら、吉田さんこそ遥にふさわしくないんじゃないかと思って」
予想外のカウンターに固まった吉田さんの隙を逃さず、私はその手を取った。
誰かに触れられるのは嫌い。触れるのも嫌い。特に、こんな人が相手ならなおさら。
でも、チーの初恋を守るために、私は戦わなくちゃいけない。
それが、私の役割だから。
相変わらずの粘っこい感触に鳥肌が立つ。それを押し殺して、私は聖母のように慈愛に満ちた(つもりの)笑みをたたえて、吉田さんを見つめる。
「釣り合うとか釣り合わないとか、そんなことばっかり考えて生きてて疲れない? 見た目がいいから好きになるって、吉田さんは今までそんなお手軽な恋愛ばっかりしてきたの? それってちょっと心配かも。もっと人の内面を知って好きになったほうがいいよ。そのほうがきっと、吉田さんも幸せになれると思う」
しばらくぽかんとしていた吉田さんだったが、その顔が徐々に赤くなっていく。
「おまたせ、チッカ……って、なにしてんの?」
教室に戻ってきた瑞希が、怪訝そうに私たちを見てそう言った。吉田さんはハッと我に返って、私の手を振りほどく。
「あんたに関係ないでしょ!」
私と瑞希、どちらに行ったのかよく分からないセリフを吐いて、入口に立つ瑞希を強引に押しのけると、吉田さんは走り去っていった。
「なにあれ。やっぱりあいつ、いやな女」
パタパタと遠ざかっていく足音の行く先をにらみつける瑞希の目にはまた、はっきりと拒絶の色が浮かんでいる。
「チッカ、なんか変なことされたんじゃない?」
「別に大したことないよ。それより、もう帰らなきゃ」
「そうだ。遥くんも待ってるんだった」
「え、じゃあ急がなきゃ!」
今日は水曜日で家庭教師の日だから、文芸部の特別授業はお休みだ。
それが少し寂しいと思うなんて、最近の私はちょっとどうかしている。
瑞希と二人で慌てて教室を出ると、廊下の先に遥がいた。
みんなと同じ制服。だけど違う。特別な藍色の背中。足音に振り返った遥が微笑んだ瞬間、世界が鮮やかに色づいていく。
「遅かったじゃん」
「今日は勉強会もないし、先に帰ったかと思ってた」
「千佳を置いて帰るわけねーだろ」
私の中でなにかがまた暴れ始める。正体不明の、懐かしさのかけらもない、でも、少し甘やかな、なにかが。
「千佳は昔から寂しがり屋だからな」
そんなことない、と言いかけて、ぐっとこらえた。
チーはいつでも私の手を引いてくれた。私を探してくれた。私を一人にしなかった。
――でもそれは、チーが寂しかったから、なのかな。
またひとつ、私が知らないチーが増える。ノートに書きこんでおかなくちゃ。
『チーは寂しがり屋』
前髪を撫でつける。
ねえ、チー。
私の中で暴れてるものは――この気持ちは、チーのもの、だよね?
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